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馬敗れて草原あり/寺山修司コミュの寺山修司が好きな馬

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 ハクセツとジョセツの姉妹。寺山は芦毛好きとしても知られており、「来なくても買う。おれの気持ちがわかるかハクセツよ」と書いている。

コメント(15)

ゼンマツ。どん尻強襲の芦毛馬。寺山は「丁稚のような名前」と言いながらも、吉永が乗る馬は何でも好きだった。吉永を励ます文章も目立った。
ハクセツとジョセツは中村勝五郎さんの持ち馬ですね。
著書の親子3代馬主80年、読ませていただきました。
どっちかで岡部騎手が重賞初制覇したんでしたっけ?
なべ駒さん、ようこそ。
なにか、やっと競馬を話せる人ができたような。
岡部の重傷初制覇は、たぶんハクセツの「牝馬東京タイムス杯」だと思うんです。当時はバスターという障害の天才馬にも乗っており、中山大障害で大本命になりましたが、他馬のオーナーがバスターのかいば桶に抹茶を入れるという「抹茶事件」で出走できませんでした。その時岡部は「バスターがかわいそうだ」と泣きました。
今後ともよろしくお願いします。
レアな話題ですね。
これから何だかワクワクしてきます。
 寺山が一番好きだった馬は、なんといっても「ミオソチス」です。「わすれな草」という意味で、その弟・アローエクスプレスがダービーに出走したとき、テレビ中継でゲスト出演しました。結果は馬群に沈んで惨敗。父親がスパニッシュエクスプレスだったので、敗因は明らかに距離の壁だったのですが、その時の寺山の複雑な表情が忘れられません。
 勝ったのはハードトレーニングで鍛えられた谷水牧場産のタニノムーティエでした。タニノムーティエは皐月賞とダービーをとったのですが、秋はのど鳴りのために3冠を逸しました。でも、菊花賞で淀の3、4コーナーを馬なりで上がっていったときはすごい歓声だったですね。テレビで見ていたのですが。
 勝ったのはダテテンリュウ。アローは9着、ムーティエは11着。遅咲きのメジロムサシが4着に入っています。
関係ない話ですが、寺山さんが亡くなる少し前
皐月賞のテレビ中継にゲスト出演してませんでしたか?
その後すぐに亡くなったような・・・
 定かではないんですが、ミスターシービーの皐月賞だと思うんです。寺山は吉永が好きで、吉永がやっとミスターシービートのコンビで陽の当たる事ができたのに、三冠を見ずに逝ってしまいました。吉永正人はどん尻強襲が得意でしたね。シービークロス、コウジョウなどです。
 ミスターシービーは、トウショウボーイとシービークインの仔ですが、この二頭はデビュー戦が一緒なんです。しかもシービークインは、吉永のお手馬でした。
そうでした。シービーでしたね。
シービークインは5着でしたね。
竹原から吉永に替わって4牝特を勝つなんて
やはり運命的なものを感じます・・・
寺山の愛した馬と聞いて思い出すのは、カブトシローでしょうか。自身も「ドストエフスキー論は書けなくても、カブトシロー論なら書ける」と語ったほど、何度もエッセイにしたためていますし、また内容も非常にシローへの愛情を感じるのです。
特に、黒鹿毛の詩というエッセイの中の「死神カブトシロー」は、憎まれつつもファンに愛されたシローの最後を、非常にドラマティックに、かつ叙事的に綴っていました。
脇役ながらも、時には主役すらも喰ってしまう個性派。現代の日本競馬にはいないキャラクターだなぁと、羨ましく思うのです。
なべ駒さんのコミュ「競馬を読もう!」でも書いたのですが、カブトシローは不思議な馬でした。父・オーロイというのも意外性たっぷりです。しかも体が小さい。人気にならないと勝って、人気になると勝たない。競馬新聞を読む馬、とも言われました。

後ろをとことこ走っていたと思ったら、4コーナーでインをついて勝ってしまったり、3コーナーで先頭に立ち、みんなバカついたと思って見ているのに、そのまま大差勝ち、なんてね。

最後のレースは今でも憶えています。重馬場か不良でした。大崎が乗ったと思うのですが、あおって最後方を進み、徐々に追いついて、4コーナーでみんなコースの中央か外を通っているのに、カブトシローだけ最内を通って先行集団に追いついたんです。その時の歓声はすごかったですよ。でも、そのまま馬群に沈みました。
本当に個性派、しかもスターにはなれない脇役でしたね。だってカブトシローが天皇賞勝っても誰も喜ばなかったですからね。開いた口がふさがらない、という感じでした。
弟にコマカブトというのもいたんですよ
モンタヴァル系では、モンタサンとナスノコトブキ。
モンタサンは大橋巨泉も大ファンでした。栗毛の美しい馬でしたね。「モンタヴァルの太陽になれ」と「モンタサン」と名づけられました。「みのもんた」の「もんた」も「モンタサン」から取った、と言われています。
モンタサンは大事なところで体調不良に陥り、勝てなかったですね。だれもが認めている強い馬なのに勝てない。だから人気があったのかもしれません。GIは朝日杯三歳ステークスぐらいじゃなかったかな。
ナスノコトブキは菊花賞を森安の早仕掛けで勝ったのですが、そのあと、狂い死にしたと伝えられています。
菊花賞で2着に突っ込んできたのがスピードシンボリでした。
寺山修司ベスト10(忘れがたかった馬)
?ミオソチス(わすれな草の意味)?カブトシロー?モンタサン?ホワイトフォンテン?テンポイント?ハイセイコー?メジロボサツ?ユリシーズ(地方で走った寺山の持ち馬)?タカツバキ(ダービーで落馬)?テキサスシチー(負け続けた馬)
ミオソチスについて寺山は「夕日に映えた葡萄酒のような毛色の美しい牝馬」と書いています。
母のソーダストリームはフランス産。姉のファラディバはオークス2着馬。その後も牝馬が続きましたが、末っ子にアローエクスプレスが生まれました。
ミオソチスの子どもで比較的走ったのは、パルスク、ランスロット、コリントスなど。最後の牝馬は「プティミオソチス」(小さな勿忘草)と名づけられました。
>>11
ナスノコトブキは天皇賞のレース中に骨折し、その治療中に痛みに耐えられず狂死したという事ですね。

>>12
寺山が10位に挙げているテキサスシチーですが、東京4歳Sでカブラヤオー、テスコガビーと大接戦を演じ3着になった時には果たして誰が晩年ファンの嘆きを一身に受けながら下級条件を走る事になろうと予想したでしょうか・・・
 障害の天才・タカライジンについても書いています。
 大事なところでフジノオーに勝てなかった馬。中山大障害は2着が3回。すべてフジノオーの後塵を拝しました。
 障害で22勝。大障害でのフジノオー以外にはほとんど負けず、エリート然としていたのですが、ある年の正月競馬で落馬し、骨折して死にました。「タカライジンは青くさい」と中華料理屋の親父が言っても、寺山は「良いものを書きたい」という自分の青春がタカライジンに占われているような気がして、応援し続けます。
 そして「タカライジンの死は、いわば私の中の文学青年の中の死そのものであった」と書いています。

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