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教育基本法改悪反対!コミュの日本には四季がある。というマインドコントロール。

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子供のころ「日本には四季がある」という言葉で
日本にだけは季節があって他にはない特別な美しい自然がある。
という授業を受けた覚えはありませんか?

昨日のNHKクローズアップ現代では、南の島から来た外国の子
(色黒)が「日本には四季があっていいね」といい、その発言
で日本の子が日本の自然の美しさに気づく。という作り話で
子供に愛国心を植え付けようとしている小学校の授業が紹介され
ていました。

僕としてはこのような先生に子供が教わることがないよう祈る
しかないのかもしれませんが、みなさんは「日本には四季がある」
という言葉にどのような印象をお持ちでしょうか?

僕は子供心にも違和感を持ったことをよく覚えています。
理科で言ってることと違うじゃん!っと。
四季はどの国にもあるものですよね。

「日本には四季がある」など、情緒的な言葉で巧みに思想誘導
される危険な例をあげ対策を練ろうではありませんか。

コメント(42)

確かに日本の四季はきれいですが、それは他の国だって同じことですよね!

「愛国心」が、「廃外的愛国心」になったら、そんなのは愛国心とは、言えませんよね。
たしかに乾季と雨季しかない国も、年中ほぼ均一な国もありますし、日本の四季ははっきりしている。
しかし、それは夏緑樹林帯には共通の特徴ですよねー。

「自分と違う感受性の人を貶める」のではなく、「自分と違う感受性の人と理解しあう」とういうのは、たしかに大変だけどそっちの路線で行きたいところです。
はじめてなので、ピントのずれたことを書き込んでるかもしれませんが。

「日本には四季がある」というのは、情緒的でもなんでもなく客観的事実だと思います。「日本の四季は美しい」というのは情緒的だと思いますが。

夏は暑く、秋がきたらどんぐりが落ちて葉っぱが黄色くなって、だんだん寒くなって行く、そしてまただんだん暖かくなって、つくしがでてきて…みたいな事は、小さい頃から繰り返し経験して身に付いて行く事で、それがあたりまえの事だと多くの子どもは思ってるでしょう。でも、学校の理科や地理の授業で、地球が丸くて地軸が傾いてることから地球上には場所によって色々な気候があって、それによって文化も異なってくるという事を学んでいく中で、日本に四季があるという事を科学的に理解していくのだと思います。そしてさらにそこから、文学や芸術で日本の四季を表現したものに触れて、色々な事を感じるのかなと思います。

「日本の四季は美しい」っていう情緒的な事を子どもに植え付けるのではなく、科学的な根拠をもとに地球上には様々な気候があって「日本の場合は四季がある」という教えるのが教育なのだと思います。そこから「あぁ、日本の四季は美しいなぁ」と感じる人もいるかもしれないし、そう感じない人もいるかもしれないし…。

なんかダラダラ長くなりましたが、科学的なこととか客観的なことをすっとばして、情緒的なことだけを植え付けるのは、危険ですよね。
「日本には四季がある」というのは事実ですが、「日本の四季は他国のそれより美しい」というのは、世界に通用する普遍的な価値ではないと思います。
私も昨日のクローズアップ現代で紹介された先生の「愛国心へのもっていき方」には疑問を感じました。

実は私自身、深く考えることなしに「日本の四季は他国のそれよりずっと美しい」と思っていたのですが、去年スウェーデンとイランの人と話をしている中で日本の四季の美しさを自慢したら、両人からも即座に自国の四季の美しさ自慢が返ってきたのです。
スウェーデンの四季自慢が始まったときに、「スウェーデンは冬が長くて春も夏も日本に比べてかなり短いじゃないか」と一瞬思ったのですが、彼女が自国の美しい春の訪れを話している表情を見て、彼女にとっての自国の四季への思い入れは、私にとっての日本の四季への想いと同じものであり、スウェーデンの冬が長いからといって日本の四季の方が美しいというのは驕りであることを認識しました。
イランの人の自国への思い入れも然り。
最後にスウェーデン人が「どこの国の人と話をしても、たとえそれが北国であろうと南国であろうと、必ず自国の四季が素晴らしいと言う。そのことに気付くまで、私は自国の四季が一番美しいと思っていたけど、そうではないことに気付いた。」と語った言葉に、心から共感しました。
沖縄には四季はありませんがいいところです。他と比べて勝っているから素敵とはいじめっ子の心理ですね。呆れます。
横から失礼します。

