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アジアのゲームコミュのシャンチー、チャンギ、将棋の歴史

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将棋の祖先は、前三世紀ごろ古代インドのガンジス川中流域で作られたチャトランガであるとされています。
インドから中国、韓国、日本と伝わり、ルールも変化しました。
現在、中国ではシャンチー、韓国ではチャンギ、日本では将棋が遊ばれています。

こういった将棋の歴史について、小沼諒さんのブログ「銀将の祖先は虎だった」にて、解説されています。
http://blog.livedoor.jp/r_onuma/

インドから中国への将棋の伝来についての話が一段落し、中国から日本への伝来についての話がはじまったところです。

こういったサイトを参考にしつつ、シャンチー、チャンギ、将棋といった類のゲームのアジアにおける歴史について語るトピックです。

コメント(137)

6月7日(日)乱学講座で 盤上ゲームについて話する機会があり、各種ゲーム歴史など調べているところです。世界の将棋など読んでいます。
>東洋の将棋さん
写真の左端、盤の交点の駒が置かれていますが 盤端にも罫線が引かれてあるのが気になります。
駒が置けないのになぜ線があるのか? 正倉院の碁盤の罫線にもやや似ている
古い盤は、盤端まで使われていたものも見かけました。
>盤端まで使われていたもの

もしかして交点ではなく、 マスメにコマをおいていたかもしれません。
私の地元徳島で、13世紀頃と思われる将棋の駒が出土しています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/090313/shg0903132139000-n1.htm

「本横」という、今までになかった駒ですが、将棋の進化の過程で、どこに入るピースでしょうか。
これからの研究で、その答えが出ることを期待します。自分も、そのお手伝いができれば……。
「本横」という駒は、たまご915さんが上で引用された記事に、『中将棋の駒「奔王(ほんおう)」の読みに適当な文字を当てたとみており、「付近に寺院があったようで、僧侶が遊んでいたのではないか」としている。』と説明があって、なるほど、と思いました。
将棋の進化の過程も、考えてみると興味深いですね。
>将棋の進化の過程

日本へどのように伝播してきたのか?
北周り説、南回り説など 証拠となる出土品や文献がほとんどないので、
推測となっています。
>将棋の進化の過程

不明な点が多いのは象棋やチャンギやチェスなどと同様ですね。最近創作されたゲーム以外は不明なものが多い感じですね。
102本横について
熊澤氏は、奔横とみていました。私もそう思います。
http://blog.goo.ne.jp/ykkcc786/
よく似た駒では、前後大将棋に奔獏があり、裏はありません。ちょっと違いますね。金将2枚と無地の駒1枚ということですから、中将棋の可能性が大きい点は賛成できます。
104 将棋の進化の過程
将棋ペン倶楽部で、タイのマックルックは、山田長政など日本人がアユタヤへ渡った人は少なくなく、日本将棋のルールがマックルックに影響を与えたなど、松岡氏が面白い説を発表しています。次号で結論されると思いますが、賛同できる点が多く見受けられました。
↑ >駒は縦3・6センチ、横2センチで、裏側に文字はなかった。

裏に文字がないとすると 奔王 にほぼ間違いないですね。
戦前、八王子駅名は(ハチワウジ)でした、王 wang は呉音ではワウと発音されます。漢音ではオウ。
横(heng)は 呉音ではワウ で、オウは漢音
横は縦「横」のほかに、広々とした様との形容詞でもあり、横行などはそれにあたるのでしょう。
ええと、1つ突っ込ませてください。

>王 wang は呉音ではワウと発音されます。漢音ではオウ。
>横(heng)は 呉音ではワウ で、オウは漢音

王は漢音・呉音ともにワウです。
横は漢音クヮウ、呉音ワウです。ただこの字は主に呉音が使われていたようです。

しかし、上の出土記事を見ての一番の疑問なんですが、
「奔王」の「王」をわざわざ字画の多い「横」で書くなんてことがあるのでしょうか?

一緒に椀や下駄も出てきたことからすると、出土地はゴミ捨て場で、
うっかり変な字を書いてしまった駒を捨てたって可能性はないんでしょうかね?
私のブログでも、いくつか情報交換を進めています。
http://tamago915.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-9ad4.html

#106 東洋の将棋さん>
>熊澤氏は、奔横とみていました。私もそう思います。

なるほど。自分も「奔」を読み誤った可能性は検討しましたが、ここまで断定はできません。(汗)
でも、「本」だとすると、右払いにかかっている縦棒がどの文字のものか、説明が必要ですね。「横」の縦棒だとしても、長すぎますし。
とはいえ、「奔」だとすると、横棒が1本足らなくないですか?

#107 馬形進さん>
>裏に文字がないとすると 奔王 にほぼ間違いないですね。

「奔横」として (「本」でも異字と考えれば同じことです) 、二中歴大将棋の「奔車」と「横行」をあわせた機能の駒、つまり「飛車」の原型ではないか、というコメントがブログにありました。
奔車+横行=飛車、の説は、増川先生も同じことを述べられていたので、可能性はあります。

#108 ののまるさん>
>「奔王」の「王」をわざわざ字画の多い「横」で書くなんてことがあるのでしょうか?

逆だと思うのです。つまり、もともと「奔横」であったのが、同音の「奔王」をあてた結果、そちらが定着したという考え方です。
現在しられている大将棋は、初出が13世紀末の「普通唱導集」ですから、13世紀の早い時点では「奔王」の駒は存在していなかったと考えられ、つじつまは合います。
>13世紀の早い時点では「奔王」の駒は存在していなかった

中将棋はまだ存在しないと考えられることなどでしょうか?
大将棋は中将棋のあとからできたという説もあります。
#110 馬形進さん>
>大将棋は中将棋のあとからできたという説もあります。

どなたの説でしょうか。論文等あれば、読んでみたいと思います。
「小」「中」があって「大」がないというのは、考えにくいのですが。
↑ 論文ではありません
岡山で大将棋を研究しているかたの説です、日本中将棋連盟会員

>「小」「中」があって「大」がない
はたして、中将棋が出来たとき、「中将棋」と称していたかどうかです。
平安将棋は当時そう呼ばれてはいないはずです。
中将棋も「大」ができて初めて「中」といわれたのかもしれません。
公家の日記を見ると、単に将棋と書かれていますね。
「大将棋」の駒のプロモーションをみると、「金」がおおすぎます。
「中将棋」の成りコマはユニーク。

今日は、千駄ヶ谷で「中将棋」の例会でした。参加者4人。
112に補足します
以前は、中→大将棋とされていた説もありましたが、現在では大将棋が改良されて中将棋ができたとされています。幸田露伴が「将棋雑考」でふれていますし、増川宏一「将棋の駒はなぜ40枚か」56頁や、遊戯史学会の「中将棋の歴史」でも触れています。中将棋の記述で現在発見されている最も古い文献は、異制庭訓往来(1356〜75)で、それ以前は大将棋と小将棋のみの記述とのことです。中将棋は、関根金次郎13世名人時代は著書「将棋上達法」の中で「800年前支那より伝来した将棋」と紹介されていました。
>遊戯史学会の「中将棋の歴史」>

東洋の将棋さん ご教示感謝
遊戯史研究5号 1993.11発行
「普通唱導集」の将棋関係記事について
〜鎌倉後期の「小将基」と「大将基」〜  佐伯真一
の論文に百三十枚型大将棋の記述がありますね。この大将棋は平安大将棋
の発展したものとも。
>「大将棋」の駒のプロモーションをみると、「金」がおおすぎます。

この意味は、中将棋では歩兵のみが金に成ります。他のコマは各種に、そして
成りは覚えやすく配列されています。銀将、銅将、猛豹など。
大将棋では一括して、金となるコマは多い。何故多いか、そのわけは後から加えた
からではないかという推論です。
中将棋には「桂馬」がない。いつも話題になりますが、理由がみあたらない。獅子
がその役割をはたすからというしか思いつきません。

>「800年前支那より伝来した将棋」と紹介

裏付ける資料があるとよいのですが・・・、囲碁では、家元制度のためか、信長が
好んだなどとの伝聞がよく記述されています。
古い中国象棋が出品されていました。
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r54067838
表は文字、裏は図で表現され、北宋時代のものかもしれまん。
 すごいコマです。ぜひ現物を見たいけど・・・。
>115:馬形進さん『中将棋には「桂馬」がない』

