ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

刀禰.刀祢.中禰.中祢さん集合!!コミュのなんで刀禰家だけが源平の戦いに出て行ったのか

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
強烈な長さになってしまいました。辛抱して読んでやって下さい。書く方も大変なんですから......。

9月13日から、間があいてしまいました、すみません。やっと吉川英治の「新・平家物語六」を読み切りました。一度では不明な点もあり何度か各部を読み返しましたが、私は吉川英治という作家がキライになりました。分かりにくい文体である事おびただしいからです。C= (-。- ) フゥッ

●本編に入る前に本の時代背景を整理します。

この第六巻は源氏が平家討伐の旗を上げる前の治承元年(1177年)から3年間を源義経の行動を中心に書かれています。壇ノ浦の合戦(1185年)で平家が滅亡する5年前までです。

西暦800年頃から伊勢神宮の伊勢国支配に於いて、刀禰がその末端として船舶の航海権を管理していたのはどうやら事実のようです。伊勢平家の台頭と共に、治安維持活動を含めて、海賊の討伐や中国との交易を担当したのが刀禰水軍と考えられます。

清盛は伊勢平家の出身で父の忠盛、祖父の正盛は中国交易で財を成して、白河天皇のために働いて、勢力を拡大させて清盛の代になって最大の権力を持つに至ったのは史実です。

西暦1000年当時は熊野と伊勢は伊勢街道が整備され、伊勢と日本海や北陸地方を結ぶ交易ルートとしての琵琶湖は重要な位置づけとされていた。平家が勢力を伸ばしてゆく中で、船舶の航行権を求めて刀禰が湖族として近江堅田に進出して行ったと考えます。(これは私見です)

琵琶湖の物流ルートを掌握する堅田湖族(刀禰家、居初家、小月家)には、その時京の都を治めていた平清盛も一目置く存在で、堅田湖族は源氏と平家どちらにも旗色を明らかにしない独立国家のような存在だった。

西暦1000年当時は「熊野源氏」と「熊野平家」の両方がにらみ合いながらも共存していた。(源氏の本拠は東国の平泉で、平家の本拠は伊勢と京の都)

●ここから吉川英治作「新・平家物語六」の抜粋です。

源義経は18才で平泉を飛び出して叔父の源義盛をたずねて熊野に入るが、源氏側の追っ手に追われて、中立地帯とも言える近江堅田の「刀禰弾正介だんじようのすけ」のところに身を寄せる。

当時の堅田湖族は源平どちらにも組せず、公の立場は中立だったが、清盛の圧政に批判的な立場を取っていた為に源氏支持派が多かった。刀禰弾正介もその一人で、源義盛とも交流があったために、その甥の源義経をかくまった。

ある時、清盛に批判的な比叡山の僧兵と刀禰家と居初家の息子達は平家の納める都の治安悪化を狙って、京の町で争乱をおこしたが、清盛配下の平時忠の兵に捕まって牢屋に幽閉されてしまう。刀禰弾正介は救出の部隊を差し向けるが失敗に終る。

見かねた義経は刀禰家と居初家の息子達を返してもらう替わりに、樫田湖族の平家に対する恭順と、義経主従の遠国への立ち退きと、比叡山僧侶と平家を和解させるという3つの条件を熊野誓紙にしたためて、刀禰家と居初家の息子達を返す交渉を自ら京へ出向いて、清盛の配下の平時忠と交渉して成立させる。

●刀禰家に関わる記述は以上です。

交渉が成立したので、それ以降壇ノ浦の平家滅亡まで5年の間、樫田の刀禰水軍は平家につきあう事になります。一方の居初家が、なぜ平家に加勢する事なく、後の豊臣秀吉の時代まで堅田にいる事になったのかは不明です。

ここで肝心な事に気付きました。本題の「なんで刀禰家だけが源平の戦いに出て行ったのか」か謎のままです。 ( ̄□ ̄;) ガーン
スミマセン分かりませんでした。

あくまで、吉川英治の世界ですから史実とは限りません。うちの家には刀禰水軍、近江堅田、壇ノ浦でボロ負け、落ち武者となり時国家について、能登の輪島先の真浦へ辿り着いたと父から聞きました。

