ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

和算&算額コミュの植木算は和算にはなかった

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「心に広がる算数・数学の世界を」http://mixi.jp/view_community.pl?id=132790で、次のような議論を進行させています。
ご興味がありましたら・・・

植木算は和算にはなかった

明治6年に文部省が刊行した『小學算術書』という教科書(小学3年生用)に次の問題があります。
「十五間(けん)の地に、松の木五本あり、然る時は、松の木の間は、幾間(けん)ありや、」

植木算を知っている私たちの感覚では、木が5本、間が4ヶ所だから、15÷4=3.75間=3間4尺5寸と考えてしまいますが、この問題は5の段の除算にある問題で、15÷5=3間が答なのです。
国会図書館の近代データライブラリーのサイトhttp://kindai.ndl.go.jp/ で、『小学算術書』(師範学校篇、明治6年)の巻4の15頁に、この問題とその前後が載っていますので、確認していただけます。

植木算的感覚で考える私たちは、「15間」というのは、どこから測り始めるのかということが、とってもキになりますが、明治初めまでの日本人には、「15間に木が5本」というと、次のように木が植えられてあると思い、それが普通だったということでしょう。

|――●――|――●――|――●――|――●――|――●――|

 植木算の感覚は、江戸時代にはありませんでした。無いことを2つの例で確認しました。有った例は確認できていません。だから、植木算が和算にあったという話をよく聞くし、私もそう思っていたのですが、これはまったくの誤解です。
 それは何故なのか。では、いったいいつから植木算が定着したのかと考え、調べました。
 どうも、明治時代になってから、外国の教科書を翻案するときに入ってきたようなのです。それで、Gooの「教えて」で、外国の植木算の例を質問したのですが、1ヶ月たっても無回答でした。
 何か、ご存知の方がいたら教えていただきたいのです。

日本では明治20年頃までは、このタイプの問題を解く時に、植木算的に考えているものと、そんなことはまったく考えていないものが混在し、明治20年代から盛んに出版されるようになった受験算術の問題集で、「植木問題」とか「間隔問題」と名前が付けられて、ようやく植木算が定式化したようです。
 そして、明治38年の最初の国定教科書にこの問題が登場して、植木算が常識になった、という流れのようです。

 では、江戸時代までの日本人(和算の元になった昔の中国人も同じだと思いますが)には、なぜ、植木算的感覚がなかったのか。
 しかし、「非植木算的感覚」は、今の私たちにも残っていると思います。
 たとえば、「3kmの間にマクドナルドが3軒ある」と言われると、「1軒目の店から3軒目の店の間の距離が3kmで、店と店の間隔は1.5km」とは思わずに、「1km間隔に1軒ずつある」と思うのではないでしょうか。つまり、3kmの起点・終点は店ではなく、たとえば、「家から駅まで3kmの間にマクドナルドが3軒ある」という感覚で話すのが現代でも普通ではないでしょうか。

江戸時代の和算書から、この種の問題として、私が見つけることができた2例は以下です。
「百万騎の人数、一間に二人づつ立て、長さなにほどつづくぞといふ」(『塵劫記』寛永11年版(1634年))
 100万人を縦一列に1間(この当時は6尺5寸が1間なので、約2mでしょうか)に2人ずつ(つまり半間に1人ずつ)並べると長さはいくらになるか、という問題ですが、1間をどこから測るかという意識はありません。私たちなら、1番目に並んだ人から半間ごとに2人目、3人目、と数えて、100万人目までの長さを求める植木算だな、と考えるでしょう。しかし、『塵劫記』では、100万人を2人ずつ1間に割り当てると全部で何間になるかと計算しているだけです。つまり、答は50万間。これを単位換算して、231里17町20間が答です。

「今、道のり六里十三町四十八間三尺の所に、五尺間に一人づつおきて、幾人ならぶと問」(『算爼』1663年(寛文三年。原文は句読点なし))
 『塵劫記』が庶民向けの「そろばんの練習帳」としたら、『算爼』は、日本ではじめて円周率が3.14であることを計算で証明した和算家向けの専門書とも言えますが、その本でも、植木算的発想はないのです。
「五尺間に一人づつおきて」というのは、一人のところから測って5尺目のところに次の一人を置くというのではなく(結果的にそうなりますが)、ある方の秀逸な表現を借りれば「一人分の領土」が5尺あるということのようです。ですから、6里13町48間3尺を尺に換算して(ただし、1間=6尺5寸=6.5尺)、89625尺。これを5尺で割った17925が、求める答の人数1万7925人です。決して、人の数は間の数より1多いから、17925+1=1万7926人を答としてはいないのです。

