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カール・マルクスコミュのマルクス、プルードン往復書簡

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以下、マルクスとプルードンの往復書簡を『革命家の告白』(作品社)より引用させていただきます。研究目的ということで許諾いただきたいと思います。他にも翻訳はありますが、ぜひ作品社バージョンを購入していただきたいです。なお、英訳は下記サイトにあります。
http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/letters/marxtoproudhon.html
http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/letters/proudhontomarx.html
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マルクスからブルードンへの手紙

 親愛なるブルードン
 パリを立って以来、あなたに何度も手紙を書こうとしましたが、私の意志とは別の環境がそれを今日まで許さなかったのです。仕事の増加やら、引越しのゴタゴタ等々が私の無沙汰のもっぱらの理由であると、どうかお考えくださいますよう。
 さて、ともあれ、話の核心に入りましょう。私の二人の友、フリードリヒ・エンゲルスとフィリップ・ジゴー(二人ともブリュッセルにおります)とともに、私はドイツの共産主義者および社会主義者たちと持続的に連絡を取っていますが、これは、科学的問題の議論、人民の著作物に行なわれるべきリサーチ、この方法によってドイツに起こすことが可能な、社会主義的プロパガンダに取り組むものでなければならないでしょう。とはいえ、われわれの通信の主要な目的は、ドイツの社会主義者たちを、フランスやイギリスの社会主義者たちに紹介することであります。つまり、ドイツで起こるであろう社会主義運動の流れに外国人たちを結びつけ、フランスやイギリスにおける社会主義の進歩をドイツにいるドイツ人に知らせることです。このようにして、さまざまな見解の相違が明らかになるでしょうし、思想の交換や公正な批判が可能となるでしょう。これは、社会運動が国籍の限界から解放されて、文章上の表現となるための第一歩です。そして、実際の活動においても、自国においてと同様に外国の事情に通暁することは、誰にとっても大きな利益であることは確実です。
 この通信によって、ドイツの共産主義者だけではなく、パリやロンドンのドイツ社会主義者のこともわかるでしょう。イギリスとのコネクショソは既にできています。フランスについては、われわれとしてはあなた以上のすぐれた通信員は考えられません。ご存知のように、今までのところ、お国の方々よりはイギリス人やドイツ人のほうがよいと、われわれは思っております。
 したがいまして、おわかりのように、問題は定期的な通信を樹立することであり、さまざまな国の社会運動をフォローする手立てをそこに保証することであり、豊かで多様な利益を得ることですが、それはたった一人では決してできない相談でありましょう。
 もしこの申し出にご同意くださるならば、そちらの文書通信費は当方からの通信費同様、こちらで負担致しますし、ドイツでの募金はこの通信費をカバーするために用いられます。
 宛先はボッデソブロック通り八番地フィリップ・ジゴー氏です。ブリュッセルからの連絡もやはり、彼からのものになるでしょう。
 つけ加えるまでもありませんが、この連絡はすべて内密にお願い致します。われわれのドイツの友は、トラブルを避けるべく、最大限の慎重さをもって行動しております。
 なにとぞ、すみやかなお返事をお願い申し上げます。

                                     敬具
                               カール・マルクス
                       一八四六年五月五日、ブリュッセル


追伸----ここでパリのグリュン氏のことを告発します。この男は単なる文学的。ぺテン師であり、現代思想を商売にしようとする香具師(やし)にほかなりません。彼はおのれの無知を、もったいぶった倣慢な文章で隠していますが、そのわけのわからぬ内容によって、結局滑稽な存在になるはかはありません。加えてこの男は危険です。彼は名高い著作家たちから得た知己を悪用し、その常軌を逸した振る舞いによって彼らを崇め奉り、ドイツの読者に対しては彼らを胡乱なものにするのです。フランス社会主義老に関する本では、彼は図々しくもブルードンの先生(Privatdocent、ドイツ語でアカデミックな権威のこと)だと自称し、ドイツ的学問によるあなたの重要な原理のヴェールを剥ぐことを求め、あなたの著作についてデタラメを言っているのです。ですから、この寄生虫にはお気をつけください。この手合いのことは、おそらくはまたのちほどお話することになりましょう。
 ぁなたはどの卓越した人物にお近づきになることがいかに喜ばしいことか、申し上げる機会が得られたことをぅれしく存じます。それでは失礼申し上げます。                                                                                  敬具                              フィリップ・ジゴー

