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反「国家の品格」コミュの右脳あっての左脳?情緒あっての論理?

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「国家の品格」では論理に片寄りすぎた日本に対して批判をしているようですが、果たしてそうなのでしょうか。

私に映る日本は、論理どころか、理にかなわない屁理屈が先行しすぎて、道徳心と人間の本質の部分を区別しきれず、感情ばかりで綺麗ごとばかり言う支離滅裂は国に見えて仕方がありません。

真の「論理」というものをもう一度日本人はちゃんと勉強すべきだと思うのですが。。
(親の世話にはならないという)物理的な自立ではなく、精神的自立が出来ていない気がします。
それはしっかりとした論理を持たない人間が大人も子供も多すぎるから。
武士道云々以前の問題だと思います。

本でも書かれていましたが、情緒が論理にたえず先行するという考えもよくわかりますが、やはり、人間が自立していく上で、論理を持たなければならないのではないでしょうか。

論理に片寄り過ぎる、情緒に片寄り過ぎる云々ではなく、論理で、結局人間は生きる術を見出しているのではないでしょうか。

ただ、この本のお陰で、論理を持つ事の重要性を今まで以上に考えるようになったことはよかったです。

以下は自分の日記で書いたことです。
論理ってそもそも何でしょうか?
みなさんの意見を聞かせてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

論理とは何か。

REASON、つまり因果関係(cause & effect)を作りだすことである。

つまり、その因果関係が正しいか否かは問題ではなく、AならばB、BならばC、といったように原因、結果を作りだすことである。

その過程で規則が見出されたりと、事柄をスムーズに処理する上で論理を作り出すことは社会に生きる人間にとって絶対不可欠である。

「なぜ?なぜなら・・・」という思考が我々に存在しない限り、自立した考えが生れないことも事実である。

論理が存在することは、生きるうえで物事がスムーズになるし、なによりも納得が生れる。

「社会に生きる人間」と上で書いたが、社会のために我々は論理を作り出すのだろうか。

現実として、論理があるが故に秩序立った社会が成り立つことも否定はできない。

しかし、結局は自分のために我々は論理を作り出しているのではないだろうか。

何故か。

論理を超えたものには人間が根本として生きている「情緒」がそこには存在するからである。

望ましい情緒を確立するために論理を作り出しているのである。

普遍的に何が正で何が否かという問いを追い求めている過程で論理が生れるが、結局は自身にとって正か否かという問いなのである。

左脳を一生懸命使って論理を作り出している我々だが、結局は感情を扱う右脳によってその論理も影響を受けている。

右脳があっての左脳、左脳があっての右脳、情緒あっての論理、論理あっての情緒といった、それこそ、因果関係を言っているのでなく、互いの相互依存で我々は生きるすべを見出しているのである。

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