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かみんちゅネットワークコミュの富士樹海踏破! 全記録

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あらりんです。青木が原樹海、行って来ましたよ。
踏み入って踏破して生きて帰って来ました。
自分としては実に収穫の多い祈りの旅でした。
パーソナルな内容ですが偶然重なったまーるさん一行の巡礼と繋ぐ気持ちで行って来ました。
長いレポートですが、ご興味を抱かれた方々に
ご一読頂き、何か感じて頂けたら幸いです。
(誤字・脱字あるかもしれません。ご容赦ください)


今回の富士行きの最大の目的は、富士の青木ケ原樹海へ踏み入り、「迷いこんだら二度と出られない」といわれる魔境を生きて踏破して無事帰って来ることであった。
自殺の名所など何となく怖いイメージのある樹海に「嬉し楽し」のエネルギーを通す、というのが使命だ。
もちろん、そんなことを言っても迷って死ぬかも知れないが、それをせずいはいられない、という強い意思があっての決行であった。結果は無事、こうして生還できたわけで、目的は見事に達せられたと思う。今回は5月4日、5日、6日とGWの3日間を利用して
樹海のみならず、気になる富士周辺を廻りながら、出雲からの巡礼を行っている良丸さんたち一行と調和の祈りを繋ぐという目的もあった。その他にも、富士噴火の夢を見て、夢に見た場所を見つけたいその光景を確認したいという動機も強くあった。
以降、僕の富士での足取りをレポートしてみたい。
レポートは樹海だけではない。
富士にはミロクもいた! びっくりの多い旅だった。
ちなみに樹海踏破は5日に行った。
一応、行程を記すと
5月4日 新幹線で三島、身延線で富士宮へ 富士山本宮浅間大社、下部温泉、熊野神社、弘法・祈祷所泊
5月5日 風穴 青木ケ原樹海 魔王天神社 休暇村泊
5月6日 河口湖 富士山5号目 小御岳神社 富士吉田 北口本宮富士浅間神社 バスにて東京へ 

●5月4日 樹海踏破前夜 神と仏にご挨拶
<富士宮>
この日の目的は、富士浅間大社で樹海踏破の無事を祈ること。
東京駅から新幹線に乗って三島駅へ。そこから乗り換えて、富士宮へ。
時間はもう午後2時過ぎだ。
空はすっかり曇っていて富士はうっすらとしか見えない。天気予報では晴れだったが。
しかし富士山本宮浅間大社は、流鏑馬が行われ祭りでわいわいにぎわっていた。
空は雲っていても気分はウキウキである。以前、夢で見たことのある光景に近い。
水屋神社というのが近くにあって、そこの御神水を頂き、拝殿へ。
この御神水、富士の雪解け水だそうで、実に清らか。
本殿は工事中で壮麗な造りが見られなかったが、参拝して樹海踏破の無事を祈願した。
御祭神は木花佐久夜姫の命。美と貞淑を持って知られる富士の女神様です。
この時期「女神サミット」でいないとか。いや、いる。いないと困る。
僕のお願い聞いてください(笑)!
ところでこの境内にはいろいろな奉納石が安置されていたが、面白かったのは南極の石。
浅間大社の神様をお祭りした富士の名を冠した南極観測船が無事帰艦した際に寄進したものという。
見事な奇しい姿の石で、惹かれたので近くによって触ってみた。僕は石のエネルギーを感じたことはないが、南極へは行ったことがないので、これが南極にあったのかと思い、その冷たいごつごつした
手触りを楽しみ感慨深いものがあった。
浅間大社の近くには神田川が流れている。僕は下町っ子なので、東京の神田川を思い出す。
大社の神田川はやはり清らかな富士の雪解け水。しばらくそのたゆまない流れに見惚れる。
さて、今日中に、樹海のある鳴沢村へ移動したい。樹海へは風穴というバス停からが近いというが、今晩は下見して、近くの民宿にでも泊まろう、と思う。
ところがこの考えが甘かった。富士宮駅で確認すると、バスがもうないという。
明日の朝にならないと出ないという。それはイヤだ。早く樹海へ行きたい。
鳴沢村の観光案内所に電話すると、身延線で下部温泉駅へ行けばそこからバスがあるという。それにしたがって身延線へ。これが各駅でやたら遅い。途中駅で30分ほど停車したりする。