私と致しましては、私どもが今提案致しました計画に貴方が同意され、私どもへのご協力を賜りますことを、ひとえに切望するものです。貴方の著作によって私に吹き込まれました、貴方への深甚なる敬意を表しつつ。
                                     敬具
                           フリードリヒ・エンゲルス


ブルードンからマルクスへの手紙
                    一八四六年五月一七日、リヨン
 マルクス氏へ           
 親愛なるムッシュー・マルクス、私は喜んであなたの言う通信----その目的と組織は、きわめて有益にちがいないと思われます----の一員となることに同意します。とはいえ、分量的にも回数的にも多くはお約束できません。生来の怠惰に加えて、本来の私の仕事がそうした手紙を書く努力を許さないからです。さらに私は若干の留保を申し上げたいのですが、それはあなたの手紙の数節から思いつかれたものです。

 まず第一に、組織化と実行に関する私の考えが、今の時点では全く中断しているとはいえ、少なくともその諸原則に関しては、なおしばらくの間は、批判的ないしは疑いの限を持った姿勢を保つことが私の務めであり、すべての社会主義者の務めであると思います。一言で言えば、私は公衆とともに、ほとんど絶対的な経済的反教条主義を表明するものです。
 もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的(ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しょうなどとは、考えないようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようではありませんか。彼はカトリック神学を覆した後で、---- 多くの追放と破門制裁とによって、ただちにプロテスタント神学を打ち立て始めたのです。この三世紀来、ドイツはM・ルターが塗り替えたものの解体に忙殺されてきました。人類に対して、新たな混乱による新たな労役というタイユ税(かつて領主が徴収した人頭税)を課すのは、やめようではありませんか。あらゆる言論を明るみに出すというあなたの考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。ただし、私たちは一つの運動の先頭にいる以上、新たな不寛容を導いてはなりませんし、新たなる宗教の布教者となるべきではありませんこの宗教がいかに論理の宗教、理性の宗教であろうとも。あらゆる抗議を受け入れ、励まそうではありませんか。あらゆる排除、あらゆる神秘主義を、糾弾しょうではありませんか。ある問題が用済みであると見なすことは、やめようではありませんか。そして、最後の議論まで論じ尽くしたとしても、必要ならば雄弁とイロニーをもって、再び始めようでほありませんか。こうした条件であれば、私ほ喜んであなたの組織に参加しましょう。そうでなければ、否! です。
 さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲 ----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖パルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。
 現在あらかた印刷されている私の次の著作は、このことをさらに詳細にあなたに語ることでしょう。
 わが親愛なる哲学者よ、これが現在私が立っている地点です。私は間違えることがあるかもしれないけれども、あなたの手によって鞭打たれる余地があるのならば、自分が巻き返すのを待機しつつ、喜んでそれに従うものです。ついでに言わなければなりませんが、以上はまた、フランスの労働者階級の傾向でもあると私には思われます。プロレタリアはあまりにも知識に渇いているので、彼らに血以外の飲み物を勧めてはならないとすれば、彼らを受け入れることはできないでしょう。要するに私の考えでは、皆殺しにする者として語るのは、私たちにとって悪しき政策によるものでしょう。是非とも必要な手段は、十分もたらされるでしょう。それゆえ民衆には、いかなる勧告も不要なのです。
 見たところ、ドイツ社会主義においては、既に細かな分裂状態が存在するらしいのがとても残念ですが、グリュン氏に対するあなた方の訴えも、その証左と私には受け取れます。あなた方は、この著作家を暗い明かりの中で見たのではないかと危倶されます。親愛なるムッシュー・マルクスよ、私はあなたの冷静さに訴えます。グリュンは亡命の身で、財産もなく、妻と二人の子供とともに、生きる手立てとしてはペンしかないのです。もし現代思想でないとすれば、彼が生きるためには、何を利用することをあなたは望むのでしょう。あなたの哲学的な怒りはわかりますし、人類の聖なる言葉は決して不正な取り引きの材料になるべきではないことは認めます。しかし、私としてはここにある不幸、ギリギリの必要性しか見たくはなく、その人間は大目に見ます。ああ、私たちがみな百万長者ならば、物事はもっとうまく行くでしょうし、私たちは聖者や天使でしょう。しかし、生きなければならないのです。それどころか、アソシアシオンの純粋な理論が与えるこの思想を、この言葉がいまだに表わしていないことをあなたはご存じだ。生きなければならない、すなわちパンを、薪を、肉を買い、一家の主人に給料を払わなければならない。もちろん、社会思想を売る者は説教を売る者と同様に卑劣だということはありません。グリュンが私の教師として振る舞ったかどうか、私は全く知りません。何の教師なのでしょう。私は政治経済学にしか興味はなく、これについては、彼はほとんど何も知りません。文学については、私は女子の慰み物だと見なしております。哲学に関してほ、時折りそれを噸笑する権利を有するほどには知っております。グリュンは、私のヴェールを何も剥がさなかったのです。彼がそう言ったとすれば、理不尽なことを言ったわけですが、私はそのことを彼が後悔していると確信しています。
 些細な虚栄の発露を責めるよりも、私が知り、評価しているのは、親愛なるムッシュー・マルクスよ、あなたの著作や、エンゲルス氏の著作、そしてフォイエルバッハのかくも重要な仕事を私が知ったのは、グリュン氏の友人エバーべックともども彼のおかげだということです。彼らは私の頼みに応じて、最も重要な社会主義の出版物のいくつかの要約をフランス語で(というのは、私はあいにくドイツ語を全く解さないので)やろうとしてくれました。また、私の次の著作にマルクス、エンゲルス、フォイエルバッハ等の諸氏の仕事に関する言及をつけ加えたのも(そもそもはこれは独力でやるべきだったのですが)彼らの示唆によるものです。要するに、グリュンとエバーペックは、パリに住むドイツ人に聖なる火を絶やすまいと努めており、彼らに相談をもちかける労働者たちが彼らに抱いている敬意は、その目指すものの正しさを確かに保証するものと、私には思われます。
 親愛なるムッシュー・マルクス、束の間の苛立ちから生じた判断からあなたが抜け出られるのを、私は喜んで認めるでしょう。というのも、あなたが私に手紙を善かれた時、あなたは怒っておられたからです。グリュンは、私の今の本を翻訳したい旨、言ってくれました。ほかのすべてに優先してこの翻訳をすることが、彼に何らかの救いをもたらすのだろうと私は理解しました。それゆえ、この機会に、おそらくはあなたの助力とともに、私によりは彼の利益となるような一著作の販売に一役買っていただくことで、彼を援助してくださるならば、私は私のためではなく彼のために、あなたの友人ならびにあなたに感謝するものです。
 親愛なるムッシュー・マルクスよ、もしあなたが協力を確約してくださるというのならば、私はグリュン氏に、校正刷りをすぐにも送ることにしましょう。思いますのに、私が審判者になるつもりはないあなたの個人的な訴えにもかかわらず、これを行なうことは、私たちにとって万人の名誉でありましょう。
 敬具
 あなたの友、エンゲルスとジゴー氏に限りない友情を。

