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「あなたの死なない世界」コミュの『ゆう児の西遊記』

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05年12月〜06年5月までのインド旅行記。デリー以南、ゴア、南インドなど。これからインドへ行くことを考えている方にも使っていただけるよう、正確な情報を「心がけ」ます。
時間軸順ではなく、思い出した順に書いていきます。ご注意。

★期間…四ヵ月半
★スタイル…一人旅、budget traveler(貧乏旅行)、無計画。
★経路
デリー…アーグラー…ジャイプル…プシュカル…ウダイプル…アーマダバード…ムンバイ…アウランガバード…エローラ・アジャンター…プーナ…ゴア(パナジ・アンジュナビーチ)…ハンピ…
 (運命によって逆走開始)
…ゴア(モルジンビーチ)…プーナ…バンガロール…プッタパルティ…チェンナイ…マハバリプラム…カニャークマリ…クイロン…アレッピー…ぺリヤール…コーチン…ゴア(ベナリムビーチ)…ムンバイ…インドにバイバイ

備忘録
・眼の手術の話
・サイババの話
・列車、バスの様子
・葉っぱの話 など

コメント(8)

『いきなり死の話』
 インドに行ったら沢山人の死を見るだろうと思っていた。死体のひとつになる可能性も想定していた。今回は行かなかったが、もともとバナラシが目的地のひとつで、そこには死体を焼くガートがある。犬が人を喰ってる、とかそこら中に貧しい人たちの屍骸が普通にあるって話を聞いてもいた。正直、旅の目的のひとつに人の死を見つめて人生考えたいってのがあったんだ。興味本位だけど。
 けれど実際は人の死体見なかった。見たかもしれないけど気付かなかった。見たかも、というのは都市部に行くと道に寝てる人たちが多いから。死んでるのか寝てるのか判断に迷う個体もあった。
 
 動物の屍骸はよく見た。珍しいところではヒヒのご遺体。ゴアで原付飛ばしていたら道端に転がっていた。ガーデンチェアみたいに硬直してね。極彩色のお尻でヒヒだと知れた。
 死を感じてゾッとしたのはワン子の死体。ある日ご機嫌で歩いていたら深いどぶに子犬が二匹はまってた。深緑のヘドロを背景に茶と白の毛並みが際立ってふさふさに見えた。よく見なかったけど頭が取れてたり、足の先が溶けてたり(?)しているように見えた。本当、捨てられたおもちゃみたいに。各部取り外しできる模型みたいに。怖かった。兄弟で遊んでてはまって、ずぶずぶ沈んで…。その死体の訳の解からなさと、無邪気な子犬ということがショックだった。
 
 ゴアで原付を飛ばしていたら側溝から這い上がろうとしている黒い子犬を発見。せっかくのご縁だから、とバイクを止め見に行った。どぶは乾いているけど深くて延々どこまでも続いているし、そいつが上がれる場所がないんだ。前述の犬の死体のことも頭にちらついていて、出来ればそっから出したろうと思っていたんだ。
 埃っぽいどぶの底には別の子犬の死体があった。茶の奴が仰向けになって転がってた。顔に蝿がたかっているのか腐っているのか、歪んだニヤニヤ笑いをしているように見えた。俺は舌打ちをして生きている奴のほうへ向かう。この熱さ、放っておけば同じ運命だ。でも近づくと逃げる。逃げていく方には他にも兄弟らしい二匹の子犬がいた。必死に底に溜まったプラスチックゴミを漁っている。とても喰えるものじゃない。俺は立ち止まる。黒いのが振り返って俺を伺う。眼が死んでいる。大人の眼だ。俺はなぜか子犬に腹が立つ。
 再び原付を飛ばしながら俺は思う。あの死んだ奴、ありゃ嬉しくて笑ってたんだな…。
『波を捕まえる男』
 マハバリプラムの町にいた。チェンナイからほど近い、ベンガル湾岸沿いの小さな町で、1,400年も前から建っているという「海岸寺院」で知られている。砂浜にはインド人の観光客がいっぱい遊びに来ていて、サリー姿のおばちゃん達もキャーキャーと波に戯れ、どこか昭和の海水浴の光景を思わせる。アラビア海に比べると、ベンガル湾の海は色も粘りも少しだけ濃いような気がする。僕も毎日ここに来ては、瞑想したり波に悩みを打ち明けたりする。どんな辛い時でも、波を見てると幾分かましな気分になれるんだ。

