ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ニューシネマパラダイスコミュのラストのキスシーンの解釈

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ラストで泣けるっていう人いっぱいいますよね。
僕は感動はしましたが泣けませんでした。。トトはどういう解釈で涙したのか?
そして映画見た人はどういう解釈で涙したのかが知りたいです。
トトはフイルムを見る前はアルフレードに対して若干むかついてたんじゃないかと思いました。フィルムを見てアルフレードが昔の約束を覚えてくれていて、トトはそこにアルフレードがどれだけ自分を愛してくれてたかを感じた。と思い感動はしたのですが、なんかそれだけじゃないような気がします。
ちなみに見たのは完全版です。
自分はあまり映画見ない方です。なので眼力がないので皆様の見解が聞きたいです。

コメント(53)

統一的な解釈は、要らない。

でも、あのシーンで感動するとすれば、それは、なんらかの意味を解釈(意味づけ)しているからに他ならないと思います。「解釈なんて要らない」とは私は思いません。ただ、万人が統一的な解釈をしなければいけないということはないとは思います。観る人それぞれ、多様な解釈があってよいと思います。
ラストだけが嫌いです。下品すぎてびっくり。
説明不足でしたね、すみません。
僕は芸術に触れる時は言葉で「解釈」を作ろうとは思いません。
言葉で解釈しようとすればする程それは自分が感じた感動から
遠のいていって何ともちんけな表現になってしまうからです。
芸術は頭で解釈する物でなく
心で感じるものだと思うのです。

そういう意味でこの映画は自分にとって
最高の映画の一つであり、解釈するにあたらない
と言う意味です。

とくに「ラスト」は
ただただ、涙が溢れてきました。
あのフィルムを繋いだのはトトだと思っていましたが・・・違うのでしょうか?
アルフレードの仕事にしては随分と雑な気がします。

ビデオは持っていたのですが、今日DVDを買いました。

あのラストシーン、何度見ても感動します。

あの短いラストシーンの為に3時間近くの話があるというか…

トトが都会へ行って、そして大人になって少しずつ忘れてしまった大切な何かを
思い出させるタイムカプセルみたいな贈り物だったんだと思います。


きっと昔から切り取られたフィルムをトトがいなくなってから
少しずつ作ったんではないかと…


これは僕の解釈のストーリーです!


とにかく感動です!
こどもさん、はじめまして。
>ラストだけが嫌いです。下品すぎてびっくり
ってこんな事云う方が驚きです。
言葉が足りないのでは?
その点、ゆいちろさんの補足に納得です。
チャウるんるん
言葉になんて出来ない。

それぐらいあのシーンには伝わるものがある。

込み上げた。

こんな感じです・・。
アルフレードがフィルムをつなげたかどうかは別として、
フィルムを捨てずに保管していたことが、アルフレードにとっての
トトへの思いであり、「もう、戻ってくるな!!」と言われて故郷を
捨てることになったトトがそのフィルムを観て当時の体験を含め彼との思い
が蘇ったということなのではないでしょうか。

目の前に写っている映像が大切なのではなく、
映像をトリガー(引き金)として聴衆の気持を高めること。
もしかしたら、トトが映画作りで模索していた点かもしれませんね…
「アルフレードが僕に言いたかったのはこれなんだね」と。

恋愛感情・師弟愛・生き様は百人百通りでしょうから、
それぞれが感じることに正しい・誤りはないと思いますよ。

「下品だー」というのも映画の神父さんみたいでほほえましいじゃないですか。
もちろん、作者は男性ですから、「マレーナ」やこの映画も下町の多感な男の子
の目線で描かれています。女性からすると「えぇ、ちょっと下品」とか、
「ストーカーじゃないの?」的発言もあるのは否めないですよね。
お金を払って鑑賞していただける方の解釈次第です。
この映画が映画館で封切られた当時はデートで彼女と出掛けましたが、
彼女はどう思っていたんだろうなぁ。

多感で純な年ごろの間に恋愛体験はしておいたほうが人生は楽しいし、
大人になってから破目をはずすこともないよというイタリアオヤジの
体験談が込められているかどうかは知りませんけどね。