(『革命家の告白』プルードン著、山本光久訳、作品社、2003.8、p498-505より)

コメント(5)

プルードンとマルクスの関係に関してはゲゼルの『自然的経済秩序』の冒頭か、

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html

以下の斎藤悦則さんのサイトが詳しいです。

http://www.kagomma.net/saito/travaux/P%26M.html

以下同サイトより

パリ滞在中はマルクスを含むさまざまの亡命知識人と交流している。とくにドイツ人たちはそれぞれの思惑から有名人プルードンとの結びつきを深めようと競い合った。44年9月から45年2月にかけての滞在中,プルードンはマルクスとも数度にわたって会っているが,むしろグリュン*と親しくする。グリュンはドイツ哲学をわかりやすく解説してくれる人物として,また生活苦のなかにあってもがんばる姿を示して,パリの知識人・労働者のあいだで受け入れられていた。マルクスやエンゲルスはそれにいらだち,グリュンへの警戒をよびかける手紙をプルードンに送る(46年5月5日付)。プルードンはこの手紙の前段にある独仏同盟結成の企てに原則賛成を表明しながら,グリュン攻撃についてはたしなめる返事を書く(同年5月17日付)。これを境にプルードンはマルクスたちにとって敵と見なされるようになる。46年10月,プルードンが『貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系』*を出すと,マルクスは翌47年7月『哲学の貧困』*でこれを悪罵した。プルードンは黙殺する。
シルビオ・ゲゼル「自然的経済秩序」序論
http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html
以下、同サイトより引用させていただきます。
(管理人様、不適当と判断されましたら削除お願いいたします。)


プルードンが社会主義者に50年以上前に明らかにした、不断の重労働で資本家をうまく攻撃でき放逐できるという方策は、今日当時よりも理解されていない。プルードンは完全に忘れ去られてこそいないものの、誰も彼をきちんと理解していない。そうでなければ、資本家はいなくなっていたことだろう。プルードンの方法論(交換銀行)が間違っていたので、彼の理論は全体が信用されなくなったというのが、決してプルードンがきちんと理解されなかった理由なのだろう。きちんと理解したことを実践せず、失敗のために尻込みしてしまったのだ。

