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夏目漱石コミュの『こころ』を読む

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夏目漱石の著作の中では、『こころ』が一番好きですね。

・・・・いや、「好き」という言葉は適当でないかもしれません。本質的に暗い話ですし、『先生』の言動も、100パーセント賛同出来るという事ではありませんしね。

しかし、作品が持つ不思議な吸引力。流石『文豪』と思わせる、豊かな筆致力と、話の展開。

先生の『長い手紙』は、漱石自身の告白文とも思える様な、緊張感溢れる展開で、一度読み出すと、最後まで目を離す事が出来ませんし、最後の「先生」の告白は、衝撃で、鳥肌が立ちそうになります。

普段は善良な人間であるはずの、普通の人々の、極限状況における『エゴ』、『悪意』・・・・。

今まで、何回も読んできましたが、読む度に何かの発見がありますね。

コメント(126)

A.V.W さん、

「漱石のとっての自殺」と「小説・こころにおけるKの死」に
ついての昨年末からの書き込みと、くまさんとのやりとりを
興味深く読まさせていただいていました。

 Kの死は…、朝日新聞に『こころ』の連載をはじめる11年前の
明治36年5月の藤村操の自殺が色濃く影響しているのではないか
と思います。



 国費での英国留学から戻ってきた漱石は第一高等学校の
英語の教師になります。前任者が小泉八雲で、英国留学で
神経衰弱になっていた漱石は、評判が良かった小泉八雲と
比較されて人気がなく、授業も形式的だったようです。
明治34年までは日記もあり、明治37年以降の断片も残って
いるのですが、明治35年と明治36年は日記も残っておらず、
空白の期間になります。

 藤村の英語の授業を担当していた漱石は、授業中に藤村を
叱責し、その数日後に藤村は遺書「巌頭之感」を残して
華厳の滝で入水自殺をします。その知らせを聞いて、漱石は
自分の叱責が原因で自殺したのかとかなり動揺し、神経衰弱が
更に悪化した原因とも言われています。

 藤村の死の原因は…遺書の内容より哲学的な悩みによるもの
とも言われていますし、自殺の前に藤村が失恋していたことが
後に明らかになって、失恋の故の死とも言われています。



 漱石は、少なくとも藤村の自殺に対して共感していたとは
私には考えられません、むしろ、自殺という行為に対して
嫌悪感を感じていたのではないでしょうか?そして「死」に
対して無力感をさえ感じていたように思います。娘ひな子の
突然の死に際しての漱石の日記では、

  昨日は葬式今日は骨上げ、明後日は納骨明日はもし
 するとすれば待夜である。多忙である。然し凡ての
 努力をした後で考へると凡ての努力が無益の努力で
 ある。死を生に変化させる努力でなければ凡てが
 無益である。こんな遺恨な事はない。・・・

  また子供を作れば同じぢやないかと云ふ人がある。
 ひな子と同じ様な子が生まれても遺恨は同じ事で
 あろう。愛はパーソナルなものである。・・・

      明治44年 11月29日の日記より

 「死を生に変化させる努力でなければ凡てが 無益である。
こんな遺恨な事はない。」との漱石の日記の言葉が、心に
残ります。



 Kの死に、漱石は何らかのメッセージを込めたとは、
私は思えません。そして当時の読者は、漱石の『こころ』を
読んで、11年前に世間を大きく騒がせた藤村操の入水自殺
のことを連想した読者が少なくなかったのではないかと
思います。そして先生の死は、1年半前の御大葬の日の
乃木大将の妻との殉死とオーバーラップして捉えられた
ことと思いますし、漱石も、そのことを強く意識して
朝日新聞に連載したのではないかと思います。

85 (A.V.W さん)
> 書かれていないことを読み取るのには限界があると思うのです。

 作者の意図を小説から読み取る時には、でも書かれて
いないことも大切ではないかと私は思います。『こころ』が
書かれたコンテキストとしての時代背景と、作者の執筆時や
さらに遡った作者の心の足跡を辿って、小説に書かれていない
ことと、小説のテキストをオーバーラップさせて浮かび上がる
こともあるのではないかと思います。

 漱石は、この『こころ』で、「死」を葬りたかったのでは
ないかと思います。妻との殉死した乃木大将に対して、先生は
妻を残しています。「死」にピリオドを打ちたかったのでは?
そして「生」を志向したかったのでは?と、今の私は思います。

  「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。
  平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、
  腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて
  始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が
  殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと
  答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったの
  ですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい
  意義を盛り得たような心持がしたのです。
         『こころ』より

