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ちぇすと島津コミュの島津家久の京都観光

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 島津家久の話題が出ているので一つ。
 
 天正3(1575)年、家久は兄の島津義久が薩摩・大隅・日向の太守となったことを伊勢神宮などに報告(?)する名目のため上京します。実際のところ、当時島津家内では伊勢神宮参詣を望む人間が多く、家久もその内の一人だったようです。

 その家久、伊勢神宮に直行せずいろいろな所に立ち寄っています。中でも京都はやはり当時から観光地であったようで…。早く伊勢に行けよ、と言いたくなるくらいの名刹・名所を回っています。

<京都・往路>
 嵐山→大井川→天龍寺→嵯峨→愛宕山参詣→二尊院(西行庵跡)→里村紹巴を訪ねる→織田信長が眠りながら通るのを目撃→四条大橋→法城寺→六波羅蜜寺(運慶・湛慶作の仏像・空也上人像)→六道の辻→八坂・五重の塔→清水坂→音羽の滝→泉湧寺→東福寺(常楽庵)→三十三間堂→(帰宅)→葵祭見物→糺の森→船岡山→(帰宅)→松茸を食す→弘法大師の筆跡・小野小町の絵を見る→祇園→八坂の塔→粟田口→知恩院→青蓮院門跡→(帰宅)→藤原定家宅跡→北野天満宮→金閣→(帰宅)→里村紹巴の連歌に参加→近江へ

 薩摩の人間でも知っているほど京都の名所は有名なんですね。どうやら家久は本気で観光したようです。こうして見ると今も昔も名所と言われる場所は変わりませんね〜。

<近江>
白河→志賀越え(百人一首を思い出す)→坂本→琵琶湖→瀬田橋→(帰宿)→石山寺(石山寺縁起絵巻を見る、里村紹巴よ り桐壺の講義を受ける)→大津→三井寺(園城寺)→小野小町の石塔→蝉丸宅跡→音羽→京都へ

 一ヶ月ほど京都に滞在した後、家久一行は近江へと向かっています。そこで待っていた人物こそかの明智光秀。家久は彼の歓迎を受けることになります。

<京都・復路>
山科→天智天皇陵→南禅寺→俊寛の館跡→下河原→(帰宿)→市原(大原を眺める)→貴船・鞍馬寺→(帰宿)→伊勢神宮へ

 戦国時代に薩摩から京都へ向かうというのはどれほどの大旅行だったのでしょうね。当時島津家は大友氏と対峙しようとしている矢先。四兄弟の末弟だからこそ、このような旅ができたのかもしれません。

コメント(1)

 家久が武勇に優れていたことはよく知られていますが、里村紹巴と連歌の会に参加したり、名所旧跡ではその由来となった故事を思い出したりと教養も備えていたようです。猛将、というイメージしか持っていませんでしたが、やはり名家の子息、きちんと学問も修めていたようです。それとも戦国武将の一般的な教養だったのでしょうか。

 もし京都を訪れることがあれば、「家久観光コース」を辿ってみるのも面白いかもしれませんね。一日で回るのは難しいですが、今でも十分に楽しめるコースですよ。

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