私は、愛国心自体を持とうと思う人が居る事も、安部信三が「新しい歴史」を勝手に作りたがってる事も、ある意味では思想の自由であり、それ自体を批判はしません。
過去の「教育勅語」とて、それ自体が問題だったわけでは無いと思っています。

結局、愛国心を含めた教育基本法「改正」の何が問題かと言えば、それは愛国心自体が問題と言うより、そのような国家の強制を容認する可能性のある思想を「法律」と言う裏づけにより、国民に絶対のものとして擦り付ける事が「可能になる」と言うこの一点のみが、問題だと思います。

このような改正は、今すぐどうこうなるという問題ではなく、過去に、「教育勅語」を法的な物として捉え「人民統制」を行った事実があるように、「時の権力」に利用される可能性がある事こそが問題だと思います。
結局、安部信三とその取り巻きがやりたい事は、新しい日本と言いながら戦前の日本を作りたいだけだと見えますし。

今は、「日の丸・君が代」の裁判でも思想の自由として勝訴していますが、教育基本法が変われば、いつ敗訴するようになってもおかしくはありません。
それはそのまま憲法改正に繋がりかねません。

トピ違いかもしれませんので、追記

私は、日本人は、日本の文化に誇りを持って良いと思いますよ。

今の日本人が本当に日本の四季を美しいと感じる事が出来ないのは、「語彙力」が不足しているからだと思います。

秋の紅葉にしても、ただ葉っぱが赤くなったと思うだけなのと、「紅葉はこの時期に寒くなると紅葉し始める」と言う事を知って改めて見るのでは、受け取れるものが違うと言えると思います。

…例は分かりづらいかもしれませんね。
はて、言語学的にシニフィエとしての単語の文化的・量的な差こそあれ、それは美意識とか優劣とは別次元の問題ではないでしょうか。例えば欧米人は文化的に虹を六色と捉えますが、それは「日本人の方が一色多い→語彙が多い→美意識が優れている」などといったものではないはずですが。
>日本には四季がある 象徴的貧困ですね。
沖縄知事選が、山場です。

教育基本法、絶対に守りたいです。

糸数さんのホームページです!

ぜひ、カンパや激励メールで応援しましょう!

http://www5a.biglobe.ne.jp/~keiko-i/
マインドコントロールとまでは思わなかったりする私ですが、

日本には四季ありますけど、私が育った和歌山と学生時代過ごした武蔵野では、全然四季の感じが違います。

こんな太平洋沿岸ですら、違うのに、同じ日本の四季と括っていいものでしょうか。子供の頃、日本の四季とか紹介されると春夏秋冬で冬はかまくらの絵なんかついてきますが、そんな冬のない和歌山が嫌だったものです。

ちなみに、今は温暖で良いところだと思いますし、出来れば沖縄くらい温暖だと嬉しい限りです。
暗澹たる思いです。ここでのん気なテーマで書いていていいものか・・・。参議院で可決されてしまっても、このテーマは法の運用上、それなりのインパクトを与えることができる内容だと思えることが救いでしょうか。

多くの方のご意見伺い、なるほどっと思ったり、うーんっと思ったり。特に参考になったと思ったのは、外国人との触れあいや実際の経験のお話でした。

「日本は西欧文化と違い自然を大事にし共存してきた。」
というのもよく聞く言葉ですね。

「日本『にも』四季がある」というのも短く的を得ているのではないかと思います。

「美意識とか優劣とは別次元の問題」ではとのご指摘も受けましたが、まさにそのとおりだと思います。

しかし上記例のクローズアップ現代の授業では先生が「ある程度誘導せざるをえない」と認める程度に「日本の自然は美しい」という結論を子供に出させようとし、実際ほとんどの生徒がそのように思うと最終的には挙手していました。

このような授業の進め方は(番組をみていないと分かりにくいと思いますが)美意識とか優劣に繋がる方法ではないか。と僕はみているのです。

そこで思ったのですが、その国の母国語で四季を意味する言葉がない国というのはどのくらい存在するのでしょうか?または存在しないのか?またはもっと多く六季とか八季とかを日常的に使っている国というのは存在するのでしょうか?

