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黒澤明研究室コミュのエピソード集

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黒澤明と作品に関するエピソードを集めましょう。

コメント(36)

黒澤は助監督のころ、山中貞雄監督の「人情紙風船」のオープン・セットを見学に行ったそうです。ところが山中組のスタッフは、天気がいいのにのんびりしている。聞けば土蔵の上に雲が出るのを待っているとのこと。
後年、黒澤の「天気待ち」ならぬ「雲待ち」は有名になりますが、助監督時代に一流の監督の仕事振りを見て学んだのかもしれません。
「影武者」の企画がようやく通り、勝新太郎が武田信玄と影武者の一人二役、信玄の弟、信廉には山崎努が配役された。設定上、山崎努も勝新太郎に似せなくてはならない。どんなメイクアップがいいかと黒澤明は何枚も何枚も絵を描いていた。そのため勝の写真が必要なので、スクリプターの野上照代が勝のマネージャーに、勝のブロマイドを送るよう依頼した。

やがて、京都で撮影中の勝からブロマイドが小包で大量に届いた。それには勝からの添え状が同封されていた。それには、
「写真の裏に○印のついているのを使ってほしい」と注文が書かれていた。
黒澤は助監督が出した○印付きの写真を手にとって、
「なに言ってやがんだい。そんなのはこっちが決めるこっちゃないか」と面白くなさそうに言った。

「影武者」トラブルの予兆は、この時からすでに始まっていた。
黒澤が助監督時代の頃の思い出話・・

「あの頃さ、東宝の本館の前が芝生でさ、昼休みなんか、よく溝口健二、成瀬巳喜男、小津安二郎、山本嘉次郎、衣笠貞之助、山中貞雄なんかの錚々たる監督達が、あぐらをかいてよく喋り合ってたよ。そんなお喋りを新米の俺なんかそばに行って聞いててね、いろいろ教えられたね
・・あの頃の各会社は、こんな個性的な連中に、なんでも作りたいものを作れといったんだからね。映画の黄金時代の始まりだったよ。俺はさあ、そんな大先輩たちに触発されて、はじめて希望が湧いたね」

黒澤が助監督として東宝(当時はP.C.L)に入社したのは昭和11年(1936)。この話は昭和11年から12年頃の思い出話のようである。
当時、小津は松竹、溝口は第一映画に所属しており、そう頻繁に東宝の撮影所に出入りしていたのかどうなのか、管理人には不明である。この辺の事情に詳しい人はぜひ、教えていただきたい。
>こんな個性的な連中に、なんでも作りたいものを作れといったんだか

映画産業自体、まだ手探りで映画作りをしていたからでしょうか。

なんにせよ、日本映画界にとってもっとも幸福な時代であったことは間違いなさそうですね。
「「七人の侍」ドキュメント」トピックの41で、中井朝一カメラマンの言葉を紹介していますが、黒澤明も同様のことを述べています。

「被写体・・撮るものをよくしなきゃだめだよね。だから演技だとか、セットだとか、小道具だとか、衣装だとか、そういうものをちゃんとつくらなきゃね。くだらないものをいかにうまく撮ったってくだらないものは、くだらないんだよ。これは大原則だと思うね」(「黒澤明ドキュメント」キネマ旬報・1974年増刊号)

いやあ、まったくその通り、正論すぎて反論の余地などなし。
でも、実際の撮影現場は「くだらないもの」をいかに「くだらなくないもの」に撮ろうかと四苦八苦しています。
いや、最近は撮影できるだけまだましで、撮影など出来ず、文字通り「くだらないもの」を素材として渡され、1本作品をでっち上げることが仕事と化しています・・・
「『七人の侍』ドキュメント」61で、黒澤明と加東大介の家族関係に触れていますが、加東大介はマキノ雅弘とはもっと近い関係にありました。

加東大介の実兄である俳優の沢村國太郎は、マキノ雅弘の姉・智子(マキノ輝子・女優)をと結婚しているので、加東はマキノ雅弘の義弟にあたります。
なお、名女優・沢村貞子は国太郎の妹、加東の姉になります。

さらに言えば、沢村國太郎・智子夫婦の長男が長門裕之、次男が津川雅彦で、長門と津川は、加東とマキノ雅弘にとって甥となります。津川は「マキノ雅彦」の名前で監督もしていますので、マキノ一門であることに誇りをもっているのでしょう。

そして、もっと言えば、スーパーモンキーズ、安室奈美恵、SPEED、知念里奈の活躍で今や、芸能人養成プロダクションとして脚光を浴びている沖縄アクターズスクール校長・マキノ正幸は、マキノ雅弘の息子になります。
溝口健二のエピソードを「カツドウヤ繁昌記?大映京都撮影所」(星川清司)より引用。

・・溝口は学問こそしなかったが、教養はあった。手当たり次第とはいえ、内外の文学書はよく読んだし、外国映画も日本映画もたくさん観た。画家とか詩人とよばれるのを何よりもよろこんだ。伝統芸術、能や文楽や歌舞伎を実によく識っていた。

・・もはやカツドウヤたちの伝説になったほど、溝口の撮影現場は厳しいものだったという。なにしろ監督の椅子にいて、その場面をどう撮っていいのか、監督自身がわからないのだ。最後の最後まで迷いぬく。そのため溝口は、時間かせぎに、なんやかんやいって小道具などにケチをつける。道具方はとりのぼせてキリキリ舞いする。そうやって一息ついては、そのあいだに溝口はその場面について考える。だから、ロケーションよりもスタジオ撮影を好んだ。
主役女優の演技が気に入らないからといって、つかつかと歩み寄ってほとんど憎んでいるのではないかとおもえるほど面罵する。女優は泣き出す。そんなことはしばしばだった。

朝から夕刻までテストをくりかえし、どうしてもちがう、おまえは頭がおかしいんだといって、世間では名優とよばれている役者の頭をスリッパで殴りつける。
そうかとおもえば「近松物語」で、おさん茂兵衛の道行となって、夜の湖を舟でわたるスタジオ撮影では、立ってせりふをいうのか、座っていうのかで、まる1日を費やしてしまう。