・山口県萩市にいらっしゃる刀禰さんとは壇ノ浦で、分かれてしまった可能性が高いです。

・福井県や和歌山県の刀禰さんも、水軍、平家、壇ノ浦が語り継がれているならば、壇ノ浦から生き延びた一族の出かも知れません。

・もしそんな言い伝えがなければ、役職としての浦の「刀禰」や、特に福井県では製塩を司る浦の「刀禰」が名前になっているとも考えられます。神事、神官としての「刀禰」や村の長としての「刀禰」の可能性も高いです。前のトピで書きましたが、「刀禰の○○さん」が代々続き縮まって「刀禰さん」になったのではという説です。

何にしてもこの辺で、一端休ませてください。疲れました……。
( ̄u ̄;)ハァハァゼェゼェ

コメント(13)

おかとにです。けんさん、どうもご苦労様です。
わくわくして読ませてもらいました。
吉川英治さんの小説だと、我々の祖先はあの義経をかくまったんですか?平氏にはめられて味方にされてしまったんですね。
ロマンがあっていいです。あり得る話です。
なぜ、刀禰だけが源平の戦いに出て行ったか?
要領が悪かったのでしょうか?
私たちの祖先らしいです。(失礼しました!)
私の和歌山の家でも昔、都落ちしてきた、という話があるので、
その刀禰家であってほしいですね。
でも、役職の刀禰や、それが偉くなって刀禰を名乗るようになった刀禰と区別がつきません。あるいは、堅田の刀禰も、官職名の刀禰から出たのかもしれませんし。
前にも書いたように
プロの歴史学者は、堅田の刀禰はほとんど無視、
刀禰争いの方の刀禰(官職名からきた)にばかり注目しています。一度このへんのところを専門家に聞いてみたいですね。
明日は6時出発で静岡の三島に出張です。
あの辺には刀禰はいないかな?
めっちゃ解りやすいっ!
すげぇ〜っす。

お疲れ様ですっ!

「平家の落ち武者」とだけ聞いていた自分。
「刀禰」で調べると、伊勢神宮に縁があるらしい。

で、今回「熊野」という言葉が出てきましたね。
これって、もちろん「熊野古道」の熊野…和歌山ですよね?

和歌山に刀禰があっても、別におかしくないっちゅうコトですね。

ウチの本家は高野山の方にあるらしいし。

って、前にも似たようなコトを書いた記憶が…(^^;)
コメントありがとうございます。
感想を書いて頂けるのが励みになります。
何せこれだけ書くと、フッと後ろを見ると誰もいないのでは、
と不安になりました。

ほんとは「新・平家物語」のこの後の6、7、8、以降を読むべきなのでしょうが、私にはとても、とても、根気がありません。誰か読んで、刀禰弾正介のその後どうなったかが、書いてあるのか調べて頂けるとありがたいのですが.....。

本に書いてありましたが、源義経が訪ねていった叔父の源義盛がなぜ、平家の圧政下で熊野源氏としてそこにいたのか、という下りが面白かったです。

源義盛は東国の武将ですが、伊勢参りの折に熊野である女性に出会い、ベタ惚れして東国に帰るのをやめてそこに居を構えてしまったそうです。これが平家の天下の中で熊野源氏の血筋が残った理由なのでしょう。

この源義盛が恋をしなければ、源義経が身を隠す事はできずに、まして刀禰弾正介に関わる事もなく、歴史は変わっていたのかも知れません。歴史はロマンです。

もとをたどれば、平家も源氏も天皇の血筋で分家の分家だから皇族から外れた家柄です。清盛はもう一度天皇家の主流に戻りたかったから、娘の子の安徳天皇を無理矢理即位させたました。

それが民衆の支持を失い、源氏に天下を奪われ、一族どころか刀禰水軍をもバラバラにする結果となりました。

身びいきは家庭の命取りになるという、教訓です。
お疲れ様です。
「新・平家物語」思い出しました。父親に教えられて私もその箇所だけ読みました。そもそも刀禰の出所に興味を持ち始めたのもそのころかと…。
皆良いね由緒ある名前で刀祢に田が付いたらどうなんだろう
人には刀祢さんの田んぼ作ってたんじゃーない?
と言ってるけど
岡トニーです。
なかなか時間ないけど、
けんさんに刺激されて
私もやっと新・平家物語6を買い求め
岡山/新大阪1往復で半分読んだところです。
考えるに、これだけ吉川さんが書いておられるのは
やっぱり何分の一かは史実ではないかと。
吉川さんがどの歴史書(古文書)に
基づいて書かれたかが知りたいですね。
刀袮田さん、田が付いていたっていいじゃないですか。
分家したときに田をつけたのかもしれませんし、
私も堅田の刀禰家由来かどうか、わかりません。
平成の日本でたまたま刀禰類似の名前を持った”えにし”
で、みな仲間です。
岡トニーさんおひさです。
平家物語6を買って読んで頂いてますか、ご苦労さまです。
あの平家の○○の名前が多くて、混乱されているのではと
ご同情します。同情ついでに壇ノ浦から落武者の下りに
刀禰の記述がないか、読んで頂けるとうれしいのですが...。