 私たちなら、植木算で解かねばおかしいと思う問題を、明治時代初めはそう解いていない例はいっぱいあるのですが、一例は次です。
「長さ七百五十丈の堤あり。その両側に三尺毎に一本の樹木を栽えるときは、樹数幾何(いくばく)を要すべきや」(『數學三千題 巻上』明治13年。原文は句読点なし)
 この本の巻末には答だけが載っていて、「五千本」となっています。
 ということは、途中式を次のように計算しているわけです。長さ750丈が両側にあるから、750×2=1500丈。1丈=10尺だから、1500丈=15000尺。15000÷3=5000本。
 植木算では解いていないのです。

 では、この「非植木算的感覚」は、どこから来ているのでしょうか。

コメント(6)

 話題のご紹介ありがとうございます。鶴亀算とか、植木算とか昔からあるとおもっていたけど違うんですね。あとで図書館で調べてみようかなと思います。

 日本の美学という立場からいうと、たとえば東海道53次などでも決して均等に出発点から到着点まで等距離にはなっていなかったと思います。これがローマ帝国時代とか古代中国のような大陸的な広がりを持った土地であれば人工的に距離を決めて(例えば馬が1時間で走れる距離とか)宿場を作るかもしれませんが、日本のように狭い場所でしかも自然の変化があるところでは地形や周りの集落の関係で均等になりづらかったりするのではないでしょうか。ただそれが植木算の発想とどうつながるかといわれると単純には答えられないのですけどね。
>1 ちょこさん。

 鶴亀算はありました。鶴と亀になるのは、江戸時代も後半ですが。
 和算にあったと思われていて、なかったのは、植木算と仕事算だと思います。

 もしも図書館に『やわらか頭「江戸脳」をつくる和算ドリル』(講談社+α新書)があったら、感想とご批判をいただければ、うれしいです。
ぃゃ〜 おもしろいですねぇ。。

またこういうのがあったら載せていただくとうれしいです。
>3 アメちゃんさん

ありがとうございます。

ダブルポストにまずいので、下のコミュのトピでその後も書き込んでいますので、よろしかったら、そちらでコメントをいただければと思います。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21643747&comm_id=132790
『やわらか頭「江戸脳」をつくる和算ドリル』(講談社+α新書)読ませていただきました。

植木算の発想がないから、塵劫記で米粒の合計を求める計算を間違えたというのは面白いですね。鶴亀算が雉兎算だったりするのもいわれてなるほどと思いました。

あと計算例として出ているものが意外に数値が細かくて計算が必要なものが多かったです。今の教科書では原理の説明のための問題は暗算でできそうなものが多いのに、最初っから結構計算力が必要ですね。

読んでの一番の発見は和算に欠けていたものとして分離量と連続量の違いを日本では意識していなかった。だから小数的な発想と分数的な発想では日本人は小数的な発想がメーンで分数的な発想が弱い(だから最近の大学生が分数計算は苦手というのはちょっと強引だとは思いますが)、内包量と外延量の区別もちゃんとされてなかった(だから速度や濃度の計算が弱い?)というのはなるほどと思いました。

読みやすい本なのでほかの方にもお勧めします。気がるに楽しく読むことができましたが、ほんとうは鉛筆片手に計算しながら読んだほうがいいかもしれませんね。
ちょこさん、ご感想をありがとうございます。

この本の後、明治時代の洋算導入期の算術教育をめぐる議論などを見ているのですが、江戸時代の人の数量観が現在の私たちの数量観と違っていることが、また別の観点からも分かりました。

数量観は、ゼノンの逆説や現代の量子論まで展望に入れると、なかなか一筋縄ではいかないという感が、さらに強まっています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

和算&算額 更新情報

和算&算額のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング