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高速バス〜正規路線バス限定〜コミュの高速バスが伸びてきた背景

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高速バスが伸びてき始めたのは、昭和50年代の辺りからである。
まずは、国鉄の急行列車の特急格上げによる、支線区への直通列車廃止である。

次にあげられるのは、国鉄分割民営化直前に多く見られたのは、夜行急行列車の寝台特急格上げや列車廃止、寝台車連結廃止などである。

昼間の高速バスの代表例は新宿からの中央高速バス、大阪からの山陰特急バス、福岡からの九州高速バスなどである。

夜行の高速バスで有名なのは、ノクターン号で
スーパーシート=ロネ、三列独立シート=ハネ並みのサービスを提供したことで有名になったのは、出世列車といわれた、急行津軽号から寝台車をことごとく編成から外してしまいオール座席車での運行にしてしまったからである。

JRが国鉄時代からの看板列車を儲からないという理由で、撤退作戦に固執した結果である。

コメント(44)

>>[004]
ドリーム号もですが昔はすべて横4人でしたから今は楽ですよね。
先日の日曜日は地震で列車が止まって秋田から羽後本荘と、羽後本荘から象潟まで羽後交通一般路線バスで移動しましたが乗客私だけ、地方は大変だなと思いました。
>>[005]
地方のバス会社の大きな売上は高速バスです。
信南交通はそれで生き返りました。
だけど、規制緩和のこのご時世だから地域の足を確保できなくなることさえあります。
>>[006]
確かに儲かる都市間バスの収益で一般路線バスを維持してる会社が多いですからね、安易な自由化も考えものです。秋田〜羽後本荘は一般道で二時間くらいかかりますけど利用者私以外に1人だけ、将来の高速乗せ換えの維持路線かと思いました。
>>[007]
規制緩和によって、航空機はLCC、高速バスはツアーバス、タクシー等色んな所に新規参入して行きました。
撤退といえば、JRの夜行列車廃止、近鉄はローカル線分社化、名鉄は岐阜県内の路面電車や末端部廃止が多発しました。
>>[008]
規制緩和でいろんな会社が出て来ましたが都市間バスも出来ては消えて良くわからなくなってます。
>>[009]
規制緩和で撤退はすんなり出来るからです。
国鉄と高速バスのからみと聞くと、中央高速バス問題で国鉄側が沿線自治体にそっぽを向かれた話とか、中国ハイウェイバスの運行に関する姫新線の計算違いを思い出します。
>>[010]
確かにそうですね、かっては面白い路線が沢山有りましたがみんな消えました。金沢から能登飯田とかでも国鉄夜行バスが有って塗り分けが朱色と白の他では見たことの無い色でした。
金沢で日本海博開催の頃ですけど。
この時は名古屋から名金急行線で行きましたが。
>>[011]
国鉄は運賃・料金を相次ぐ値上げばかり繰り返していた上に、昼の急行列車を特急格上げという名の料金値上げを繰り返して来たから、至極当然といわんばっかりに高速バスに移りました。
夜行バスが阪急バス&西鉄バスムーンライトが、独立三列シート導入を皮切りにして、多くの会社が導入しました。
その結果、若い女性を中心に高速バスを利用するようになりました。
ノクターン号で先鞭を付けた京急は、ノクターン号の運行から撤退するようですね。
とりあえず弘南バス単独で路線は維持されるみたいですけど。
新潟在住ですが、関越道が開通してから都内への高速バスが定期便で始まり、1時間に1本のペースで走っていましたね。
それまでは上越新幹線、もしくは夜行列車のムーンライトえちごだったので、新幹線の片道程度の価格で東京まで往復できるので学生としては本当にありがたかったです。

新型コロナの影響から夏頃から減便になり、現在は全便運休となっています。
早く再開されるといいんですが、現在の状況だとなかなか難しいかもしれませんね。
>>[015]
大都市のバス会社は人員不足の上にコロナ禍の影響で運行が難しいのが、現状です。
>>[016]
確かに東京〜新潟方面の列車を見ると、上越新幹線開業で、昭和57年11月で急行佐渡の夜行便、昭和60年3月で寝台急行天の川が乗車率3割、昭和61年11月で、夜行急行妙高が長野〜直江津がそれぞれ廃止されています。
だから、そういった便が伸び始めました。
>>[18]
高速バスの利点として、最寄りのICにバス停があるという事と、夜行便だけでなく朝や昼便もあったということも利用しやすくなったということもありますね。
>>[019]
朝昼便がある高速バスは5時間前後の所要時間のバスで、高速バスの良い所は途中サービスエリアで休憩タイムがあるといった所です。
高速バスを見ると、かつての国鉄の昼の急行列車網を彷彿させるような充実ぶりで、高速バスはフットレスト付きの横4列のリクライニングシートの上に完全空調です。
昼の急行列車が撤退していく背景には、ボックスシートであり、冷水器が付いているのと、空気バネ以外は普通列車と車両設備が大差がなかったからです。
夜の高速バスで見ると、かつての夜行急行列車とよく似たバス網であると同時に、かつての列車ではいけなかった所を直行でいけるようにも成りました。

結局の所はJRが儲からないことを理由に夜行列車を徹底的に切り捨てたことがあげられます。

但し、LCCや九州新幹線開業の影響などが大きい、関西〜九州方面を中心とした縮小は否定できません。

夜行高速バスは基本的に独立三列シートで、リクライニングが深く倒れる車が使用されています。
夜行高速バスは最近は東高西低の状況で、夜行高速バスからの撤退は西の方に向かう路線が多い。
最近はコロナ禍を口実に撤退する路線が多い。
東では現時点ではコロナの関係で路線そのものからして休止せざるを得ない状況だけど、アルピコ交通の長野・松本〜千葉線が新設から比較的滑り出しが順調だった背景はドリーム志賀の失敗の原因だった、4列シートでなく、3列独立シートでの運行だったのと、乗車地が長野・松本の2ヶ所あることや、降車地が京成上野駅、浅草雷門、東京ディズニーリゾート、西船橋駅である。
比較的遊びに行くのに効率が良いこと。
その他に似たような区間の夜行急行列車の妙高、能登、アルプスを切ったことが大きい。
ボクの住む宇都宮は、高速バス不毛の地で… そんななかうまくいったのは成田空港行き「マロニエ号」でした。
大阪〜富山は夜行のダブルトラックですが、調べて見ると昭和40年代には全車寝台車の急行つるぎと全車座席車の急行立山がありましたが、急行つるぎは新潟延長の上に特急格上げで急行立山は季節列車降格の上に廃止で夜行で適当な時間帯に運行する便が他にないからです。
夜行高速バスが伸びたもう1つの背景は鉄道では直行出来ない東京〜美濃太田・関・岐阜のような路線とかもあります。
それと東京〜福井のように急行越前を金沢で打ち切りしたり、東京〜南紀勝浦・鳥羽・白浜のように特急紀伊の廃止のように直通列車を撤退したのも大きな原因だといえます。
高速バスが伸びた背景のもう1つは東京駅・上野駅での朝の到着時間帯である7時〜9時が通勤電車優先時間帯で夜行列車が入線出来ないといった問題もあります。
高速バスは公道だからターミナルの容量さえ調整すれば何とでもなるからです。
夜行高速バスが伸びたもう1つの原因は千葉の東京ディズニーリゾートと大阪のUSJに直接乗り入れしたりしていることもあげられます。
これはかつての夜行列車が東京・大阪を起点にして走っていた時代では出来ないサービスです。
さらに夢街道会津号の夜行便もありこちらは昼と夜兼用の4列シートでかつての急行ばんだい=上野〜会津若松・喜多方の運用を彷彿させます。
かつて急行ばんだいは磐越西線の上野直通のメイン列車として有名でしたが新幹線開業を理由に上野への直通サービスそのものを切り捨てた結果としてバスが伸びた例でもあります。
さらに規制緩和によってツアーバス系統が運賃の安さを武器にして伸びたり、逆に急行銀河の廃止などでプレミアムシートを導入するなどの高級路線も伸びていきました。
夜行列車と夜行高速バスは似て非なりだといえます。
夜行列車と夜行高速バスでは客層そのものからして違うからです。
夜行高速バスの今や常識的になりつつあるフェイスカーテンとスマホの充電用の電源コンセントはかつての寝台車並のレベルのサービスだといえます。
但し今回のコロナが原因で膝掛け毛布のサービス中止した路線も多かったです。
今話題の東北地方中心都市仙台ですが仙台から各地に向かう夜行高速バスが多いのは高速道路が出来て相当行きやすくなったのもあるけど今まで仙台は東北地方のローカル急行か東北本線系統の列車しかないイメージでした。
関西方面からだと東京へ新幹線でいってそこから寝台急行新星に乗るイメージでしたが東北・上越新幹線開業で廃止になりました。
夜行ではありませんが早朝の4時発の地方都市〜東京・大阪に向かう便もある位でこれらは200〜250キロの距離です。
かつての夜行急行列車の途中駅から座席車を利用して都心に入れる列車に相当します。
国電でも始発は4時30分前後だからです。
もう1つ高速バスが伸びた背景には、地下鉄が開業して都営バスの再編があった結果として東京駅八重洲口のターミナル容量に余裕が出来たこともあげられるといえます。
昭和時代の東京駅の都営バスは丸の内北口は東22錦糸町駅(江東)、東43荒川土手操車所(北)、東71大久保駅(小滝橋)。
丸の内南口は黒10目黒駅前(目黒)、東98等々力操車所(目黒&東急)、東18門前仲町(深川)、東21北砂七丁目(深川)、銀16豊海水産埠頭(江東)。
八重洲口は東42南千住(南千住)、茶51駒込駅(巣鴨)、東82渋谷駅(渋谷)、東90五反田駅(品川)、東15・17深川車庫・枝川二丁目(深川)があったから、東京駅に高速バスの入る余地がなかったからです。

出雲・松江〜東京線は東急と共同運行していたこともあり渋谷発着でしたねあせあせ
>>[41] 確かに東急といえば渋谷で、京王高速バスといえば新宿です。
>>[42]
初めてスサノオ号で上京した時は渋谷東急イン前発着でしたあせあせ
東京〜奈良の系統が堅調でドリームスリーパー(関東バス)という完全個室のバスもある位です。
東京〜奈良は昭和46年度まで急行紀伊の3階建列車として有名でした。
東京〜紀伊勝浦・王寺・鳥羽でした。
それが新幹線ひかり+近鉄特急で4時間を切ることを理由に紀伊勝浦編成以外廃止されました。
このように新幹線だと乗り換えがあるような所は夜行バスの利用価値が極めて高いといえます。

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