別のギリシア関係のコミュでもたずねた質問です。 『オイディプス王』395行目に出てくるprouphanaes(すみません。ギリシア語が出せないので)の意味とニュアンスについて教えていただけませんか。 わたしはこの語をオイディプスの哲学思考を暗示する一例ではないかと(ほかにもたくさんあるのですが)、気になっています。 R.J.Jebbは、when brought to a public test とコメントしています。 Liddle/Scottよりもっと簡易な手許にある英希辞典をひくと、prophanaesについて clear, obvious と出ています。用例としては、 it's evident that などがあるとも書いてありました。 これらの説明から、この言葉は哲学的な証明が行われたときなどに慣用句的に使われた(とまではいかないにしても)表現ではないかと想像しました。ラテン語の Quod erat demonstrandum と類似の。 しかし、ある方からご教示いただき、perseus projectなどを参考にアリストテレスやクセノフォンの用例を見ますと、どうもそれほど固い感じのニュアンスがあるわけではないようにも思います。 ギリシャの文献に詳しい方がいらしたら、どうかご教示ください。 エーバー
R.Jebbはたぶん、ばーばらさんが解説されたようにとって、
you were discovered not to have this art
と訳したのだと思います。
W. Schadewaldtが
Seherkunst, die du, wie sich gezeigt, (nichts) ... hast
と訳したとき、クセノフォンさんが最後に書かれた意味上の中間態を意識したもののように思いました。
この小さな問題一つをとっても、意味的には、参考にしたものに違った解釈が見受けられました。