<下部温泉>
やっと下部温泉へ。武田信玄ゆかりの秘湯があるという。
だがもう夕方6時。早く樹海へ行きたい。ところが、駅でバスの発車時刻を聞くと、「今日はもうないよ。明日の朝8時21分発です」とのこと。
なんと! 仕方なく、ここで一泊することにする。源泉館なる宿が古く、冷泉が有名という。
冷泉で禊ぎができそうだ、と思った。
ゲンセン館と聞き、つげ義春の漫画を思い出す。ちなみに駅で地図をもらうと、気になるスポットが二ヶ所あった。弘法と書かれた寺と、熊野神社だ。さっそく、弘法さんを目指す。
これがまた、地元の人に聞いてやっと分かるようなところにあった。温泉宿と宿の間の路地を入って、分かりにくい山なりの石段を登った突き当たり。
小さな小屋で「密教秘密祈祷所」と書かれている。
もう7時を廻っているので、暗い。誰もいず中は真っ暗だ。懐中電灯で照らして中を覗くと畳二十畳くらいの広さ。本尊は空海像のようだ。扉に手をかけるといガタガタと開いたので、
中に上がりこむ。そこで、ロウソクに火をともし線香を上げ、三禮し、般若心経、観音経、真言を唱える。ここは高野山系の真言宗の寺だ。真言宗の高尾山で滝行していたおかげで、何とか経を上げられてほっとする。
ここでも樹海踏破の無事を祈願。良丸さんとの巡礼に参加していることを報告し、調和を祈願。
この祈祷所、なかなか居心地がいい。だが辺りも暗くなりかけている。宿も探さないと。
駅員さんが「GWだからどこも一杯じゃないか」と言っていたのが気になる。
だが宿探しの前に熊野神社が気になる。熊野神社は、良丸さんたちと新宿と京都でも寄っている縁のある神社だ。特に京都・綾部の熊野神社は、大本の開祖出口なおの産土神社で、素晴らしいところだった。目指せ、下部の熊野神社。そこは、泊まりたいゲンセン館の脇の階段を登った山の上にあった。「夜も明かりが点いてるよ」と聞いていたがまったく点いていない。真っ暗だ。
懐中電灯を片手に登る。階段を上るといきなり拝殿。すぐよこに神楽殿。拝殿で参拝。
真っ暗な中、祝詞を奏上。ここも、中に入ってみたかったが、残念、カギがかかっていた。
神楽殿脇にさらに山の上へ登る階段が。しばらく上ると展望の良い広場につく。星が奇麗。
夜景も見られる。だが誰もいない。みんな宿でしっぽり…か??
GWに秘湯に迷いこんだはぐれ巡礼者は僕だけなんだろう。そういや夕方浴衣姿でそぞろ歩いてたのはカップルばかりだった。
なんて考えてる間に、宿を決めないと、と思い出す。神社を降りてゲンセン館へ。しかしもう一杯で空きがないといわれる。冷泉での禊ぎも夕方で狩猟したとのこと。
残念。となりの宿へ。ここも満室。さらにもう一軒当たるがここも満室。
さすが信玄の秘湯、人気ですね。仕方ないので、例の密教秘密祈祷所へ泊まることにする。
熊野神社へ戻って、神楽殿で、ネイティブアメリカンフルートと口琴を奏上。
本当はもう1回上の展望広場へ行きたかったが、石段を上がりかけたところで、右脇の真っ暗な森の中からガサガサッと派手な音が聞こえ、それにビビって断念したのだった。けっこう怖がりなのだ。
祈祷所は、例によって、温泉宿の裏の目立たない石段を上がるのだけど、ここが宿の温泉の窓からの景色に使われているのだ。だから、岩肌と木が何気なくスポットで照らされてるわけだけど、
そこをよぎって行くわけ。その、つまり、温泉に入っている人の邪魔になるのだ。あ、入ってる。
男湯だ。たぶん女湯も、丸見え? いや、見てませんよ僕は。こんなところでノゾキでお縄頂戴なんてゴメンだ。
ささっと横切り、無事祈祷所へ。もう午後11時近く。真っ暗だ。ローソクに明かりを灯し、線香を上げて、本尊の弘法さんに、一晩泊めて頂きますよ、とご挨拶。灯明にぼうっと照らし出される弘法さんのお顔がとても穏やかでにこやかで、優しい目でこっちを
見ていてくれて、救われた思い。目が慣れたので落ちついてよく見れば、弘法さんの両脇にも色々奉られている様子。懐中電灯で照らしてみてびっくり。天照さんに、三峰神社の大口真神、聖徳太子に
不動、ダキニに観音、おじぞうさん、軍神、さらに天皇陛下のお写真。ひえええー、何でもありだここは。
いちおう、高野山から発行された祈祷の許可証のようなものが飾られているから、真言密教なのだろうけど、それにしても賑やかだ。神仏習合。「地元の人の信仰の場だから」と土産物屋のおかみが言っていたのを思い出す。いいねーこの雰囲気。ますます気に入った! 僕はさっそく、神道の祓え詞やら祝詞やらお経やらをごちゃごちゃ好き放題に唱え続けるのだった。いやーこりゃ楽しい。
よく見れば、弘法さんの脇に太元明王なる象の絵と、真言が書いてある。気になったので、それを覚えて唱えてみた。「ノウボ・タリツ・タボリツ・バラボリツ・シャキンメェ・シャキンメェ・タラサンダン・オ・エンビ・ソワカ」唱えてみると実にノリのいい真言。
繰り返し唱えていると、手が勝手に印を組みぐらぐら揺れ始めた。
さらに唱え続けると、どんどん手が、体が動き始める。魂振、霊動か? 
気持ちいいので、しばらく、唱えて体を動かし続けた。
すごく勇気が湧いてきた。火のエネルギーだ。
樹海に行く前に、下部で足止めを食ったのが最初はイヤだったが、ちゃんと意味があった。
ここで祈るように引きとめられたのだと実感した。新しい真言と印まで授かったのだ。
きっと、いざというとき役立つだろう。
すっかり満足して、もう12時過ぎたので寝ることにした。扉の格子に障子はないので透き間風が入って寒かったけど、ローソクを点けはなしで、なんとか眠った。
祈祷所の神仏に守られている気がずっとしていて、実にありがたい一晩だった。

●5月5日 樹海踏破 決行!
<青木ケ原樹海>
 朝7時半。持ってきた目覚まし時計の音で目が覚める。今日はいよいよ樹海踏破決行日だ。
弘法さんに泊めてもらったお礼をして、祈祷所を出る、バス停のある下部温泉駅へ。
待っていると定刻通りにバスが来た。「樹海のある鳴沢村に行きたいんです」「どこで降りますか」「風穴で」運転手と話を交わす。僕以外に客が一人もいない。だが、途中の駅で地元の人が乗り込んできた。
風穴というのは、樹海にある洞窟で、気温が低く年間を通して0度くらいという天然の冷蔵庫。
その近くにバス停があって、樹海の遊歩道でハイキングする人が乗り降りする場所。TVなどの報道によると自殺志願者もここで降りて樹海に入るらしい。バスに揺られること1時間。途中、富士山が何度か見えた。
9時半を回って風穴に到着。バスを降りる。天気は快晴。実に気持がいい。
さすがに観光地。人も多い。カップルだけでなく家族ずれも覆い。そういえば子供の日か。
車道の近くに遊歩道の入り口が見える。そう、周囲はぜんぶ樹海だ! ついに樹海に来た。
5月の樹木は緑で、活き活きとして見える。実にさわやかで、楽しげで美しい景色だ。空気もうまい。
想像していた樹海のイメージとは正反対である。もっと鬱蒼としておどろおどろしいのかと思った。
樹海は溶岩の上に森ができ、地面はわずか数センチしかないという。その数センチの地面に堆積した動植物の死体の上に、木の根が縦横無尽に張り巡らされ、異様な景色。しかし、それは
樹木の生きようとするパワフルでポジティブなエネルギーのなせる業で、見ていて気持がいい。
実のところ、僕は拍子抜けしてしまった。樹海から清浄さやあふれる命のでエネルギーばかりが感じられ、何かを祓ったりする必要などまったくないと思えたからだ。ここで、僕にやれることなど何もないのだ。
樹海はただ生きていて、動物を生かし環境を守り、人々を楽しませている。
僕はここでどうする? 樹海に嬉し楽しのエネルギーを通す? 経や祝詞で清める?
生きて出られることを証明する? なんとバカバカしく傲慢なことをしに来たのか…。
しばし呆然となり、立ち尽くす。しかしここまで来て何もしないわけにもいかない。
土産物屋を見て、てんぷらうどんを食べる。それから、観光スポットである風穴を見学。
風穴の中には氷があって、寒くて震えそうになった。かいこの繭や様々なものを貯蔵していたそうだ。
風穴を出る。
とにかく、樹海踏破の計画を実行することにする。樹海は広く、本栖湖・西湖・精進湖を結び25km四方に渡って広がっているという。広すぎ。ここで踏破するエリアを絞ることにする。
実は当初の予定では、風穴から西湖方面へ向けて樹海を突っ切ろうと思っていた。
しかし、実際来てみると。このエリアには青木が原樹海遊歩道を初め多くの歩道が走り、人目も多く実行しにくいことが判明。距離的にも大したことがないようだ。地図を見ると、反対側に東海自然歩道樹海コースというのがあり、樹海をぐるりと回り込んで大室山に達するようになっている。
これはいい。風穴から様子をみたところ、人影もまばらである。東海自然歩道の途中から樹海に分け入り、大室山まで突っ切って見ることに決める。さっそく、東海自然歩道へ。その入り口には例の有名な看板が。
「命を大切にしましょう」自殺志願者にもう一度考え直すようにうながすように呼びかける文句が書いてある。
親や兄弟、子供のことを考えて、という文句が一番響くのだろうか。しかし、僕は死ぬために樹海に入るのではなくて、生きて出るために入るので、悲壮感や絶望感や自殺願望はないのである。ただ、万が一迷って死ぬかも知れないが、そのときはそのときだと覚悟はできている。
さて、ぱらぱらとすれ違うハイキング客をやりすごし、東海自然道を5分ほど入ったところで、樹海へ突入。方位磁石で進行方向を確認。アバウトだが、南西を目指してまっすぐに突っ切れば大室山だ。
磁石は効かないといわれているから、いずれ役立たなくなるだろう。上を見上げれば、枝の隙間から太陽が見える。時刻は午前10時半過ぎ。太陽はほぼ真上、東よりにある。太陽は西へ進むから、南西はあっちと何となく分かる。まず、樹海に足を踏み込む。けっこう地形はでこぼこしていて、平坦ではない。
溶岩の造形した大地は入り組んでいて、どこも似たような景色である。確かに迷いそうだ。だが、それより歩道から人に見られたくない。樹海に入っていくところを呼びとめられたりしたら面倒くさい。
でこぼこした地形に助けられ、歩道からは見えない位置にて、一度荷物を降ろし、そこで塩で身を清め樹海に入る簡単な儀式をした。簡単に祝詞奏上。さらに進む。この頃、目前には異様な光景が続いていた。
白や青のビニールヒモが、そこらじゅうの枝に巻かれ、結界を張るように張り巡らされているのだ。
そのヒモは樹海の奥へ奥絵へと続いている。何かの目印だろうか? 自殺者がこの奥に? いや、たぶん自殺者を探すために樹海に入った捜索隊が残したものだろう。年に何回か樹海をパトロールするというから、そのときの目印に使っているのかもしれない。それにしてもかなり広範囲に張り巡らされている。
パトロールが強化されているエリアなのだろうか。樹海では白骨化した死体に出くわすことがよくあるという。
この先にそういうことがあるのだろうか。実は、そういう死体を発見したときには、経でもあげようと思って線香とロウソクも持参してきている。この先で弔いをすることもあるかもしれない。
ビニールヒモはかなり奥まで続いていた。30分進んでもまだ続いているのだ。
ちなみに樹海の足場はそうとう悪い。緑色に苔むした地面に足をかけると、ズボッと溶岩の割れ目や穴に抜けて足を取られるのである。堆積物や朽ちた木の枝の上に植物のじゅうたんが敷かれているだけの場所が多い。固いだろうと思って体重をかけると偉い目にあうのだ。用心しながら足を進めなければならない。しかし僕はせっかちなので、どんどん進む。そうするとズボズボ足を取られるのだ。
さすがに辟易して、落ちている手ごろな枝を物色して、杖になりそうな一本を選び、それを使って足場を確かめながら進むことにする。あちこちに剥き出しの溶岩石が口をあけ、かなり深い穴を覗かせていたりする。
樹木の根に覆われた岩場を登ったり降りたりしながら先へ先へと進む。鳥の声がピピピとして、清清しい。だが、たまに喉にこもったような「クルルル…」という鳴き声がして、これはけっこう気持悪いのだ。
ちょっと休憩しようかな、と思って適当な岩場で荷物を降ろして腰を下ろし水を飲む。
リュックサック以外にも、肩掛けのバッグを持っていて、そこに酒だの塩だの、迷ったときに目印にしようと麻ひもだの詰めこんできたが、これが重くて負担である。肩が痛くて頭痛がしてきた。
水を飲んで一息つき、祝詞など唱えてみる。物部神道の講義で習った「トホカミエヒタメ」を繰り返す。
本によると、休憩は短時間で澄ます方がいいそうなので、10分くらいで、立ちあがる。
すると、ちょっと離れた岩場の木立のあたりから、「ギギギ・・・」と何かのこすれるような音が小さく聞こえてくる。音は小さいが、確実に響いてくる。「ギギギギ」つい想像が働いてしまう。首吊り死体があって、それが揺れて、木にかけられたロープと枝のこすれる音なんじゃないか? 想像が膨らむ。
しかし、いくら目を凝らして音のする方を見ても、何も見えない。
結局、枝と枝がこすれる音という解釈に落ちつく。この「ギギギギ」はその後も何度か耳にする。
「クルルル」と「ギギギギ」は、苦手要素としてこの後ずっとついて回った。幽霊が見えたりする霊感はないが、けっこうフツーに怖がりなのだ。
1時間くらい進んだろうか。ビニールヒモはいつのまにか見えなくなっていた。
実際、ちょいと不安になった。ここからが本番だ。360度見まわすと、どこも同じような景色だ。
美しく生命にあふれた景色も、ふうふういいながら疲労感を抱えて見ると、退屈なものに見えてくる。
このマンネリな景色の中を進んでいくのは、それだけでけっこう気持が萎えそうだ。
刺激が欲しいのかもしれない。僕は樹海に何を求めたのか? 生きて抜け切る以外に、樹海の中の光景そのものにも期待を膨らませていたみたいだ。びっくりするような岩倉や、人工的な遺跡や、思いも寄らぬ泉や滝や果実などがあるんじゃないかとか、黄泉への入り口のような洞窟が口を空けているんじゃないか、とか、妖精や幻獣に出くわすんじゃないか(笑)とか、埋蔵金を発見するんじゃないか、とかとにかくそういう、刺激的な出会いを夢想していたのだ。
しかし、現実には、何もない。樹海は樹海だった。どっと疲れが押し寄せる。
つくづく自分のバカさを思い知る。というか、この樹海踏破という一つのイベントに対して、多くの動機を持ちすぎていたことに気付く。バカというより欲張りなのかもしれない。生来、夢想家なのだ。
現実逃避? それもある。否定できない。こんなことは、究極のお遊びである。楽しくてやってるんだから。
その根にあるのは、不満? 怒り? わがまま? それも否定できない。
内省の時間を長く持つと、休憩が長引き、先へ進めなくなる。
どんどん先に進む。去来する思考を出るにまかせながら。
ある斜面を降りようとしたところで、足もとの岩がごろりとずれ、そのために思いっきり転げ落ちてしまった。
右足を打って痛みが走り、しばらく仰向けに倒れたままの姿勢でいた。自分の呼吸しか聞こえない。
このまま死んだりして? 木の葉のこすれあうざわざわという音。鳥の声。見えないが、遠くに飛行機の音。
ここには樹木と動植物だけ。人は自分だけ。ここでは樹木であることのほうが普通。
僕も樹になってしまいたいなあ。ここで屍となって朽ちたら、樹海の一部になれるんだなあ、それもいいかなあ。
それは穏やかな夢想であった。周囲に違和感なく溶けこんで、繋がってしまったら、幸せになれるような。
しかし、思いつめてここで自殺するというのとは違う。樹海に実際に来て見て、ここが自殺の名所と言うのに正直違和感を持っている。奥地に入りこんでなお、暗いイメージがないからだ。まあ、個人的な感じ方ですが。
ただ、マンションから飛び降りたり、列車に飛びこんで死ぬよりは、こっちのほうが明らかに気持ちよさそうではある。
この中で見つかる白骨死体は、首吊りだけではなく、岩場にもたれかかるようにして座しているものも多いそうだ。今の自分のように、転んで倒れて、そのままというのもあるかもしれない。
それはそれで、悪くないのかも知れない。

ようやく立ちあがってみる。右足は軽い打ち身。大した怪我はない。僕が足を掛けたのは岩ではなくて腐った太い樹の幹だった様子。衝撃で杖代わりの枝が途中で折れていた。短くなったがまだ使えるので、それをもって先に進むことにする。歩きながら祝詞や経を読もうと思っていたのだが、息が切れて難しいし、足元にかなりの注意を要するので、「トホカミエヒタメ」くらい小声で唱えるのが精一杯だった。
マルチに意識を使いこなせれば、足元意識しながら祝詞をとなえながら祈ったりできるんだろうけど。
横倒しになった細い枝が足に絡みついてくる。しかも左足のスネにバシバシぶつかってくる。痛い。
なぜ左のスネばかり? 血が出ているのは分かるがたいしたことじゃないので、そのまま進む。
やはり左のスネに集中攻撃。Kー1観るのは好きだけど、自分にローキックの趣味はない。
なぜ左ばかり? 今度はズボリと右足が穴にはまり、靴が脱げてしまった。
このように足場の悪いところを分け入っていく。
やがて大きな岩倉のあるところに出た。ここはなかなか見事な景色。しばし休憩。
祝詞奏上。
立ちあがって進み始める。

今度は思考が変わり、頭の中に金と女のことばかりが去来する。「カネカネカネ、オンナオンナ…」
樹海の埋蔵金を掘り当てて億万長者。ロト6大当たりで4億円ゲット。富士の御祭神・木花佐久夜姫にプロポーズ。
富士宮の観光パンフに載っていた木花佐久夜姫の絵姿が色っぽいのだ、でれでれ。
岩長姫は醜いって言うけど、実際見てみたいなあ。根の国底の国にいる速佐須良姫もミステリアス!
え? それはオンナじゃなくて神様でしょ?って?
僕の中ではカミとオンナの境界線がないので、失礼。
まあ、白状すればこんな妄想も働いたよ。
樹海で死のうとしている女と出会い、それを止める。一緒に生きようということで意気統合し、樹海でセックスする。それで彼女は妊娠し、樹海ベビーが誕生、その後は家族3人仲良く暮らす。
どう? 昔話の現代風じゃないすか? 小説にして発表したら売れるんじゃないか?
タイトルは、ずばり「樹海ベビー」

しかし煩悩丸だし。まあ、樹海でこれくらい生への執着エネルギーを放出するのも意義があるのでは?
僕は聖者じゃないんだし、ね。

相変わらず変わり映えのせぬ景色の中を進むと、大きさは小ぶりだが、見事な三角形をした岩が地面から突き出しているのを発見。それに富士岩と名づける。

時計を見る。12時。太陽は、真上。方位磁石は、ずいぶん不安定にくるくる動くが、たぶん正常。
いやしかし・・・。太陽が真上にあって、どっちが南西かわからなくなった。もしかして、
ぐるぐる太陽の東西南北をまわってるだけじゃ? 不安がよぎる。
以前、TVで三点計測(?)とかいう方法で進行方向を決めながら樹海を進み、方位磁石がでたらめになった上に計測もうまくいかなくて、危険だとばかり樹海縦断を断念して引き返していたが、僕にいわせればあんなの、甘いんだよ。入るなら死ぬ覚悟で入れ。生きて出たいならなおさら死ぬ覚悟で入れ。
大事なのは「生きて出る」という強い意思と、自分を信じることだけ。機械に頼ったらダメだ。
なーんて、自分もだまだ外へ出てませんけど。

意思を強く。肩が重く、実はへたりそうになる自分を叱咤しながら、足を前に出す。とにかく足を前に出す。
面白いことに、またビニールヒモの結界が張り巡らされ始めた。ここにも人が来ているのだ。出口が近いのだろうか?
気のせいかもしれないが、国道を走る自動車の音が聞こえる。出口か?
だが、15分もすると、ビニールヒモはなくなり、車の音もしなくなった。不安。肩が痛い。頭痛がする。
「夜になったら進めないな」一応、樹海で夜になることを考えてみた。懐中電灯(まーるさんオススメの手巻き発電。電池要らず)
を持ってはいるが、けっこう深い岩場の亀裂などがあり、夜進むのは困難なのは明らかだ。

日のあるうちに樹海を出る、と決意。さらに足を進める。直感に従い、「こっちだ」という方向にひたすら進む。
だが、地形のアップダウンがやたら激しくなり、茨のような枝が張り出すゾーンに入ってしまい、思うように進めない。
一山越えると、また一山。波乗りのような地形越え。そこに木の根が張り、枝が体に刺さるように絡みついてくる。
途方にくれる自分。枝だらけで進めないよ。しかし案ずるより生むが安し。分け入ってみれば、人1人は通らせてもらえる
スペースができるんですね。樹海の植物にはわるいが、けっこう枝を折った。それにしても、このゾーンはどこまで続くのか?
腹も減ってきた。1時には外へ出るぞ! 地図によれば、たぶん不可能ではない。迷ってさえいなければ。
進みにくい茨ゾーンを抜けてしばらくすると、景色が一変した。生えている木の種類が買わったのだ。大地は平坦になり、まばらに木が生えている。森ではなく林のようだ。
鹿などがいそうなのどかな感じ。木も少ないので、陽射しが多く入り明るい。
だが、ここはここで、枯れ枝が針地獄のように足元に残っていて、転んだら刺さりそう。
それにしてもここまで景色が変わるものか? この辺りは溶岩が少なくて、土が覆いのかも知れない。木の生え方からそう感じる。しばらく行くと、木が倒れている。切り株も多い。自然に倒れたのではない。明らかに人の手が入っている。
間伐のあとに間違いない。ここはどのあたりだろう。とにかく出口は近い。向こうの方に、木々の間に背の高い植物が生い茂っているところが見えた。そこへ向かって進むと、いきなり林道へ出た!
左右に細い道が続いている。樹海を抜けたのだ。
時刻は1時過ぎ。ほぼ2時間半かけて、樹海踏破成功! やったー! ひとり喜ぶ。今回の最大の目的は達成されたのだ。
怪我もなく、途中で断念して引き返すこともなく、クマにも襲われず、死体にも出くわさず、無事に生還した!

ところでここは東海自然歩道だろうか。だとすればどちらかに進めば大室山へ出る。どちらかわからないが、とにかく左に
進むことにした。すると、前方の木立の間にちらちらと富士山が見えた。嬉しくなってどんどん進む。
それにしても誰ともすれ違わない。東海歩道なら誰か歩いていそうだが。やがて、倒れた木などで、道がふさがれている
ところに出た。脇から回りこんで、道を進む。看板が出てきた。東海歩道ではない。地図にも載っていない。今は使われて
いない道のようだ。この道を50分ほど進むと、大きな広場に出た。すぐそこに国道が出た。たぶん、大室山はすぐだろう。
広場で荷物を降ろして、瞑想。祝詞を唱える。一匹の蜂がさっきからつきまとっていたが、祝詞を唱える口のまん前で
ホバリングを続けている。口に入ってくるなよ、と思う。
国道に出てみる。向い側に車を止められる場所があり、何台か停車している。看板があるので見る。
上九一色村、とある。通行止めのしてある遊歩道があり、その前に不審な車が止まっている。後部のガラスが割られ、
運転席のドアが開けっぱなし。後部シートのガラスは真っ暗。トランクを開けると革靴が揃えて入っている。
ナンバープレートはない。練炭自殺? ガラスが割られているのは、助けられたから? いや死んだのか…・
ミステリアスな光景だった。車のフロントのすぐ前から、樹海が広がっていた。
僕は現在地を確認し、大室山がどこか知りたかった。しかし、それを示すものが何もない。
ただここが、上九一色村と鳴沢村の村境だということはわかった。僕はこっちかな、と思うほうへ国道を歩きだした。
車はばんばん行き交うが、途歩の人間は他に誰もいない。
途中、ちょっと停まっている車の運転手に話しかけた。「大室山はこっちですか」と聞くつもりが「風穴はこっちですか」と聞くと
「そうだ」との答え。「距離は?」と聞くと「だいぶあるね」そう答えると、さっさと行ってしまった。僕は間違った方向に歩いていた。
樹海に踏み入った風穴の方へ、回りこみながら戻っているのだ。いまさら引き返せない。どれくらい歩くのだろうか。
よく考えてみれば、僕の樹海踏破は、思ったより東へずれて歩いていたようだ。大室山は、今背にして遠ざかっている方角なのだ。
舗装された道路を歩くのは、樹海より疲れる。しばらく歩くと、ミニバンが止まっていた。端に寄せて休憩でもしているのだろうか? 風穴までの距離を教えてもらおう、と思い、近づいてみた。しかし、車は無人。後部シートにも誰もいない。
運転席には、紙パックの野菜ジュースの飲みおえたものがふたつ、並んでいる。「ちょっと用を足しに出た」さりげない駐車の仕方。
しかし、周囲には誰もいない。脇の樹海を覗き込んでみたが、人影も物音もしない。不審な車である。ナンバープレートはついていた。
山梨、地元である。僕は距離を知ることができずがっかりし、このミニバンを振り返り振り返り、先へ進んだ。
乗っていた人は、死を決意して樹海に入りこんだのだろうか?

樹海を見ながら進むと、ビニールヒモが奥まで張られているポイントが何箇所かあった。
捜索は広い範囲で行われているのかも知れない。
ところで、荷物の重みが増してきつくなってきた。僕は荷物を減らすことにする。麻ヒモを捨てる(誰か、樹海に入るとき使ってください)それから、酒と塩をまいて、祝詞を奏上した。
だいぶ軽くなった。
しばらく行くと、耕された土地が見え、氷穴への矢印があった。氷穴は風穴に近い。
僕は国道から、右へそれた。のどかな雰囲気。しばらくして、ハッと振り向くと、そこに雄々しい富士山の姿があった! 「富士だ」樹海からも国道からも見えなかった富士が、今はっきり見えた。
僕は道の脇の原っぱに寝そべり、土や草の香りをかぎながら、富士を仰ぎ見た。ぽかぽかして気持が良い。
しばらくして起き上がり、トラックの運転手に氷穴までの距離を聞く。徒歩15分とのこと。近い。
乗馬の練習をしている一隊とすれ違った。
しばらく山道を歩くと、氷穴に出た。夕方5時頃になっていた。ここで水を飲み、アイスクリームとソーセージを食べる。
鳴沢村に宿泊しようと思い、行き方を聞く。国道を20分ほど歩けとのこと。泊まるなら途中にある休暇村がいいと勧められる。