アモーレ、バッチョ、バッチョなんて、台所まわりで息子にしている
マルコのお母さんみたいな風貌のマンマが口にするようなエンディングが
イタリア男性のハートをくすぐったのかもあせあせ
(ちょっと脱線しましたね…あせあせ
映画のシーンを真似てキスの仕方を勉強したなんて、うちの親父と私の
世代までかなぁ。
あの日本語の解釈がオカシイのかな。
下品って品が無いって事ですよね?
キス・シーンの何処が下品なのか、
私には全く理解不能です。
男女の違いというのも?
これについての論議をしようと言うのでは有りません。
この映画が大好き、それにこのラストシーンに特に
感動したので黙っていられなかっただけです。
気分を害された方が居たら申し訳有りませんでした。
チャウるんるん
いわゆる「キス・シーン」というものを下品と言っているのではなく、あの部分にああいう映像を持ってきたことが下品だと考えるわけです。私は逆に、ラストで泣けるのは理解できません。解釈の仕方は人それぞれ。見て、自分はどう感じるか、考えるかが一番大事だと思います。失礼しました。
こどもさん、こんにちは。
そうなんですか。
何となく分かる気がします(笑
すっきりしました手(チョキ)
回答有り難うございました。
チャウるんるん
初めましてわーい(嬉しい顔)
これを初めてみた時は
私は何にもしらない中学生だったので、
ラストを見たとき、
なんで過激な「キス・シーン」なのぉーうれしい顔あせあせ(飛び散る汗)
って思ったのですが、

あの名曲とアルフレッドの優しさに大泣きしました泣き顔
大好きな映画の、興味深いトピックなので、僕も仲間に入れてもらいたくなりました。


映画監督となったトトのプライベートは荒んでいて、ラストのキスシーンのつなぎ合わせフィルムのように、行きずりの女たちと無為な愛を交わしているわけですよね。昔、価値のあったキスシーンは、当時はポルノ的で下品なシーンとして教会によって検閲されていただけでなく、映画の中の出来事なのだから、そこで表現されている愛は、映画の外では当然偽りであるわけで、今のトトの状況とリンクします。また、現代ではキスシーンなどは価値のあるシーンではないということも、トトのプライベートが価値のないものであることを強調します。

ところで、若いころの失恋の傷が癒えていないことは、回想シーンだけでなく、アルフレッドの葬式でシチリアに戻った時に、エレナを撮影したフィルムをひたすらじっと観るシーンからもわかります。エレナへの愛は、つなぎ合わせフィルムのキスシーン(もしくは行きずりの女たち)のような表層的な愛と対立します。

ラストのトトの気持ちは、アルフレッドに自分が幸せでないことを見抜かれて苦笑し、自分の真の理解者がこの世にもういない悲しみ、そしてエレナのように愛せる人がいない虚しさが混ざったものと考えています。
わたしはアルフレードのトトへの深く豊かな愛情といたずら好きの
トトを喜ばせるための遊び心だと感じました。
アルフレードとトトだからこその愛情表現だと。


ミィさんの、フィルムは『切り取られた時間』、それをつなぎ合わせた『はぐくみ続けた愛』という解釈が素敵だなぁと思いました。



街を去り行くトトに対して、アルフレードが「一度街から出たら帰ってくるな。長い間を置き、帰ってくれば、街が、友達が変わらずに迎えてくれる」みたいな事を言っていたと思いますが、僕は最後のシーンで、トトはアルフレードと、お互い昔のままの姿で再会したような気持ちになったんじゃないかと思います。


アルフレードとトト夫々の方法で「映画」を愛した2人の気持ちが30年たって初めて重なった感動的な場面でした、監督は現実物理的に全く不可能を承知で我々映画を愛する観客にこの映画を作ってくれたのだと思います。(ある意味寓話的です)
スクリーンに映る一場面はフィルム24コマで出来ています、検閲などで切断されるキスシーンとなるとかなり長尺のフィルムになり、終了後又繋いで次の劇場へ廻されたと思います、一コマ二コマの切れ端をトトが貰いたがっていた場面がありましたがこれは可能ですね、ラストシーンに写される一つのキスシーンだけでもかなり長いフィルムになってしまいしかもそれが何十と言うキスシーンですから現実では不可能かと思います。(一本の映画のキスシーンがなくなって次の映画館なり配給会社に廻ることになってしまいます。
又あの映画館の映写機は一台でした、大体二巻くらいを繋いで(14〜15分)映写機にかけますから当時一本の映画で三巻〜四巻になると思います、終了したら次のフィルムをかけるのに何十秒か時間がかかりその間場内は暗闇になります、更に普通は二台の映写機があり終了したフィルムは順次巻き戻します。この映画にも出て来ましたが日本でも同じ市内や隣町の映画館とのフィルムの掛け持ちは普通でした、ですからもう一台の映写機で巻き戻ししなければ他館との掛け持ちは絶対に不可能でした、ただ一箇所雨にあ合う屋外での「ヴァイキング」上映の時題の絵の小さな機会でフィルムを巻き取る場面がありましたが映画館には見当たりませんでした。屋外へ鏡で反射させての転写上映なんて絶対に不可能だと思います。
私は承知の上でこの監督のマジックに引き込まれ感動させられました、「映画」の持つ魅力・魔力ではないでしようか。
蛇足ですがこの映画のテーマから三時間版は不要かと思いました。
ジャック・ペランのデヒュー作品「鞄を持った女」も是非ご覧になって下さい。
注*現在の映画館の映写は最初から最後まで巻き戻しも含めて全自動になっております。
完全版の車の中でトトとエレナとの仲を引き裂いたのは、アルフレッド、、、、だったというシーンがありますが、エレナはそれを否定し、、、そして、ラストのキスシーンの数々を見ることで、アルフレッドへのトトの疑念を溶かし、約束、友情、etc、、、を後押ししています。
なんにせよ、モリコーネなしでは見られません。
モリコーネ最高!!
僕は、この映画は最初と最後がキモだと思っています。最初のシーン、夜の情事にふけってはみるが、愛の無い男女。乾いた寂しい空気の中、アルフレッドの死亡を知らせる電話が鳴る・・・。彼の地で成功し地位と財産を得た代わりに、トトが手放したもの・・・それは、本当に愛する人との喜びに満ちた何千回ものキス。成功したのもアルフレッドのお陰。愛を奪ってしまったのもアルフレッドの企み。でも彼は失明しそして人知れず死んでしまった。一番寂しかったのは彼かもしれない。しかし、自分みたいな人生だけは送って欲しくないと、結果的には奪ってしまった愛。それも今となっては真実の愛だったかは分からない。愛も人も変わってしまうものなのか?変わらないのは映画の中のキスシーン。何時見ても、主人公達は変わらぬ愛で口付けを交わす。他の物が全て揃った今でこそ、強烈にクロースアップされる「愛のあるキス」。彼に無いものは、実は彼が一番求めていたものだった。
難しい事は解りませんが。。。