中将棋には、あんなにたくさんの駒があるのに、「桂馬」がないとは知りませんでした。小将棋と大将棋には「桂馬」がありますね。チャトランガ、チェス、象棋(中国将棋)、マークルック(タイ将棋)にも「桂馬」と似たような駒があるし、駒の数から考えても、

チャトランガ(?)
  ↓
小将棋→大将棋(駒が多すぎた)→中将棋
  ↓
 将棋

のように進化したという推測もできそうですね。


>116:東洋の将棋さん『古い中国象棋が出品』

たしかに古そうではありますが、それほど昔ではなく、50〜100年前ぐらいかもしれませんね。緑青(ろくしょう):銅の錆が出ているので10円玉と似たような青銅製のようです。
文字は紅方の車・馬・士に人偏が付いているので、台湾製ではないでしょうか?
骨董品の趣味はないので私は入札はしませんが、もし新品だったら欲しいですね。
>115, 118

>「大将棋」の駒のプロモーションをみると、「金」がおおすぎます。

これなんですが、私はこれこそが大将棋が古い証拠だと思っています。

もし「中→大」と仮定して、「いわゆる中将棋」の成り駒がその考案と同時、
あるいは考案以後だが大将棋成立以前に成立していた、と考えるならば、
中将棋の拡張として作られた「大将棋(鎌倉大将棋)」の新規追加分にも、
大大将棋以上がそうであるように、成り駒が整備されていなければ、あまりに不格好です。
少なくとも、一貫性はありません。
「猛牛」や「飛龍」の場合、動き方が成ると弱くなる感があります。
(平安大将棋の場合も成ると弱くなる駒があるが、これはあくまでも「成りはすべて金」という
仮定のせい。少なくとも一部の走り駒に成りがない可能性もある。対して中将棋では
一部成ると動けなくなる方向のある駒もあるが、その場合でも小駒が走り駒になるなど
すべての駒の動きが総体的に強力になる)

また、中将棋の成りだけの駒が大将棋で表側になっているものが1つもないというのも、
「中→大」という進化を考えると、何となく不自然です。
たとえば「(歩兵→)金将→飛車→龍王→飛鷲」という成り上がりの連鎖があるのだから、
「香車→白駒→X」とか「盲虎→飛鹿→X」のような新たな連鎖を作り出して、
それを盤上に反映させる(つまり「白駒」や「飛鹿」が最初からあるように駒を追加する)のも
できただろうに、それをしていません。
追加された駒でも、動きの類似性を考えれば例えば「嗔猪→鳳凰」「猫叉→麒麟」あるいは
「嗔猪→猛牛」「猫叉→飛龍」のような成り方が想定できそうなのに、そうなっていません。

この不自然さの原因は、「中→大」の考案者が「手抜き改良」をしたか、
そうでなければここで仮定した大型将棋の進化の過程のどこかに間違いがあるかです。
手抜き改良ならば、誰かがもう一段整合性を持たせるような改良をしていそうなものですが、
その痕跡はありません。

「桂馬」の中将棋における不存在も、やはり不自然に思わせる要素で、
ほかの平安大将棋にある駒はすべてそのもの、あるいは変化形とみられる駒が
中将棋には存在するのに、桂馬だけがなぜ存在しないのか?
(ただしこれは「大将棋→中将棋」と仮定しても「なぜ取り除かれたか」が問題となる)

私はそれで「中→大」の仮定がそもそもおかしいと考えています。
で、「大→中」が正しいとの仮定のもと、以下のように推測しています。

・平安大将棋に誰かが様々な駒を加えたり、動きを変えたりして(飛龍、横行など)、
大将棋(鎌倉大将棋)ができたが、その時点では成りがなかった。
(「歩兵など→と金」および「醉象→太子」は当初からあったかもしれない)
・やがて『象戯図式』にあるように「醉象→太子」「麒麟→獅子」、「鳳凰→奔王」の
3つの駒の成りが出現する。
・大きすぎて駒の数も多すぎる(=動きを覚えられない、駒の管理が大変)なので、
駒数を減らし盤も縮小した将棋が出現する(=中将棋の誕生)。
・中将棋が誕生したせいで、大将棋は衰退、廃絶する。
・中将棋をさらに面白くするため、駒の動きを強力にする様々な成り駒が考案される。
・その後、ほとんど忘れられていた大将棋の成り駒も、中将棋と同じだと勘違いされた。