その現地の言葉と多様な文化を子供に教えることこそ重要ではないでしょうか?「日本には四季がある」「世界の〇〇には〇季がある」みたいな。

もし、みなさんの力を借りて教材になるようなものができたら
この教育基本法改悪に対抗しえる強力な力になるとおもいませんか?
んー……
私は北海道在住です。半年冬です。
それ以外の季節には、たんぽぽとひまわりとあじさいとコスモスと蜻蛉を一緒に見ることが出来ます。
単純に「日本には四季がある」というふうにはくくれないのではと思います。
ちなみに私の住んでいるところは、「春・夏・初冬・冬・晩冬」の五季です(笑)
あの番組見ましたが、一番こわかったのが、「でも常夏の国の花だって美しいのではないか」という子どもの意見を教師がひねりつぶしたことです。
はじめに結論ありきで、強引に教師のもっていきたい方向にもっていく、小学校の「道徳」なんてそんなもんなんでしょうか? ものすごく気持ち悪かったです。
>みーなさん

私は日本の語彙が多いから少ない物より美しいと言ったつもりはありません。
そもそも語彙の数なんて、どの国にも無数にあると言われていますし。

語彙と言ってはいますが、言葉だけの問題ではないとも思っています。

私が言いたいのは、個人が(便宜的ですが)語彙をより理解する事で自身の中の感受性、表現力の豊かさが育まれる、と言う事です。

私は、語彙をより多く理解する事が、「教養」と言えるのだと思いますし、教養を身に付ければ、洗脳などしなくても祖国の文化を誇れるようになると思っています。
>10: 登良さん
>今の日本人が本当に日本の四季を美しいと感じる事が出来ない
正直言ってどうでもいいです。
>日本には四季がある>日本には四季がある>日本には四季がある
この程度のことに釈迦力になるのがそもそも貧困です。
>17: どらさん

>あの番組見ましたが、一番こわかったのが、「でも常夏の国の花だって美しいのではないか」という子どもの意見を教師がひねりつぶしたことです。
>はじめに結論ありきで、強引に教師のもっていきたい方向にもっていく、小学校の「道徳」なんてそんなもんなんでしょうか?
>ものすごく気持ち悪かったです。

俺も見たけど、全く同感です。
あれは本当に、「押し付け」であって、「教育」ではないよね。
はじめましてこんにちは。
「日本には四季がある」
沖縄の方が書かれているとおり「じゃあ常夏は美しくないと?ていうか沖縄は日本ではないと?」という疑問や
北欧の短い夏は美しくないと?という疑問。
それぞれのそべてが美しいという感受性を否定するのだろうか
何を美しいと思うかというのはとても大切なことだと
私は思っていて、
日本の紅葉や桜を美しいと思うのは私はとても好きなのですが
でも、それを排他主義に使うことではないし
「美しさ」に名を借りた「感受性までも一極集中」が
美しくないのでイヤです。

「違い」が美しいのであって
「日本には四季がある・でも他の国にも四季もあるし
 四季ではない違った美しいものがあり、
 むしろ日本で育っていない人がこの『四季』を美しいと
 思うかどうかはわからない。美しさというものは絶対ではない。」

