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背理・逆説・パラドックスコミュの辿りつけない無理数

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πとか、ルート2とかは無理数と呼ばれていますが、こういった無理数というのは現実に存在しているのかどうかという議論があるといったことを本で読みました。

確かに、無理数πについて考えてみると、永久に(小数点以下どこまで行っても)値が確定しないわけですから、数直線上に「ここがπ!!」みたいに指定はできないような気がしますので、存在しないような気がします。

しかし、円周の直径は、半径をrとしたとき、2πrですので、半径0.5の円を考えるとき、その円周は、πです。
ということは、実際に(すごく精巧な)半径0.5の円を描いて、(すごく精巧に)その円周に沿って紙テープを回した時、その紙テープの長さはπになるのではないでしょうか。

そうすると、やっぱりπは存在しているのではないでしょうか。

このあたりからよく分からなくなりました。

実際に存在する数というのはどういった概念なのでしょうか。

コメント(45)

>2さん

自分の目で確認したこと以外信じないなんて言ってる人は幽霊とかを否定してあたかも科学的であるように見えますけどその実、円の存在すら認めることができないんですね。
勉強になりました。
円周率や自然対数eなどは、超越数と呼ばれてる。超越数とは
整数係数多項式の解にならないもの。ルート2などは、超越数ではない。

で、超越数ではない実数は、可算無限個しか存在しないが、超越数は不可算無限個存在する。

しかし、円周率もeも、インテグラルや極限の記号を使って、「有限個の記号列」で表記できる。

しかしこのような、「有限個の記号列で表記される超越数」というのは、可算無限個しか存在しないので、「有限個の記号列で表記されない超越数」が、不可算無限個存在することになる。

では、「有限個の記号列で表記されない超越数」として、どいう数があるか?

具体例を出すことは出来ない。もし具体例を出せたら、それは、「表記できる超越数」になってしまう。

では、この不可算無限個あるはずの、「有限個で表記できない超越数」は、
「存在している」と言えるのか?
>> 11:なかもらさん

批判が全く的を射ていないですよ….
それはともかく.
「あれ」の定義がある以上,「これ」がその要件を満たさない限り,「これはあれでない」です.
また,トピ主文の「すごく精巧」という表現から,要件を厳密に満たす必要があるでしょう.
となると,SPLさんの解に行きつくのは至極当然ですね.
では,逆に考えましょう.
この世のあらゆる「長さ」は,有理数で表現できる保証はありません.
ということは,無理数はあらゆる場所に「長さ」として存在するかもしれませんね.

今日の金言:
マイクロメーターで測って,チョークで印をつけて,斧でカットしろ
>> 13:積分定数さん

「有限個の記号列で表記できない超越数」という記号列で表現…
いや,何でもないですよ.ただのジョークですよ.
「有限個の記号列で表記できない超越数」のうち0に最も近い正の数値は、幾つでしたっけ?
>14さん

的を射ていないっていうのは僕のコメントを批判としてとらえることですよ。
10cmはきちんと1/3ずつに分けることができるのに、数直線上に3.333333・・・は
存在しなさそうに見えるのと同じことでしょうか?

↑これ、小学校くらいからなんとなく不思議でした。

私も的外れだったらごめんなさい。
xy平面上の原点Oにコンパスの針をおいて
(1,1)からx軸にヒョイとおろすと、そこはルート2の点が存在してる。
でもぼくの持ってるコンパスは錆びてて
このポイントは探し出せません・・・
>22 ルーシーさん

私もそんな感じだと思います!

でもそれは『π』だけではないと思います。
数列上にある『0』ゃ『1』の地点すら正確に見た人はいないはずです!!

例えば数列を何かペンで書いたとして、線の太さの分だけ0の位置も1の位置も曖昧になると思うのです。

そしたらπだってペンの幅の分くらい曖昧になってもいい気がします


> 23 NatcHさん
> 10進数で表記できないだけの話ですよね。
> πはπ進数で表記すれば1ですし、√2も√2進数で表記すれば1です。

何進数だろうと1は1なので大嘘であり、
しかも「{無理数}進数」は不可能(=数値と序数の区別がついてない)。

多分、0.3333…は3進法でなら循環しない説明をどこかで見て
よく考えないで敷衍したのだろうが、
循環小数は有理数だから。

> 22 ルーシーさん
> πを数列上に表すと、点が小さすぎて
> 肉眼では見えません
> 虫眼鏡でも見えません
> 電子顕微鏡でも見えません
> 未だかつて見た人すら居ません
> でもそこ(数列上)に有ります。
> って事ですかね?
> うーん……何とも気持ち悪い。