・・なにしろ年がら年じゅう気難しくて、川口松太郎、永田雅一といった親友以外には、ほとんdの笑顔をみせなかった。

・・とにかく、役者も裏方も泣かされた。
悪口雑言のかずかずをしるすと、つぎのようになる。但し断っておくが、猛り狂っているのは、つねに溝口のほうである。
「百万もらえる女優じゃないね、ぼくは猿芝居を見に来たんじゃありませんからね」
「どうしたらいいかは役者の仕事です。きみはそのために出演料を取ってるんだから」
「きみはダメです、いくらやってもダメだから、誰か他に連れてきてやらせなさい、そしてそのとおりにやったほうが早いよ」

こうした苦労の末に、その日に撮ったラッシュをみると、実に平凡な、なんということもない出来なので、こんどはさんざん絞られた裏方衆なんぞが肚を立てる。
「あのくそおやじ、なにが巨匠だ、こんなもんのためにみんなをいじめやがって」

ところがそのフィルムがつながって、改めて完成品を観ると、これがすばらしい光彩を発揮して、「さすがは鬼の溝口だ」と感服に変わるのだという。
溝口の作品を見ていると、この人の日本文化への教養は映画界でも飛びぬけたものだろうなと思わせられます。

しかし、そうですか。平凡に見えるカットが繋がると、素晴らしい作品に仕上がっているなんてことがあるんですねぇ。

1954年(昭和29)4月26日

この日、「七人の侍」が公開されました。

黒澤監督の手を放れたのが4月21日、プリント74本の最後の分が、関東支社に渡ったのが封切前日の深夜という際どい仕上がりでした。東宝は74本のプリントを全国129館に配置し、掛持ちを強行して、配収3億を目標に毎日午前8時(!)より一斉封切を敢行しました。
黒澤は、さすがに客の入りを心配し、「週間読売」の取材で、
「興行成績がわかるまでは気にかかってね。やせましたよ、少し」
と、コメントしています。

浅草宝塚では、初日に5,221人(3回興行)の動員がありました。
最大のライバルと見られていたのは松竹のドル箱・「君の名は」第三部でしたが、都内盛り場3地区(浅草・新宿・渋谷)では「七人の侍」の動員が「君の名は」に勝りました。
昭和29年度の「七人の侍」の興行成績は2億9千万円に達したといいます。
シネマの幸旅 −さちたび−
映画の世界をめぐり歩く、幸福なシネマ・プラットフォーム
https://ag3luckygoal.fc2.net/blog-category-7.html

こちらのサイトで黒澤明を特集したパートがあります。
「トラ!トラ!トラ!」のエピソードです。とても興味深く読めました。
おススメなので紹介します。
動画ですが、黒澤明のエピソードが語られているのでこちらにアップしました。

【黒澤明の撮影現場】映画界の巨人映画カメラマン語る【貴重映像】

誰かに話したくなる“ 黒澤明 ”のケタ違い伝説エピソード6選
https://bit.ly/3FpeCTY

どれも有名なエピソードです。
内容は以下をご参照ください。

【1】姿三四郎・・初監督作品でクライマックス格闘シーンをどうしても3日以内に撮影しなければならないにも関わらず、3日間酒を飲み続けていた話。

【2】一番美しく・・女性役者を劇中の工場で本当に働かせて過酷な役作りをさせたらみんな女優を辞めてしまった話。

【3】七人の侍・・撮影期間3分の1の時点で製作費を全部使い切っちゃった話。

【4】七人の侍・・仲代達矢がただ歩くだけのシーンでNG連発。朝9時〜午後3時まで撮影させたが使ったのは4秒だった話。

【5】七人の侍・・大事なキャストである婆さん役は、老人ホームで見つけた一般人。

【6】天国と地獄・・撮影の邪魔だからという理由での民家のぶっ壊し事件。
『八月の狂詩曲』(1991)に出演した吉岡秀隆さんの記事です。松竹映画として制作されたので、山田洋次監督もロケを見に来たみたいですね。黒澤明=黒澤組と山田洋次=山田組の違いなどについて述べています。物凄いエピソードが語られているわけではありませんが、この記事は良かったですね。こういうエピソードを一つ一つ積み重ねると、その人の作品作りが見えてくる感じがします。


吉岡秀隆、白髪の原因は黒澤明&山田洋次!?黒澤組で震えた出来事も明かす
https://moviewalker.jp/news/article/1109189/
黒澤明×三船敏郎
https://star-director.info/

黒澤明と三船敏郎の作品や生涯をメインにしたサイトですが、エピソードが豊富なので、次回から何回かに分けて紹介したいと思います。
助監督たちが語る クロサワ体験記
https://star-director.info/category9/entry193.html

堀川弘通  クロサワさんの死の意味するもの
小野田喜幹 『野良犬』の緊張感
田中徳三  『羅生門』
生駒千里  松竹大船黒澤組
山本迪夫  黒澤監督の麻雀
出目昌伸  三倍の美学
黒澤組を支えたカメラマン斉藤孝雄インタビュー!
https://star-director.info/category9/entry95.html

-黒澤さんは必ずどこかに仕掛けがありましたね-
■黒澤の第一印象や撮影術について
■『蜘蛛巣城』から『赤ひげ』まで
■カラーのクロサワ映画
黒澤明の演出に三船敏郎ブチ切れ? 昭和映画界ウラ話!
NHK衛星映画劇場の渡辺支配人と山本晋也トーク
2019.10.27
https://www.banger.jp/movie/18655/

ここでは、本木荘二郎と黒澤明のエピソードを一つだけ紹介します。
あとはサイトをご覧ください。

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渡辺:『生きる』(1952年)の冒頭でナレーションをやってるのは本木荘二郎さんですよね。あの方、元々はNHKのアナウンサーだったんです。私の先輩だったんですよ。それで、なぜか映画のプロデューサーになって、ピンク映画の監督までやって。波乱万丈の人生を歩んだ方ですね。

山本:良くも悪くも黒澤さんのことをよく知ってるんだね。本木さんに聞いて一番驚いたのは、『醉いどれ天使』(1948年)で世田谷かどこかの電車が通ってる、ちょっとはずれの広場に池が出てくるんですけど。何を作るよりも前に、黒澤さんが「本木、お前ここに池作れるか?」って、それが最初ですって。

