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<吉本隆明・戦後最大の思想家>コミュの講座「『心的現象論』を読む」講師 山本哲士

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1970年代後半、世界理論は総体的に飛躍的に深化していくが、その高度差に拮抗しえているのは日本では吉本思想でしかない。『心的現象論』が英訳されたとき、世界はその思想の深さと固有さに驚愕するであろう。日本語でそれをすでに読めているわたしたちは幸せである。p 486「あとがき」


山本哲士『吉本隆明の思想』三交社2008.8.1


コメント(18)

2014年9月18日(木) 19:00〜21:20頃



テキスト
『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10

○了解論

43 了解と時間性
44 了解の原基
初出『試行46号』1976.9.10

メモ
・中沢新一の新刊をめぐって雑談をしているところからはじまる。

進行内容
・0:02:20・・・本論講義開始
・1:06:60・・・講義はここまで
・2:21:51・・・論議ほか。


http://www.youtube.com/watch?v=DUQGQbQQnHE&list=UUTeLsvOWosGguubORWv8DUg
2014年10月16日(木)19:00〜21:03




テキスト
『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10


〇了解論
45視覚の時間性
46聴覚の時間性
『試行47号』1977.2.20


進行内容
・0:00:00・・・宇田亮一『吉本隆明 ”心”から読み解く思想』の本について雑談
・0:02:10・・・本論講義開始・45視覚の時間性
・0:21:16・・・講義区切り質疑応答
・0:43:26・・・46聴覚の時間性講義・質疑
・1:07:00・・・雑談 (といってもつづきをゆるやかにしているのだが)

http://www.youtube.com/watch?v=amXB5AzDlc8&list=TLSGi7O9r-q7y0uNCkKasmdN2zl7mcTDkl

2014年11月20日(木)19:00〜21:00




テキスト
『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10


〇了解論
47了解の初期条件 〔通し番号の記載なし、(1)に相当〕初出『試行47号』1977.2.20
48了解の初期条件 (続) 〔(2)に相当〕初出『試行48号』1977.7.20
49了解の初期条件(続) 〔(3)に相当〕(同上)


http://www.youtube.com/watch?v=XMBHPgmwXAA&list=TLmkuoRU3BKak

2014年12月18日(木)19:00〜21:20






テキスト吉本隆明 『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10



〇了解論
50了解の水準 〔通し番号の記載なし、(1)に相当〕
51了解の水準 (続)〔(2)に相当〕
『試行49号』1978.1.20



https://www.youtube.com/watch?v=QeXXH3bRf74&list=PLXKGVE6Zbv4d4KoOcsWzOSCVlFjVOk52U&index=20



山本哲士 骨折入院のため1月講座は行われませんでした。

2015年2月19日(木)19:00〜21:20







〇了解論
52了解の水準(3)
53了解の水準(4)
54了解の水準(5)



https://www.youtube.com/watch?v=nJXL8lpuD_o&index=21&list=PLXKGVE6Zbv4d4KoOcsWzOSCVlFjVOk52U
テキスト吉本隆明 『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10

2015年3月19日(木)19:00〜21:10





〇了解論
55了解の空間化(1)
56了解の空間化(2)
『試行』51号1979.1.15

吉本隆明『心的現象論』を読む‐了解論6歴史論2 山本哲士
https://www.youtube.com/watch?v=gE4aFxFpKT0&list=PLXKGVE6Zbv4d4KoOcsWzOSCVlFjVOk52U&index=22


