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修学院離宮コミュの青楓の京都(1)2013/05/02 13:30〜14:45 修学院離宮参観(1/4) 下御茶屋

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今回でワシは6回目の参観になります、同行の親友は本物の京都好きで・通で・かつ京都検定2級の持ち主でして、これまで修学院離宮も含めて京都訪問は数知れず、京都の神社・仏閣は大抵制覇しています。

所要時間約1時間20分、参観者は1グループ30数名です
因みに参観開始時間 午前9時・午前10時・午前11時・午後1時30分・午後3時
急な斜面の登り下りを含め約3kmほどの苑路を歩きます。

今回のワシの参観目的は青楓とせせらぎの撮影に絞っています、親友も大いに賛同してくれてワシ嬉しい。今回も参観者数は30人は超えていますね。総門の前で待っていると4人の外人グループが居ました、拙いワシの英語で聞くとフランスから来たらしい、修学院離宮参観は今朝宮内庁京都事務所で貰ったと言っていました、外人観光客の特権です。

受付前に先ずは総門の外からワシも撮影して貰いました

下茶屋入口

青空を見る_素晴らしい天気 です

コメント(8)

青楓の京都Album(9)2013/05/02 13:30〜14:45 修学院離宮参観(2/4) 中御茶屋を中心に

中御茶屋(Wikipedia抜粋+さとしpapa編集)
修学院離宮の設計者・後水尾上皇は頭脳明晰にして決断力あり、徳川幕府には恐るべき相手でした。人間は古来、ストレスが溜まるとセックスします、ワシは出張から帰宅すると必ず最初にセックスしました。後水尾上皇は幕府からのプレッシャーを払うかの如く30余人の子供を作り(これはワシの個人的推論でっせ)、退位後も56歳で霊元天皇を産ませている精力絶倫家、86歳で天寿を全うされました。

中御茶屋は、第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身である。朱宮御所は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められていた。1885年(明治18年)、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となった。なお、林丘寺は門跡尼寺として今も存続している。林丘寺は物理的に楽只軒のすぐ傍にあります。楽只軒は前述の朱宮御所の一部で、1668年(寛文8年)頃の造営である。書院造の客殿は、1677年(延宝5年)造営された東福門院(後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したものである。客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られています



中御茶屋楽只軒の扁額(宸筆)
扁額は全て上皇が銘を考案され、自ら書かれたものです。天皇もしくは上皇の直筆を「宸筆」(しんぴつ)と呼びます。


客殿の霞棚


中御茶屋のせせらぎ、これも豊かに水が流れていました

青楓の京都Album(10)2013/05/02 13:30〜14:45 修学院離宮参観(3/4) 上御茶屋にて

上御茶屋(Wikipedia+さとしpapa補足)
巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)と大刈込を中心とした壮大な庭園である。
御幸門から石段を上った離宮内の最高所に隣雲亭が建つ。海抜149mと資料にあるが、それよりもっと高い感じをうけます。ここまで登ると、急に展望が開け、眼下に浴龍池、遠方に比叡山をはじめとする借景の山々を望む壮大な風景が広がる。なによりも薫風が良く通ります。

隣雲亭は1824年(文政7年)の再建で、展望を目的とした、装飾のほとんどない簡素な建物で、床(とこ)・棚も設けていない。内部は6畳の一ノ間、3畳の二ノ間と6畳間3室からなる。一ノ間北東の板張りの縁は「洗詩台」と呼ばれている。軒下の三和土(たたき)には赤と黒の小石が埋め込まれ「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれている。

浴龍池には中島、万松塢(ばんしょうう)、三保ヶ島という3つの島があり、土橋、楓橋、千歳橋の3つの橋が架かる。中島には窮邃亭(きゅうすいてい)が建つ。

窮邃亭は修学院離宮において創建当時のまま残る唯一の建築で、三間四方、柿葺(こけらぶき)、宝形造(ほうぎょうづくり)。内部は18畳1室である。万葉時代の館のイメージが濃厚です。
宝形造柿葺の屋根に菊花紋のある大きな羅盤と切籠型の宝珠頭が載っています。

修学院離宮の建物は全て読みが3拍子になっています、
下御茶屋---寿月観(じゅ-げつ-かん)
中御茶屋---楽只軒(らく-し-けん)
上御茶屋---燐雲亭(りん-うん-てい)
上御茶屋---窮遂亭(きゅう-すい-てい) とね
日本文化は奇数と常々ワシが主張していますが、下・中・上の三つの御茶屋、だからここは日本文化そのものなんですよ

浴龍池とは上皇ご自身の浴水のための池の意味、龍は皇帝の異称なりぃ。香港に九龍半島てありますね、日本にも九頭龍川がある。
古代中国では奇数は割れないため、良い数と看做され、偶数は割れるから嫌われた。
奇数は一・三・五・七・九とあり、五が標準、強めると七、弱めると三、お祝いには5千円か5万円を包むべし。九は最強を意味しますが天皇や皇帝しか使えない、だから重陽の節句は御所の行事です、九重部屋というのがありますが、九を庶民が使っちゃいけませんね。
この考えが仏教に合流して、そのまま日本に伝来した。
元旦、七草、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽の節句、
一期一会、三々五々、三三七拍子、初7日、十三参り、
三重塔、五重塔、七重塔、十三重塔・・・
六重の塔があるならワシに見せて下さい。



上茶屋の燐雲亭から浴龍池を望む



あほ顔ですが、ここに登るのにちいと息が切れて口が空いていたんです


上茶屋の燐雲亭から窮遂亭への途中に念願の楓橋がある
楓橋の袂でおすまししてみました

青楓の京都Album(11)2013/05/02 13:30〜14:45 修学院離宮参観(4/4) 帰り道です

窮遂亭からどんどん下って、浴龍池を巡りながら総門に向かって歩きます。
なんか不満やなあ、そう、楓橋のかちっとしたシーンがなかったんです、ワシ事前調査不足やなあと1人でぶつぶつ言いながら歩いていると、
親友がワシに声をかけたんです、「ちょっとちょっと、さとしpapa、あれを観て御覧なさいな」
観ると、遠くに楓橋が眼に入った、そうそう、ワシは今回はこの景色が観たかったんよねー


赤の楓が効いていますねー、これやこれや
堪能いたしました
やったあ
目標達成 ! ! !

気分ええから空と青楓も撮影しました


(参考)1966年秋に観て、ワシがノックアウトされた楓橋です

以上、修学院離宮参観の巻、完了です

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