ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

mixi軍令部コミュの海軍しりとりPart4

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
海軍しりとりで盛り上がりましょう!
皆さんの知識を存分に披露してください。

国籍、時代を問いません。
戦争、戦闘、作戦、人物、地名、兵器、制度なんでも結構です。

小説・マンガ・映画などに登場する仮想戦記もOKですが、出典を明記してくださいね。

同じ名称が何回出てもかまいませんが、直近に登場した名称は出来るだけ避けてください。

その他、当トピの特別ルールを定めます。
ルールは随時、追加修正します。

---------------------------------------------------------------

--★海軍しりとり特別ルール【2023.6.2更新】★--
※新規の追加、修正には☆マークをつけています。

1 陸軍関係はNGです。ただし、海軍と密接に関係のあるものはOKとします。
  その場合、理由を明記してください。
  (例)大発(大発動艇)
      ・・陸軍が開発・生産したが、海軍でも採用。大々的に運用された。

2 「ん」で終わるものは、その1つ前の語句を採用します。
  (例)零戦(れいせん)→せ
  (例)雷電(らいでん)→でorて

☆3 濁音で終わるものは、濁音ありなし両方ともOKとします。
  その逆に濁音なしで終わっても、濁音ありなし両方ともOKとします。
  (例)赤城(あかぎ)→「ぎ」or「き」
  (例)大和(やまと)→「と」or「ど」

4 次の語句で終わる場合は、○○の最後の語句を採用します。
 -1 「○○戦争」「○○の反乱」「○○の乱」「○○の戦い」「○○会戦」
   「○○夜戦」「○○航空戦」「○○作戦」「○○号作戦」「○○決戦」
 -2 「○○海戦」「○○沖海戦」「○○岬沖海戦」
 -3 「○○事件」「○○事変」
 -4 「○○合戦」「○○征伐」「○○の役」
   (例)日露戦争→ろ
      インパール作戦→る
      ミッドウェー海戦→え
      マリアナ沖海戦→な
      五・一五事件→ごorこ
      支那事変→な
 -5 「○○式戦闘機」「○○式艦上戦闘機」「○○式陸上攻撃機」
   「○○式中戦車」「○○式重機関銃」「○○式野砲」「○○式内火艇」
   ※愛称、秘匿名、コードネームなどを採用しても可です。
   (例)九七(きゅうなな)式艦上攻撃機
       →○の最後の語句から「な」を採用。
       →米軍コードネーム「ケイト」から「と」を採用。
       →「なorと」でしりとりを続けてください。
      特二(とくに)式内火艇
       →○の最後の語句から「に」を採用。
       →日本海軍の秘匿名「カミ」から「み」を採用。
       →「にorみ」でしりとりを続けてください。
 -6 「○○島(とう、しま)」
   ※艦船、人名等で「とう、しま」で終わる場合は適用されません。
    島名以外は適用外となりますので、ご注意ください。
   (例)硫黄島(いおう とう)→る
      父島(ちち じま)→ち
      毛沢東(もうたくとう)→う
      敷設艦「沖島」(おきしま)→ま
 -7 その他、類似の語句に適用
   ※そのつど「4-7に基づいて適用」などの断りを入れます。

5 外国の人名、地名等につき、読み方が複数ある場合はどれを採用してもOKです。
 また、現地語読み・日本語読みのどちらでもOKです。
  (例)ルーズベルトorローズベルト
        ・・どちらを採用してもOKです。
  (例)李舜臣
      →(現地語読み)イ スンシン
      →(日本語読み)り しゅんしん
        ・・どちらを採用してもOKです。

6 「う」で終わる場合は、あ行「あいうえお」からの選択も可とします。
 「う」で終わる語句が多く、しりとりを続けるのが難しいためです。
  (例)空母「龍鳳」(りゅうほう)
      →うorあ行「あいうえお」の中から好きな語句を選べます。

☆7 「ら」行で終わる場合は、ら行「らりるれろ」からの選択も可とします。
   またはその一つ前の語句を選んでも可とします。
  (例)ガダルカナルの戦い
      →るorら行「らりるれろ」の中から好きな語句を選べます。
  (例)ガダルカナルの戦い
      →ら行「る」の前の「な」を選べます。

---------------------------------------------------------------

海軍しりとり
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13747018&comm_id=824928
海軍しりとりPart2
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22209299&comm_id=824928
海軍しりとりPart3
https://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46983156&comm_id=824928

では、前回の続きから。
「若宮」→や

コメント(672)

ラバウル (USS Rabaul, CVE/CVHE/AKV-121)

アメリカ海軍の護衛空母。コメンスメント・ベイ級航空母艦の17番艦。艦名は太平洋戦争の激戦地であるラバウルに因んで命名されたが、就役することなく太平洋予備役艦隊に配属された。1971年9月までサンディエゴの予備役艦隊で保管され、1972年8月にスクラップとして売却された。解体される直前に、映画「ダーティハリー2」の撮影に用いられた。

進水: 1945年6月14日
就役: 未就役
最期: 1972年8月25日スクラップとして売却

→る、ら行
リンガエン

アメリカ海軍のコメンストン・ベイ級護衛空母の22番艦
1945年5月1日に起工
だが建造契約は進水前の1945年8月12日に取り消された。

→え
エルネスト・ルナン

フランス海軍の装甲巡洋艦。艦名は思想家のエルネスト・ルナンに因む。煙突の本数が6本あるのが特徴。

進水 1906年4月
就役 1909年
除籍 1931年

→な
ナッソー

アメリカ海軍のボーグ級護衛空母の一隻
1942年8月20日就役
就役後は南方への輸送任務に従事。1944年1月29日にマロエラップ環礁。翌日にはクェゼリン環礁、ウォッジェ環礁、マロエラップ環礁に攻撃を集中させ、ナッソーは部隊と共に対潜水艦、空中警戒任務に従事した。その後は暫く輸送任務に従事してパラオ攻撃支援をし、フィリピン攻撃支援も行った。その後も輸送任務に従事して終戦になり10月28日に退役。太平洋予備役艦隊入りする。改修されて艦種変更して1959年3月1日に除籍される。1961年6月に廃棄のために日本へ牽引された。

→そ
蒼龍(そうりゅう)

大日本帝国海軍の航空母艦。建造に至るまで、航空巡洋艦も検討されるなどの紆余曲折を経て、日本初の本格的空母として誕生した。また、第四艦隊事件の影響で、船体を輪切りにしたり、また工事中に搭載予定航空機の機種や機数も幾度か変更されたため艤装に困難が伴ったが、中型空母としての性能は申し分ないものだったと言われる。

進水 1935年12月23日
竣工 1937年12月29日
最期 1942年6月5日戦没

→う、あ行
雲龍

日本海軍雲龍型航空母艦のネームシップ
1944年8月6日就役
マル急計画により建造された。飛龍の図面を元に変更されて建造されたので改飛龍型とも称される。
竣工後は捷一号作戦に参加せずに内地にて待機している。1944年12月中旬に比島への輸送任務に就き護衛の駆逐艦三隻とともに向かったが12月19日、東シナ海にて米潜の雷撃により撃沈される。

→う・あ行
ウィスコンシン(USS Wisconsin, BB-64)

アメリカ海軍の戦艦。アイオワ級戦艦の4番艦。艦名はアメリカ合衆国30番目の州に因む。就役後、太平洋艦隊に配属された。第二次大戦後は朝鮮戦争、湾岸戦争に参加。現在はバージニア州ノーフォークのナショナル・マリタイム・センターで記念艦として保存されている。

進水 1943年12月7日
就役 1944年4月16日
除籍 2006年3月17日

→し、じ
信濃

日本海軍の戦艦改造空母・当時としては世界最大であった。
1944年11月19日就役
1940年に大和型戦艦三番艦として建造されるもミッドウェー海戦において四空母損失により設計を変更して空母として建造を再開している。尤も工程が進み過ぎて解体するにも一苦労なので空母として建造を続行させた感もある。
就役させたものの工事未了のままで空襲の恐れから呉へ回航させようとするが途上にて米潜の雷撃により撃沈される

→の
野分(のわき)

大日本帝国海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の第15番艦である。艦名の「野分」とは台風の旧名。ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1944年10月、レイテ沖海戦で重巡洋艦筑摩の救援中に沈没。艦長以下272名全員が戦死した。また乗艦していた120〜130名の筑摩乗員も、アメリカ軍に救助された1名以外戦死した。

進水 1940年9月17日
竣工 1941年4月28日
最期 1944年10月25日戦没

→き、ぎ
キウィノー

アメリカ海軍のボーグ級護衛空母の一隻。
1943年10月22日就役
就役後にレンドリース法によりイギリス海軍に引き渡されて艦名が変更された

→の
ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55)

アメリカ海軍の戦艦。ノースカロライナ級戦艦のネームシップ。ノースカロライナ級戦艦は、大和型戦艦と同世代艦である。就役後はガダルカナル上陸作戦に参加。1944年9月に伊19潜の魚雷攻撃で空母ワスプが沈没した際、本艦にも魚雷が命中し中破した。修理後、機動部隊の護衛や、上陸作戦における支援砲撃任務に従事。戦争末期には日本本土に対する艦砲射撃も行った。第2次世界大戦後は練習艦として用いられ、その後予備艦艇として保管されたのち退役し、現在も記念艦として現存している。

進水 1940年6月13日
就役 1941年4月9日
除籍 1960年6月1日 その後、博物館船として公開

→な
ナッシュビル

アメリカ海軍のブルックリン級軽巡洋艦の一隻
1938年6月6日就役
第二次大戦勃発後直後はバミューダとアイスランド間の船団護衛を行う。その後はドーリットル空襲部隊の護衛に参加。MI作戦時はアリューシャン方面の第8任務部隊旗艦として四航戦の空襲を受けるも被害なし。8月7日にはキスカを艦砲射撃を行う。
ガ島攻防戦に参加。中部ソロモン侵攻作戦に参加し空襲を受けるも僚艦は被弾するも無傷。コロンバンガラ島に艦砲射撃の際に前部砲塔が爆発して死者負傷者を出して修理の為に本土に帰還。
その後はニューギニアやブーゲンビルを転戦。ビアク島攻略の際には被弾損傷。修理後はマッカーサーの旗艦としてレイテ侵攻に赴く。レイテ沖観戦後はミンドロ島侵攻に参加し特攻機により被弾損傷。修理のため本土に帰還し復帰後はボルネオ侵攻やパリクパパン侵攻などをして終戦
戦後は数度帰還兵を乗せて帰還。1946年6月24日に退役し、その後1950年まで予備役として保管された。オーバーホール後1951年1月9日にチリに売却

→る・ら行
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)

イタリア海軍の戦艦。第一次世界大戦中の1916年8月2日夜、火薬庫の爆発を起こして転覆し沈没した。イタリア当局は、『爆発はオーストリア=ハンガリー帝国による破壊工作だ』と主張したが、実際は不徹底な防火と弾薬類の不安定さに起因するものであった。その後、浮揚されたが修理されることなく、1923年5月に業者に売却、解体された。

進水 1911年10月14日
就役 1914年5月17日
最期 1916年爆沈、1923年解体処分

→ち
千早正隆

海兵58期。同期生に江草隆繁、村田重治、関衛らがいる。
1942年10月10日に第11戦隊参謀に就任。比叡に乗組み第三次ソロモン海戦に参加し負傷。内地に帰還して療養。その後海大甲種学生を拝命するが二年のところは八か月で切り上げられて卒業。卒業後は第四南遣艦隊作戦参謀に就任。1945年2月に連合艦隊作戦乙参謀に着任した。4月、海軍総隊参謀を兼任する。
敗戦後は人事局局員となった。のち、海軍省史実調査部に転任する。その後GHQ戦史室調査員となる。
戦後は戦史に関する著作活動を多く行なった。

→か
加古(かこ)

大日本帝国海軍の古鷹型重巡洋艦2番艦。古鷹に続いて世界に先駆けて20cm砲を採用した巡洋艦となった。建造当時は日本海軍期待の巡洋艦であり、皇族が関係した機会が多い。1942年8月8日の第一次ソロモン海戦で活躍した帰路、寄港地に向かう途中に米潜水艦の雷撃を受け沈没した。

進水 1925年4月10日
就役 1926年7月20日
最期 1942年8月10日、米潜水艦の雷撃により戦没

→こ、ご
五藤存知

海兵38期。同期に栗田健男、三川軍一らがいる。
太平洋戦争開戦直前に第6戦隊司令官となり、ウェーク島攻略作戦、珊瑚海海戦、第1次ソロモン海戦に参加。1942年10月12日、サボ島沖海戦で敵艦を僚艦と誤認、乗艦していた重巡洋艦「青葉」の艦橋に敵弾が命中して両足を吹き飛ばされ、出血多量で戦死した。最後まで同士討ちと信じていたらしく、「馬鹿者、馬鹿者」と言いながら絶命したと伝えられる。

→も
モンタナ (USS Montana, ACR-13)

アメリカ海軍の装甲巡洋艦。テネシー級装甲巡洋艦の一隻。艦名はモンタナ州に因む。第一次世界大戦後、6度のヨーロッパ巡航を行い8,800名の帰還兵を輸送した。その後、1930年のロンドン海軍軍縮条約によりスクラップとして廃棄された。

進水 1906年12月15日
就役 1908年7月21日
退役 1921年2月2日 その後1935年に廃棄

→な
72式魚雷

海上自衛隊が運用していた長魚雷。魚雷艇及び潜水艦に対浮上航行潜水艦・対水上艦向け兵装として搭載されていた非誘導魚雷であり、1972年に制式採用され、1994年に運用が終了した。開発・製造は三菱重工業。開発中の名称はG-5B

→に
日進(にっしん)

日本海軍の水上機母艦。艦内に特殊潜航艇甲標的を搭載し、艦尾から進水・発進させることが出来る特殊艦である(甲標的母艦)。だが太平洋戦争において本来の甲標的母艦として活躍する機会はなく、ミッドウェー作戦では魚雷艇部隊を輸送した。続いてガダルカナル島の戦いからキスカ島撤退作戦支援に至るまで、高速輸送艦として多くの輸送任務に従事した。 1943年7月、ニュージョージア島の戦いに伴うブイン輸送作戦従事中に、ブーゲンビル島ショートランド泊地近海でアメリカ軍機の爆撃を受けて沈没した。

進水 1939年11月30日
竣工 1942年2月27日
最期 1943年7月22日戦没

→し、じ
昭南

日本海軍の日振型海防艦の3番艦とされている。本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、法令上は御蔵型海防艦の11番艦。
1944年7月13日就役。
8月から第一海上護衛隊に所属してヒ船団などの船団護衛任務に従事した。南号作戦に従事中の1945年2月25日、アメリカ潜水艦ホーの雷撃により沈没。

→な
那智(なち)

日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。艦内神社も熊野那智大社から分祀された。1944年10月のレイテ沖海戦後、マニラを拠点に敵制空権下での輸送作戦(多号作戦)に従事。1944年11月、マニラで米艦載機の空襲を受け沈没した。

進水 1927年6月15日
竣工 1928年11月26日
最期 1944年11月5日、米艦載機の攻撃により戦没

→ち
ちょうかい

海上自衛隊のこんごう型護衛艦の四番艦
1998年3月20日就役
中期防衛力整備計画に基づく平成5年度計画7200トン型護衛艦2316号艦として建造された。
東日本大震災では地震発生から98分後に横須賀から緊急出航し、13日に屋根の一部にのって漂流中の男性を発見して救助している。
2012年12月6日、北朝鮮が発射する弾道ミサイルの破壊処置命令に従事したが領土内に弾着しなかったので任務解除となっている。
定係港は佐世保である。

→い

電(いなづま)

日本海軍の駆逐艦。吹雪型の24番艦。太平洋戦争初期のスラバヤ沖海戦で、英重巡エクセターに魚雷を放ち、撃沈に至らしめている。このとき「沈みゆく敵艦に敬礼」との艦内放送が流れ、乗組員らが甲板で敬礼したという。直後、海に飛び込む水兵らが目撃され、「敵兵を救助せよ」の命令により376名のイギリス兵を救助した。

