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テレマンコミュの「忠実な音楽の師」について

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テレマンについて詳しい皆様の情報をいただければと思ってトピックをたてました。

私は楽器屋ですが、古楽器による演奏のすばらしさを少しでも多くの方に知って欲しいとおもって、小さなコンサートなどを企画しています。
聴衆はほとんどが古楽未経験者(BGM以外はw)なので、作曲家や音楽、楽器などについてもできるだけわかりやすい解説を添えて聴いてもらおうと思っています。

今度、ガンバのソロ演奏で、プログラムにテレマンの
 「忠実な音楽の師」 より、 ソナタ 二長調
が入っているのですが、この解説を考えていていくつか疑問が出てきました。

1.テレマンが「忠実な音楽の師」を定期刊行した背景、購読者のプロフィール、当時の第三者からの評価など、トピックやエピソードがありましたら教えていただけませんか

2.タイトルの日本語訳が気になっています(不自然な感じがする!)
「忠実な」という日本語訳は妥当なのか?
日本語の語感では「忠実な」というのは対象の人がいて、王様や雇い主や生徒に対して忠実、という印象を受けてしまいます。(私の日本語感が変わっているのでしょうか?)
このシリーズを出版した当時テレマンは自由都市ハンブルグのカペルマイスターであったでしょうから、特定の王様に対して「忠実な」ということではなさそうに思いました。

原文では "Der getreude Musik-Meister" だと思うのですが、この getreude の日本語訳としては「忠実な」以外に「誠実な」「正確な」「終始かわらない」などがあり得るように思いますし、特定の対象を必要とする「忠実な」という言葉がどうも違和感を感じてしまうのです。
Meister が必ずしも教師という意味である必要もない(大家、達人、巨匠など)という気もします。

この日本語訳がなされた最初の文献、また実際にこれを訳した方、この訳になったえらんだ背景、理由など、このあたりもご存じの方がいらっしゃいましたらぜひご教示ください。

よろしくお願いいたします

コメント(5)

 *管理人さん:CDのブクレットからの無断転載なので、不適切なら削除下さい

 僕が持ってるカメラータ・ケルンの「忠実な音楽の師」の全曲CDのブックレットによると、

 ?17世紀にはクラビーア小曲集や音楽の芸術書や作曲技法の教本は高価なもので、手写しで伝えられた個人的な所有物だったし、教師と生徒の密接な関係(これだって時には相当高くついた)においてもたらされるものだった。

 ?(初期ドイツの啓蒙思想が広まってゆく過程における大きな変化の兆しとして)人々はこれらの本の印刷されたものを購入することができるようになった。
 さらに突如として、音楽美学に関する激しいディスカッションが公的な場で繰り広げられるようになった。

 ?そんなおり、ヨーハン・マッテゾン(J.Mattheson)が素人にもわかりやすい理論的な知識を提供し、「完全なる楽師長("Der vollkommne Cappelmeister" 1739)」を表した。
 その後彼は1715〜1740年にかけて47の作品集を、1741〜1765年にかけて13の出版譜がドイツ他の出版社から刊行されている。

 ?そんな活躍ぶりのマッテゾンとテレマンがハンブルクで出会い、その後40年の歳月の間、特に近しい関係であったわけではないが、影響しあった様である。

 ?マッテゾンはその後1722〜1725年の「音楽批評("Critica musica" Hamburg 1722-25)」と言うドイツ最初の音楽新聞を成立させた。
 テレマンは音楽の定期刊行物のアイディアをこのマッテゾンから得たらしい。

 ?「忠実な音楽の師("Der getreue Music-Meister")」と言う題名は1706年ライプツィヒで刊行されたアウグスト・ボーゼの「貴族や市民階級の若者のための信頼おける家庭教師」からインスピレーションを受けているそうだ。
 
 ?1728年11月13日から1729年11月1日まで14日毎に全25課が出版された。
 
>tetsuさま
さっそく情報ありがとうございます。
「アウグスト・ボーゼの「貴族や市民階級の若者のための信頼おける家庭教師」」というのがいまネットで調べた限りは見あたらず、ドイツ語の原題もわかりませんでした。
でも、「完全なる楽師長」とも韻をふんでいるようだし、一連の流れだったのでしょうね。
「信頼おける」というのが原語でどういったかはわかりませんが、この「誠実な。。」という訳語も「信頼おける。。」と言い換えてしまったほうが状況としては自然な感じがしますね。
いろいろ調べては見ましたが、以下のことだけ書かせていただきます。

Der getreue Musik-Meisterを「忠実な・・・」とするのは
私も不自然な訳だと思っていました。
「誠実な音楽師」とか「真摯な音楽師」とかでよかったんじゃないかと。

しかし、この定期刊行物の序文にテレマン自身が使っている表現ですが、
weil der Mensch der Arbeit wegen, und um dem Naechsten zu dienen, lebet.....
(man lives for work, and in order to serve others)
というのがありまして、このことから音楽によって糧を得るのではなく、
音楽のために生き、さらに神から賜った才能を独り占めするのではなく、
隣人と共有する、そのような音楽家像をこの定期刊行物に付与しようとした
意図が感じられます。
このum dem Naechsten zu dienen lebet「隣人に仕えるために生きる」という表現から
「隣人の僕として生きる」といった意味合いにもとれ、僕となれば「忠実な」という訳が
あながちはずれてはいないということになろうかと思います。
「音楽に対して真摯で、隣人に忠実に仕える音楽師」なんてどうでしょうか。

