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蝦夷(えみし)コミュの奥州藤原のファンです。

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はじめまして。
 子供の頃から平泉や奥州藤原氏に不思議なほど関心を持っていましたが(日本史年表で、隣に太い字で書いてある『1192年 鎌倉幕府成立』より、はるかに気になっていました)、それがあの『炎立つ』で一気に自分の中でブレイクしました。
(この10数年来では、もっとも質の高い部類の歴史小説&大河ドラマではないかと思います。)

そしてここ数年は、平泉詣でを続けています(レンタサイクルで廻るのが気持ちいいですね)。 y.



コメント(25)

なんて嬉しいトピ!!
私も奥州藤原氏、大好きです!!
私は基衡ラブです(笑)『炎立つ』にはちらっとしか登場しなくで寂しい限りですが。

平泉、また行きたいです!!
数年前に久々に行ったら、道路などがかなり整備されててびっくりしました。
自転車でも走りやすくなりましたよね。
>はちゃぱさん
経清、いいですよね!『もののふここにあり』という感じがします。人生をどう生きるべきかを、常に考えさせてくれます。

>モルツーさん
基衡がお好きなんですね!彼の存在は、平泉の隆盛を語る上で欠かせないですよね(基衡あっての秀衡、基成、泰衡ですし)。


平泉は、純朴な雰囲気が残る、とてもいい所です。中尊寺と金色堂はもちろん、毛越寺、無量光院跡、高館から眺める北上(日高見)川の流れ、等々。芭蕉が歌を詠みたくなった気持ち、少しは分かる気がします。y.
私のご先祖さんは
藤原氏の地頭のお役目を
任されていました

今は、私は、アイヌ(人の意)の地で
います
故郷のように思っています

アイヌ・モシリ(神と人間が、ともに暮らす台地)
ウレシパ・モシリ(互いに育ち、育み合う大地)から


アイヌ・エミシ・土蜘蛛・サンカ・安曇野・出雲・熊襲・隼人
ウチナー
先住民の血は、私たちの中に、脈打っています
はじめまして。
私も、「炎立つ」で奥州藤原氏が好きになったひとりです。
いま、もう一度読み直してるところです。
きっと何度も読み返すと思います。
所縁の地めぐりがしてみたーい!
>ピリカ・メム・ワッカさん
写真つき、ありがとうございます!奇麗ですね(不勉強なせいで仔細が分からないのは少し残念です。。)。北海道?大好きな土地の一つです。


>KEYさん
再度お読みになっての感想はいかがですか? ぜひ「彼の地」平泉にお出でになってください。一層思いが深まること、間違いなしだと思います!
はじめまして、こんにちわ。
奥州藤原氏のファンの方に会えるのもmixiだからかしら?
すごいなぁ!

子供の頃初めて訪れた金色堂に行った時から、奥州藤原氏の存在が気になり、社会人になってからは奥州藤原氏関連の史跡を探して巡ったことを思い出します。
(なんといっても藤原4代のご遺体がミイラとして残っているということと、その彼らのお墓ともいえる金色堂だけが焼失することなく現在まで残っているという奇跡に畏怖の念を感じます。)

もちろん「炎立つ」は大好きです!
特に一部の安倍貞任と藤原経清の友情に心を打たれました〜
反対に二部の清衡と家衡の悲しい関係は見ている方も辛かった。
しかし、大河ドラマの三部は、いわゆる史実と異なることが描きにくいらしく、高橋克彦さんの小説「炎立つ」のラストとは同じにならず私自身は残念に思いました。

父方の田舎が岩手なので、1年に1回くらいは岩手に訪れています。
でも、平泉へは、一昨年の10月に行ったきりです。
世界遺産登録に向けて平泉町の皆さんはがんばっていましたよ。
>まぁちゃん さん

>金色堂だけが焼失することなく現在まで残っているという奇跡に畏怖の念を感じます。

本当にそうですね。度重なる大火に耐え、900年後の今も荘厳なまま残るという奇跡。
 火事場の何とか、とあるように「金色堂だけは」という当時の人たちの、必死の努力の賜物でもあるのでしょうが、元をただせば藤原四代(そして安倍氏)の善政の成したるわざが、天に通じ、そして人を動かしたということではないでしょうか。

>三部は、いわゆる史実と異なることが描きにくいらしく、

『武士は名をこそ惜しむべき者なり』としばしば語られます。そして彼らの名(もちろん名声)は後世に残りました。それを考える時、今の史実(多くは『吾妻鏡』からの解釈のようです)が全て事実とは、思えないのですが(例えば泰衡とその兄弟たちに関する部分など)。y.
華麗な10番さん

4代泰衡は平泉の館を焼いて北へ逃れていったということですから平泉に残っていた重要な書類等も焼けてしまったんでしょうかね。それとも、鎌倉軍によって隠されてしまったのか?
歴史はいつの世の中も勝者のものなのかなぁと考えてしまいます。
はじめまして。久々に蝦夷って言葉を見て思わず参加しちゃいましたw
私も『炎立つ』でハマッタ口で、大学の卒論のテーマにしてしまったほどです^^;
仏教の展開から考えると奥州平泉の盛衰が理論付けられる的な論題だったんですが、すっかり忘れて仕事に励んでいましたw
ミクシ始めて間もないのですが、いいトコ見つけてうれしいデス!
さきほど見つけた記事から、とり急ぎ作りました ^^;
 今日の毎日新聞より(online)
>世界遺産:暫定リストに「富士山」など4件追加 文化庁
 >文化庁は23日、世界文化遺産登録への第1ステップとなる暫定リストに「富士山」(静岡県・山梨県)など4件を追加することを発表した。
>暫定リスト入りしたのは富士山のほか、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)▽「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」(奈良県)▽「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県)の3件。今後、政府の推薦が決まれば、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会に推薦書が提出される

 これに選ばれること自体への賛否両論はありますが、それはさておき、『平泉の仏教文化』(岩手県)も確か候補入りを目指していたはずですが。。。(紙面では詳細確認できず...)
(個人的には、微妙な心境ではあります。平泉の藤原文化は、どこか世俗と超越していてほしいものですから)y.
>まぁちゃんさん
 真相は今では謎ですが、高橋克彦先生がお書きになった説(人的資源を鎌倉政権に登用させるための意図的な記録廃棄)を採りたい気がします(事実、重用された文官もいたようです)。 
 歴史認識(昨今どこかでよく聞きます)の問題は政治と直結されていますのでややこしいですね。。。が、完璧に中立な史実などはないということを、我々として理解していればまずは良しとすべきではないでしょうか (o^-')b

 >olofatさん
 ありがとうございます!このトピ、楽しんでいただければ幸いです。
 平泉の仏教文化は藤原四代の隆盛と表裏一体だと思います。(専門的見地からも是非ご意見下さいね) y.
完璧に中立な史実などはない・・・まさしくそのとおりですね。
奥州藤原氏は鎌倉軍によって滅びましたが、彼らたちが残したもの(やり方)は奥州をおさめる人間が代わったとしても脈々と受け継がれていたことでしょうね♪
そう考えると、奥州藤原氏は、平安時代末期という過渡期(公家の時代から武家の時代)の中、次世代への政治的な部分を構築し、生き抜いた人々なんだと思えるのです。
この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思えば

「奥州」じゃない藤原の大立者の歌ですけれども…およそ風流とは無縁な俗の極みの歌とはいえ、30年経った今も忘れないのは、やはり人の常、真実の一片を含んだ「素直な」歌なのかなと思います。覚えやすいんですね。

「奥州」と頭につける歴史上の手続きもよくわかりませんが。
東北史にはまって20年経ちますが、昔は古本を買いあさって漸く得た情報が、今では検索するとすぐ出てきますね。
伝承や伝説、遺跡の発掘情報を系統立ってネットで集めて整理すれば、今まで読めなかった行間が読めるようになると思い、Yahoo!のワイワイマップに色々と、今までのものを登録中です。

機会があったら見てみてください。
私の住んでいる
福井県の勝山市平泉寺町は、白山信仰の拠点であった場所です

奥州藤原家は、白山信仰をしていました。

藤原秀衡さんの、寄進仏の阿弥陀如来さんが
(平泉寺焼き討ちの時に、井戸に避難その後引き上げられて)
今も、顕海寺に安置されています。
一緒に寄進されたという、石徹白にある
虚空蔵さんも、素敵ですよ〜