渡辺:ドブ池みたいな、不潔な感じの。

山本:メタンガスが沸いてくるようなね。ああいうのがボコボコ沸いて出てくる演出は簡単なんですよ。ホース通して口で吹けばいいんだけど。この場所に池を作れるか? って、これが『酔いどれ天使』の最初なんですって。「クロさん、できるよ。池ぐらい作れるよ」って本木さんは返事して。そういうプロデューサーが今はいないよな。“サムライ”なんだよな。
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司葉子が黒澤明&三船敏郎の裏話を語る!
85年の歴史に幕を下ろす「さよなら日劇ラストショウ」がスタート!
2018/1/27
https://moviewalker.jp/news/article/135456/

司葉子さんが出演した「用心棒」の思い出話を一部紹介します。

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今回上映された『用心棒』は、1961年4月25日に公開された黒澤の代表作の一本・・「俳優なら誰でも黒澤作品に出たいと思うもの。でも撮影所としては売り出さなきゃいけないのに、拘束される期間が長い黒澤作品なので『ダメなのよ葉子ちゃん、わかった?』と説得されて諦めていた」とデビューして間もない頃を振り返った司。

それから2年近くが経って『用心棒』に出演した彼女は、自身の出演シーンを「ちょっと出て、殴られて、おしまい」と表現。しかしながら、そんなわずかな出演でも「殴ってくださった山田五十鈴さん怖かったですね。演技ってこういうものだと、そのとき思いました」と、女優としてのひとつの転機になったことを語った。

そして彼女はテスト撮影に全力投球で臨んだ際に、藤原釜足から「本気でやったってあと10回くらいやるからね」と囁かれたことや、三船敏郎が撮影を終えた後に成城にあった黒澤の自宅の前で「ばかやろー!」と鬼のような形相で叫ぶことが何度もあったと、黒澤作品の常連俳優たちとのエピソードも語った。

黒澤についても「(黒澤)先生はすごく優しい方。だけど本番になったら鬼みたいで」と笑った。そして結局『用心棒』一度限りの出演とはなったものの「『隠し砦の三悪人』で上原美佐さんが演じた役を募集する際に監督が『葉子ちゃんの足首のような女を選んでください』と言っていたとスタッフさんから聞いて、本当かなあと思ったけれど嬉しかった」とにこやかに振り返った。
黒澤明監督が男泣き…貴重なエピソードに映画ファンが耳を澄ます
2012年11月24日 16時03分  CINEMATODAY
https://www.cinematoday.jp/news/N0048020

俳優の仲代達矢が24日、「第13回東京フィルメックス」で開催中の「木下惠介生誕100年祭」トークイベントに出席し、黒澤明監督の映画『七人の侍』にエキストラとして出演した当時の思い出を語った。

同イベントではMCを木下監督最後の助監督ともいわれている本木克英が務めており、その口からは木下監督と黒澤監督の交友の様子も語られた。黒澤監督と木下監督はデビューの年が同じということもあり親交も深く、生前の木下監督は、黒澤監督について「あんな勇ましい映画を撮っているのに黒澤君ってうちに来て泣くのよ。あんな女々しい男は珍しい」と話していたとのこと。

黒澤監督が日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』を途中降板させられた際には「悔しがって涙を流していた」、映画からテレビに移行する時期には「『自分はずっと映画を書いてきたから、連続ドラマというもの書けない』と苦しみながら泣いていた」などなど、黒澤監督の人柄がわかる貴重なエピソードが明かされ、集まった映画ファンは深く聞き入っていた。
ジャパニーズ in the ワールド tv-asahi
世界のクロサワ 〜初級編〜
https://www.tv-asahi.co.jp/ss/176/mij/top.html

(一部抜粋)

「完全主義という言葉が実際あるかどうか知らないけれど、モノを作る人間が完全なものを目指さないはずがありませんよ」(黒澤明)。

黒澤明監督は、撮影現場ではどんな人物だったのでしょうか。
それを説明する時、誰しもが口にする言葉が『完全主義』。「雲の形が気に入らない」「川の流れを逆にしろ」「馬が演技していない」などなど、黒澤は映画のこととなると、一切の妥協を許さない並外れた頑固者だったというのです。そんな黒澤の完全主義ぶりがうかがえるこんなエピソードが残っています。

1963年製作『天国と地獄』では、当時としては異例の電車を貸し切っての撮影を行いました。滑走する電車の中から鉄橋に差し掛かった時に身代金を投げ渡すというそのシーン。しかし、ダイヤを乱さぬように、通常の運行車両を貸し切ったため、鉄橋を通過するチャンスは一度きり。失敗は許されませんでした。そこで黒澤は、電車の等身大の模型をリハーサルのためだけに造り、何度も何度もリハーサルを重ね本番に挑んだのです。NGが許されない一度きりの撮影のため、8台のカメラを同時に回しました。

なんとか無事一回で撮影は成功したのですが、このシーンには更に、完全主義者・黒澤のすさまじいまでの拘りが隠されていたのです。実は、このシーンのロケハン中、鉄橋付近の景色を見て、黒澤は驚くべき一言を吐きました。「あの家が邪魔だな・・・」。カメラの前を一瞬だけ横切る民家の屋根が、どうしても邪魔だとういうのです。それを聞いた助監督たちは、その民家に出向き、こう切り出しました。「この家の屋根を…取り壊させてください!」。そして、撮影後に建て直すと言う条件付で、どうにか、屋根部分を取り壊す許可をもらったのです。

同じく『天国と地獄』では、こんなことも…。バーでのシーン。黒澤は、とにかくたくさんの客で埋め尽くしたいと言っていたため、スタッフは500人ものエキストラを用意しました。しかしそれを見た黒澤は、「少ないな…」と言い、急遽、壁を鏡貼りにさせ、その鏡の映り込みでエキストラが倍の人数に見えるように工夫して撮影したのです。
黒澤明×名言「元気になりたいとき」編
https://star-director.info/category10/entry96.html

■前向きなんていうけれど、人間みんな前に歩くんだよ。
「前向きにと、このごろよく言うけど、前向きに歩くのが人間。後ろ向きに歩くのは、ずっと難しいじゃない」

■サボるのだって思い切って生々堂々としたほうがいいね。

■繰り返していると、ゆとりが出てくるんだ。

■ハングリーであれっていうけど、あまり腹が減ってちゃ何もできないよね。

■その時間になると同じものが食べたくなるんだ。
「僕の生業は、同じことが繰り返されることはないじゃない。極端に言うと、一生違う中身の仕事をするから落ち着きたいのかね。何食べたいか考えるのが面倒だってこともあるからかもしれない、よくわからないけど、その時間になると同じものが食べたくなるんだ」

■勉強することなんて、どこにでも転がっているんだから。
「勉強しなさいと、追い回される子供はかわいそうだ。良い点とって良い学校に入って、食いっぱぐれない会社に入るってことだろう。僕らが子供のときは、昆虫博士のような友達や近所のおっかない爺さん、豆腐屋のおばちゃんも皆教師だった。自然も人間も豊かで、何か教えられるものがあった」

■本を読んで損をすることなんてない。
「自分が生まれていない大昔の時代のことや、行ったことがない秘境の地のことだって、知ることができるタイムマシンのようで有難いよ、本が存在するってことは」

■夢の中では皆天才なんだ。
「人間の頭脳がその夢を作るときに、天才的な表現力を駆使しているという驚くべき事実も、また夢というものが人間の純粋切実な願望のギリギリの表現だからと考える他ありません」

■思い込みは自由を束縛する。
「クロサワ天皇なんて誰が呼び始めたのかね。借家に住んでいる天皇なんているのかい」

■スポーツは勝ち負けがハッキリしていて羨ましいよね
「そう思う人は多いと思うな。どう評価されているか本当のところも分からずに働いている人間は
ゴチャマンといるさ。まあ人生なんてこんな混沌なんだ。好きな仕事だから、文句を言ったら罰があたるよ」

■クヨクヨしてても仕方ない、飯食って寝る。

■やる気が起こらない。サボりたいなんて誰でも思うことさ。
「人間はロボットじゃないんだから疲れれば休みたくなるんだ。そういうときは潔く休めばいい。怠けたい気持ちが湧き上がったら、無理強いしてもいい仕事は出来ないよ」

■くだらん奴がくだらないと言うなら、くだらなくないということだ。
黒澤明×名言「自信を取り戻したい時」編
https://star-director.info/category10/entry97.html

■子供は生まれた時、みな天才だ。
「才能をこねくり回して駄目にするのが大人。親の尺度を押し付けたら、それ以上は見込めない。」

■恥をかいてもいいからドカドカ踏み込むんだ。
「ともかく映画になったときどうなのか、それだけだ。ドンドン意見を言って、笑われても怒鳴られても、コノヤロウ!と思ってこれでもかこれでもかって、踏み込んで頑張る奴が残っていく」

■私は特別な人間ではない。勿論天才でもない。
「人間の本質はそう大差はないんだ。よく絶望とか後悔とは無縁の強い人間だとか、特別な才能があるとか言われるけど、それは違うよ。人に負けるのが嫌だから、無茶なほど頑張るだけだ」

■何がテーマだなんて、簡単に言えるなら映画なんて創らない。
「時代も変わった、もちろん出来が大切だけれど、たいしたことない映画でも宣伝がすばらしけりゃ入る時代だ。だから、文句を言わさないほどの映画をね、宣伝しなくても入るほどの凄い映画を創ってやろうなんて思うんだ」

■映画は創るというより、生まれるというのが正確かもしれない。
「脚本のアイデアがいつも沢山あるんだ、でも土の中から芽が出てくるのはその中のほんの少しで、
自然のその中のひとつが育ってくる。気候が悪くてそのまま育たないで映画にならないものもあるけど、そういうの引きずって無理に実現させようと思っても駄目なんだ」

■人は皆育つスピードが違う。
「食べ物だって、同じ材料でも塩焼きは好きだけど、煮たら得意じゃないとか、そういうのってあるでしょ。だから料理のしようで好きだったり今一つ好きになれなかったりする。心の持ちようで咀嚼も吸収も違うと思う」

■想像の源は記憶である。
「何もないところからものを創り出していると思っているのは、人間の驕りだよ。生まれてから今までのどこかで耳にし、目にした何かか、知らず知らずに入り込んだ記憶が、何かの切っ掛けで呼び覚まされて動き出す。そうやって創造していくんだと思うよ」

■ブキッチョは得なこともある。
「神様は平等だ。ブキッチョだから繰り返し繰り返し凝りもせず飽きずにやって、色々身に付けることが出来た。器用だったらこんなに頑張らなかっただろう」

■喜劇を撮るのは悲劇を撮るのより難しい。
「人間を悲しい思いにさせるのは、下手なやり方でもそれなりに繕えるけど、笑わせるのは下手をすると薄っぺらでえらいことになるからね」

■映画のことはまだよくわからない。

■続けていることが、どんなに大切かは後で分かるんだ。
「映画界に入るまでは偉そうに続けている言えることなんかなかったね。映画の世界に入っても最初は辞めたくて辞めたくて仕方がなかったんだ。もう何十年と続けているわけ、気が付いたらそんなに続けてきたんだなと思った。このごろ続けてきて良かった、続けてきたことが大切なんだって思うようになったよ」

■人は年を取る、変わるのが当たり前だ。
「人間は年を重ねて趣向も変わるし体力知力も変化するんだから、いつまでも同じようなものを撮れって言われても、ハイそうですかとは言えないよ」
黒澤明×名言「夢を追う時」編
https://star-director.info/category10/entry98.html

■みんな、本当に好きなことを見つけてください
「犬も歩けば棒に当たる、映画監督を目指してなったわけじゃない。大体、どんな職業かも見当が付かなかったぐらいなんだ。人間はいつどこで一生の仕事にめぐり合うかわからない」

■想像力が、人を幸せにするものだ

■僕の故郷は地球だ
「日本語しか話せないけど、世界中のどこへ行ったって違和感がない。正直に率直に付き合えば、どこの国の人でもお互い関係ないじゃない」

■自分の作品の中で一番素晴らしいと思うのはネクストワン
「ものを創る人間にとって完全が目標です。完全に満足のいく作品なんてないから、次こそは完全無欠な作品をと願うわけです。」