<魔王天神社>
 鳴沢村の地図に、小さく魔王天神社というのが載っていた。そこに、かねてより強く惹かれていたので、まずそこを目指す。途中に休暇村があり、「空室あり」となっていた。宿泊はここにしよう。
魔王天神社は、溶岩樹型というバス停の先のセブンイレブンの向いの道を入ったところにあった。急な山の斜面に階段が作られその上に社が見える。階段から道をはさんだ向いには神楽殿、その横に溶岩樹形(溶岩が樹を呑みこみ、後に樹が朽ちてそこだけ空洞になって面白い形になった岩)が多数存在する観光スポットがあった。
魔王天神は、経津主の神が御祭神で、本体は魔王の山そのものなので本殿はないとある。階段を上りきると拝殿があった。
わくわくする空間だ。ようするにこの山は魔王の山というのだ。地元の信仰が篤いのだろう。そんな雰囲気がさりげなく伝わってくる。
下部の熊野神社との関係が深いそうだ。下部は行って来たばかりである。ちなみに、この拝殿は、木戸にカギが掛かっておらず、
中に入れることを確認。とりあえず、参拝し、祝詞を奏上。宿をとってまた来ることにする。
拝殿の裏に上ってみると、何やら儀式の跡が残っていた。地面にたくさんの小さな棒が刺さり、そこに白い紙の跡。
なんらかの祈祷が行われたのだろう。
参拝後、溶岩樹形を見て、休暇村へ。323号室。隣接する温泉ゆらりへ。何でもここは樹海温泉といって、樹海から温泉を引いているのだとか。
打たせ湯にラベンダー湯に低音サウナに冷泉、洞窟湯と一通り満喫。10時頃宿を出て、魔王天神を目指す。ここは、拝殿までの
階段に明かりが灯っていた。それがなんか嬉しい。
僕は賽銭箱脇の木戸を開けて拝殿の中へ。ロウソクを灯し、酒を捧げ、正座して祝詞を奏上。個人的な祈り、樹海踏破の報告、
巡礼の報告と調和の祈りを行う。それから、「大祓祝詞」を奏上し、口琴を奏上し、ひたすら「トホカミエヒタメ」と「ひふみ祝詞」
「天の数歌」を続ける。途中、風にあおられてローソクの火が消えそうになったが、消えることなく再び燃え上がる。
そんあことが度々あった。その間中、炎を見つめながら瞑想、「トホカミエヒタメ」を続ける。
炎の奥から、何かがさーと近づいてくるような気配を感じる。「魔王天神様…」
やがて右のローソクが消えた。しかし、左のローソクはいつまでも消えない。もう消えるかと思うくらい細くなって点のように
なっても、また勢いよく燃え盛るのだ。しばらくその炎に集中していると、炎がいろいろなものに見えてきた。富士から噴き出す
マグマ、花火、天女、妖精、鳳凰、星、天使など、様々な形態をとる。とくに鳳凰は美しい。目を細めると炎の尾がこちらまで幾筋も
スーッと伸びてくる。思わずそれをすくいとるように両手が前に出る。「ありがとう。ご神気を頂きます」
消えそうで決して消えない火は、僕へ何かのメッセージを与えようとしているようだった。
「決してあきらめるな。どんあことがあってももうだめだと思っても必ず復活する」そんあメッセージに思えた。
ネイティブアメリカンのメディスンホイールによると、僕はサンダーバードのファミリーだ。
さらに、僕の誕生日は12月16日だが、この日は火の神を祭る秋葉神社で毎年火祭りが行われる。
火に関係の深い自分を考えると、このメッセージは心に染みた。
どうしても消えない火を、仕方なく消して、魔王天神を後にした。忘れがたい体験だった。
宿に戻ると0時半を回っていた。明日は富士吉田の浅間神社と、富士山5号目を目指す予定である。