テキスト吉本隆明 『心的現象論本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10



・次回5月予定

57了解の様式(1)
58了解の様式(2)
59了解の様式(3)
『試行』52号1979.6.30

60了解の様式(4)
61了解の様式(5)
62了解の様式(6)
『試行』53号197912.10


山本哲士『吉本隆明と「共同幻想論」』晶文社 2016年12月25日





フーコーは、「人間概念」を始末してしまっていますので、外在性が意志力を働かせているとなります。
しかし、吉本さんはちがいます。個体の意志をまずは設定しています。(単純な個人の意志ではありません)。しかし「対の意志」といい「共同の意志」ともいっています。それはもはや個人主体の意志ではありません、対なるものが意志を働かせるのです、共同なるものが意志を働かせるのです。…わたし〔山本〕は、そこを主体が主語として意志を働かせるのではなく、述語意志であるとして、日本語の言語表現にみていくと同時に「場所の意志」に主意味をもたせました、場所を構成している意志です。人間はその場所の述語意志にもとづいて判断をしていくだけです。これは西田〔幾多郎〕哲学「場所」の論述です。




思想本質的に提示された理論閾、実証不可能の閾に描かれたものですが事態を正鵠に把捉し示しています。

吉本共同幻想論/国家論を「意味されたもの」として説明することに何の意味もありません。…そこから主体は切り離されます。「意味するもの」の働きや作用は消し去られて何ら問題にされません。これが、その解説者の程度に応じた理解水準でしかないことを、いかにも客観であるかのように擬装するのです。




吉本思想というのは、日本語の述語表現の言語形態・思考形態によって固有になされていますから、西欧言語では思考しえていない界閾を開きえたのです。そこがまったくわかられていませんから、自立論=主体論であるかのように誤認されていたのではないでしょうか。




原発支持した吉本はけしからんという表層の始末の仕方は、吉本思想を読みえていない態度からくるものです。吉本さんの追悼集会であまりのその発言に、わたし〔山本〕は本質論読んでいないだろう、だからそう裁断できる。無知からの裁断…だと反批判をしましたが、思想を活かすことは、「意味されたもの」に従うことによってではなされないからです。科学技術の自然過程とは、「主客非分離の述語的科学技術」においてのことで、主客分離の科学技術は自然過程ではない。人為過程でしかない、というのがわたしの吉本継承の仕方になります。「意味するもの」をつかめばそうなります。





吉本論理は、思想的論理です。…フーコーは詳細な「理論的緻密さ」の考察をなしましたが、吉本さんにはそのような詳細さがなくとも、「思想的緻密さ」が確固としてあります。


思想的な緻密化とは、飛躍のなかに正鵠な問題構成をなしていくことです。そして理論化とは、その飛躍に潜む未解決の課題をときあかして概念ツール化していくことです。




吉本共同幻想論は、フーコーやブルデューの国家論が届きえていない界閾を、彼らよりもはるかにすぐれて、彼らが考えられていない次元で考察しえています。国家論は、幻想概念なくして理論生産しえません。ここは、世界へ、わたしたちが発信させていくべきものです。










>>[9]

論述が難しいのでわかりづらいですが、吉本さんにおける意志とは、完全に主体的なる意志を実体化したものではなく、むしろ受け身的に立ち上がってくるものとしてとらえられている、
ということでしょうか。
>>[010]

山本さん、話し言葉で熱く、懸命の伝達努力をなされておられます。

意のあるところ、どうぞお汲み取りを!


ペンギン




>>[10]

>吉本さんにおける意志とは、完全に主体的なる意志を実体化したものではなく、むしろ受け身的に立ち上がってくるもの

興味深い着眼点だと思います。もし人間の意志(特に日本語を母語とする人間たちにとっての意志)が完全に主体的な意志ではなく、受け身的に立ち上がってくるものだとすると、山本七平がいう「空気」の解明にもつながってくるかもしれませんね。

日本人は「場の空気を読む」ということにかなり多くのエネルギーを費やす民族だと思います。欧米人など外国人も全く空気を読まないわけではないと思います。例えばアメリカのトランプ大統領は、あまり周囲の空気を読まず、自らの主観に沿って好き勝手な発言をしているように見えます。しかし、ホワイトハウス内のトランプ大統領の側近たちは、トランプ大統領がかもし出す「空気」を多少なりとも読んで行動したり、発言したり、発言しなかったりしていると思います。だから、アメリカ人も空気を読むのです。

