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「老荘思想」愛好会コミュの道という言葉をどうとらえますか?

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 「道」タオのことですが、大学の時に読んだ本では、「とかく日本人は無類の「道」好きである。人を投げ転ばす手段に過ぎないものが「柔道」と呼ばれ、好きに飲めばいいものを「茶道」などとし、字を書くことを「書道」などとする。本家の中国では字を書くことを書道などと呼ぶことはない。」といった内容の本を読み、日本人の「道」という字に持ってる感覚と中国人の持ってる感覚とは全然ちがうものかと思ってました。
 ところが、最近読んだ本では、「もともと日本の「道」という字がつくもの、茶道、武士道、書道なども老子の言う「道」を表現したものである。」といったようなことが書かれた本を読みました。
 みなさんはどちらに一票いれますか?
 

コメント(66)


お?

なんだか、このトピ、面白いコトになってるじゃないか。。

老荘系でヘラヘラしてるヤツは絶好のカモだな‥

ひとつ、お手合わせ願おうか!?

>20
トピ主がそれを言ったら御終いだろ?

荒れるぜ、、こりゃ〜 (笑
>23

先ずはこの不善なる者をなんとかせんとな‥

はた迷惑なオシャベリ野郎はブッた斬らんと!
>26
老荘系ならではの茶化し入ってきた(笑)

水や空気は切らん!

まぁ、鍋に入れて火であぶるとか、臭い屁をひるとか、面白そうなら相手するけど、窮鼠をいたぶって反撃される方が、今は興味深いかも。
>伊達男さん、おやめなさい!

そのやうなお閑があるのならば、無為・無欲とともにあり、瞑し黙せよ。

世に迷昧の徒は多い‥、彼らに貴殿が斬るほどの価値はありません。。

(良識のある方は、あの愚昧さや矛盾を見抜いてますからご安心を♪)
Logic never lead anyone to truth.議論がいまだ勝手誰一人として真理に導いたためしがない。とある覚者が言及していました。ですがここはMIXI上のおしゃべりですのでいいんじゃあないでしょうか。分かります。

こどもたちは無垢ではあるが、エゴには達していない。エゴ未満だと。
だが、老壮はエゴを超越したからこそ、無垢なのだと。
それはエゴを完全に超越している。
こどもも覚者も無垢である、という点において共通点を持っている。
だが、全ての子供たちは、エゴを通り過ぎなければならない。
私たちも同様そこを通過しなければならない。

相手の意見は自己の投影にすぎません。相手をスクリーンにして自分自身を見ている。決して後ろの映写機を見ようとしないのが私たちです。
>30

ほんと、あなたのいう通り。
自らが答えるべき問いに答えず、根拠なく他人を批判してる者が誰かは、良識ある人々はわかってますよね。

第二次大戦後、中華人民共和国と中華民国は、それ以前から存在した「中華」という概念により国号を定めた。
いつから存在していたんだろうねぇ?

少なくとも、中華人民共和国と中華民国の成立以後ではないわなぁ。
>31

一人一宇宙である。

我々は五感の感覚を通してしか外部世界を認識できない。
一人ひとりの人間にとっては、自己の認識した世界こそが全てであり、その世界は五感と主観のフィルターを経たものだということ。

したがって、あなたの指摘した通り、自己を他人に投影して当たり前なんですよ。

無知蒙昧で矛盾した人は、他人が全て無知蒙昧で矛盾しているように見えるのです。

真理も同じ。
自己意識フィルターの内側にしか真理は存在できない。
だから、議論しても真理に到達しないのも真である。

道ってのは、自己という系の外にあると仮定されている。
つまり世界の外にあるらしい。
 青春☆ハーブさん

 どちらに一票って、あなたかレイさんどちらかという意味でしょうか。

 なんとなくあなたのほうがウザいです。
駄目だこりゃ‥、、そもトピ主が阿方か。。


>青春☆ハーブ殿
ご助言、痛み居る! なにせ痛いコメントだらけなもんで‥ (苦笑
>32
いつまでヘラヘラやってんだ?!

>いつから存在していたんだろうねぇ?

少なくとも、「4000年前」なワケないよな‥ (莫迦笑
「水になりなさい」と私が言うとき、私は流れになることを意味している。

澱んだままではいけない。動くがいい、しかも、水のように動くがいい。

老子は言っている。タオの道は水の流れる道だ。それは水のように動く。

水の、あるいは川の動きとはなんだろう? その動きには素晴らしいところがいくつかある。ひとつに、それはつねに深みに向かって動く、もっとも低い地をつねに探し求める。

それには野心がない。最初の者になろうと渇望することはけっしてない。最後の者になりたいのだ。

覚えておくがいい。イエスはこう言っている。ここで最後の者こそ、私の神の王国では最初の者となるだろう。

彼は、タオの水の流れる道について語っている。言及してはいないが、それについて語っているのだ。

最後の者であるがいい、野心なくあるがいい。野心とは、上に向かって行くという意味だ。水は下に行く。

もっとも低い地を探す。それは何者でもないことを望む。自分はユニークだ、例外だ、特別だと宣言することは望まない。エゴの観念はない。


老荘思想愛好会コミュが波動の低い論争にならないことを願います。

                      
 
                    
> Kavito(Khaz)さん

エネルギーもてあましてる子らの相手してあげるのも楽しいよ。

今日、意味がわからず跳ね返っていても、いつか自らを省みることもあるだろう。

彼らに笑われなきゃ、そこに道は存在しない。

時間の許す限り、一緒に遊んでみたいかな。
>36

数十年前じゃないってことは認めたわけだね(笑)

3999年前ってことにしとかないか?

