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英文読解?コミュの質問です

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以前にもこのコミュニティでお世話になったのですが、これ、どう訳されますか?

For if our own time is the end of a narrative that began in the renaissance,is it not also the past of story yet to be told―「una ricerca del futuro」?

「」内は斜体。イタリア語で「未来の探求」です。出典はM.Tafuri,Interpreting the Renaissance:princes,cities,architects, trans.Daniel Sherer,Yale University Press/Harvard GSD, 2006, という本に収められているK. Michael Haysという人が書いた前書きです

「というのも、もし我々の時代がルネサンス期に始まった物語の終わりならば、歴史もまた、これから語られるべき構想、つまり未来の探求がつくりだす過去ではないからではないか?」

文頭のForは接続詞だと思うのですけど、そういう場合文頭にあってもいいのでしょうか?辞書をみると接続詞としてのForは文頭にはこないとありました。

あと「is it not also the past・・・ 」のitが指すものは、普通に考えれば「our own time」か「the end of a narrative」だと思うのですけど、前の文章にある「history」とするのは無理がありますか?

文の前後関係を考えても、何か腑に落ちないというか、うまく訳せません。

以下は、パラグラフとその試訳です

?But then,doesn't Tafuri have his own utopia as well??His past is no longer the realm of dead characters and inert objects that we long to reanimate.?Rather history is an always active agent that “disturbs the present as we know it,”that now rises up to call our present moment into question,judging us and our architecture for what we are not,for what architecture no longer is,but also for what we are not 「yet」. ?For if our own time is the end of a narrative that began in the Renaissance,is it not also the past of a story yet to be told―「una ricerca del futuro」? ?Closure cannot be absolute if history's unexpectedness is to abide. ?The hermeneutic contact between past and present cannot be performed without producing a future as well.

(「」内は斜体)

試訳
?しかしそれでは、タフーリもまた自分自身のユートピアを描かなかったのか??タフーリにとって過去とはもはや死んだ者たちの領域でもなければ、復活が望まれるような不活性な場所でもない。?むしろ歴史は常に“我々が知っているような現実を掻き乱し”、我々の現在の契機に異議を唱えるために立ち現われる活発な動因なのであり、今の我々でないもの、もはや今の建築でないもの、ひいては未だ今の我々でないもののために、我々と我々の建築に判断を下すのである。?というのも、もし我々の時代がルネサンス期に始まった物語の終わりならば、歴史も同様に、これから語られるべき構想、つまり未来の探求によってつくり出された過去ではないからではないか??もし歴史に予期していないことが残っているのなら、完全に終わらせることはできない。?過去と現在との解釈学的な接触は未来をも生み出さずには決して行なわれないのである。

コメント(4)

>どですかさん

>文頭のForは接続詞だと思うのですけど、そういう場合文頭にあってもいいのでしょうか?辞書をみると接続詞としてのForは文頭にはこないとありました。

これは小さい辞書だとそう書いてあるかもしれませんね。どの辞書をお使いですか? 実際のところ、forは文頭にもくることがあって、僕なんかは「,for」(カンマfor)と「.For」(ピリオドfor)の両方があると、予備校では教えています。ジーニアス英和大辞典でも「まれに独立文としても用いられる」という記述があって、一応、存在が認められています。ここはおっしゃるとおり、「理由の接続詞」で解して問題ないと思います。

>あと「is it not also the past・・・ 」のitが指すものは、普通に考えれば「our own time」か「the end of a narrative」だと思うのですけど、前の文章にある「history」とするのは無理がありますか?

うーん、この手の内容に通暁しているわけではないので自信はないですが、英語的な観点からは、itはやはり、our own timeとみるべきかな、と思います。alsoはどこに焦点をあてるかにより、「Xもまた」と「Xはまた」、のどちらにもなります。よって、

「なぜって、我々の時代がルネッサンスに始まった物語の終着点であるとしても、それ(我々の時代)はまた、これから語られる物語(すなわち未来の探求)の過去でもあるということになりはしないか。」

?の文なども考慮にいれて考えると、ここでいいたいのは、我々の時代はルネッサンスに始まった物語に対して「過去−現在」という関係にあるだけではなく、これからはじまる物語に対して「現在−未来」という関係にもあるのであって、その未来から見れば、我々の時代もまた「過去」である、ということではないかと思います。ここで、現在の建築を「もはや我々の建築がそうではなくなったもの」(過去)のみならず、「我々の建築がいまだそうなっていないところのもの」(未来)の観点からも批判的に吟味するという、?の趣旨がいきてくるのではないでしょうか。




>kazumaさん

お忙しいところ、ありがとうございます。辞書はリーダーズとジーニアスを使っております。もう一度、確かめたいと思います。

>「,for」(カンマfor)と「.For」(ピリオドfor)

なるほどー。こうやって説明されるとものすごく憶えますね。予備校に通っている生徒さんが羨ましいです(笑)

>alsoはどこに焦点をあてるかにより、「Xもまた」と「Xはまた」、のどちらにもなります。

こういう、一見些細なものの違いも、翻訳していく際にはものすごく影響しますね。僕は勉強不足のため、alsoは「Xもまた」しかないと思い込んでいました。すごく参考になります。

全体の内容に関しても納得です。勉強し直します。ありがとうございました。

>K-Youngさん

前回に引き続きありがとうございます。なるほど。
訳の参考にさせていただくところが、いくつもありました。

itもour own timeで納得です。

みなさんのおかげで頭の中が整理できました。

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