  A.V.W さんが「正直、この作品はニガテであります。」と
書かれておられますが、それは漱石にとって、もっとも嬉しい
読書感想ではないかと思います。

 漱石は、乃木大将の殉死の1年後に、明治の精神を葬るために
この『こころ』を朝日新聞に連載しはじめた。それは11年前の
藤村操の入水自殺を、ようやく小説の中で語ることが出来た
ことでもあるのかなあ〜とも…。

 私は神戸在住で、15年前の震災を思いながら、『こころ』を
著した漱石の 心の足跡をアレコレと考えてみました。
>ezekielさん

遅れてすみません。
懇切丁寧なご返信ありがとうございます。

小説を読むのに、そこまで深い作者論が要るとは思いませんでした。
藤村操の自殺ですか……華厳の滝には行ったことがあるのですが気づきませんでした。
かつて、『こころ』を漱石が連載していた時分、ある子供が漱石宛てに、”『こころ』を読んでて面白いです”といった類の手紙を送ったところ、漱石は”大人の小説だから読んじゃいけません”と伝えたという話を聞いたことがあります。

子供だったか少年だったか、詳細なところは記憶していませんが、漱石は『こころ』をおそらく「友情と裏切り」いったテーマで考えてなかったと思います。
ですから『こころ』は、少し危険なものというか、分かってはならないものというか、そうものなのかもしれません。

以前、私の大学のお師匠さんである石原千秋という人は、現代の文学批評が『こころ』を試すのではなく、『こころ』によって批評が試されていると言ってました。
もしかしたら漱石は「読むな、分かるな」といいそうですが、現代人が『こころ』を様々な角度から読み込むと同時に、その一方で『こころ』をどのように読めるのか、私達は試されているようにも思えます。
A.V.Wさん、

> 小説を読むのに、そこまで深い作者論が要るとは

 私の書き方が悪かったよう、大変失礼しました。

 小説が作家の手を離れて世に出ると・・・作家とは独立した
存在としての小説そのものを愉しむのが読書の醍醐味だと
私は思っています。作者の漱石のことを知らなくても
『こころ』を愉しむことができますし、『こころ』が
書かれた歴史背景や当時の日本の文化に関する知識に
疎くても他言語に翻訳された『こころ』を多くの方々が
愉しんでおられるようです。

 私の場合は、小説を外から眺めるように読むのではなくて、
小説の世界に入り込んで、主人公や登場人物と世界観を
共有して読み進みのが読書の醍醐味だと思っているんです。
その鍵となるのが、小説の舞台となった世界を醸し出した作者の
意図ではないかと思って、小説が書かれた当時の作家のことや
小説が書かれた当時の歴史背景を手掛かりに、作者が
思い描いた小説の風景を・・・追い求めている次第です。

私が高校生のころ、現代国語の授業でこの作品を全部通して読みました。皆さんのこの作品についてのコメントを拝見して、読み返してみたくなり、本棚をさがしたのですが、この作品がありませんでした。そこでやむなく、今日本屋さんで角川文庫版で買ってきました。

このトピックの2番でmariaさんがちょっと触れている作品の部分がありますね。ここがある意味でこの『こころ』の核心部分の一つではないかという気がするのです。ちょっと引用してみます。

−−
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞのうちに、これといって、悪い人間はいないようだと言いましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざというまぎわに、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」(角川文庫版P81)
−−

これは「先生」が「私」に言っているせりふですが、これは同時に漱石が自分の思想の一端を登場人物である「先生」に託して言わせているせりふでもあると思うのです。

73番でハルカさんが、次のような興味深いことをおっしゃっています。

−−
ドストフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では、「神も不死もなければ、全てのエゴイズムが許容される」というテーゼが出てきますが、それに近いものがあるのではないかと思います。
−−

ドストエフスキーの小説の世界では殺人やテロリズムのような激しいモチーフが出てきますが、ドストエフスキーのこのテーゼを日本人の卑近な日常生活の中からえぐりだすとしたら、その一つの例が漱石の『こころ』になるのではないかという気がしてきました。
tomtomさん、

> 平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。
> それが、いざというまぎわに、急に悪人に変わるんだから

 私も、この部分は、『こころ』の核心だろうなあ〜と思います。
通奏低音のように『こころ』全体を流れているのは、この台詞に
要約できるように思います。

 ただ、漱石は一般的な意味でのエゴイズムではなくて、この
『こころ』では明治という世がトリガーとなったエゴイズムに
注目しているのではないかと思います。『こころ』の主要な
登場人物である先生も私もKも、地方から東京の町にやってきた者
であり、奥さんだけが東京生まれで、先生は奥さんを残して
自殺します。そして漱石自身は江戸・東京の生まれ・・・。

 悪人と善人が、実は、ひとりの人間の内に同居しているという
不二一元論的なものを、明治の世故に顕れることが多くなった
というのが『こころ』の全編に流れているように思います。
先生だけでなく、私にも、そしてKにも・・・

 
高校生の時、教科書ですこしだけ読んだだけで
他の人が勧めても、かたくなに読みませんでした。
人がイイって言うから・・・って理由で、自分が読むのが納得できませんでした。

あれから、約20年経ち
漱石先生の本を、新たな気持ちで1冊ずつ読み

ようやく、「こころ」にたどりつきました。

まだ、読み始めたばかり
読んだ後、私はどう感じるのか、自分でもワクワクしています。



「こころ」について、mixiでこれだけの議論を重ねられることが凄いですよね。

文章の芸術性・・・だけではなく、日本の現代人が一番理解しにくくなってしまっている「恥の文化」にその魅力が隠されているように思います。

日本人の美しい心の象徴でもあった「恥の文化」。
「恥」を恥と思わなくなった現代人に、
今、漱石の最も伝えたい「美学」があるように思います。
 小説「こころ」…、この中で先生は、大正元年(1912年)9月13日に明治天皇の大葬があった日の乃木大将と妻・静子との殉死に驚き、その2,3日後に先生は自殺を決心したことになっています。

 99年前の今日…でしょうか?

 そんなことを思いながら、今日、mixiの日記を「こころ」と題して書き綴りました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1775183150&owner_id=2816142


 半月ほど前に、久し振りに東京の街に出掛けた折に、都電に乗って雑司ヶ谷に足を向けました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1773872458&owner_id=2816142

 「こころ」の愛読者として、9月13日、そしてその2,3日後って、なんだか特別な季節です。今、「こころ」をもっと深く読もうと、後期3部作の第1作「彼岸過迄」を読んでいます。

 「こころ」って…、私の永遠のテーマかもしれません。

ezekielさん

雑司が谷に行かれたのですね。

私は東京に住んでいて、漱石が大好きなのに、まだ行ったことがないのです。
行こう、行こうと思っているのですが。。。
写真を拝見して、もう、絶対行く!って熱いものが沸いてきましたわーい(嬉しい顔)

すみません、「こころ」とは関係ないですね・・・。

9/13がそんな日だったなんて、初めて知りました。
来年は100年経つのですね。
私は「こころ」は、一番好き、というほどでもないのですが、
此れを気に読み直してみようかしらん・・・なんて思います。
はなさん、

 小説は、発表後は、作家の手を離れて、小説自体を愉しむものだと思いますが、私自身は、素敵な小説を書いた作家のlife(生活、生命)と共に味わいたいと思うので、作家の生活圏や、小説を書いた頃の作家自身を知りたくて…その作家の日記を読んだり、その作家の生活圏を実際に散策したりしています。

 百年前…明治44年(1911年)の8月に、私が住んでいる神戸の西隣にある明石・中崎公会堂のこけら落としの記念講演のために、関西を訪れ、大阪近辺を観光していますが、8月16日の日記の次が、11月11日です。大阪で胃潰瘍が再発して8月19日に大阪で入院して9月14日に東京に戻っているので、100年前の今頃は…漱石は、東京で療養していたのではないかと思います。

施文さん、

 明治天皇の御大葬前後に、毎年「こころ」を読み直していたのですが、今年は、「彼岸過迄」を久し振りに読みました。後期3部作とも言われているよに、「こころ」へ至る道程とも捉えることができますが、私はあまりシンボリックに「こころ」という小説を漱石の代表作とは捉えていませんので、漱石の日記と併せ読んで、漱石という作家の歩みを辿りながら読んでいます。

 漱石は、明治44年(1911年)8月に明石を訪れていますが、明治45年(1912年)の元旦から朝日新聞に連載された「彼岸過迄」の最後は、明石からの手紙です。そして明治天皇が崩御して9月13日の御大葬と乃木大将の殉死…。「こころ」は、2年後の大正3年(1914年)4月からの連載です。

 > 漱石らしい『こころ』

 “漱石らしさ”を感じる作品をシンボリックに取り上げて、それ以外を、”漱石らしくない”と弁別してしまうと、確かにコントラストから見えてくるものがくっきりと浮かび上がると思いますが、私はそのようなイメージよりも、むしろ、日記や書簡を頼りに、もっと漱石の作品を連続的に捉えた方が、おぼろげではありますが、漱石の足跡を窺い知ることが出来るように思います。

> ままさん

 「人がイイって言うから」かえって読まないという気持ち、よくわかるなあ。もう、読み終わってしまっていると思いますが……。
 僕はこの小説が好きで、安いのから高いのまで10冊くらい持っています。初めて読んだのは高校3年のときで、途中で挫折しました。教科書に出てきたから、全部読んでみようと思ったのですが、今、教科書の『こころ』を読んでみると、ひどいなと思います。もちろん、しかたがないところもあるのですが、こんなに無理をして、短く切って、これを読んでみろ、これが『こころ』だというのは、ひどいと思います。むしろ、クライマックスではなくても、まとまりのあるところを載せてほしいですね。これじゃあ、ケーブルで頂上まで連れていって、ガスっていて何も見えなくて、これが山頂だ、どうだすごいだろう、と言っているようなものです。途中の見晴らしまで案内して、そこからは、街が見えて、黒光りする甍が整然と矩形をなし、小さな城も見え、そして、振り仰ぐとたおやかな頂上が見えている、そんなところを載せてほしいと思います。
 教科書を編集する先生方は、漱石山脈の最高峰を、高校を卒業するまでに一目見せておきたいという気持ちなのでしょうね。しかし、頂上だけでなく、さまざまに変化する湿原があり、赤や白のお花畑があり、シシ神の住む深い森があり、数々の見晴らしからは古都やアルプスを見渡せる、そんな楽しみの多い最高峰です。
>>[105]

>「こころ」は、2年後の大正3年(1914年)4月からの連載です。


100年後の2014年4月20日から、また朝日新聞で連載が始まりましたね。
1日1日、読ませていただこうと思っています。
>>[108]

 情報ありがとうございました。気付かずに昨日の「100年後の2014年4月20日」が過ぎていました。昨日の新聞,ちょっと探してみます。
>>[109]

今朝は「先生の遺書(三)」でした。
先生と私が鎌倉の海で泳ぐその上を、太陽がギラギラと照らしているのが石原慎太郎の青春文学を思わせるほど印象的でした。
>>[110]

4月20日の新聞は,結局入手できませんでしたが,今日の「先生の遺書(三)」は見ました。手r元の漱石全集では「上 先生と私」ですが,ちょっと調べると100年前の朝日新聞では,どうも「先生と遺書」の(一)からはじまっていたようで,それに倣った(あたりまえですが)ようですね。

 現代仮名遣いになっていたことに,ちょっと驚きを感じましたが,これは致し方がないことかもしれません。昨年の春に,久し振りに鎌倉の海岸と,2年振りぐらいに雑司ヶ谷の漱石の墓を訪れました。夏には松山に坊ちゃんの足跡を訪ねましたが,こんな連載がはじまると,今度は「先生の家」の近傍を探索・散策したくなります。

 鎌倉で出逢って,東京で先生との交流があり,郷里に戻って,乃木大将が殉死して,そして先生から長い手紙・・・。 Kの死,御嬢さんの母の死,父の危篤,乃木大将の殉死,そして先生の死,連載100年をトリガーに,1年ぐらい本棚に飾っていただけの「こころ」を出してきましたので,久し振りに読んでみようと思います。残念ながら私は朝日新聞を購読していないので・・・
今朝の朝日新聞は、100年前の大正3年4月23日の「先生の遺書(四)」の再掲でした。

先生に惹かれる「私」の心理描写がとても素晴らしいと思いました。
つまりこころが名作と騒がれるほど
他は読む価値もない駄作ばかりという事ですかね。
リアルな感じがとてもします と、読み終わったあとの空虚感 たまらんです 名作なんだと思います
スパっと章わけしながらも、その余韻が結構残っていたと思います



私は、『草枕』や『夢十夜』の方がむしろ名作だと思います。
そして、乃木希典の死をテーマとするならば、『興津弥五右衛門の遺書』の方が、はるかに優れていると思います。
こころ名作ですね。
高校の授業でたまたま読んで、ハマってしまいました。

社会人になり、同じ職場のダメな人を見る度に
「向上心のないやつは馬鹿だ」
ってのを思い出します。
『こヽろ』の中で印象的な言葉は「自由と独立と己」でしょう。「先生と遺書」の中に出てきます。漱石の特徴のひとつとしてその時代を鋭い言葉で皮肉るところがあるかと思います。「自由と独立と己」という言葉は、『こヽろ』発表と同年に行われた講演と対比すると面白いかと思います。

それは置いておいて。

さて、『こヽろ』は名作かとか、名作とは何か、という話題が持ち上がっているようですが、まずは「名作とは何か」について。名作を名作足らしめているのは作者か読者かで考えると、それは読者でしょう。これは異論がないかと思います。作者が自作をいくら名作と言ったところで、読者がいなければ名作とも呼ばれない、ただの小説として扱われまるでしょう。

つまり名作が名作なのは、沢山の読者がその作品を支持しているか、あるいは一騎当千に値するその道の権威がその作品を支持しているか、のどちらかだと思います。前者においては量、後者は質という違いはありますが、とにかく読者(あるいは「受け手」と行った方が正確でしょうか)が決定することでしょう。

それは確かに本においては出版業界の力も作用するでしょうが、出版業界が推したところで、最終的に受け入れられるかどうかは大衆が決定しているでしょう。

では、大衆とは何か。これは難しいと思います。大衆の中でも右を向くものもいれば左を向くものもある。上ばかり目指すものもあれば、足元ばかり気にするものもいる。それを統一せよ、と言われてできる人間はないでしょう。同じように『こヽろ』が好きな人もいれば、気に入らない方もいる。これをなんとかできる人はいないでしょう。

文化、教育、哲学、思想、宗教、信条等々、個々人によって違うのですから。

ですが、その中でも名作があり名曲がある。それは多くの人に受け入れられたもの、ということに過ぎないのですから、自分は嫌いなら嫌いで構わないのではないでしょうか。自分はたまたまその作品とは合わなかったというだけでしょう。それ以上の言は必要ないでしょう。

つまるところ『こヽろ』が名作と言われたのは、何らかの力が働いて、たまたま多くの人間に受け入れられた結果としか、今のところ思えません。その多くの人間に受け入れられた理由を研究するなら膨大な時間がかかると思います。ごめんなさい。

私が言いたいことは、大衆と言えど「自由と独立と己」で成り立っているので、自分が好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いで構わないのではないかと思う、ということです。私個人としては、『こヽろ』はすごい作品だと思いますが、好きか合わないかと言われれば、その時々の気分で変わります。そういう作品だと(あくまでも私個人的にですが)思うのです。
何十年振りかでこころを読みはじめました。
なんで、タイトルがこころなんだろう?
なんて思ってます。
結局、kの本当のこころも、お嬢さんの本当のこころも、分からない。
全て先生のこころによる、ひとり相撲と言えなくも無い。しかし結局、それが大事なのかも知れない。自分を生かすも殺すも、自分のこころ次第ということか。勿論、この小説がそんな陳腐なメッセージのために書かれてるわけではないだろうが、結構現実生活でも、考えさせられるお話でした。
最近、若いころ読みぞびれた文学作品を読む勉強をしていまして、その手始めに、宮沢賢治の作品『銀河鉄道の夜』にチャレンジしてみました。ところが、そもそも文学作品というのはあまり読みなれないジャンルなものですから、こういった作品を読み解くために参考になりそうなYoutubeの動画を探していたところ、「中田敦彦のYouTube大学」というシリーズの動画を発見しました。

その解説は大変面白く、見ていて勉強になったのです。すると、私としては、「中田敦彦のYouTube大学」がこんなに面白くてわかりやすいのであれば、有名な夏目漱石の『こころ』などは、この中田敦彦さんの手によってどのように読み解かれるのかということに興味が湧いてきました。その動画を発見しましたので、ご紹介します。

私が夏目漱石の『こころ』を読んだのは、高校2年生の現国の授業においてです。高校に上がる前の中学生のころにも読んだような記憶があるのですが、あまり良く理解は出来ていなかったと思います。高校の現国の授業でも、やはりよく分かっていなかったように感じます。

以下に紹介する「中田敦彦のYouTube大学」での解説を見ると、夏目漱石は、この『こころ』という作品によって、日本における明治の精神が葬り去られ、大正の精神によって置き換わっていく日本の精神史の全体を総括しようとしていたのだとしています。いや〜、私は高校2年生のころ、そこまではとても理解できていなかったという感じです。現代の比較的若い世代の人々でも、おそらくほとんど理解できていないだろうと思います。中田敦彦さんも動画の中でそのように予想しています。ここで気になるのは、原作者である夏目漱石も、そのこと(つまり、数十年後の日本の世界で、自分の作品はほとんど理解されなくなるということ)を予想していたのかということです。

https://www.youtube.com/watch?v=6mqsvpAoGAE



https://www.youtube.com/watch?v=F3qK-Ox0pI0

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