機会がありましたら
こちらにもお出かけ下さい
ご案内致しますよ
こんにちは。みなさんの書き込み、楽しく読ませてもらっています。 
 今に残る地名や呼称から、いにしへの昔を想像するのは、旅行の一つの楽しみだと思います。「平泉」はもちろんですし、東北では「厨川」とか「後三年」「栗駒山」「白河関」「勿来関」そしてアイヌ語起源と思われる地名など。(書いていて、また訪れたくなりました)

>ももちゃんさん
福井にも藤原氏ゆかりのお寺があるんですね(「平泉」寺とは平泉から?)。そういえば、『炎立つ』で秀衡が遺言を残したのは、「白山社」でしたよね。
北陸道も歴史の宝庫ですしね!機を見てぜひたずねたいと思います。
はじめまして、素朴な疑問です

頼朝は奥州藤原氏を滅ぼした後、征夷大将軍と
なっているので、奥州藤原氏は天皇家に従わない
やからの一つ、すなわち蝦夷(えみし)では
なかったのではありませんか。京都に藤原氏が
いるのに自ら藤原氏と名乗るところも反体制的
で過激な気がします。

いきなり質問でもうしわけないですが、
よく知っている方がいらっしゃるのなら
教えてください。
↑歴史を知らない者が居るものですね。
 藤原秀衡は、奥州で取れる金を朝廷に送っていました。
 元々、藤原氏は、蝦夷の出ではなくて、京都から国司として
 下ってきた者の血縁でした。
 この金を京都まで運んだ者が、「金売り吉次」として、有名
 ですが、私の従姉が、嫁いだ先が、この家です。今でも、
 金で出来た鶏がありまして、本物と認定されました。
 若い頃、従姉の家で見せて貰って、欠片でも欲しいなあと、
 思ったものです。
 関西いや、東北以外では、東北の事を、蝦夷等と馬鹿にしま
 すが、実際は、青森に在った、十三湊などからは、大陸への
 交易路が発達していて、京都などよりも遥かに進んだ文明が
 在りました。
 現在の朝廷などが、朝鮮半島から渡ってきた、渡来人系なの
 に対し、蝦夷と軽蔑された東北人は、原日本人だったのです
 。ですから、西の部族と違って、背も高く、鼻も高く、足も
 長く、色も白い、白人系の人々でした。
 反体制的も何も、侵略者に抵抗した英雄です。

 しかし、今は、ミイラを分析すると、原日本人とは違う、背
 も低く、鼻も低い、足も短いし、色黒の西の出身者だった様
 ですね。
 生憎でしたね。
そうですか、歴史は最も苦手な科目だったんで
実に何もわからず大人になって恥をかいてる
始末です。

そうすると本物の蝦夷がどういう人達かという
事で興味深々、東北および北海道の方々は
その末えいで詳しいでしょうから色々教えて
くださいね。
>>ネコXYZ殿
頼朝さんの頃には征夷大将軍の意味合いが変わってしまって
寧ろ…なんつうか…蝦夷を討伐する目的よりも、
日本の武門の頭領的な意味合いのみの方が強かったんでは無いか…と
拙者は思っておりまする。

藤原名義に関しては、恐らく反体制とかそういう事では全く無いと思いまする。
奥州藤原氏のルーツを遡れば、直ぐに分かると思いますが
奥州藤原氏の始祖として名高い藤原経清は元々は中央藤原氏の流れを組んでおったと記憶しておりまする。
確か…いとこだかはとこだかに、平将門を討伐した藤原秀郷がそうだったと思いまする。(この辺はちと曖昧で御座りますが…)

頼朝さんの頃は“蝦夷”という感じよりも、やはり“奥州の藤原軍団”って
イメージが強かったんでは無いでしょうかね?
頼朝さんも勝手に奥州征伐してしまった訳で御座りますから。
華麗な10番さま
こちらの歴史は
717年の、泰澄の白山開山に始まります
藤原氏あこがれの地、平泉寺から名前をとったと想われます

こちらは、今、平泉寺白山神社
     奥州平泉の中尊寺も鎮守さまは白山神社なのです

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