つまり、大将棋の成り駒は実際には存在しなかった、後世の勘違いだ、と思うわけです。

長々と申し訳ありません。
>・大きすぎて駒の数も多すぎる(=動きを覚えられない、駒の管理が大変)

ルールとは実際に遊ばれている中から洗練されていくものでしょう。
大将棋はあまり対局されていないふしがあります。

ところで、「奔横」という駒が出土しましたね。おそらく「奔王」でしょう。
118 確かにおっしゃる通りで、帥の文字が使用されている点からもうなづけます。ただ、裏面の駒の絵は、北宋時代の開封出土のものとそっくりです。
チャンギの高級の盤がかなり以前から出品されています。
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w33604127
さすがに15万円では買えませんが。
もうひとつは、裏が碁盤になっているもの。
http://page12.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p37906164
状態がいまひとつのようです。
>118kumagaiさん:50〜100年前ぐらいかもしれませんね。・・・文字は紅方の車・馬・士に人偏が付いているので、台湾製ではないでしょうか?
 僕も、写真をじっくり見ていて、そんな気がしてきました。北宋の昔のコマなのに字面も字体もあまりに現代風(刻印もはっきりし過ぎ?)。裏の絵の古風な感じと、かなりギャップを感じます。
>116,118 等
皆様のおっしゃる通り、昔の駒?にしてはきれい過ぎますね……。
世界遊戯博物館のブログの写真(増川先生の著書にも載っている出土品)と比べると、
字体がかなり違っています。
http://blog.goo.ne.jp/purakruan/e/af1b6f01fbdfb32a061d535aed3c1810
宋代の出版物の中には、確かに清代以降の出版物にも劣らぬきれいな字のもありますが、
出品物のは、そういう宋版の字のきれいさとは違う、無機質な感じを受けます。
出土品の写真を見る限りだと、昔のは今のチャンギのように将の駒だけ大きかったようですが
出品物の方は、今ののように全部が同じ大きさというのも不審な点です。
周囲の円形も現代の工芸品のような正確さだし。
「俥、イ馬、仕」は一応13世紀ぐらいから例はあるようなので、それはいいのかもしれませんが。
鋳型……ゴホゴホ。

あまり踏み込んだことを言うと叱られそうですが……
こういうのの中にはいろいろ古風な色をつけて観光客受けを狙うものも少なくないそうなので、
これも、ひょっとすると……いや、目が利かないので、この辺にしておきます。

>125
チャンギに足付きの盤があったのですね!
囲碁に比べるとあまり重視されていなかったという話は聞いていたので、
こういう工芸品があるとはちょっと驚きました。
現代のプロ(?)の対戦をテレビで見たことがありますが、
盤は足のないのをべったりと床に置いて対戦していました。
ただ、この盤もひっくり返すと碁盤になってる……実はこっちがメイン?
碁盤の方の左右のふちが狭すぎてきちんと石が乗りそうにないのが疑問ですが。
>碁盤の方の左右のふちが狭すぎてきちんと石が乗りそうにない