●5月6日 霧雨の富士と北口本宮浅間神社でミロクに出会う
 休暇村から無料バスで河口湖へ。天気が悪い。午後には雨が降るという。富士は河口湖からまったく見えない。
バスに揺られて50分ほどで、5号目へ到着。ものすごい霧。そして雨。5号目からは、のしかかってくるような迫力で頂上が迫って見えるなどと聞いてきたが、霧で数メートル先も見えない。とにかく、小御岳神社にて参拝。木花佐久夜姫と岩長姫、苔虫命が本社の御祭神である。土産物屋で竹笛を買う。登山道を行くと、泉滝というのがあると聞き、何も見えない登山道を歩き出す。雪が沢山残っていた。霧雨の富士の登山道をゆくのは、この世の果てへ進むような、幽玄な雰囲気が漂っていた。
このまま、ここで消えてなくなってもいいなあ、などと考えてみる。
ずんずん進むと、母娘連れとすれ違う。泉滝はあったかと聞くと、見当らないので、別の道を行くという。僕はそれでも頑なに登山道を進む。土産物屋のお兄さんが、登山道を15分進めばあると言っていたからだ。しかし、30分歩いても見当らない。
ついに、その先の道が分からない岩だらけのところに出た。泉滝は見つからなかった。雨が降ってきた。しかし、見事ないわくらが
あったので、その隙間にあぐらをかいて、祝詞を奏上した。さらに、雨が止んだのでさっき買った竹笛を吹く。
高い音がピーと山に木霊する。
富士山は、夏に頂上を目指すことにする。
バスで再び河口湖へ。そこから電車で富士吉田へ。3時過ぎている。雨が降っていたし、時間が惜しいので、タクシーで北口本宮富士浅間神社へ。いやー、立派な神社である。びっくりした。厳かなたたずまい。神秘的な雰囲気。堂々とした鳥居。神気をばりばり感じる。理屈なくここはすごいところだ、と思う。
龍の口から水が出る有名な手水舎も見事だった。
参拝する。ここは富士を信仰する富士講のメッカだという。
富士講というのを知ったのは、千駄ヶ谷の鳩森八幡宮にある富士塚に登ってからである。頂上に金明水、銀明水があり、8号目あたりにミロク像がある。僕は出口王仁三郎に惹かれTて大本に興味を持ったのだが、大本の聖地・綾部にも金明水、銀明水があり、
弥勒殿があり、王仁三郎はミロクの世が来ると語っている。彼自身ミロクであるとされている。さらに、彼は高熊山の岩窟で行を
しているのだが、富士塚のミロク像も岩窟で印を結んでいるのだ。王仁三郎は富士の木花佐久夜姫の使いに誘われて行を行ったと
いうように、富士との繋がりが深いのである。富士信仰とミロク、大本との繋がりが気になる。
神職の人に話を聞くことにする。と、富士信仰のミロクは、弥勒菩薩のことではなく、伊藤身禄という実在の人物であると
知らされた。江戸時代の人で富士講中興の祖だという。
僕は大きな勘違いをしていたのだ。富士のミロクは弥勒菩薩ではなかった・・・。
「まったく関係ないのですか」と神職の方に聞く。
「いや、まったくないわけではないけれど」
「何か文献はありませんか?」
「新田次郎の『富士に死す』という身禄の伝記が文春文庫から出てますよ」
「富士塚に像があるくらいだからすごい人だったんですか」
「7号目ちょっとのところで即身仏になりまして、それから信仰が広まったんですよ」
「ええ、即身仏ですか!」
僕は、樹海を清めよう、嬉し楽しのエネルギーを通そう。調和をもたらそう、そのためなら死んでもいい、と思って今回の
旅を決行した。だから、深くは知らないが、身禄にシンパシーを感じた。これは自分にとっては大きなショックだった。
今回の旅の最終目的地で、何か大きな答えと、これからやらねばならないことの始まりを与えられた気がした。
身禄の墓は、7号目より上あたりの烏帽子岩のあたりに今もあるという。身禄殿というそうだ。僕は大本の弥勒殿を思い出した。
あそこが妙に気に入ったことも。もちろん関係はないだろう。だが、ミロクというキーワードは、良丸さんとの繋がりといい、
最も重要なキーワードなのだ、とあらためて実感する。
夏、必ず富士に上る。身禄に会いに。


樹海で命を絶った全ての者の魂たちよ。
僕はあなた方を無条件で敬い、祝福する。
あなた方は、その死を持って生きた。素晴らしい生を。
あなたがたはみな美しく神々しく輝かしい。
地上で悩める者たちを豊饒な光へと導いて欲しい。
ミロクの世に繋げて欲しい。
僕はあなた方を慈しみ、永遠に祝福する。

(終わりーそして新たなる始まり)

コメント(12)

ゆみさん、読んでくださってありがとう!
行くって、樹海ですか? 富士山ですか?
シェアーしてくださってありがとうございます。
ゆみさん、
富士山、良さそうですよね。
僕も富士登山楽しみです。
かくちゃん、Sheelさん、読んで下さってありがとう。
gariさん、火の意味は多いですよね。
最近は滝(水)よりローソクの炎を見つめたりする事の方が多くなりました。

ああ、沖縄へ行きたいなあ。
あらりんさん、ツアーは締め切ったけど5/21〜沖縄行きましょうよ!
gipsyqueenさん、ありがとう。
21日、22日に予定が入っているのです。
そのうちぜひ。
あらりんさん、お帰りなさい!
カキコミが遅くなってしまったけど、ご無事を祈っていました。

本当に生きて出て来られてよかったです。
あらりんさんの文章は描写力がすごくて、
自分も実際に樹海に分け入ってるような気がするほど、
迫力があって素晴らしいです。

あらりんさんの雑念の実況中継もおもしろいし。。。(笑)

本当に一歩間違えば、死の世界と隣合わせ、なんでしょうね。
でも、あらりんさんの強い意志と勇気が、
樹海踏破を成し遂げたんですね。
おめでとうございます!
何たって、神様に守られているからね、強いですよ。


<樹海で命を絶った全ての者の魂たちよ。
僕はあなた方を無条件で敬い、祝福する。
あなた方は、その死を持って生きた。素晴らしい生を。
あなたがたはみな美しく神々しく輝かしい。
地上で悩める者たちを豊饒な光へと導いて欲しい。
ミロクの世に繋げて欲しい。
僕はあなた方を慈しみ、永遠に祝福する。


この詩、大好きです。
あらりんさんの清らかさ、優しさが、
ハートに伝わって来て、涙が出そうになる。。。

きっと、樹海で死ぬことを選んだ、
たくさんの名もしれない魂たちも、
あらりんさんの祈りと真心に、
深く癒されたんじゃないかと思います。

貴重なシェアリングをありがとう!カンパイ!
うしゅまさん、書き込みありがとうございます!
樹海での体験、伝わって嬉しいです。
樹海そのものはとても素晴らしい自然の宝庫でした。
生きて出られたことに関しては樹海の樹木、精霊たちにも感謝してます。

最後の詩は、気持が高まって思わず出てきたものです!
すべてにカンパイ!

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