進水 1932年2月25日
就役 1932年11月15日
最期 1944年5月14日戦没

→ま
真鶴

日本海軍の隼型水雷艇の3番艇
1900年11月7日就役
発注時の艇名は第四号百二十噸水雷艇。1898年3月16日、真鶴と命名。
日露戦争では旅順口攻撃や、日本海海戦では第十四艇隊に所属して夜戦に参加した。
1919年4月1日に除籍され、同日、雑役船に編入となり真鶴丸と改称。曳船兼交通船に指定され呉海軍工廠所属となる。1920年7月1日、真鶴に再改称し、1925年12月17日に廃船。
1926年4月5日に売却

→る・ら行
ラインラント=プファルツ(Rheinland-Pfalz, F 209)

ドイツ海軍のフリゲート。艦名はラインラント=プファルツ州に由来する。就役後はヴィルヘルムスハーフェンを母港とした。船体の老朽化に伴い、2013年3月に退役となった。

進水 1980年9月3日
就役 1983年5月9日
退役 2013年3月22日

→つ、づ
津軽

元ロシア海軍防護巡洋艦パルラーダ
日露戦争後に旅順にて大破着底していたのを浮揚修理後に日本海軍が二等巡洋艦津軽として再就役させた。
1922年4月1日附で敷設艦に類別変更。翌年5月27日、自沈処分。

→る・ら行
「遼寧」(りょうねい)

中国人民解放軍海軍の航空母艦。ソ連海軍向けの1143.6型重航空巡洋艦として起工された「ヴァリャーグ」の未完成の艦体を洋上ホテルへの転用名目でウクライナから購入し、約7年に渡る改装の末に中華人民共和国初の空母として完成させたものである。

進水 1988年11月25日(ヴァリャーグ)
就役 2012年9月25日

→い、あ行
インペラートル・パーヴェル1世

ロシア海軍のインペラートル・パーヴェル1世準弩級戦艦のネームシップ
1910年7月29日就役。
日露戦争後に戦力回復のために建造された最後の準弩級戦艦クラス。就役後は黒海艦隊に配備。
1920年保管艦となるが、1923年11月22日より解体、1925年11月21日除籍。

→い
雷(いかづち)

日本海軍の駆逐艦。吹雪型の23番艦である。1942年3月のスラバヤ沖海戦の翌日、艦長工藤俊作少佐の指示により、電と協力して沈没した英艦の生存者422名の救助を行い、丁重に処遇したという。1944年4月、サイパン島およびメレヨン島への輸送に従事中、米潜水艦の雷撃を受けて沈没。艦長以下238名全員が戦死した。

進水 1931年10月22日
就役 1932年8月15日
最期 1944年4月13日戦没

→ち
千代田

日本海軍の三等巡洋艦
1891年1月1日就役
竣工した防護巡洋艦畝傍が日本への回航中に行方不明となったため、同艦の保険金を原資に代艦として建造された。日本海軍からの要求仕様を基にルイ=エミール・ベルタンが基本計画をまとめ、イギリスのトムソン社で建造された。
日清戦争、日露戦争に参加。旧式化により、1912年8月28日附で二等海防艦に類別変更される。第一次大戦に参加。 1921年4月14日、水雷母艦に類別変更。翌年に軍艦籍より除かれて潜水艦母艇になる。 1924年12月に特務艇籍より除かれ練習船として運用される。 1927年に廃船とされ、 実艦的として処分された

→だ・た
龍田(たつた)

日本海軍の二等巡洋艦。姉妹艦「天龍」と共に日本海軍初の軽巡洋艦。艦名は奈良県の竜田川から名づけられた。1944年3月、サイパン島への輸送作戦に従事中、米潜水艦の雷撃を受け沈没。

進水 1918年5月29日
竣工 1919年3月31日
最期 1944年3月13日戦没

→た、だ
龍田

日本海軍の水雷砲艦。
1894年7月31日領収。英国で建造されて日本に向かっていたが日清戦争勃発により中立国英国の意向でアデンにて抑留されている。交渉の結果再び日本に向かったが戦闘は終結していた。
1898年通報艦に類別された。
1900年の義和団の乱に参加
日露戦争では旅順攻略戦、日本海海戦に参加。初瀬、八島が触雷し沈没した際に救助を行っていたが濃霧により座礁し損傷している。このために黄海海戦には参加していない。
1912年 8月28日、通報艦の類別が廃止され、一等砲艦に類別が変更された。 1916年4月1日に除籍された。
その後は艦名と艦種を変更して暫く運用されている