August Bohse(Talander)については
http://de.wikipedia.org/wiki/August_Bohse
からいろいろリンクしてます。
『家庭教師』はこれでしょう。
Der getreue Hoffmeister adelicher und bürgerlicher Jugend/ oder Auffrichtige Anleitung/ wie so wohl ein junger von Adel als anderer/ der von guter Extraction, soll rechtschaffen aufferzogen werden/ er auch seine Conduite selbst einrichten und führen müsse/ damit er beydes auff Universitäten/ als auf Reisen und Hofe/ sich beliebt machen/ und in allerhand Conversation mit Manns-Personen und Frauenzimmer vor einen klugen und geschickten Menschen passiren möge / Allen denen/ so Tugend und Ehre lieben/ zu verhoffenden Nutzen an das Licht gegeben von Talandern. - Leipzig : in Verlag Joh. Ludw. Gleditsch, 1706

http://gso.gbv.de/DB=2.1/SET=2/TTL=111/SHW?FRST=118/PRS=HOL
はじめまして、学生の身ですが一応テレマンの研究に携わっていますので一言失礼させて頂きます。


テレマンのハンブルクでの出版活動に関しては以前ブレンターノさんが別のトピックで紹介されていた英国のテレマン器楽曲研究の大家Steven Sohn氏の最新の著書Music for a Mixed Taste の第7章に『忠実な音楽の師』も含めて詳細に書かれています。が、ちと高い&彼の英語は難しくて読みづらいのが難点です(笑)

私見としてはちょうど同時期に

Methodische Sonaten(1728;これもなんて訳すんでしょうね 笑)

Singe- Spiel- und General-Bass-Uebungen(1733-34 『通奏低音の練習−歌いながら、弾きながら』という悲惨な訳があります)

などの出版がありますからやはり非常に啓蒙主義的な、教育的な意図があったっていうことは解説の上で落とせないかと思います。逆に『コレッリ風ソナタ』『パリカルテット』などが出版される30年代後半はあまりそういった意図が見られないようにも感じられますね。

それから「実はけっこう商魂たくましい曲集」という点は一般の方向けの解説としては面白いかもしれません。実はほとんどの多楽章作品は、各楽章を別々の回に分けて出版しています。なので毎号買わないと一曲演奏できなかったりします(笑)件のガンバソナタも第15回と16回に分けて掲載されていますね。

楽曲的にはレチタティーヴォが挟まってるっていうのは研究者として非常に「そそられる」ところでありますが(笑)一般のお客さんに対してはちょっと専門的な話になってしまいますね。


それと皆さんの議論されているタイトルに関してですが、私は『忠実な音楽の師』でいいと思います。確かに「忠実な」というのは少々キワドい訳ですが間違っているわけではありませんし、なによりとっても一般に普及しているタイトルですから、変えてしまうとむしろ多少テレマンを知っている方には「んっ?」と思われるかもしれません。タイトルはそのままにして、必要なら解説の方で注釈してはいかがでしょうか。

とそんなことを言った上でMeisterの訳に関してですが、大学所蔵のファクシミリ版楽譜を見ましたら、それぞれの回の冒頭には「〜(数字)te Lection des Music-Meisters」という表記がされていました。つまり「Music-Meisterの第〜回目のレッスン(課)」ということですから、ここでのマイスターはやはり「先生」の意味でとるのが正しいのではないでしょうか。もちろんカペルマイスターも含めて当時のいわゆるmeister(親方)が教育者としての側面も持っていたことは頭に入れておかなければなりませんが。ここからも非常に教育的な目的の曲集と言うことが見えてきます。私はgetreueというのは「生徒に対して」あるいは「消費者に対して」かなぁ〜と勝手に思っていました(笑)

それとこの時代のカペルマイスターKapellmeisterは一般的に音楽学では「宮廷楽長」と訳されますから、宮廷のないハンブルクのテレマンにこの語を使うのはあまり正しくないかと思います。(バイロイトの「在外(von Haus aus)楽長」という兼任していた役職を除いては。)この時代のテレマンの役職はおそらく「市の音楽監督兼ヨハネウムのカントル」というのが正式なものではないでしょうか。

最後にとっても細かいことなんですが、原題は Der getreue Music-Meister が正しい綴りです。現代ドイツ語だとMusikですが古い綴りですのでMusicで合っています。
>サトーさま
丁寧な解説ありがとうございます。

なるほど、お話しのような前置きがあるのでしたら、これは教師としての役割が全面に出たMeisterでしょうね。おっしゃるように、人口に膾炙している呼称をわざわざ言い直すつもりはありませんが、はじめて古楽に接する人たちに誤解のないように説明をしたいことと、いつ誰がこういう訳をされたのかに個人的な(意地の悪い?w)興味があったものですから。

Kapellmeisterの言葉についても日本語訳が「宮廷楽長」だから自由都市ハンブルグでおかしな話になるわけで、本来のKapellmeisterの言葉としては「宮廷」という意味合いは含まなくてよいのですよね?
それなら市の音楽監督という意味でよくわかります。

ドイツ語も昔からは変わっているのですね。つい現代ドイツ語の感覚でMusikと書いてしまいました。
ご指摘ありがとうございます。
またいろいろ教えてください。よろしくお願いします。

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