■職人を超えて、芸術家になるんだ
「現場で具合的な仕事を繰り返して身に付いたことが僕たちの宝だ、だから僕は職人と呼ばれたい。しかし卓越した職人を超えて、人様にこれが映画の中の映画と言われる映画が創れたらと思っている。そうしたら、芸術家と呼ばれても恥ずかしくなくなるかもしれない」

■映画は、世界の広場である

■今まで見た映画の中で、その映画が一番好きですかって聞かれてもね
「映画監督の僕がそんなの答えられないよ。映画を愛しているから、本当にそれぞれ素敵だと思っちゃうからね」

■映画の現場は素晴らしい
「映画の現場は本当に素晴らしいもんだよ。スタッフたちが、それぞれに工夫して努力して、日に日に仕事が面白くなっていく様子が手に取るように分かる。そういう姿勢や、あーだこーだと言いながら和気あいあいとしている空気は画面に映る。いくらでも頑張っているから、もういいと言わないとキリがないんだよ」

■カットとカットの繋ぎ目に映画がある
「まだよくわからないけど、これは映画になったと納得できるところは、繋ぎ目が的確なところだと気が付いたんだ」
黒澤明×名言「人生の目的をさがす時」編
https://star-director.info/category10/entry99.html

■世界中のお母さんたちが、幸せな世の中になればいい。
「戦争だけは絶対にしちゃいけない。お母さんたちがああいうことになるんだ」

■何でもセンセーショナルに描けばいいというものじゃない。
「自省の念も込めて言うんだけど、映画も刺激ばかりで人を引き付ける手法ばかり多用する。テレビの報道も映像だけで煽り立てるような、刺激重視のやり方になってきている。ドラマもこれでもかと次々のショッキングな出来事が起きて、あんなに毎度えらいことばかり起こるんじゃ、疲れちゃうよね。まあ、雑誌も新聞もすごい見出しだよ。刺激っていうのは、慣れっこになって、どんどん強い刺激を求めるようになるんだ」

■普通の人になるのが、一番難しい。
「貧しい必要はないけど、本当にちゃんと生きている人が、普通だと言われる世の中がいい時代だ」

■日本が誇れるものは文化だ。
「有名なものや、豪華絢爛なものばかりではなく、人の生活の中で長いこと仲良くやってきた家畜や、道具類。名も知れない匠の技や、小さな祭り。1つ1つの点が集合して人間の歴史が浮き彫りになる。素晴らしい、美しい日本の文化を力強く支えるのは、日本人がずっと大切にしてきたそういうものだと思う」

■歴史と風格は、そう簡単に手に入らない
「インドを旅したとき、大きな岩山を何世代にもわたって堀進めてきた洞窟寺を見たんだ。自分の世代だけで完結しようなんて気はさらさらないんだよ。何百年も沢山の職人が次々とコツコツノミを振るい作り上げてきた。気が遠くなるような妙に哲学的な気持ちになったよ。目の前のことばかりに囚われている自分が恥ずかしくなった」

■なぜ、人間は幸せになろうとしないのだろう。
「話し合ってみるとかさ、工夫してみるとか、違う方向から見てみるとか出来ないのかね。自分が得することばかりにこだわって、セコセコセコセコしている奴ばかりだ。なるようにしかならないんだ、人生一度だしね。得ばっかりしたいってきりきり舞いするより、味わって生きたらいいのにね」

■風土に根ざした文化にこそ、旅人は惹かれる
「旅人の持て成しって何なのか、そんなことをしっかり考えれば分かるだろう。訳の分からない建物ばかり建てて悦に入っているのは、誰かが儲かるからだろう。結局、観光地としては駄目になるんだ。そうなってから慌てても仕方ない。でも本当に旅の風情は皆無になった。ロケ地以外で旅をしようなんて思わなくなったよ」

■鑑賞も、1つの創作活動である。
「ダメなものばかり見ていると、鑑賞眼はどんどん下がる。そうすれば創る腕も落ちる。腕が落ちればつまらないものしか出来なくなる。そうなるとまた鑑賞力が下がる。反対の追いかけっこができれば、作品の質も上がっていくのに」

■面白いと思えれば、いくらでも頑張れる。
「最初はどんな仕事も分からないし、出来なきゃ面白くないのがあたり前だ。続けているとある日突然見えてくるんだ、そうすると屋やる気が出る。そこでもう一押し頑張ってみると、なるほどそうなんだともっと具体的に何をしたらいいか見えるんだ。繰り返し繰り返しやっていりゃ、パッと目の前が開けて面白いと思えるようになる、そうなればめっけもんだ」

■完全主義なんて当たり前のことさ。
「モノを創る人は、皆完全なものを創りたいと思って努力するんだ。自分がもうこれ以上ないと満足出来るところを目指してがんばるんだ。でもこれが完全だという答えは人によって違うのだから、自分の信じるところに向かってどれだけのことを諦めずに踏ん張れるかということだ」

■人間は進歩しているのが、疑問に思い始めた
「何なんだろう、正倉院の御物を見てきたけど、今あんな素晴らしいものを作れるだろうか。人間は本当に進歩してるのかなんて考えちゃったよ」

■画コンテは、スタッフに的確に伝達する以上の効果がある
「描きこんだ画コンテをみて、スタッフにも一目瞭然に分かってやりやすいって評判良かったけど、何より、自分の為になったんだよ。詳細な画コンテを描くためには、画面に映る全て1つ1つのものが具体的に自分の中で見えていないと描けないんだ。これは何色でどこに置かれていてどんな形でって、分かっていないと画に出来ない。だから準備の上でも、演出する上でもすごく勉強になる」

■映画にもテレビにも、それぞれの役割がある
「映画人はテレビの批判ばかりしてると思われていて迷惑しているよ。なんだか一時期、テレビ対映画っていうような記事が横行したからね。だって役割が違うでしょ。特質がちがうんだからそれぞれの得意なところで頑張ればいい」
黒澤明×名言「仕事に悩む時」編
https://star-director.info/category10/entry100.html

■簡略に説明できれば、理解したと言える。
「難しく言うのがカッコいいように思うのは違うんじゃないか、と僕は思うんだ。本当に理解していればこそ、簡略に平明に語れるんでね。変に斜に構えてっていうのは説明してるというより、自己満足なんじゃないの」

■映画は準備が大切だ。
「リハーサルに時間を使うのも、演技は一日薄紙一枚しかないけど、それを積み重ねていけば厚みがでるだろう。だから演技だけじゃなく、準備をキッチリやっておかなけりゃ、画面の奥行きは出ないよ。余裕がなけりゃ現場での膨らみを作れないじゃないか」

■良いアイデアは、追い詰められて生まれるものだ。
「人間は弱いものだからね、平穏無事に生きているときは大して良い考えなんか出てこないのさ。ここを踏み外したら終わりと追い詰めらられた時、やっとこさっとこ頭がフル回転し始める。そんなら、最初から考えておけば良いのにねと思うけどね。グータラしているときは思いつかないものなんだ」

■分からなければ、皆の走っているほうに走れ。
「分からない時は、とにかく皆が走る方向にいっしょ走って、自分に出来ることからやってみればいい。時間が経てば客観的に冷静に見えてくる。そうなれば今自分は何をまずするべきか、分かってくるよ。臆病になっちゃいけない。あいつ何やってるんだと思われようが怒鳴られようがいいんだよ。そうやって仕事が身に付くのだから」

■切り捨てるのも、選択の一つである。
「全体があって部分がある、一箇所に固執しすぎてもいけない、バランスとハーモニーが大切だから、いっそ切り捨てなければいけないってこともある。止めるとか、忘れるのも大切な選択肢の一つだよ」

■いっそのこと、無人島にでも行けば、人間正しい判断が出来るようになるかもしれない。
「疲れるよね、想像力をのびのびと働かせたいと思ったら、いっそのこと孤立無援の離れ小島にでも行って、何の情報も入らない方が新しいアイデアが湧き出るのじゃないかと思う」

■お客はどんなに苦労してるかなんて、知ったこっちゃない。
「苦労して撮影したところは、ついつい思い入れがあって大切に思ってしまう。スタッフの苦を見ていたら、なおのことで編集で切り捨てられなくなる。でもそれじゃ駄目だ。身を切る重いでもバッサリ切らなくちゃならないこともある。お客とは、どんなに現場で苦労したかなんて知ったこっちゃない。スクリーンに映ったものだけが全て。映画で飯食ってるんだったら、感情におぼれちゃプロじゃないよ」

■知ったかぶりをするなんて、時間の無駄だ。
「知らないことの方が、知ってることより多いに決まってるんだから、恥ずかしがらずに聞くのが得策だ」

■昔はどうだったのか、考えてみるといい。
「困ったとき、もしサイレントで撮ったらどうなるのか?考えてみると良いアイデアが出てくるんだ」

■じっと座ってメモばかり取っていても前進しない。
「机上の空論と言うだろう、映画は全てが映像として映るんだから、具体的じゃないと困る。統計的にとか、仕組みとしてはこうなりますと言われてもね、よーいスタートって言った時どうなんだってことなんだよ」

■誰でも最初は人の真似からはじまる。
「若い映画監督に、この映画のここは黒澤さんの真似をしたと告白されることがあるけど、それは至極当たり前のことだと思うよ」

■脚本執筆は、山登りに似ている。
「頂上を見ると辛くなるから頂上を見ないようにと思い、足元を見てコツコツ歩いていくんだ。そのうち風が変わってきて、もうすぐ峠だと感じる。そういうところで面白い展開が起こってまたやる気が出る。そんなことを繰り返していると、頂上にたどり着くんだけどね」

■着るものには、人生や性格がでるんだ。
「映画の登場人物には、それぞれの生い立ちや性格があるんだ。どんな境遇で育ってきたのかとか、仕事は何なのかとかなんてこともあるしね。派手な性格だとか地味だとか、考えられることは山ほどあるはずだよ」
黒澤明×名言「人間関係に悩む時」編
https://star-director.info/category10/entry101.html

■ハッキリと言わなければ、かえって人を傷つけることもある。
「我慢は美徳だっていう考えが日本人には根強いけれどね、ハッキリ言うことが相手の為にもなって、飛躍の切っ掛けになることはよくあることだよ。当たらず障らずは平和の源なんかじゃないよ」

■どう生きてきたのかは、顔に出るものだ。
「冠婚葬祭でズラッと並んだ顔を見てると、良い生き方をしてきたのか、悪いことしてきたのかはすぐに分かるよ。縦書きだったり、横書きだったり、顔にチャンと書いてある」

■美味しいものが分からないやつは駄目だ。
「旨いものがわからないやつは想像力が欠如している」

■あなたは特別だから。そう言われるのは気に入らない。
「褒めてるつもりなのかね、あなたは特別だからできるんで、自分はとてもそんなことばできないって言い方する人いるでしょ。あれは何なのかね」

■映画監督は岡目八目。
「映画監督なんて傍観者だよ。僕の優秀なスタッフが一生懸命やってくれるから、ちょっと他人事のように見ているところはあるね。一歩引いて見つめていると、スタッフの表情もよく見える。掌握して引っ張っていくには、それも必要なんだ。」

■色々な監督と、話がしてみたい。
「日本の若い監督も、訪ねてきてくれないかな。これからの日本映画のことも話合いたい、いっぱい伝えたいこともあるしね。きっと教わることも多いと思うんだ。」

■私は正しい人間だという中にある怖さ
「私は一度も踏み外したことがない、正しく生きてきたのだと驕った考えの人間は怖い」

■意地悪な心は、人も自分も駄目にする。
「意地悪な気持ちが心の中に湧き上がってくると、ほんのチッポケな黒雲は瞬く間に広がって何もかもを覆い尽くす」

■学問ばかり詰め込んでいると、少し怖い気がする。
「このごろは、学問ばかりで頭でっかちになって、人の心を思いやったり、生きとし生けるものを尊ぶ気持ちを教えてないようで怖い気がするんだ。」

■柵と取り払って、自由に行き来出きることが大切だ。
「人間なんてみんな欠点ばかりだよ。補いあって助け合って頂点を目指せばいい。お上品にオホホホなんて、体裁ばかり考えていると家族だって崩壊する。親の見栄で子供を駄目にしちゃいけない。曝け出さないと這い上がれない局面はあるんだ」

■興味をもってもらえることは幸せだ。
「マスコミに取り上げられて、勝手なこと書かれると腹が立つこともあるけど、興味を持たれているうちが花だよ」

■立つロケ隊、跡を濁さず
「ロケ地を大切に扱わないとね、自然も建物も乱暴に扱ってはいけない。現地で世話になった人や、見学の人にも礼儀正しくありたい。」

■世の中に、まったく同じ意見のやつなんていないから。
「同じ顔の人間がいないように、同じ意見の人間もいない。だから面白いんだよね」
黒澤明×名言「一歩を踏み出そうとする時」編
https://star-director.info/category10/entry102.html

■思い込みから開放されると、動き出すんだ。
「できるだけ、こうだと決め付けないでいるつもりなんだけど、イメージした通りになったりすると
つまらないんだ。思い込んでいるところがどこかあるんじゃないかと、思い込みから開放されようとジタバタする。追い詰まったり、反対に肩の力が抜けると急に動き出すんだ。思わぬ方に動き出してこれだって思うわけ」

■本当に優しいということは、強いことだ。
「自分の与えられた人生、何もかもに潔く責任を取るしかないんだ。本当に優しいというのは、そういう強さだと思うね」

■大自然をなめていると、いつか大変なことになる。
「地球上で人間が一番偉いと思っているのかね。いい気になっているといつか地球に仕返しされる日が来る」

■何が何でも、戦争だけはしちゃいけない。
「自分の大切な人が殺されそうになったら反撃もしないのかって、よく言われるけどそういうことじゃないんだ。戦争というものがはじまってしまうと、戦渦の中では自分が生きていくことだけで精一杯、人間であることを見失ってしまう。だから戦争を始めてはいけないんだ」

■教師は勉強だけを教えるのではない。
「教室で先生に教わるのは勉強だけじゃない。先生の人間性そのものから教わることが貴重なんだ」

■足ばっかり引っ張り合っていたら、みんな土左衛門だ。
「多方面から検証しないのかね、どうでもいいことや、ほっといてやれってことまで土足で踏み込んでギャーギャー言ってさ、結局面白がるだけで大事なことを言わずに、人の噂も七十五日。心に留めておくべきことまで忘れ去っちゃう」

■全てを忘れなければ、次の映画は撮れない。
「0号、初号が終わると、どうにかこの作品を忘れようと思い始めるんだ。考えていたらどこもここも取り直したくなるし、忘れなければ次のアイデアが出てこない。気分癲癇をして、頭を空っぽにしないと駄目なんだ」

■文化国家って、下手な楽隊じゃあるまいし。
「日本の文化に誇りを持って欲しい、古き温めて新しきを知る。日本の歴史の中にある様々な美点、日本人は優れた美意識を持っているのだから、守るべき文化ぐらいは分かるだろう。文化国家なんて提唱しても、軍備やつまらない建物にお金使うなら、きちんと守って欲しいよ」

■傑作を創りたいなら、自分が本当に創りたいものをやること。
「興味があるのだから、いくらでも探求できるのだし、努力できるのは当たり前じゃない。だから、傑作を創りたければ、自分が創りたいものを創るのが理にかなっている」

■水泳ぐらい出来なくて、どうして子供を助けられるんだ。
「子供を海に連れて行くのに、親が水泳も出来ないでは困る。何が起こったら、どうやって子供を助けるというんだ」

黒澤明×名言「幸せを願う時」編
https://star-director.info/category10/entry103.html

■柿の実は鳥たちのものだ。
「縁側で柿木に群れて美味しそうに柿の実を食べている鳥たちを見ていたら、不憫になっちゃってさ。人間は好き勝手にあれが食いたいこれが食いたいなんて言って、食いたいものを食うのにさ」

■生きているのは、辛いとか何だとか言うけれど、楽しいものだ。
「生きるのは苦しいとか言うけれど、それは人間の気取りでね。正直生きてるのはいいものだよ」

■何の後ろめたさもないほど働いたときは幸せだ。
「今日は何の後ろめたさもないほど働いた。美味しいもの食べて、枕を高くして眠れるなあ。こんな風に毎日働けたら幸せだ」

■映画を見ると、それを創った監督に会った気がする。
「眼差しを感じるだろう、優れた監督は独特の眼差しを持っているから、その映像を見ていると会った時のあの眼だと思うわけ。アンゲロプロスの哲学的な眼、ニキータの神経質そうな眼、フェリーニの茶目っけたっぷりだけど恥ずかしそうな眼」

■仰げば尊し。わが師の恩だな。
「幼い時に助けられた何人もの先生、助監督時代に育ててくれた数々の大監督たち、海外で出逢った素晴らしい映画の先輩、世界中の映画の中から教わったこと」

■いちファンとして、映画をみたい。
「淀川さんとは昔から仲良しだけど、彼のように素直に「あそこきれいね」「本当にきれい」なんていう風にごく自然に見てくれると嬉しくなる。ああいう風に見るのが一番だよ。悲しいところも、楽しいところも、きれいねって。本当に映画が好きな人の見方だと僕は思う」

■人間は夢中で集中している時が一番幸せだ。
「子供が遊んでいるときの無心な顔は素敵だ。声を掛けても聞こえないほど、自意識がない状態。あれが幸せというものだね」

■映画会社は、夢の工場と呼ばれていたんだ。
「若い人たちに夢を持たせるような、憧れて入りたいと思うような日本映画界にしたいものだね」

■愛されて育った人とは、仕事がやりやすい。
「長く仕事をやってきて、一緒に仕事がやりやすいと思って聞いてみると、末っ子なことが多いんだ。要するに素直な奴とはやりやすいってことだね」
黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)より
1〜10(年代順)

1.散り行く花
1919年 アメリカ
監督:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス

2.カリガリ博士
1919年 ドイツ
監督:ローベルト・ウィーネ
出演:コンラット・ファイト、ウエルナー・クラウス

3.ドクトル・マブゼ
1922年 ドイツ
監督:フリッツ・ラング
出演:ルドルフ・クライン・ロッゲ、アウド・エゲーテ・ニッセン

4.チャップリンの黄金狂時代
1925年 アメリカ
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、ジョージア・ヘール