→た
高雄(たかお)

日本海軍の重巡洋艦。高雄型重巡洋艦(一等巡洋艦)の1番艦である。太平洋戦争では、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加し終戦まで生き延びた。しばらくはシンガポールでホテルシップとして使用され、その後、マラッカ海峡にて自沈処分された。

進水 1930年5月12日
就役 1932年5月31日
最期 1946年10月29日マラッカ海峡にて海没処分

→お
追風

日本海軍初代神風型駆逐艦の13番艦
1906年8月21日就役
1924年12月1日除籍。。1925年11月18日雑役船に編入され、交通船兼曳船(公称第620号)に指定。1930年12月8日、廃船。1931年5月28日売却。高知県で漁礁として海没

→て
天龍(てんりゅう)

日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である。八四艦隊案の1隻として、第一次世界大戦直後に竣工。主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待された。太平洋戦争では姉妹艦の龍田と共に、ウェーク島攻略作戦や南方の諸作戦、珊瑚海海戦に参加、第一次ソロモン海戦にも参加した。マダン上陸作戦支援中の1942年12月に米潜水艦の雷撃で沈んだ。

進水 1918年3月11日
竣工 1919年11月20日
最期 1942年12月18日戦没

→う、あ行
卯月

日本海軍初代神風型駆逐艦の26番艦
1907年3月6日
第一次世界大戦では、シンガポール方面の警備に従事した。
1924年12月1日、除籍。1926年6月16日、廃船。1928年7月6日、廃駆逐艦第3号と仮称。翌年4月1日、東京湾で無線操縦の被操縦艦となる

→き
木曾(きそ)

日本海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。竣工時に艦橋下に格納庫と艦橋前に滑走台を設置、陸上機を収容できるようにした。そのため艦橋構造物が大型化した。しかし滑走台の実用性は乏しく撤去された。太平洋戦争開戦後は北方作戦に従事することとなり、1942年のアッツ島・キスカ島攻略作戦や翌年のキスカ島撤退作戦へ参加する。その後は主として輸送任務に就いた。

進水 1920年12月14日
竣工 1921年5月4日
最後 1944年11月13日着底

→そ、ぞ
蒼龍丸

元々は宮内庁の内海御召艦として建造されたが海軍省に移管された。
1872年11月7日就役。
1886年4月22日廃艦。同日に売却の訓令が出たが買い取り手が無く12月11日に逓信省から譲渡の要望が有り、翌1887年2月21日に旧蒼龍艦は逓信省へ引き渡された

→る・ら行
リシュリュー (Richelieu)

フランス海軍の戦艦。艦名は17世紀の政治家であるリシュリュー枢機卿に因む。本艦は増大するイタリア海軍の脅威に対抗する目的で建造された。速度、装甲、兵装と、全面的に最先端技術が投じられ、同時代の40.6cm砲戦艦と比肩しうる実力があり、38cm砲を装備した本艦はフランス海軍史上最も強力な戦艦であった。主砲は四連装砲塔に収められ、艦前方に2基装備された点が特異であった。

進水 1939年1月17日
就役 1940年4月1日
退役 1967年、その後スクラップとして廃棄

→ゆ
ユトランド沖海戦

第一次大戦中最大の海戦。
1916年5月31日から6月1日にかけて、英独主力艦隊が激突し英国艦隊側は巡洋戦艦3隻を含む14隻撃沈され独逸側は自沈した巡洋戦艦1隻を含む11隻が損失となる。
英国艦隊は艦隊の退路を断って殲滅戦にしたかったが独逸側はなんとか退却に成功する。
海戦後は双方が勝利を主張するが英国側は損害が独逸より大きく、独逸は作戦が失敗に終わり二度と制海権奪取に動くことなく脅威として存在し続けた。これ以降は独逸は潜水艦による通商破壊作戦を本格化させる結果となる

→ど・と

ログインすると、残り632件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

mixi軍令部 更新情報

mixi軍令部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。