どちらも間違いで、おあいこだねb
げにゃまさん>

ウザいとかってのは、ちょっと失礼だとおもう。

今回、資となる彼の発言がなければ、この楽しい一時も無かったし、私も語ることは無かったと思う。

実際、夏についてはだいたい4000年前にあったといわれてるけど、証拠はないし(笑)

青春☆ハーブさんに指摘してもらったから、なんかの機会に調べてみようという気持ちにもなった。

この世に不要な物なんて存在しない。

後から湧いてきた茶化し君も、何かの縁だろうね。

>Kavito(Khaz) 老荘思想愛好会コミュが波動の低い論争にならないことを願います。

いや〜、流石だね☆

>38・39
良くその言葉かみ締めて、オトナになれよ‥。 波動低いぜ!?(莫迦笑

>数十年前じゃないってことは認めたわけだね(笑)

勝手に意見つくるなよ(笑) まぁ、粗忽な間違ひは自ら悟ったようだな。。
伊達男さん>

あなたの受け答えを日本語として解析すると、そういう意味になるんですよ。

まだ疑問でしたら、小学校時代の恩師を頼ってみてくださいね。

国語じゃなく道について語りましょうよ。
> Kavito(Khaz)さん

あなたは老子やイエスの言葉を引用し、教えを説いてますが、そこにタオはあるのだろうか?

昔、偉い導師が弟子達に「これが月だ」と言って月を指差した。
しかし、弟子達は月を指差した導師の指(人差し指を立てた指の形)を月だと認識したそうです。

老子は、タオは水に似ていると言った。
高きから低きに流れる。

さて、老子は水の穏やかな面のみを「似ている」と言ったのだろうか?

ダムが決壊すれば下流の全ては押し潰される。
台風などの嵐が何万何十万の人々の生命財産を誰彼差別無く奪う。

道は無情であるとも言った。

論理的に未熟な者は、気まぐれに駆逐して構わないんです。
それで彼らが精神的ショックを受けたとしても、そんなことは論理的に未熟な彼ら自身の責任なんです。
本来なら未熟な点を指摘してもらったのだから感謝されるべきでしょう。

まぁ、敢えて皮肉っぽい口調で感謝の気持ちを持たれないようにしてるんですけどね(笑)
あはは☆

いろいろ言い訳するなよ。。 「負け惜しみ」って国語しってるのかい?
>1

ハーブ殿の意見を支持する!

拙者も、国語の前に歴史(解釈の基本的作法)を知らん連中には辟易。。
レイさん、

>昔、偉い導師が弟子達に「これが月だ」と言って月を指差した。
しかし、弟子達は月を指差した導師の指(人差し指を立てた指の形)を月だと認識したそうです。

あらゆる宗教は、月を指している指のようなものだとも言います。形は違えど真理(月)は、ひとつだということです。

>道は無情であるとも言った。
ある意味そうなのでしょう。

ある神秘家は言う。TAOの影響を大きく受けたであろう禅宗では、あなたはどこからも来ていないし、どこにも行かない。あなたはまさに今、ここに在ると言っています。

来ることもなければ、行くこともない。あらゆることが、あなたのそばを通りすぎていくだけだと。
あなたの意識はそれを映しだすが、それと一体化することは決してないと。
それは鏡のようなものだと。
鏡はなにもしない、ただ映しだすだけだと。

あなたの意識は鏡にすぎない。

あなたは来ることもなければ、行くこともない。
ものごとは来ては去っていく。

あなたは無垢な赤ん坊で生まれそして年を取る。あなたは生きながらえ、そして死んでしまう。

そうした状態はすべて、意識の永遠のプールに映しだされたものにすぎないのだと。

・・・ちょっとトピずれしてしまいましたね。(苦笑)
誰も最初の質問に答えている人がいないようですね。

「もともと日本の「道」という字がつくもの、茶道、武士道、書道なども老子の言う「道」を表現したものである。」
私はこちらに一票です。

「とかく日本人は無類の「道」好きである。人を投げ転ばす手段に過ぎないものが「柔道」と呼ばれ、好きに飲めばいいものを「茶道」などとし、字を書くことを「書道」などとする。本家の中国では字を書くことを書道などと呼ぶことはない。」といった内容の本を書いた人の言わんとしたことは、日本人はとかく「技術や作法を極めること」と「真理を求めること」をワンセットにしようとするという意味ではないでしょうか?

