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うえのはるきのほめぱげコミュの第二部 〜 僕の尊敬する松村先輩

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僕の尊敬する松村先輩
いつも僕に、時には厳しく時には優しく接してくれる尊敬する松村先輩。そんな松村先輩の過去を以前僕に語ってくれました。いま、ここに松村先輩の過去を紹介します。

松村先輩は山口県下松市に生まれました。松村先輩のお父さんは笠戸の造船工場の下請け会社に勤務していたそうです。その頃の松村先輩は創価学会に入っておらず、宗教や信仰というものとは無縁の生活をしていたそうです。 僕は松村先輩の境遇は最近まで知りませんでしたが、この前、徳山のキャバレーロンドンに連れていってくれた時に酒に酔った松村先輩がジャパゆきさんの上に圧し掛かり店員の恐いお兄さんに殴る蹴るの暴行を受け失禁と脱便を繰り返しながら、この僕に熱く過去を語ってくれたのです。この話を読めば松村先輩がいかに偉大な先輩であるか、皆さんも解ってくれると思いますし、そう信じています。松村先輩は青年教学3級の正義の人なのですからね!

松村先輩は下松市の旗岡団地という市営の公団に住んでいましたが、小学校6年の時に人生の転機を迎えてしまうのでした。時は円高造船不況。数々の造船工場が閉鎖され造船工場が杜仲茶に手を出さなければいけなかったこの時代、松村先輩のお父さんが勤めている会社も例外無く不況を迎えました。この不況は松村先輩のお父さんが勤める笠戸ドックという親会社も倒産する事態となり、下松市の日石撤退、電車車両製造産業の縮小も伴い、下松市は多くの人が失業もしくは事業再構築の波に飲まれこの町を去っていきました。僕もその頃は不況が理由で小学校の社会見学旅行が取りやめになった事を覚えています。松村先輩のお父さんは再就職先に、韓国のヒュンダイ工業を紹介されたそうですが、一家揃って韓国に引っ越す必要がある為これを断ったのです。 結局、松村先輩のお父さんは、松村先輩が小学校6年の時に失業してしまったのです。

それからというもの、松村先輩のお父さんはすっかりアルコールにはまってしまい、毎日、酒を飲んでは松村先輩のお母さんを殴る蹴る犯すのやりたい放題で、松村先輩や松村先輩の兄や弟も暴行を受けていました。そして、松村先輩が中学校にあがる前の春休み、松村先輩のお父さんは、酒に酔って下松の第一埠頭から足を滑らせ、3日後に平田川の河口で、無残な姿で発見されたのです。 松村先輩は下松中学校へ入学したのですが、荒れ放題でした。松村先輩のお母さんは身をていして働いていたのですが、松村先輩は暴走族「卑弥呼」に入り原付自転車を無免許運転で乗り回し、酒と煙草と喧嘩に明け暮れる毎日、そして、兄は高校もやめブラブラ遊ぶ日々、弟は登校拒否となったのです。 そんな壊れた松村先輩一家に優しい声をかけてくれたのが、創価学会の人でした。松村先輩のお母さんは「そんなんウソじゃ!。うちらをだましに来たんじゃ!。」と言って突き返していました。でも、毎日毎日、学会の人達は足を運んできました。松村先輩のお母さんは、学会の人に水をまいて、塩をまいて、学会の人が忘れられないような悪口を言って、追い返したりしたそうです。それでも、何度も来られたようです。あれだけ悪態をついても、学会の人達は、「松村さん、幸せになろうや!がんばろーっちゃ!」と言いってくれたそうです。
松村先輩のお母さんは強く胸を打たれたそうです。その学会の人達の暖かい言葉に。
「なんでこんな私らの為ににしてくれるんじゃろうか。運命なんじゃろうかね。」と思いはじめ、それで最後には、「よし、もう1回だけ、だまされてあげよう。」「この宗教をしてみよう」っていう気持ちになったそうです。

コメント(1)

