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レヴィ=ストロースコミュのレヴィ=ストロースの文章

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文章表現がとても的確で、冗長に堕ちることなく繊細な感度を伝えてくれて、心の視覚をも豊かに開かせてくれる。

初めてレヴィ=ストロースの著書『悲しき南回帰線』上巻を買った日、同時にトーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』も買ったのだが、持ち帰って読み始めてみると僕にはレヴィ=ストロース のほうが文章も表現している世界もずっと魅力的に思えた。

皆さんは文章家としてのレヴィ=ストロースについて、どんな感想をお持ちですか?

コメント(6)

 すいません。読み始めたところです。まだ汽船に乗ってウロウロしてるあたりです。
 ちゃんと読んだらまた改めてお返事したいので、このトピックは残しておいて下さい。こういうトピックがなきゃいけないし、ちゃんと答えないといけない。

 ところで、自分は全くフランス語を解さないので、「フランス語表現」としてのレヴィ=ストロースの文章については、アレやコレや言う資格がありません。フランス語の堪能な方に判定を譲りましょう。
 ただ、確か内田 樹は「そのままフランス語の教科書にしたいような、レヴィ=ストロースの文章」というようなことを書いていたと思いますが、一方で(「悲しみ熱帯の訳者の)川田順造は「原著は晦渋といっていいフランス語で書かれて」いると言っています。このあたりの事情は単に「フランス語通」であるかないか、ということだけでなく、「構造主義」をめぐる「時代的温度差」のようなものもあろうかと思います。そういう情動のような部分が、主観として「美しい文章」として映りもし、「晦渋な文章」と感じられもするのではないでしょうか。

 紀行文としての比較や優劣を考査するんだとしたら、レヴィ=ストロース前後の文献や、また全くかけ離れた時代・地域・文化を記録した作品に当たることも無益ではないはずです。その中で「文章家/文筆家」としてのレヴィ=ストロースが、単に修辞学的なる範囲を超えて、この構想15年の紀行文の中に、すでに「構造主義」的な思想を織り交ぜている、すなわち「転換点」に達した、全く新しい文章と思想とのテキスタイルとして見ることなしに、他の時代、他の文化の記録との「照合」作業はできないでしょう。

 ところでまた小生は「悲しき熱帯」を齧り始めたばかりで、レヴィ=ストロースの他の作品――特に哲学書(「神話論理」など)については、全然手を着けていないので、「そちら」の文章については今のところ全く評しようがありません。
 丸谷才一の文章に、貝塚茂樹 編「古代殷帝国」を酷評したものがあります。アカデミズムの檻に閉じこめられた、全くの悪文の不名誉な代表例として挙げられているのです。貝塚茂樹が学者として優れた人物であったか、なかったかは、ここでは措くことにして、彼(と彼の門下生たち)のエクリチュールが全く「他者に与えられる」ものでないとしたら(貝塚の時代には、まだニホンの象牙の塔にはそういう思想が根づいていなかったのですが)、学殖・資質に関係なく、「読み手」としては非常な苦痛を経験するだけです。

 78910殿がレヴィ=ストロースの文章に「魅力」を感じられたのは、文章というものが、特に啓蒙書や思想書がようやく「与えられるエクリチュール」として明確に意識され始めた構造主義の、その中心的人物の一人の著作であることと無関係ではないような気がします。例えば実存主義の時代にまで及ぶ、原理主義的マルクス主義に沿って「自動書記」されたような「思想書」が、晦渋で、専門用語の羅列と数ページ及ぶ傍線など、極端に「完成された」形式主義に則った、むしろ「読み手」側の理解という「参加」を拒絶し、ただ誦じられることを目的としたようなものであったことを考えると、文章としてどちらがより「魅力的」かは議論を要しないかと思います。

 とりあえず、まだ「駆け出し」なもので今はこのへんで。
 読み終わった頃にまだ感想などを寄稿いたします。
方壺島主さん、とてもご丁寧な書き込み、どうもありがとうございます。

内田先生の感想と川島先生の感想はどちらもうなずけるような気が致します。
それは構造主義に対する距離や知見ばかりでなく、どのような思考が好きか、したがってまたその思考の反映としてのどのような文章が感覚的に好きであるかということもあるのではないかと思います。

僕も邦訳で読んでいるだけですが、確かに翻訳者の苦心の感じられる訳文からフランス語原文の晦渋さが十分伝わって来ますが、そうした文章でなければ伝達しえないレヴィ=ストロースの思考の構造というものが確かにその文章の向こう側にはあるのだということを受けとめるには極めて適切で簡潔ですらある文体だと僕は感じました。
 78910殿。
 寄り道してバルトの「明るい部屋」を読んでしまいました。
 「悲しき熱帯」はまだ、アグレガシオンを突破して哲学を教授しつつも、次第に失望し、ブーグレにブラジル行きを進められてフランスを離れる決意を固めたあたりです。ごめんなさい。ゆっくりですけど、読み進めてますから。
 だ、けれども。途中またベンヤミンの「複製技術の時代における芸術作品」とカルティエ=ブレッソンの写真論。それに内田 樹が「出しやがった」、「レヴィナス三部作」(『レヴィナスと愛の現象学』『他者と死者』'11年/文春文庫)を噛ませて併読することとなろうかと思います。すんませんね、こんな人間で(苦)。
 ほかにも「ネクスト・バッターサークル」に入り切らないほど「買い置き」があるんで、どうも……。
 「開き直り」のように聞こえるかも知れませんが、「熱帯」の根源的な(西欧)文明批判は、こんなチマチマした寄り道くらいで「逃げてゆく」ような薄っぺらいもんじゃないですよね。
 「息の長い文章」はこちらも深呼吸して、「訥々と語りかける文章」にはこちらから寄り添って耳を傾け、澱みなく、しかも衒わずに話し続けるようなバルトの文章には、なるべく「中断」を入れずに付き合いたかった。奇しくもバルトについては、紹介/解説本を除いては、「エクリチュールの零度」と「明るい部屋」と、すなわち処女作と遺作とを読んだことになり、ちょっと感慨に耽っています。

 「熱帯」はまだまだ先が長いのですが、驚くべきことに、すでにこのあたりからもうレヴィ=ストロースは、ソシュールとフロイトとマルクスとの吸収を始めていて、かなり明確に(それはこの著作の筆を執った時期との兼合いもあるのでしょうが)「第三の道」を発見し、模索しているということ。ベルクソン主義でもなく、新カント主義でもなく、つまり時流に逆流してゆく自身の資質を、法学とか、地質学とか、人類学などとの出会いの「記憶(経験)」を通して語っていること。
 それがたまたま読み終えたばかりのバルトの「明るい部屋」で語られる、己を突き刺すもの、傷(エクリチュール)、そして母の喪の悲しみ、母の「記憶」と重なって、印象を残しました。

 と、言うことで、経過報告まで。
 追々、メモ的なコメント入れてゆきます。
>>[3]はほんと本好きで、読書家でいらっしゃいますね。また、方壺島主さんが挙げられた著者や作品は僕も読んでみたいものばかりです。
僕も何冊かをその日の気持ちに応じて並行的に読むという読書スタイルです。
ここのところ、熱心に頁をめくったのはV. E. フランクルの『苦悩の存在論』、馬鳴菩薩の『大乗起信論』、『善勇猛般若経』などです。

世の中にはよい本が本当にたくさん有りますね。
コメント失礼いたします。
最近「悲しき熱帯」を読み始めました。まだ序盤ですが、感度豊かな文章表現がいくつかあったので、いくつかピックアップさせて頂来ます。

「裁判というものは、私の心のなかでは、そのときもいまも変わらず、疑いと不安と尊厳の気持に結び合わされている。人間がこんなにも短い時間で、一人の人間を、これほどむぞうさに処分できるということは、私を唖然とさせた。」

「これからの視覚あるいは嗅覚上の刺激、目の享受するあの熱っぽい悦楽、舌を焼く美味などは一つの文明の感覚中枢の鍵盤に、新しい音域を一つつけ加えたのである。」

「人類は、まるで砂糖大根のように、文明を大量に生産する準備をしているのである。」

書き出したらキリがないですが、読みごたえがある綺麗な文章表現です。

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