1や10なら数列上で見えるとか
見た人がいると、お考えなんでしょうか?
何も変わりませんが?
>26 LucifeR さん

>「{無理数}進数」は不可能(=数値と序数の区別がついてない)。

[x] を x をこえない最大の整数とします。

d を d > 1 なる実数として,

x>0 にたいし,

[log_d(x)]=N とし,

a_N = [x/d^N]

b_N = x

以下 k=0,1,2… にたいし,

b_{N-(k+1)} = b_{N-k} - a_{N-k}・d^{N-k}

a_{N-(k+1)} = [b_{N-(k+1)}/d^{N-(k+1)}]

と帰納的に定義すると,

x=b_N=b_{N-1} + a_{N}・d^N
=b_{N-(M+1)} + Σ_{k=0}^M {a_{N-k}・d^{N-k}}

0≦b_{N-(M+1)} < d^{N-M} → 0 (M→∞)

となるのでしょうから,

x=Σ_{k=0}^∞{ a_{N-k}・d^{N-k} }
(各 a_{N-k} は 0,1,2,3のいずれか)

ではないでしょうか?

以上がもし正しければ,

π= 10 (「π」進法)?
>30
>x=Σ_{k=0}^∞{ a_{N-k}・d^{N-k} }
>(各 a_{N-k} は 0,1,2,3のいずれか)

d=π のときばかり考えてましたm(_ _)m。

x=Σ_{k=0}^∞{ a_{N-k}・d^{N-k} }
(各 a_{N-k} は d より小さい非負の整数値のいずれかをとる)

です。

1=1 (「π」進法)
2=2 (「π」進法)
3=3 (「π」進法)

ですが,

4=10.2201… (「π」進法)

筆算の繰り上がりなども単純ではない…。
>積分定数 さん
>イカレ・ポンティ さん
>そうり さん

>25 イカレ・ポンティ さん
>物理的に示せるかどうかの「実在性」と数式などで表現できる「実在性」が

「実際に存在する数」の意味については,さらに,

1. 物理的な「長さ」として存在する。
2. 物理的に「有限個の記号列」として表現できる。
3. その数の「有限個の記号列による表現」を構成する有限的な手続きが存在することの有限的な証明が存在する。
4. 存在することを証明できる。

といった区別も可能でしょう。

3. のレベルではすべての自然数は「実際に存在する」。でも,13 積分定数 さんの考察から,4. のレベルで「実際に存在する」にもかかわらず,3.のレベルでは「実際に存在」しない実数が非可算無個「存在する」ように思われる。

ところが,15 そうり さんにもあるように,そのような実数全体の集合を A (これらの要素はすべて超越数でしょう)とすると,選択公理のもとで,A は整列可能で,ある順序数 α が「存在」して,

f : α→ A

となる順序同型 f が「存在」する。

となると,集合 A の要素は,f(0),f(1),…とことごとく「有限個の記号列」で表現できることの証明が「存在する」…。

一見「矛盾」のように見えるのですが,たぶん,濃度が非可算である順序数 α の「存在」が 3. のレベルを越えているということではないかと思うのですが…。
>32
>濃度が非可算である順序数 α の「存在」が 3. のレベルを越えているということではないかと思うのですが…。

あるいは,選択公理が「有限的」でない,また f は「構成」されていないためかと…。

#そもそも,濃度を考えている時点で「有限的」ではないかも…。
で,トピの主題とはずれてしまうようですが,32 の 4. のレベルで「実際に存在する」にもかかわらず,3.のレベルでは「実際に存在」しない実数全体の集合 A の要素は,ある意味,「有限的には」けっして「辿りつけない無理数」のようです。
トピの主題については,

32 1. のレベルでは

「物理的な「長さ」」とはなにか?

が実は「あいまい」なので,そもそも,

「1」すらある意味「辿りつけない」。

2. のレベルでは無理数以前に「辿りつけない」自然数が存在するように見える。しかし,「有限個の記号列による有限的な構成」という枠がなければ,どんな実数もあるいは超限順序数や巨大基数すらある意味「実際に存在する」。

3'. ユークリッド幾何の公理群を満たす平面上にある線分に定義される「長さ」として存在する。

とすれば,連続性の公理の仮定の下で任意の実数の長さの線分に「辿りつ」ける。連続性の公理を仮定しなければ,有理数体を含む最小のピタゴラス拡大体(この集合の濃度は可算でしょう)に含まれる実数までが「辿りつけ」るが,例えば,超越数πどころか代数的数 2 の 3 乗根にも「辿りつけない」。

4. のレベルは,上の 2 についての議論同様あらゆる無理数が「実際に存在する」。

「こういった無理数というのは現実に存在しているのかどうかという議論」

は,

「現実に存在する」こと

をどう定めるかに依存し,それが明確でない場合意味をなさない…。
>36 イカレ・ポンティ さん

>「ある順序数 α」の具体例が問題になりますね。

選択公理が存在を保証する順序数は構成的ではないし,このαの「具体的な構成」を示すことはできないでしょう。

>代数的無理数全体の集合

有理係数の代数方程式と自然数との1対1対応は選択公理なしにシュレーダー・ベルンシュタインの定理によって構成できるでしょうし,それぞれの方程式の有限個の解たちは絶対値と偏角によって順序づけられるので,選択公理なしに自然数との1対1対応が構成できるでしょう。つまり最小の無限順序数ω(これは「具体的」)によって整列できる。それによって,代数的無理数全体は整列できるのでしょう。

すなわち,代数的無理数 a を解にもつ有理係数の代数方程式に対応する最小の自然数を m とし,それがその方程式の絶対値と偏角にる順序での n 番目の解だったとき,

g(a)=(m+n+1)(m+n)/2+n (カントルの対関数)

とすれば,この対応 g は代数的無理数全体の集合から自然数全体の集合への単射であり,

h(k)=√2 + k

によって定まる対応 h は自然数全体の集合から代数的無理数全体の集合への単射であるので,シュレーダー・ベルンシュタインの定理によって自然数全体の集合から代数的無理数全体の集合への全単射が「具体的に構成」できることの証明が存在する。

> 4.は、定義により稠密に存在するから存在する、というトートロジーに過ぎないことにはなってしまわないでしょうか。

自然数論の公理やユークリッド幾何の公理,集合論の公理など公理系を用いて定義されたものは「その公理系の下で存在する」にすぎないのでしょう。そうした「存在」の「保証」は公理系の「無矛盾性」ということになるのでしょうが,それは相対的にしか言えない…。

>カウンタブルな取り出し方の一例すら今のところ見つけられていない超越数の実在の問題

冪集合の公理などの下で,「カウンタブルな取り出し方」が決して見つからない超越数の存在が証明でき,選択公理の下で非構成的な選択関数によって「取り出せる」ことが証明できる。しかし「実在性」について言えば,逆に自然数「1」の「実在性」さえ怪しいように思います…。
>36 イカレ・ポンティ さん
>>16 柴崎銀河さん
>
>の素晴らしい逆説的な冗談

正の「有限個の記号列で表記できない超越数」たちの最小値は存在しない…ということですよね?
>39 イカレ・ポンティ さん

確認させてください!

>整数や平方根のように具体的にn番目の数を導き出せる数式のことです。

シュレーダー・ベルンシュタインの定理によって構成される全単射は具体的な「数式」としてきちんと与えられる。その意味で例えば代数的数のうち無理数であるもの全体は「カウンタブル」ということでよいのですね?そして,全単射が選択公理などによって非構成的に与えられる場合,すなわち,例えば『超越数を除いた無理数(代数的無理数)全体の集合』「超越数の集合」は「カウンタブルではない」ということですよね?

つまり『代数的無理数』のさすものが違っていたということでよいでしょうか?

>実数が稠密に存在すると定義されていても、「有限個の記号列で表記できない超越数」という定義よって、具体的には取り出せないのです。

最小の正の有理数も具体的に取り出せないですが,これはけっして「パラドキシカル」ではないですよね?

> 「有限個の記号列で表記できない超越数」という定義

が「パラドキシカル」に見えるのは「有限個の記号列で表記できる」ということの定義があいまいであるからで,非構成的な選択関数や自然言語まで「有限個の記号列」の「表記」に許されるならば,

「有限個の記号列で表記できない超越数」は存在しない。

「表記」を構成的なものに限れば,

「「有限個の記号列で表記できない超越数」は存在」することは証明できるが(32 の 4. のレベルで「存在」する)構成的には「表記」できない(3. のレベルでは「存在」しない)。

「特定のたどり着けない無理数」についても「辿りつける」ということをどう定義するかで,そのようなものが存在しないことの証明も存在することの証明も与えられる。「決して認識できることのできない数字」についても「認識できる」とはどういうことかに依存するということだと思うのですが…いかがでしょう?

そもそも,

「実数は非可算個存在する」

は冪集合の公理などといった「非構成的」な集合の存在公理の下で証明できるのでしょう。すべての「自然数」「有理数」は「有限的に構成」できるでしょう。でも「自然数全体の集合 N」の存在は?さらに「N の部分集合全体の集合(N の冪集合)」の存在となると?これらは「有限的に構成」されたといえるでしょうか?でもこれらある意味「辿りつけない」ものの存在を公理によって認めれば(記号「N」や「P(N)」(N の冪集合)を含む)「有限個の記号列で表現できる」。

このようなものの「存在」を認めたくなるのはなぜか?

35 3' にあげたユークリッド幾何にあらわれる「直線」は連続性の公理まで認めれば「実数」そのものです。「線分はいくらでも延長できる」ならすべての「実数」は「辿りつける」。


存在証明が「認識」の一方法とすればすべて「認識」できてしまう。

結局「認識できる」「「有限個の記号列での表現」で許容されるものの範囲」「辿りつける」「実際に存在する」の定義に依存する…。
> 30 Sparrowhawkさん

小難しい数式はいいですから、
1(10)から10(10)までの10ケの整数をπ進法で表記してみてください。
あるいは
1(π)+3(π)=?(π)
でも結構です。

其の系では整数という概念は有効に保存されていますか?
そのような系が

> [x] を x をこえない最大の整数とします。

で始まる仮定から導かれた場合、その証明は無矛盾に成立しているといいますか?
>41 LucifeR さん
>1(π)+3(π)=?(π)
>でも結構です。

31 にも書いたように,
1(10)=1 (π)
2(10)=2 (π)
3(10)=3 (π)

で,

3(π)+1(π)=10.2201… (π)
3(π)+2(π)=11.2201… (π)
3(π)+3(π)=12.2201… (π)
3(π)+3(π)+1(π)=20.2021… (π)
3(π)+3(π)+2(π)=21.2021… (π)
3(π)+3(π)+3(π)=22.2021… (π)
3(π)+3(π)+3(π)+1(π)=30.1212… (π)

です。これらの小数は循環しない無限小数でしょう。

>其の系では整数という概念は有効に保存されていますか?

その点については,もちろんです。正の実数 x に自然数列{a_{N-k}}を対応させて「表記する」だけですから。「表記」が循環しない無限小数になる整数がほとんだというだけです。

>その証明は無矛盾に成立しているといいますか?

(A) 0 は自然数である。
(B) n が自然数なら n+1 も自然数である。
(C) (A)(B) で自然数であるとされるもののみが自然数である。

などは成立する(当り前ですが)ので,自然数論が無矛盾なら無矛盾でしょう。

「数」の性質のうち「数字による表現」と無関係な性質(帰納法の成立,約数,倍数,素数など)は「数字による表現」には依存しないでですよね?

「数字による表現」に関係する性質,たとえば,

「有理数は循環小数で表される」

などは成立しませんが,だからといって矛盾にはいたらないでしょう?

「各位の数の和が3の倍数なら3の倍数」

が2進法で成立しないからといって矛盾ということはないのと同じように…。
>42

訂正です。

>3(π)+3(π)+3(π)+1(π)=30.1212… (π)

30 で定義した方法なら,π^2≦10(10)<π^3 ですから,

3(π)+3(π)+3(π)+1(π)=100.0102… (π)

でしたm(_ _)m。すなわち,

30(π)+0.1(π)+0.02(π)+0.001(π) + 0.0002(π) + …
=3π+ 0 + 1/π+ 2/π^2 + 1/π^3 + 2/π^4 + …
=3(π)+3(π)+3(π)+1(π)
=1π^2+0π+ 0 + 0/π+ 1/π^2 + 0/π^3 + 2/π^4 + …
=100.0102… (π)

で,30 での定義では,100.0102… (π)の方をとることにしていたはずでした。

正の実数 x に対し 30 で定義した「π進法」表示はただ一通り定まる。けれど,すべての 0,1,2,3 からなる小数表示が 30 で定義した「π進法」表示とは限らない。この辺は10進法での,

0.9999…
=0.9+0.09+0.009+0.0009…
=1

と同様なことなのでしょう…。
「順序数」という有限的に構成可能なものとして体験される「数」(自然数)と,「直線」や「円」として非構成的に体験される「数」(実数)(もしかするとそれらに加えて「数」の「数字」などの有限個の記号による表現)との間にある種のギャップがあるように感じます。それらは同じ「数」とされるけれど,ある意味,一方からは他方に「辿りつけない」…そんな気がしてきました。

きーとも さんのトピの冒頭文にあるような,「自然数から実数」に相当する無限小数をみると,無理数は「辿りつけない」。「実数から自然数」に相当する円を眺めて直感的に体験される比 1 : π に基づいた「π進数」なるものをみると(30 での議論が正しければ) 4 以上の自然数さえ「辿りつけない」。

「数」にはもともとこうした構成的性格と非構成的性格の二面性(あるいは多面性)があるがゆえにパラドクシカルな状況が生まれるのかもと。

# もちろんさらには「実在」と「数」の間にもギャップがあるのでしょう…。

そしてそうしたものをひっくるめて同じ「数」として扱うことによって豊かな世界が開けてくる…。

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