とねっちさんも、歴史が好きになってきたのならこの際
壇ノ浦から落武者篇にトライしてみませんか、もっと好きに
なるかもです。という風に人に押しつける私は悪い奴です。┌|∵|┘

石川のTONEさん
私も岡トニーさんの言われる通り"えにし” で、みな仲間だと
思います。別のトピで紹介した名字検索で見てみたら何と、
刀禰田は2件で刀祢田は21件だけで、全員親戚みたいなもんで
歴史も調べやすいし、うらやましいです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html
岡トニーです。新平家物語6は読みました。
平家のfirst nameは、教盛だろうが、時忠だろうが、
あまり気にせず読んでいます。ま、面白いですよ。
考えてみれば当たり前ですが、全部で十何巻ある新平家物語で
6巻では、まだまだ壇ノ浦にはなりません。
けんさんに教えていただいたように
比叡山の堂衆らのゲリラ活動の停止、
義経の出頭などの条件とひきかえに、
捕まった刀禰家と居初(いそめ)家の息子たち、ニセ義経らが
平家から釈放される、という状況。
6巻の終わりの方では、
義経と弁慶の五条の橋の戦い、よく知られた話が書かれています。その後の刀禰家については、6巻終わりでは記述なしです。そこで壇ノ浦が描かれている十何巻目を買って、読んでいます。
五条の橋から壇ノ浦までいきなり跳んだので
タイムマシンにのったような、時間警察におこられるぞ、
みたいな、変な感じですが、時間がないので許してたもれ。
けんさんは、7巻以降も読まれましたか?
思ったのですが、我々が居初家の子孫の方にお聞きすれば
壇ノ浦以降の刀禰家の情報が、何か分かるかもしれませんね。
おお、岡トニーさんごぶさたです。レス遅れてすみません。

6巻から飛んで、壇ノ浦ですかお疲れさまです。読んだ人にしか分からない苦労、お察しいたします。しかし、時間警察を繰り出すとはなかなかやりますね。

7巻以降を読もうかと思いつつも、あの難解チャレンジに挑む勇気が、まだでません。

>我々が居初家の子孫の方にお聞きすれば

必ず「湖族の郷資料館」に行きますので、報告レポートをお待ちくだされ。と言うか、この際一緒に行くというのも有りかも。どうでしょ。
岡トニーです。けんさん、
「湖族の郷資料館」ツアーは、いいアイデアですね。
勝手言って申し訳ないですが、
できましたらツアーは土曜がいいですが、
年内は勤務先の行事で埋まっています。
年内でしたら先に行って下さい。
1月は20日の午後が空いていますが
けんさんはいかがですか?
2月は3日以外は今のところ空いています。
湖族の郷資料館は9時から5時まで
水曜休みです。
近隣のトネ族の方も時間に都合が付かれる方
ご一緒されるのも面白いかもしれませんね。
あるいは3月か4月くらいに30人?を超えた記念に
全国から堅田あたりに集まりますか?
わっ!! 誰も手を上げないやろと、たかをくくっていたら、
岡トニーさんが乗って来た。でも良く考えると悪い企画ではない。

別トピ立てて、参加者募集しましょう。私も1月20日の午後からで
いいと思います。

>あるいは3月か4月くらいに30人?を超えた記念に
>全国から堅田あたりに集まりますか?
それもいいのですが、また改めて別で考えましょう。
けんさん、みなさん、
お元気ですか?
その後、トネのルーツの情報
なにか得られましたか?
私も早く和歌山の本家に行って
(父親からその存在を聞いた)
系図を見せてもらわねば、と思っていますが、
なかなか忙しくてできていません。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

刀禰.刀祢.中禰.中祢さん集合!! 更新情報

刀禰.刀祢.中禰.中祢さん集合!!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング