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『論理哲学論考』を読むコミュの『論考』における名の扱い。

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野矢氏は、『『論理哲学論考』を読む』において、「命題の構成要素はすべて一律に「名」と呼ばれる」(p.61)と記述していますが、この記述に対しての見解を書き込んでください。
「その通り!」「いや違うでしょ」などなど・・・。
できれば見解の根拠も添えてね♪

※管理人さん断りなしにトピ立てして申し訳ないです。問題あったら削除してください。

コメント(10)

自分なりに野矢氏の解釈に対する疑問点をシンプルに書いてみます。
質問・修正あったらヨロシクお願いします。

【命題の構成要素を「名」に限定する解釈の疑問点】
関係語(例:「親子である」)や、性質語(例:「白い」)も名だとするならば、それに対応する対象は何なのか?
 こんにちは。昨日このコミュとトピを見つけました。ウィトゲンシュタイン初心者ですが、最近『論考』を読みこなすことだけを考えています。


>関係語(例:「親子である」)や、性質語(例:「白い」)も名だとするならば、それに対応する対象は何なのか?

 対象は、例えば「親子である」とか「白い」という観念、としか考えられないと思います。
 関係語や性質語を名から排除してしまったら、要素命題は骨抜きになってしまいます。(ただこれらを対象と認めると、イデア論者や実念論者になった気分になってしまいます。少なくとも日本語で「名」とか「対象」というと、実在する個物を指しますからね。)

 このような『論考』のとても基礎的な部分で学者の考えが分かれてしまうことに、絶望してしまいます。『論考』は生前に出版されているのだから、誰か訊いてくれればよかったのに・・・。
訊いてもヴィトゲンシュタインは答えなかった(答えられなかった?)でしょう。何となくw

例えば、ある犬に「ポチ」と名づけたとして、
「ポチは白い」という命題を考えます。

名「ポチ」が表す対象は、まさに名づけられた犬でしょう。
では「白い」が表す対象は?

ラズミーヒンさんの言うように、「白い」という観念が対象であるとする考えもあるでしょう。

私が行き着いた仮説としては、「ポチ」が持つ※固有の※「白い」という性質が対象であるとは考えられないでしょうか。

まぁこの仮説にも大きすぎる問題点がいくつもあります。
「白さ」が固定されないのであれば、「ポチ」について「白い」と述べることの意味がなくなってしまうとか…。

いずれにしても考えの及ばない若輩では太刀打ちできかねます。
何卒御聡明な皆様の御指導御鞭撻を期待する所存でございます。
>Dionysos@節酒中さん
日記へのコメントありがとうございます。コメ返しました。

鬼界彰夫さんの『ウィトゲンシュタインはこう考えた』を1年ほど前から卒論の参考資料に加えさせて頂いています。
この本を読んで、自分の理解を補足された形になったのですが、Dionysos@節酒中さんが仰っているのは、名の指示対象が、その名を命題の中で使用する使用者に寄って、「単純」という地位を与えられるという解釈なのでしょうか。
『草稿』には、そうした考察を匂わせる記述がありますよね。
命題の構成要素はすべて名だ、名以外のものは命題の中にはないという考え方は明らかにウィトゲンシュタインの名のとらえ方とは違うと思います。
命題が世界を写しとる時、命題の中には諸々の対象を表す名のほかに論理定項というものも存在するが、論理定項は名ではない(4・0312)。

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