しかしそういうことを念頭に置いても、なお日本人の「空気を読む」ということにかけるエネルギーは、欧米人ら外国人のそれを上回るように思えます。その原因は何か、それが日本語の構造に起因するのかもしれないと考えました。
(9)stutt さんへ・

山本哲士『吉本隆明と「共同幻想論」』晶文社 2016年12月25日



2017年02月17日

引用ありがとうございました。いづれもこころに響くところです。

>吉本思想というのは、日本語の述語表現の言語形態・思考形態によって固有になされていますから、西欧言語では思考しえていない界閾を開きえたのです。

>思想的な緻密化とは、飛躍のなかに正鵠な問題構成をなしていくことです。



2017年02月18日 19:45

> ケン(ちゃん)さん。ありがとうございます!

山本さん、話し言葉で、懸命の伝達努力をなされている模様ですね。
熱い!貴重な情熱ですね!! 


stutt さんへ

まず、この論考にかける情熱は尋常のものではない。山本さんからみたら、吉本さんをうんぬんしてきたものの、ほとんどは努力不足・怠け者にいうつるでしょうね。

ほんとうに懸命に本質的に読み込もうとする、<気>と、情熱をもちえるか・・・・。

理論と実践をつなぐものは、意志と情熱しかないといった、「ランボウもしくはカールマルクスの方法に就いての緒注」(題は、いまおもいだして書いてるのでまちがっているかもしれないけれど)を思い出す。全身全霊を傾注するなかからしかでてこない飛躍をどう理論的に受け止めるか・・・。


並行して『フーコー国家論』『ブルデュー国家論』を昨年同時に書きあげ、その3作を総合的に読み比べてほしいのだと思う。。

わたしたちもまず読むくらい読まなければ、恩知らずということになってしまいそうだ・・・だけれどそれすら困難・・・うーむ。



[013] ケン(ちゃん)さんへ

コメントありがとうございます!


晩年、吉本さんは、内心、<自分の仕事の理解者は、自分のほか、つまるところいないのではないか>という、鬱懐を強くされている、そのように私の眼には映って、ひそかに心を痛めておりました。

実際、吉本さんを、その核心において理解することは、まことに難業です。


その難業に、山本さんは果敢に挑み続けておられます。

吉本理解の今後に、エポックメイキングな種を蒔いていただいた、と喜んでいる次第でありまする。



るんるん







[013] ケン(ちゃん)さんへ


<師の指そのものではなく、師の指の指差す方向を見よ>と言ったのは、どなたでありましたか…。



ペンギン









[15] stuttさん


御示唆ありがとうございます。どなたかは存じませんが・・・。すみません。


stutt

> ケン(ちゃん)さん。こちらこそです。いつもありがとうございます!


宇田亮一『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の読み方』アルファベータブックス

音韻とはリズム(流れる、つながる)であり、韻律とはタクト(打つ、切る)であるということになります。----ただ、ここで最も重要なことは、リズムとタクトは切り離すことができないということです。
[私的メールの部分公開]

今回のご質問。
❮吃音は関係性(対幻想、共同幻想)の中で生じることになるのでしょうか。違う言い方をすれば、自己幻想の中では吃音は基本的に生じないということになるのでしょうか。❯

吃音は関係性(対幻想、共同幻想)の中で生じる。そう言われれば、そうです、とお答えする他ありません(関係性一般です。つまり、自己幻想も含まれます。)が、発話は、(その関係性の中で)言葉を具体化する、作り出すという実践であり、身体の動きであり、行為です。そして、吃音はその発話行為であるに他ならない。矢野説はそう唱えます。

今回のご質問は、その矢野説とかなりズレがあります。
ご関心の置き所からくるズレなのでしようか?

わたくしにはよく判りません。失礼ながら、お答えに窮している次第です。

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