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谷文晁コミュの江戸絵画

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長沢蘆雪 「群猿図」

江戸時代の絵師。丹波篠山藩士から山城淀藩士となった上杉彦右衛門の子として生まれ、のちに長沢家をついだ。名は政勝あるいは魚(ぎょ)、字は氷計。
当時の京都画壇の中心的存在であった円山応挙に入門、穏やかな師の画風とは異なる、機知にあふれた鋭い個性的表現によって、多くの門人のなかで異才を示し、頭角をあらわした。天明6年(1786)冬以降、南紀(和歌山県)の諸寺院(無量寺・草堂寺など)の障壁画制作を師に代わって遂行。その大胆な画面構成、奔放な筆づかいなどは特筆される。その後、島根県西光寺、奈良薬師寺、豊橋市正宗寺など、数々の障壁画を制作した。寛政4年(1792)5月以後に右肩を欠失した氷形「魚」印は、制作年判定の指標となっている。落款書体も、その前後に行書から草書へと変化した。寛政6年冬、広島へ下向、「宮島八景図」画帖(個人蔵、重要文化財)などをのこし、翌7年、兵庫県大乗寺の障壁画を制作。46才のとき、大阪で客死した。晩年の「海浜奇勝図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)、「赤壁図屏風」(個人蔵)などには、自由な主題解釈、さまざまな造形の実験が見られ、独自の生命感あふれる表現をしめしている。個性的画家として、評価は近年とみに高まっている 

長沢蘆雪の師:円山応挙    
長沢蘆雪の弟子:長沢蘆州 長沢蘆鳳  
長沢蘆雪の交流関係:駒井源��        
長沢蘆雪の所属・会派:円山四条派
  「蜻蛉図」   「木の葉天狗図」

林十江 はやし・じっこう(1777-1813)
文人画(南画)家。幼少の頃から画才を認められ、独自の画風をもって関東南画界に屹立。とくに動物画に才を発揮。
水戸城下(現水戸市)で酒造を営む商家に生まれた。少年期にすでに画才を現し周囲の人々を驚かせたという。関東南画界の巨頭であった江戸の谷文晁にも認められている。
やがて南宗画にこだわらず各流派の技法を取り入れる自由な気風が生まれ、関東南画は西洋画の技法も取り入れるという奔放さをもっていた。十江はそのなかでも奔放で、大胆な構図とともに独自の作風を展開した。
特に動物画に見るべきものがあり、代表作に挙げられるのも『蜻蛉図』、『蝦蟇図』である。幼少時の立原杏所に絵を手ほどきした画家でもある。37歳で結核により没した。

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