5.アッシャー家の末梢
1928年 フランス
監督:ジャン・エプスタイン
出演:ジャン・ドビュクール、マルグリート・ガンズ

6.アンダルシアの犬
1928年 フランス
監督:ルイス・ブニュエル
出演:ピエール・バチェフ、シモーヌ・マルーイ

7.モロッコ
1930年 アメリカ
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
出演:ゲーリー・クーパー、アドルフ・マンジュー、マレーネ・ディートリッヒ

8.会議は踊る
1931年 ドイツ
監督:エリック・シャレル
出演:ウィリ・フリッチ、リリアン・ハーヴェイ

9.三文オペラ
1931年 ドイツ
監督:G・W・パプスト
出演:ルドルフ・フォルスター、カロラ・ネーヘル

10.未完成交響楽
1933年 ドイツ、オーストリア
監督:ウィリ・フォルスト
出演:ハンス・ヤーライ、ルイゼ・ウルリッヒ
黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)より
11〜20(年代順)

11.影なき男
1934年 アメリカ
監督:W・S・ヴァン・ダイク
出演:ウィリアム・ポウエル、マーナ・ロイ

12.隣りの八重ちゃん
1934年 日本
監督:島津保次郎
出演:逢初夢子、岡田嘉子、大日方伝

13.丹下左膳餘話 百万両の壷
1935年 日本
監督:山中貞雄
出演:沢村国太郎、花井蘭子、大河内伝次郎

14.赤西蠣太
1936年 日本
監督:伊丹万作
出演:片岡千恵蔵、杉山昌三九

15.大いなる幻影
1937年 フランス
監督:ジャン・ルノアール
出演:ジャン・ギャバン、ピエール・フレネ

16.ステラ・ダラス
1937年 アメリカ
監督:キング・ヴィドア
出演:バーバラ・スタインウィック、ジョン・ポールズ

17.綴方教室
1938年 日本
監督:山本嘉次郎
出演:高峰秀子、徳川無声

18.土
1939年 日本
監督:内田吐夢
出演:小杉勇、風見章子

19.ニノチカ
1939年 アメリカ
監督:エルンスト・ルビッチ
出演:グレタ・ガルボ、メルヴィン・ダグラス

20.イワン雷帝
1944年 1946年 ソ連
監督:セルゲイ・エイゼンシュテイン
出演:ニコライ・チェルカーソフ
黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)より
21〜30(年代順)

21.荒野の決闘
1946年 アメリカ
監督:ジョン・フォード
出演:ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル

22.素晴らしき哉、人生!
1946年 アメリカ
監督:フランク・キャプラ
出演:ジェームス・スチュワート、ドナ・リード

23.三つ数えろ
1946年 アメリカ
監督:ハワード・ホークス
出演:ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール

24.自転車泥棒
1948年 イタリア
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
出演:ウンベルト・マッジョラーニ、エンツォ・スタイオーラ

25.青い山脈
1949年 日本
監督:今井正
出演:池部良、杉葉子、杉村春子

26.第三の男
1949年 アメリカ
出演:キャロル・リード
出演:ジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズ

27.晩春
1949年 日本
監督:小津安二郎
出演:笠智衆、原節子、杉村春子

28.オルフェ
1949年 フランス
監督:ジャン・コクトー
出演:ジャン・マレエ、マリア・カザレス

29.カルメン故郷に帰る
1951年 日本
監督:木下恵介
出演:高峰秀子、佐野周二

30.欲望という名の電車
1951年 アメリカ
監督:エリア・カザン
出演:ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド
黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)より
31〜40(年代順)

31.嘆きのテレーズ
1952年 フランス
監督:マルセル・カルネ
出演:シモール・シニョレ、ラフ・バローネ

32.西鶴一代女
1952年 日本
監督:溝口健二
出演:田中絹代、三船敏郎

33.イタリア旅行
1953年 イタリア
監督:ロベルト・ロッセリーニ
出演:イングリッド・バーグマン、ジョージ・サンダース

34.ゴジラ
1954年 日本
監督:本多猪四郎
出演:志村喬、河内桃子、宝田明

35.道
1954年 イタリア
監督:フェデリコ・フェリーニ
出演:ジュリエッタ・マシーナ、アンソニー・クイン

36.浮雲
1955年 日本
監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子、森雅之

37.大地のうた
1955年 インド
監督:サタジット・レイ
出演:スビル・バナールジ、カヌ・バナールジ

38.足ながおじさん
1955年 アメリカ
監督:ジーン・ネグレスコ
出演:フレッド・アステア、レスリー・キャロン

39.誇り高き男
1956年 アメリカ
監督:ロバート・D・ウエップ
出演:ロバート・ライアン、バージニア・メイヨ

40.幕末太陽
1958年 日本
監督:川島雄三
出演:フランキー堺、石原裕次郎、南田洋子
黒澤明が選んだ100本の映画 (文春新書)より
41〜50(年代順)

51.去年マリエンバードで
1960年 フランス
監督:アラン・レネ
出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジョ・アルベルタッツイ

52.何がジェーンに起こったか
1962年 アメリカ
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:ベティ・デーヴィス、ジョーン・クロフォード

53.アラビアのローレンス
1962年 アメリカ
監督:デヴィット・リーン
出演:ピーター・オトゥール、アレック・ギネス、アンソニー・クイン

54.地下鉄のメロディー
1963年 フランス
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
出演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン

55.鳥
1963年 アメリカ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ティッピー・ヘドレン、ロッド・テイラー

56.赤い砂漠
1964年 イタリア
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:モニカ・ヴィッティ、リチャード・ハリス

57.バージニア・ウルフなんかこわくない
1966年 アメリカ
監督:マイク・ニコルズ
出演:エリザベス・テイラー、リチャード・バートン

58.俺たちに明日はない
1967年 アメリカ
監督:アーサー・ペン
出演:ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイ

59.夜の大捜査線
1967年 アメリカ
監督:ノーマン・ジュイソン
出演:シドニー・ポワチエ、ロッド・スタイガー

60.遥かなる戦場
1968年 イギリス
監督:トニー・リチャードソン
出演:トレヴァ・ハワード、ヴァネッサ・レッドグレーブ

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