みたところ石はのります。正倉院の碁盤は石がちいさいのでなんとか載せられるようです。
何故コマに人偏がついているのか、その有力理由が下記にあります。

砲の実物がどんなものだったか、中国人の講師の説明を受けたことがあります。
石を飛ばす器械です。城を攻撃するもの。
日本では、火編の砲の字は使われていませんね。
----------------引用--------------------------
当時の駒は、「将」、「士」、「象」」、「卒」、「砲」、「馬」、「車」が2組の32枚の棋子を使用しており、黒方と紅方の駒の名称表記に区別 をつけておりませんでした。しかし、宋の後期に、使い古しの色落ちによる駒の識別 困難などを解消する為に、棋子(駒)に「帥」、「仕」、「相」、「兵」、「火包」、「イ馬」、「イ車」の駒が登場し、色以外に駒の種類が区別 され、後の元の時代(1271〜1368年)にそれらの駒が定着して、普及していきました。
http://210.150.246.43/game.hp/shanchi/1.html
>元の時代(1271〜1368年)にそれらの駒が定着して、普及していきました。
 すると、元代のコマという可能性はあるわけですね?でもやっぱりコマの刻印が、そんな昔のものにしては鮮明すぎるような・・・。
シャンチーなどの歴史については、遊戯史学会のコミュニティで継続しています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53426085&comm_id=5043543 日本の将棋
皆さん、ご無沙汰しています。

 さて、久々(4年ぶり)にブログ「銀将の祖先は虎だった。」を再開することにしました。
 といっても、明日から年内限定(30回程度)で、プチ再開といったところですが。
 テーマは、二中歴大将棋→大将棋→中将棋に至る一連の改良過程の考察です。
 よろしく、お願いします。

小沼 諒
皆さん、ご無沙汰しています。

 さて、約1年ぶりにブログ「銀将の祖先は虎だった。」を再開することにしました。
 今回は、9/25(火曜日)から、15回程度の期間限定オープンです。
 今回のテーマは、中将棋の「成り」、二中歴大将棋→大将棋→中将棋に至る一連の改良過程に関する追加の考察です。
 よろしく、お願いします。

小沼 諒
2012年11月23日寝屋川市の囲碁将棋まつりにでかけ
中将棋やシャンチの展示・説明してきました。
隣のブースで摩訶大将棋のデモ、研究した成果発表の場でもありました。
都店資料からルールを推測しプログラム化しタブレットで自動対局を。
摩訶大将棋の模擬対局 甲斐誠也 & 大阪電気通信大学 高見研究室
<引用 http://210.150.246.43/game.hp/shanchi/1.html>
当時の象戯(シャンシー)という言葉は、「シャトランジ」が転訛した言葉ではないかと推測されますが、私見であり、定かではありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シャン、ショウギ、チェス、チャン、シットウィン、・・・中国語、日本語、ロシア語、ドイツ語、フランス語その他
なんとなく sha xiang che などの発音に共通したものがありそうですね。将軍や王を意味するのかもしれません。
 意味で伝われば音は変わりそうなので、音が伝わって意味が惹かれたのでしょう。
 シャトランジはチャトランガから来ているので、元はチャトランガですね。チャトランガは、チャトル・アンガで、チャトルは四、アンガは軍だそうです。だから四軍で、これは、ポーン(歩兵)、ルーク(戦車兵)、ナイト(騎兵)、ビショップ(象兵)を表しているとされます。チャトランガのダイスは四面ダイスですし。
 しかし私はむしろこれは文字通り四つの軍、つまり四人式ルールを指すのではないかという気がします。つまり四人ルール先行説を捨てきれません。

 それはさておき、この印欧語のチャトラはラテン語のクァドロです。Cの音はチャ・シャ・クヮ・カと転訛します。クヮルテット(四重奏)などに残っています。チェス類の方は意味を捨象して音が伝わったのでしょう。チェスのチェ、エチェックのチェ、シャンチーのシャン、チャンギのチャン、将棋のショウ、シットインのシッ、シャタルのシャ、みんな4から来ているわけです。
 昔、小学校一年生に字を教えたとき、四が「し」と読むので、将棋のことを「四ょうぎ」と書いた子がいました。私はこれは慧眼なのではないかと思いましたね。
>ルーク(戦車兵)、ナイト(騎兵)

ともに馬を利用していたのでしょう。馬車の方が、騎兵より先行していたのかどうか?
馬具の歴史をみると騎兵には高度な馬具が必要であったようです。しかし、車の製作技術もむづかしそう。
食料や武器をすばやく移動させるには馬は不可欠。牛ではのろいし愚かな動物。馬は利口。
戦いには象の方が御しやすく、力は絶大。騎兵より象部隊が当初は有利であったようです。
象棋の象は動物であったと考えています。
国土によっては車の駒は船の駒にもなります。水路海上の戦では必須の装備。

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