 さてこの海岸でおかしな男に出会った。インドにはおかしな人が沢山いて大体は無視するのだが、この男からは目が離せなかった。 この男、さっきからずっと波打ち際に寝転んで波に洗われている。服を着たまま泳いだりすることはここでは全然可笑しくないし、溺死者みたく波に揉まれる遊びなら俺だってする。…だがこの男、枕まで用意している。本当にここで寝ようとしているのだ。
 砕けた波が押し寄せ身体を包んでも男は身じろぎ一つしない。当然、潮が引くときものすごい力で海の方に引きずられてゆく。しかし男は出来るだけ波に身を任せることに決めているらしい。恥ずかしい形にひっくり返されたり、裏返されたり、昆布かなんかみたいに波に弄ばれていて見ているのさえ恥ずかしくなる。男も照れくさそうに、そして寂しそうに微笑んで立ち上がり、ちょっとだけ陸側に戻るとそこに枕を置き、身を横たえる。どうにでもして、というように…何度でも。
 
 なるほど、こいつ自殺しようとしているな。僕は目の隅で彼を見ながら考える。どこか陰のある中年の男だ。止めようとは全然思わない。だいいちこんな時間のかかる自殺、止めようがない。通りがかる人達もちょっとリアクションに困っている様子。いっそ飛び込んじゃえば…。僕ははらはら(いらいら)する。
 大きな波が来て男に襲い掛かる。ア、今度こそ逝けるか?男揉みくちゃにされる。男、本当に海へ連れて行かれそうになる。ア、ア、枕、枕! こちらも思わず立ち上がりそうになる。
 無情な波が去ったあと、男、ズボンを半分下げられて砂の上に取り残される。枕はしっかり掴んだままだ。男、慌ててバランスを取り戻そうとするも次の大波が彼を後ろから突き飛ばす…。ああ、人間の尊厳とは一体…?!

 結局今日も、波は男を連れて行ってくれなかったようだ。神様はそれでも生きよ!と鞭打つらしい。数時間の後(!)男は陸に上がり、枕からペットボトルやポリタンクを取り出し始めた(枕は浮遊物を麻袋に詰めたものだったのだ)。塩水を汲みたいようなのだがこれも一筋縄では行かない。波が来るたび突っ込んでいって少しづつ、少しづつ海水を汲むのだ。なんという面倒くさい奴!しかし見よ、その嬉々とした顔、鬼気迫る表情を。
 なるほど、僕は悟った。この男、「波」を持ち帰ろうとしているのだ。海、や塩水などは彼の関心外なのだ。ただ「波」というプロセス、運動エネルギーを愛し、捕らえ、また囚われようとするのだ。
しかし一体なぜ…?

 04年の津波でインドベンガル湾岸沿いの地域は甚大なる被害を受けた。ここマハバリプラムも例外ではない。現在はスイスの援助を受けていくつもの「掘っ立て小屋」の集落が海岸沿いにある。小学校帰りの可愛い女の子達が、この電気もない集落に戻っていくのを僕はちょっと複雑な思いで見ていた。
 聞く所によると被害の大きさにもかかわらず、この町では男の子が一人亡くなっただけだという。もちろん、その子と「波男」に何らかの関係があったかどうか、僕は知らない。
 
「インドの魔術で視力回復」

 インドで視力回復手術を受けた。レーザーでメンタマを刻む手術。結果?今のところ千里眼。…まあ聞きなよ。
 インドでは医療技術が進んでいて、歯科や外科なんか日本と比べると格段に安い。僕も初めてそういう話を聞いた時、「でもインドだろ…」と笑い飛ばした。偏見があったんだな。だってさ、インドだぜ…?!しかしちょっと興味はあったので、旅立つ前にインドでの近視治療手術についてネットで調べたが、何も得られなかった。ただの噂か…。ちょっとがっかり。そうすると不思議なもので手術が受けたくてしょうがない。旅をやめて、その金で日本で手術を受けようとまで考え始めた。なぜそこまでして受けたかったのか…
 その頃、僕は世界の終わりについて考えている時間が多かった。世界が終わるとき、この社会が崩壊するとき、大地震が来た時、僕はどうなるんだろう?…いや、そんなことがなくたって、これからの人生ずっと眼鏡やコンタクトに束縛されるのは嫌だ。僕の理想は、原始人のように、自由に、だ。オーストラリアでの旅のとき思い知らされたこと。コンタクト関係、アトピーの薬など、俺は手ぶらでどっかへ行くことさえ出来ないじゃないか。精神が肉体に、病に従属してるじゃないか!だから俺には眼の手術を受ける義務がある!…まぁ優児お得意のパラノイアだわな。
 貧乏旅行を決心した理由もこのあたりにある。帰国した後手術を受けれる費用を残すための節約旅行。

 ちょっと話を端折ろう。時は三月花の頃、僕は偶然、以前豪州で知り合ったインド人の娘と再会する。その子がゴアに友達と家を持っているのでそこに僕も居候することになる。運命は再び僕を弄び始める…
 今まで誰に聞いても知らなかった手術の情報、この子なら、と思って訊ねた。
「ああ聞いたことあるわね。インドはそういうの有名だから」
そして任しといて、あたしが調べてあげるわと言う。
 ハンピからゴアの彼女の家まで、ヒッピー達とキャンピングカーで旅をしながらようやく到着。ちょうどそこに遊びに来ていたのはミックジャガーそっくりのフランス人ジーヴァン。世間話で目の手術を受けれる病院を探していると言ったら、なんと
「おらその手術受けたことあるでぇよ」

 話を端折ろう。二週間ゴアで過ごした後、僕は単身プーナと言う大都市へ。ここでも色々な「偶然」に導かれて僕は…あー面倒くさい!
 …一から十まで全て語ることは出来ないんだよ、優児。どんなにそれが、全ての出来事がリンクしていたとしても…。奇跡を文字で伝えるなんて、そりゃ無理な話だ。聖書でも出来なかったことじゃないか。どだい、話しても経験しなきゃわかりっこないし…

 話を端折ろう。そういうわけで僕は目の手術をした。リクシャをつかまえてもらい、盲目状態で一人で病院から帰った。痛かった。転んだ。眠れなかった。恐怖した。トイレに行ったがたくさんこぼした。だって狙うも何も、見えんもん。
 24時間の暗闇を僕は一人で耐えるしかなかった。声が出るほど痛かった。失明の恐怖をひたすら耐えた。痒い痛い怖い眠い、けど眠れない。する事ない…。…する事ない。…そしてする事ない。見ることも出来ん、聞くものもない。マス掻く元気もない。ひたすら座っておった。見えない両手でチャラス(大麻樹脂)をパイプに詰めひたすら吸った。効きゃしない。今考えると眼に脱脂綿を当てた状態で手探りで火をつけてパイプ吹かしてた。無茶苦茶だな。はは、優児らしいや。
 端折ろう。色々あったが、今は星ぼしや月のウサギ、空高くの鳥、壁の蟻、木々の葉…十分見えるよ。

 おわり
(後日、経費・病院などの情報だけを箇条書きでお知らせします)
『インドに着いたら怖かった』

飛行機飛行機がデリー国際空港に到着した。夜もとっぷりと更けた九時十時。知り合いもいず、今夜泊まるホテルさえ決めていない。何も前もって計画しない。それはオーストラリアでの過酷な貧乏旅行を乗り切った旅人としての、俺の安いプライドであり、また運命に身を委ねてみるという神へのつまらない忠義心の証のつもりだったかもしれない。

 服装はすでにインドを旅し終えたかのような襤褸着。荷物はごく軽装。イミグレーションで列に並んでいると、後ろのカップルがひそひそと言っているのが聞こえる。ああ、あの人は何度もインド来てるんだろうね…。この言葉はその後何度も聞くことになる。あんたインド何度目?これはインドでの日本人の挨拶として一般的なようだが、不思議に俺はインド初体験だと言っても信じてもらえないことが多かった。

 その実、俺はびびっていた。旅慣れているように見られていることは知っていたから、その面子を保つためにこうして立ってはいるが、本当は自身の無計画さを呪い、頭の中で『地球の歩き方』のデリー空港のページを必死に検索することでこのゲートの先に待ち構えている『そこにあるインド』から気をそらしていたのだ。
 
冷や汗ゲートを抜けると、そこから空気が変質した。なんだか古ぼけたロビーに様々な格好をしたインド人達が集結し、この俺を待っていた。ターバンを巻いた奴あり、ちょび髭の奴あり、一癖も二癖もありそうな奴らが真っ黒な瞳で柵の向こうから俺を値踏みしている、そんな感じだ。
 
 本能的にここを出たらやばい、俺はひるんだ。ちょっと考えさせてくれ。俺は表面落ち着き払って手近の椅子にへたり込み、『歩き方』を取り出す。情報はこれだけ、そして役に立たない相談相手だった。かの本の名誉にかけて言えば決して情報が間違っているわけではない、が、リアルではないのだ。見ても頭に入ってこない。ただ判ったのは、ここにいても始まらないということだけだった。
バスタクシーで市内に向かうのが楽そうだ。ただし強盗がよくあるらしい。バスで行けばかなり安い。しかし情報がはっきりしない…。バスで行こう、貧乏旅行者の俺はすでにそう決めていた。日本でジュースを抵抗なく買うのにインドに着いたとたん俺の経済感覚はインド人よりもドけちなものへと切り替わった。1ルピーだって使うまい。我ながらの浅ましさである。

喫煙伸びてくる手、笑いかけてくる髭面を無視し、振り切ってロビーの外に出、あるはずとされているバス停を探す。…ない。そこはただの車溜まりでバス停の存在を示す何ものもない。一応英語が準公用語なのにBUS STOPの文字さえなし、アルファベットすらない。俺は混乱した。本当にここはデリーか?何かの間違いで俺はとんでもないところにいるのでは?俺はギターを取られるまいと(今思えば不必要に)警戒しながらロビーや空港周辺をしばらく彷徨う。その度に伸びてくる手、笑いかけてくる髭面…。あんなに沢山いた日本人はどこへ行ったのだ?インド人しかいないがここは国際空港ではなかったのか?なれなれしく話し掛けてくるタクシーのおっさんをあしらいながら俺は軽くパニックに陥り、やたらタバコを吹かす。

『大丈夫ですか?』
 商品の仕入れに来た、と言う風情の日本人女性が控えめに声をかけて来る。
『だいじょぶです!』俺、突っ張ってしまう。
 白人グループが楽しそうにタクシーを捕まえて乗りこんでいく。あるいは運ちゃんにつかまったと言うべきか…。でもタクシーに乗ったらレイプされちゃうんだもんね、それにバスよりうんとうんと高い金払わされるんだもんね…。俺、けちと猜疑心で頑なにタクを拒否する。
 俺の旅は苦労が多いが、そのほとんどがこのケチが原因なのだ。一度ホテル代が高い町で納得できず、6時間も荷物を背負って安宿を探し続けたこともある。ホント、嫌になる。