それは松村先輩が中学校2年の時でした。その頃の松村先輩は創価学会の活動が嫌いで、「あーーうるせーー!!お経となえんなっちゃ!!うるさいんじゃーや!。外へ出て行けーや。」とお母さんに言ったそうです。それでも一生懸命、松村先輩のお母さんは内得信仰し御本尊様をご安置できるようになりました。入信と同時に松村先輩のお母さんは、一日一日と明るくなって、それを感じた松村先輩も学会を認めるようになりました。松村先輩と松村先輩の兄や弟も学会の活動に参加するようになり、松村先輩は更正し、兄は真面目に働きだし、弟の登校拒否も直ったのです。
松村先輩が中学3年の時、松村先輩の弟は、まるで赤ちゃんが眠るような綺麗な姿で亡くなりました。下松市の日石グラウンド(現在:西友)の交差点でダンプに轢かれた松村先輩の弟は両足切断、内蔵圧迫、出血多量と生死の境を3日間さまよいつづけ苦しつづけた弟を不憫に思った松村先輩は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えました。すると弟はフニャフニャに綺麗にやわらかい姿になって……。それからというもの、松村先輩は毎朝4時からお題目を熱心に読みつづけ、立派な高校生になったのです。
松村先輩が高校1年の時でした。「あーーー!金玉が腫れてしもーたんじゃーー!あああ、いたたたたたたーーー!これじゃぁせっかく手にいれたももちゃんともできんのんじゃーーー!あったたたたたたーーー!!」と聖書の授業中に発狂したのです。突然の松村先輩の発狂にクラスの人達はどうしたらいいかわからず授業はパニックになったのです。松村先輩は股間部に手をあてたまま救急車で病院に運ばれました。病名はよく覚えていないのですが、陰のうに水が溜まるという病気でした。このままではオナニーが出来なくなるというので急いで入院する事になりました。「即、入院。即、手術じゃ。手続きんさい。」と言われました。その時、松村先輩は御書の中の「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さはりをなすべき」という御文が浮かび上がり、「そうじゃ!!今は祈るだけじゃ!一生懸命祈っていくんじゃ!!!そしてそして手術するんじゃ!!!」と思い何十万遍というお題目をあげきって、1週間が経ったのです。そうすると、みるみるうちに金玉が萎んで水が何処ともなく抜けてしまったのです。病院の先生も「ああ!直った!直った!!奇跡じゃ!!何もせんで治っちょる!もう薬はいらん。手術もせんでええ、あすから思いっきりオナニーしてええよ」と言ったのです。松村先輩も「いやぁ、すごい!!。この“治しきってみせる”という一念が御本尊様に通じたんじゃ!ももちゃん!」と思ったそうです。僕はそのももちゃんというのが誰かよくしらなかったのですが、AV女優のあいだももだと解って納得しました。僕も、当時、中学の時、学校の勉強もそっちのけでももちゃんには3541回と5/8もお世話になったのですから。
その後、僕は高校の写真部で松村先輩と運命の出会いをする事になったのです。松村先輩は暴走族「卑弥呼」解散後は、光市の土木建築業を営む人達の「夜叉」に入り、兄のレパードを乗り回すニヒルなワルだったのですが、お題目はかかさず免許は無くても、御本尊だけはいつも常備して車を運転してました。御本尊のおかげで松村先輩は事故をする事もなく、警察につかまる事もなく、「夜叉」の活動を繰り広げる事が出来たのです。その素晴らしい御本尊の効果はいうまでもなく「夜叉」のメンバー全員にも通じたのでした。
松村先輩は高校を卒業後、大阪の料理師専門学校へ入学し、出稼ぎで大阪に住んでいる兄の所へいきました。そして卒業後は釜ヶ崎のホテルマンになりました。そして、哲さんと出会い素晴らしいアムウエイの道を進みはじめたのです。「この法華経を信じる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」この言葉の通り、松村先輩は一生懸命祈って、そして任用試験にも合格し、宿命転換を果たしたのです。人間革命なのです。
僕はそんな尊敬する松村先輩に、「自己満足だ」と批判してしまったのです。だけど、松村先輩の言動には過去のこの苦難と苦行と宿命転換の実績があります。僕は松村先輩の足元にも及ばない。だから僕は思うのです。

「僕は、松村先輩を超えたい。。。」

と。

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