日本人にとって「武術」と「武道」、「茶法」と「茶道」は明らかに意味合いが違います。前者は「技術や作法」だけですが後者は「真理を求めること」が大事な要素となっています。嘉納治五郎がなぜ柔「道」を植芝盛平がなぜ合気「道」を創始したのかといえば、それが相手に勝つための柔「術」にとどまらなかったからです。
王羲之が創始したという書道は中国では書法、韓国では書芸というそうですが、残念ながら私は作法以上のものは子供の頃に書道塾で習った記憶がありません。ただし、写経の習慣などは道につながるものなのかなと思います。

日本人と現在の中国人が持っている「道」という漢字に対する感覚は他の漢字と同じく違うでしょうね。日本では(神仙思想をベースにした)道教はあまり浸透しなかったので、老子のいう禅的な「道」のイメージを想起しやすいのだと思います。
伊達男さん>

さて、何語で歴史の話するつもりなの?

タオイズム的にいうと、2は3より先なんだよ。

青春☆ハーブさんの場合、口調は汚いけど、真摯に問題と向き合っている。
あなたの場合、他人の揚げ足を取ろうとして、失敗し続けているだけですよ。

私は事実を指摘しているだけですので、仮に間違いがあれば謙虚に受け入れます。
あなたは、指摘された事実に対して感情的に言い返しているだけですよね。
だから、あなたの言葉には重みがない。

厳密にいえば、感情的に単語を羅列しただけで、論理がないのだから言葉ですらないのです。
> Kavito(Khaz)さん

多少のトピずれは主さんも許してくれるんじゃない?(笑)

私には、あなたの書き込みが「月を差した指」に過ぎないように思われました。

あなたの道に対する理解は、まだまだ不十分だと感じたということ。

でも、あなたを鏡として、私自身をみたのかもしれないですね(笑)
> しょうさん

主題に対する仮説の検証作業中っす。

かなりズレてスピンオフ化しかけてますが><

ちなみに禅宗は、仏教の空の思想を道に置き換えて解釈しようとしたもので、逆にかなり複雑化した思想体系となってしまってます。
空と道は似ているが全く別の概念ですので、置き換え不能なところは、どうしても空を理解しないといけない。
空も道も理解しないと禅では悟りが開けないということ。
 しょうさん

 なるほど。じゃあ勝つ事を目的としたオリンピックなどで行われる柔道は「柔術」ですね。
 たとえばすぐに本屋などで、音楽雑誌コーナーに「ロック道」とか並ぶのを見て、「すぐに「道」てつけるんだぁ」って思うのはどうなんでしょう。
 まぁそんなことくどくど考えるの正直だるいんですけどね。なんとなくわく疑問です。
しょう殿

そも阿方の質問に真面目に答へるほうが正直ダルくなりますから、ご注意☆

>47 の回答、勿体ないし無意味。。(そも最初の質問なんて成立してないし‥)
>48

懲りないねぇ、、そろ「謙虚」になれよ。。 中華4000年オシャベリ君☆ (笑

タオイスト(自称できるか?)は、多言を弄して失敗はしないでせう。

>4 中国人という概念は、日本人という概念より遥か先に成立していました。
これは、真っ赤な嘘です!

>伊達男さん の仰るとおり。
思想史を語るのは何語でも良いのですが、その「作法」が確かにありますね。
>50 レイさん
おっしゃる通りです。

>51 げにゃまさん
体重別にして勝敗にこだわるオリンピック競技は「JUDO」というスポーツであり、もはや柔道ではないという意見は今まで何度もいわれてきたことです。国際規格の枠に縛られながらも柔道の心を世界に伝えていこうとしている柔道家を私は尊敬していますけれども。
「ロック道」ですか。これはなんとなく老子のいう「道」より神道の「道」って響きを感じますね。もしかしたら日本人の「道」好きはこの辺にも関連するかもしれませんね。

いずれにせよ今の世の中、伝統的な○○道であれ、コピーライターの創作であれ「真理の追求を目指した精神修養」の部分が抜け落ちて来てしまっているのは事実です。今、思い出しましたが、なぜ私が書道塾で作法以上のものを習った記憶がなかったかというと、時間が限られていたので精神統一に最も必要な硯を摺るという過程を端折って墨汁をそのまま使っていたのです。これでは本当の意味での書道とは言えませんよね。


『道程』



高村光太郎




僕の前に


道はない


僕の後ろに


道は出来る






高村光太郎



『道程』


>59 とみいさん
やっとトピがまともな方向に向いて来た。ありがとうございます。
>とみぃ殿

成る程、忝い!

やはり、そもトピ主の質問の内容が「まとも」ではなかったのでござるな。。
道 タオ ですか?
あえて言葉で表現しきれない偉大なものをたとえてますね。仮に タオ と。
言葉て説明できないから表現は老子道徳経それ
以上表現できないと思います。
だけどこれを読んでふと頭に「道の道とすべきは真の道にあらず!」が浮かんで、あ!なるほどと思いました。
もしかしたら、日本の様々な〜道の多くは、すべきの方かもね。

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