時計インド人というのは不思議で、場所を尋ねると人によって言うことがばらばらである。これは誰もが言うインド最大不思議の一つである。空港付きの警官にバス亭を聞いても知らない。決して英語がわからないとか、意地悪をしているとかではないと思う。同僚にも訊いたりしてくれているのだから。これでからかっているなら…恐ろしい。

 結局どういう経緯かは忘れたがとっても妖しげな乞食風のおじいさんに『ここに俺のバスが来る』から、と言われた場所に立ち尽くしていた。なんの標もないが妙に説得力があったから。それ以外にどうしようもなかったから。しばらくして都会風の日本人の男の子が不意に現れ、話をすると、前にも来たことがあってここから乗ったと言うのでやっと安心した。まったくインドらしい展開じゃないか?
モバQ疑って、散々迷って、信じてみて、諦めたところに答えがある。
 その男の子が同い年、同じ大学だったのも妙に納得がいった。

 数分後、俺たちは老人数人を乗せただけの襤褸バスでデリー市内へと揺られていた。50ルピー、タクシーの十分の一くらいである。
 
 こうして俺の初日は運良く始まったわけだが、実に自分の器量の狭さを痛感した。後々もこのケチさに自ら苦しむことになる。
 思えばインドに旅する日本人はたくさんいるが、一体皆どういう手段でデリー市内へ向かったのか、非常に興味がある。やっぱり皆びびりながら、また迷いながらあの初日の緊張を体験したのだろうか?
がまん顔ちなみにバス停は警官の詰め所のすぐ隣であった。
『インドでタバコ、駄菓子』

ドル袋むかつくことも多かったインド旅行だが、実に楽しかった。日本に比べ物価が安いと言うことは不謹慎かもしれないが非常にありがたいことである。少々贅沢をしても日本でビックマックを食べるよりか安いのだから。経済的ストレスが少ない旅行は楽しい。それでもケチる俺はインド人にとってあまりありがたくない客だったかもしれない。

喫煙小さな駄菓子屋で、あるいは街角の屋台でタバコやなんかのこまごました物を売っている。タバコは一本づつ買えるのが嬉しい。小銭文化って可愛くて大好きだ。
 どこにでもあるメジャーなタバコは『GOLD FLAKE』っていう黄色の箱に赤い蓋の奴だ。北の方だと黄色が金になったりする。大きさはショートホープ。一箱20ルピー弱、一本2ルピー。ビーリーっていう葉巻なら5ルピーで15本入りかなんかが買える。

 インドは駄菓子屋とか屋台が面白いな。各地いろんな食べ物があってさ、大体揚げ物とか添加物たっぷりそうな駄菓子なんだ。チャイは一杯4〜2ルピー。北の方が美味いと思う。南ならコーヒーだ。あるいはマンゴージュース。ぱちもんコーラのTHUMBS UPは7ルピー。500mlの水は12ルピーくらいか。普通に普及している。中華系の食い物も多いな、ヌードルとか。
 店先に吊るしてある色とりどりのプラスチックパックは初め洗剤かなと思ったがこれは男性が好む噛みタバコや口内清涼剤。オエッもんである。舌の裏に仕込んでおいてつばをぺっぺっして楽しむらしい。
 食べ物については項を改めて書くと思うが、南インドのバナナリーフの上に乗っけて食べるカレーは最高だ。南はコメが美味い。しかも健康的だ。南インドにいる間俺のアトピーはすっかり消え調子に乗った俺はゴアでは裸で踊っていた。日本に帰ってきてバーベキューしたら速攻元通りになっちゃったけど…。

わーい(嬉しい顔)『エク、ゴールドフラック(おじさんゴールドフレーク一本頂戴)』
ウインク『ドールピア(ハイよ、2ルピー)』

エク、ドー、ティン、チャー、パンチ。1.2.3.4.5
チェ、サール、アト、ノー、ダス。6.7.8.9.10
 俺に一生懸命教えてくれる子供達の可愛さよ、汚さよ。
『全てはリクシャの交渉から始まる』

射手座アーグラーといえばタージマハルである。ニューデリーから電車で何時間か、俺はアーグラーの駅に着いた。早速オートリクシャの運ちゃんが俺にたかる。考える時間すら与えてくれない。運ちゃん仲間にも優先順位があるらしく、一人が主に交渉し、外野が囲んでそれを援護するチームワーク。恥ずかしい話、俺は怒鳴り散らし、蹴散らしでとっても嫌なヤパーニー(日本人)になってしまう。旅行中何人のインド人を小突き、罵倒しただろうか。つまり俺の中に優越感があり、手を出せるほどの差別意識があったといわざるを得ない。
 インド人の感心なところはしつこいが手は出してこない。少なくとも俺のあったインドの人々はそうだった。こちらが一方的に暴力をふるい、彼らはまるで興味を無くしたように去っていく。俺は罪悪感と消えない怒りの中に取り残され、うなだれる構図。

 さて彼らに去られてみると俺は一人駅前、どっちへどこまで歩けばいいかさっぱりわからない。ガイドブックは役立たず、他の旅行者は何の抵抗もなく次々リクシャに乗ってゆく。全く俺の貧乏根性め、俺は何をしに来たのか?楽しみに来たんだぞ優児!
 とぼとぼ歩き出す俺に近づいてくる人力リクシャ。やらしい顔のおじさんがやらしく俺に乗れと言ってくる。値切り倒したところ案外あっさり安くしてくれる。どっかのホテルに連れて行ってそこからマージンを貰うつもりなんだろう。先ほどのどたばたに疲れ果てていた俺はどうにでもなれと座席に乗り込む。

げっそり街までの数キロ、俺は疑心暗鬼に陥っていた。なぜならすれ違うリクシャの運ちゃんたちが皆、俺の運ちゃんに目配せをしていくのだ。にやりと笑い、うなずく。こっちのもやらしくうなずき返す。隣につけた別の運ちゃんが俺を見てイヒヒと笑う。
『さっきの仕返しで俺はどっかに拉致され殺されるんだろうか』
『このじいさん見かけ通りのとてつもない食わせ者なんだろうか』
俺は覚悟を決める。絶対何人か道連れにして死んでやる、と。騙されないようにリクシャが止まったら約束の金を投げつけて逃げよう、と。

 ようやく俺はアグラの小さな町に入る。もちろん気が気でないから随分遠回りさせられているような疑いが湧く。じいさんはあるホテルの前につけ俺について来いと促す。フロントでもっと払えとかマージンよこせとか言われるのが嫌だったので俺は金を座席に投げつけ一人さっさと手近の店に逃げ込んだ。この後、この手はよく使うようになる。

涙じいさんが何か企んでいたのか、ただのやらしいじいさんだったのか俺にはわからない。もっと気を許してよかったのか、あるいは俺のとった行動が賢明だったのかわからない。ただ俺はインド4日目であり、すでにして憔悴し、イラついていて自信を失っていた。疑う目には全てが疑わしく映るものだ…

プレゼントでも、今思い返すとそんな馬鹿な俺でも運命は優しく道を開いてくれていたのだ。俺は飛び込んだ宝石店で素晴らしいハシシを手に入れ(もちろん値切り倒して)、主人一家となじみになり、そこの二階のレストランに入り浸るようになり、友達を作り、クリスマスイブをそこで過ごして素晴らしい思い出を作り、そしてそこで名曲『New Relax Restaurant』を書いたのだから。
2019年 2月、深夜ベッドで読み返して、書く

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農村のたんぼの中にあるバンガロー的な宿で過ごしました。大麻は田んぼ三枚向こうの田舎家から買いました。もう十数年昔の話になりますのでウル覚えですガ、細身のおつな若妻だったような記憶があります。はい、何度が購入しました。記憶が正しければ200ルピーとかそんな値段でした、ブリトーくらいの大きさと形に新聞紙に包んだ、葉の多い、でも感じの良い土地の草でした。

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いやしかし、すべて曖昧模糊として...
儚いですね。

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