「美しさは絶対のものではない」
ということを安倍バカゾウには本当にいいたいです。
いや、言ってもわからないでしょうが。

話題になっている番組は見ていないのですが
授業でもしそこだけをとりあげて
他を排他したものであれば
自分の思い入れだけでかつ一般的な体制を押しただけなんだなーそれがもっとその先生個人だけの感覚を押したものなら
(それもそれで迷惑だけれど)わかりやすくていいのになと
思いました。
自分の意見を体制に合わせていって、
あたかも自分が思っているように言う人が嫌いです。
無難だし理由の説明もしなくて良い場合が多いし。


トピずれしていたらすみません。
目の付け所がとってもよいと思ったので思わず言及しました。
タイトルの発言には反論しにくいですから。
そこから「排他的愛国主義」がはじまるかと思うと。
本当にトピタイトルの言葉までは悪くないと思うのですよ。
でも、それをどういう場面でどう使うか?ということ
なのだと思うのです。
そういう意味では「日本『にも』」というのはいいかも
しれない。
四季を大事にしよう、という発想はしかし悪くないと思うんですよ。
排他主義にならなければ。
なんていうか、「あるものを大事にしよう」というのは大事。
ただ、他の国の人もそう思っているのだし
日本だけが大事ではないことや
美しいわけではないことを教えたくないのかなーとは思います。
うまく書けなくてしかも長くてすみません。
たしか3・4年向けの教科書にこんなお話が載ってた。出典はなんと生徒作品。なんとかクンは親の転勤でアメリカの小学校へ行きました。お弁当はみんなと同じサンドウィッチにしていましたが、飽きたのでお母さんの手作りお弁当をもっていくことにしました。すると、同級生が「煮魚がくさい」とか「黒豆は虫みたい」といってからかいます。そしたら先生がクラスでおせんべいを配ってくれて、「これも日本の食べ物なのよ」。「わーおいしい!日本ってスバラシイね」でめでたし、めでたし。http://blog.goo.ne.jp/o-kojo/e/4e428ec4d2a1735464a66550a2e56f62
↑ばちるすさん
 有り得ないですね(笑)どこの国にも長所と短所がありますし、人によって好き嫌いがあって当然です。今の日本の怖いところは、国と政治をイコールで結ぶところです。住んでいる国を愛するならばその国の政治も愛せるはずだというのは間違いです。国家や政治の枠は固定されたものではなく流動的で変動するものです。四季がある日本(私の沖縄は入ってませんけど、笑)は美しいと言ってもいいけど、だから日本の政治は素晴らしいという押し付けは余りにも無謀ですね。
>17 どらさん
>21 ラジさん

に同感です。あの番組に出てきた先生は、
春夏秋冬の富士山の写真を黒板に貼って生徒に見せていましたね。
「どうだ、美しいだろう」と言わんばかりに。
「四季のある日本っていいだろう」と言わんばかりに・・・・・。
「日本人に生まれてよかっただろう」と言わんばかりに・・・・・・・。
ytmさん

なかなか過激な文面ですが、内容には全面的に賛成です。

自分はそんな洗脳教育をする人間はもはや教師ではないと思います。
ytm さん
僕も内容に賛成です。
現実に感想を伝え、教師に考えさせる必要はあると思いますのでfaxにも賛成です。

僕はこのような授業に対抗するため間接的に社会に訴える内容の資料を作れたらと思っています。
前回も書きましたが、反応がないのでもう一度

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
その国の母国語で四季を意味する言葉がない国というのはどのくらい存在するのでしょうか?または存在しないのか?またはもっと多く六季とか八季とかを日常的に使っている国というのは存在するのでしょうか?

その現地の言葉と多様な文化を子供に教えることこそ重要ではないでしょうか?「日本には四季がある」「世界の〇〇には〇季がある」みたいな。

もし、みなさんの力を借りて教材になるようなものができたら
この教育基本法改悪に対抗しえる強力な力になるとおもいませんか?
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
> 30: トニーさん、

大変有意義な問題提起に感謝致します。

>その国の母国語で四季を意味する言葉がない国というのはどのくらい存在するのでしょうか?または存在しないのか?またはもっと多く六季とか八季とかを日常的に使っている国というのは存在するのでしょうか?

ちょっと議論の流れから外れるかも知れませんが、いくつか紹介させていただきたいと思います。

私は現在ドイツに滞在中なのですが、もちろんドイツ語にも、いわゆる四季に相当する表現として「die vier Jahreszeiten 」というものがあります。
ただし、ドイツ人の日常生活における考え方としては、「感覚的な環境の変化(=暖かい、寒いなど)」による季節の区分ももちろんですが、暦上の区分としての意味合いがまず第一にあるようです。
つまり、春分の日(北半球では3/21頃、以下同様)〜夏至(6/21頃)が春、夏至から秋分の日(9/23頃)が夏、秋分の日から冬至(12/21頃)までが秋(!)、冬至から春分の日までを冬、とするそうです。そういわけで、地域にもよりますが、12月初頭に雪が積もったりしても、それはまだ「秋」なのだそうです(笑)。
だから、ドイツ人に的な理解(暦上の区分が四季であるという定義)に従えば、、北半球と南半球で逆転こそすれ、「四季が無い地域は地球上に存在しない」ということになります。

また留学生仲間のインドネシア人によると、赤道直下に位置するインドネシアでは、1年間を通じて、日照時間と気温の極端な変化は無いそうです(つまり、いわゆる日本で言うところの常夏)。ただし、雨季と乾季の違いは顕著で、この移り変わりの時期には、やはり生活の中での季節の変化を感じるそうです。
成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― - クローズアップ現代とか。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061116/p2
34: のっくら さん

>教える側からしたら要は愛国心を植え付けられれば何でもいい訳>で、
>「具体例(のつもり)」を、生徒に教え込む「道具」としてしか>捉えていない。
>教える側がそもそも日本の四季なんて本当はそんなに重要に思っ>てない。
>というのが明白だなと、この放送を観て思いました。


番組は見てないですが、時々、なんか学校の授業を見学してて、そう言うことを感じることがあります。

なんか『美』なんてもんは『感動しろ!』って言って教えられて感じるもんじゃないですよ。まぁ、美を読み取る文脈って言うのがあって、それに沿ってガイドされれば、へーって感心することはありますが、どうも皆さんおっしゃってるような番組内容だと、その先生のやり方は、なんだか違いますね。

だいたい、富士山は美しいよとか言う話だったら、なんか別に生徒に意見言わす必要なんかなくて、こんな名画があるとか、こんな文章があるとか、そう言うのに絡めていけば教養になっていいのに。別に『日本人として好きにならねば!』って思わなくても、へー皆富士山好きなんだーぐらいでいいんじゃなかろうかと思いますね。

それと、富士山が美しいのはいいんですけど、もっと富士山の恐さについても教えて欲しいですね。離れて住んでても、何かあったら無関係ではいられないと思います。

四季についても、これから地球規模で変わってくることもあるかもしれませんね。

四季の美しさよりも、もっとどう言うことがあって、四季が出来ているのか。それがどういった影響を与えているのか。と言うことを学習するほうが先だと思うんですが、従順な人間を育てるためにワケわかんない情報の使い方されるのは恐いし、嫌です。

子供達の時間が勿体ないです。
そういえば・・・

「愛国心」って“こころ”なんだよね。
こころ=マインド

つまり、「愛国心教育」なんて「マインドコントロール」するってことだよな。

マインドコントロールで思い出されるのは、オウムだよね。
あそこの「教育理念?」ってのは、教祖たいする「服従」だよな。

今回の改正でやろうとしていることも、政府に対する「服従」だよね。
以前、自分の母親が、授業で、

「日本の虹と外国の虹では、図鑑に載ってる色が違うんだって。でも、日本人にとっても、他の国の人にとっても、きれいな虹だってことは、変わらないね」

と子どもに教えたと言っていました。

確かに、日本人と他の国の人とでは、あらゆることにおいて違います。でも、他の国の考え方や文化を尊重し、違いを認めあいながら、同じ人間であるということを共有し、その中で自国の文化を誇りに思うこと、それこそが、真の愛国心ではないかと思います。

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