なぜマルクスの資本理論がプルードンの学説を追い出せ、社会主義を独裁制にできたのだろうか。どうしてマルクスと彼の理論が世界のあらゆる新聞で語られるのか。マルクス主義の絶望とそのための無害性だという人がいる。ちょうど資本家がキリスト教の教義を恐れないように、資本家は彼の理論を恐れない。むしろ、マルクスやキリストについておおっぴらに話すのは資本家のためになる。マルクスは資本家を決して破壊できないが、それは彼が資本の性質を誤解しているからだ。しかし、プルードンに注意しよう。彼は徹底的に無視するに限る。妨害や擾乱、または中断なしに労働者が働ければ、資本家は資本の供給過剰(商品の生産過剰と混乱しないように)ですぐに窒息するという彼の主張は正当なものなので、彼は危険人物である。直ちに実行できるため、資本家の攻撃のためのプルードンの提案は危険なものである。マルクスのプログラムは最新の機械と道具を備えた現代の訓練された労働者の莫大な生産能力について語っている。マルクスはこの莫大な生産能力で何も始められない。プルードンの手にかかるとこれは資本家に対する武器となる。そのためプルードンを忘れてもらえるように、マルクスを喧伝せよ、と。

(中略)

資本のマルクスの吟味は、最初から道を踏み外している。農民同様マルクスは、資本を物的財とみなした。これに対してプルードンにとって剰余価値は物的財の生産物ではなく、市況である経済状況の生産物である。マルクスは剰余価値を、所有が与える権力の乱用の産物である強奪とみなす。プルードンにとっては、剰余価値は需要と供給の法則に則ったものである。マルクスによれば、剰余価値がプラスであるのは自明だが、プルードンはマイナスの剰余価値もあり得るとしている(プラスの剰余価値は供給、すなわち資本家側の剰余価値で、マイナスの剰余価値は労働側の剰余価値である)。マルクスの解決策は、組織によって達成されるべき非所有者の政治的優越組織である。プルードンの解決策は、われわれの生産能力の完全な発展を妨げている障害の除去である。マルクスにとって、ストライキと危機は歓迎される事件であり、その目的のための手段は強制収用である。これに対して、プルードンは「決して仕事を怠けるな。ストライキや危機、失業で資本家は強化される。絶え間ない労働ほど資本を弱らせるものはない」と述べる。マルクスは、「ストライキと危機は諸君を目的に近づけ、大崩壊で諸君は天国に着陸する」と述べる。プルードンはこれを否定し、「それは詐欺である、その種類の方法は目的から諸君を遠ざける。それでは金利を1%下げることもできない」という。マルクスにとって私有は権力と優越である。これに対してプルードンは、この優越がお金に根ざしており、異なった状況では私有の権力は弱点にさえなり得ると認識する。

(中略)
プルードンは、彼の墓で決して安らかには眠っていない。彼は休んでいるだけだ。しかしマルクスは急いでいる。プルードンが目を覚まし、人類の過ち博物館にマルクスを落ち着かせるまで彼は落ち着かない。
あんたアナキズムコミュで自分についてありもしないことを推測だけで書いて訂正もせずにそのまま放置しているけど、研究どうこう言うんだったら少なくとも事実に基づくことなく思いつきだけで書いた部分は訂正しようと思わないのかい?たまたま見かけたので言わせてもらうが。
 もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的(ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しようなどとは、考えないようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようではありませんか。

あらゆる言論を明るみに出すというあなたの考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。

私は間違えることがあるかもしれないけれども、あなたの手によって鞭打たれる余地があるのならば、自分が巻き返すのを待機しつつ、喜んでそれに従うものです。ついでに言わなければなりませんが、以上はまた、フランスの労働者階級の傾向でもあると私には思われます。プロレタリアはあまりにも知識に渇いているので、彼らに血以外の飲み物を勧めてはならないとすれば、彼らは受け入れることはできないでしょう。要するに私の考えでは、皆殺しにする者として語るのは、私たちにとって悪しき政策によるものでしょう。是非とも必要な手段は、十分もたらされるでしょう。それゆえ民衆には、いかなる勧告も不要なのです。
>>[1]

『哲学の貧困』、なつかしいなあ。マルクスの論調や文体をとても面白く読ませてもらいました。

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