涙が込み上げてじっとしてられずちょこちょこ体制を変えてみたり、、、その時の表情が少年期のトトにそっくりなんですよね。

そしてあの曲泣き顔

解釈ではないですね。失礼いたしました。

初めてこの映画を見たのは私は中学生でした。
その時、感動した気持ちをまた思いだし、僕個人のいろんな気持ちが溢れてくる素敵なシーンです♪
私なりの解釈を紹介します。

トトには青年時代にエレナとの愛を引き裂かれてしまい、心の中にポッカリ開いた悲壮感を埋めるために、映画作りに邁進し巨匠にまでなった。だが、失恋の痛みは決して埋めきれるものではなく、巨匠になった今でも達成感や人生の喜びは得られずにいたのです。時間に追われ、愛の無い生活。
アルフレッドはトトが巨匠になったことへの喜びとは裏腹にトトの心が荒廃していくことに責任を感じていたのだが。。。
そこへアルフレッドの死とエレナとの再開。このときのトトの心の中はアルフレッドの死やアルフレッドとの昔の思い出は重要ではなかった。心を揺さぶられるほどの出来事では無かったのだ。トトにとって重要だったのはエレナとの再開だったのです。トトはエレナとの再開によって完全に動揺し、青年時代に受けた痛々しいほどの心の傷が癒されたのです。
ラストシーンでは、キスシーンフィルムの向こうで現実の世界でエレナと再開したときのあのキスシーンが重ねあわされてみえていたのだ。このときのトトの心は、自分の心の中を知っていたのはアルフレッドだけだった(実はトトの母親も知っていた)ことに、心を見透かされているようでちょっとした恥ずかしさとともに、これまで心の痛みを共有してくれていたアルフレッドへの感謝の気持ちがあるのだ。

と思います。
はじめまして。ラストはただただアルフレードの映画館を覗きに来ていた子供の頃からのいつまでも変わらないトトに対する優しさだと感じます。大人になって少し無愛想に感じたトトも最後は涙をこぼしていたので、理由はよくわかりませんがそう感じます。映画でも何でも観たその人に共感できる。感じさせる感動を与えられればそれほど素晴らしいものはないと思います、自分はこの映画を作った人たちに心から感謝しています涙
ラストシーン号泣しました。
でも、なぜ?ってあまり考えたことなかった。

改めて考えて・・・自分の勝手な解釈です。

映画館が崩れるシーンがあります。
そして、それを眺めている人々の様々な想い。
エレナの若い娘は笑ってたと記憶してます。

愛はいつか色あせてしまう。
時と共に移ろい、はかなきものでもある。
真実の愛はあのキスシーン一瞬一瞬であり、そこに凝縮され、その象徴として描かれたのだと思う。

エレナへの愛が永遠であり、絶対だと信じていたトト。
でも、アルフレードはその上手をいってた。
真実の愛?、それを引き裂かれたことへのわだかまりがあのシーンで溶け、アルフレードの想いを理解し、そして許せたんじゃないかと。

お姫様と兵士との逸話もそんな意味だったのかな?と思ってます。

ちょっと、現実的過ぎる解釈かな。あせあせ(飛び散る汗)
はじめまして。
僕も「ニュー・シネマ・パラダイス」大好き。

このコミュニティを見付けて間もないので、ゴメンナサイ、まだ皆さんのコメントをちゃんと読んでいないのだけど、夢多さんのコメントを読んで、まずこれだけは言わせて下さい!。

この世の中で“絶対やってはいけないこと”!!。

それは、「ニュー・シネマ・パラダイス」の当初公開版(短いほう)を観る前に、先に「ニュー・シネマ・パラダイス〜完全オリジナル版」を観ることです!。これは絶対にやってはいけません!。

まず、短いほうを観て下さい。何度も観て、堪能したあとに、完全オリジナル版は興味があれば観る、といった程度に留めて下さい。最初に短いほうを観たならば、ラストシーンは自然に涙が出ます。顔は微笑みながらも気持ちのいい涙がホロホロと・・。

でも、先に「完全オリジナル版」を観てしまったあとでは、短いほうを観てももう“素”の気持ちには戻れない。夢多さん、ほんとうに残念です!。先に短いほうを観て欲しかった!!。

「ニュー・シネマ・パラダイス」が映画祭などで各賞を受賞して絶賛された際(もちろん各賞を獲得したのは、短いほうですよ)、評論家・批評家たちは、「相当大胆に編集で切り落として短くした形跡がある(エンドタイトルのところに本編に出てこないシーンが出てくるので一目瞭然)が、それが功を奏した。」と言っています。
「完全オリジナル版」のままでは、この映画はまったく評判にならなかったでしょう。「完全オリジナル版」は、最終版を完成させる製作の過程、未完成品だと捉えてもいいと思います。

同じ意見のかた、多いでしょ?。
最初に映画館でニューシネマパラダイスを見たとき、
映画館の椅子から立てませんでした。

改まった解釈なんて考えたことありませんが、
私なりの意見(トトの気持ち)は、
「アルフレード、最後までやりやがったな」
という感じです。
トトの最後の表情(泣き笑い)に、
「あなたは、最後まで自分に魔法をくれて、
そしていつまでも自分に夢を託してくれた」
という嬉しさと、ちょっぴりの憎しみと、
そして最後までアルフレードはアルフレードだった、
という想いが現われているように思います。

ナツオさん<
かな〜り前ですけど、多分劇場版は先に見てると思うんですよ〜。ただ久しぶりにみたくなって、借りてきてみたら、あれっ?こんなシーンあったっけ?と思って、そういえば完全版と劇場版があったんだっけ。今回のが完全版だったんだ〜と気付きました^^;
でも完全版も好きです。


一番好きな映画です。

島の生活はキリスト教の倫理観が全てを規定し、生活は過去からずっと固定していて重苦しい閉塞感に覆われています。
島の生活から若いアルフレードは一度は逃れたのか、そうしようとしたのか、それを託したトトに駅のホームで背を向けたのは、自分のかつての弱さ、同じ轍を踏ませぬためでしょうか。
キスの場面のフィルムは遺言というより、島そのものと外の世界を表し、改めてトトに帰ってくるなとアルフレードは言っているのでしょうか。

ただ映画はどんな解釈をしようと、素晴らしいと思えれば素晴らしい。
それだけでいいものですね。
人生と若き日の青春と情熱かね。名声を得ても得られないものを見つけた瞬間かな
ニューシネマパラダイス、いい映画ですよね。久々に観て涙を流しました。
年を重ねるごとに見え方が違ってきて、実に奥深い映画だと思います。

ラストのキスシーンのつなぎ合わせについて、多くの意見が見受けられますが
全て正解じゃないでしょうか?芸術というのは○×の世界ではないので皆さんが感じたことが
正解なんだと思います。そして映画制作者からすると考えてもらえることが喜びなのではないでしょうか?

実際、製作者本人も、自分と異なる解釈を言われた場合、そういう解釈の仕方もあるのかと
思うものです。

ただ映画に忠実に解釈をするのであれば、アルフレードはトトとの約束を覚えていた
ということになります。

「このフィルムは君にあげるけど管理は俺がする」という、子どもに嘘をついて
映写室を追い出したのではなく、キスシーンのフィルムはトトにあげたものになるのです。
あげると約束したフィルムを、自分の死期の予感から管理しきれなくなると思い、トトの母親へ
フィルムを託しました。

アルフレードは約束を覚えていて、トトはそのフィルムを観て、どう解釈したのでしょうか?

キスシーンのフィルムはアルフレードとトトの「友情」を意味するもので
トトがフィルムを観たときに何を感じたのかを議論するほうが数倍楽しそうな気がします。

とある映画監督より。


ログインすると、残り24件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ニューシネマパラダイス 更新情報

ニューシネマパラダイスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング