ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

修学院離宮コミュの2012/11/12(月)11:00〜 修学院離宮参観記(1/5)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2012/11/12(月)11:00〜 修学院離宮参観記(1/5)

<修学院離宮と後水尾(ごみのう)上皇>
京都は庶民の街ではありません、皇室の為の街、従って観るべきは修学院離宮・桂離宮・京都御所に尽きます。修学院離宮の企画と設計は後水尾(ごみのう)上皇(1596〜1680)ご自身、卓抜せるデザイナー(意匠家・庭園師・建築家)で、また稀に見る文化人であります、政治手腕含めて日本歴史上最高の人物と言って過言ではありません。

まあ、気性の激しい御方で、徳川幕府の露骨な弾圧に我慢出来んかったんじゃねー、
1613年:公家諸法度と勅許紫衣法度
1615年:禁中並びに公家諸法度
1620年:徳川秀忠の娘和子が中宮として入内(天皇の奥さんになる事)
1627年:紫衣事件
1629年:怒り心頭に発し退位
頭脳明晰にして決断力あり、徳川幕府には恐るべき相手でした。30余人の子供を作り、退位後も56歳で霊元天皇を産ませている精力絶倫家、86歳で天寿を全うされました。

1629年の退位後、修学院離宮造営を企画されました。桂離宮を何度も訪問し研究されました。 桂離宮とは違うコンセプトをお持ちでした。自然主義者で、上代の世界をイメージ。
設計には20年をかけた。1653年着手、1659年一応完成。設計-後水尾上皇、施工並びに費用負担-徳川幕府。

上代の吉野離宮・大津宮を再現した。山や渓谷、或いは湖水や海岸の大景観を形成し、自然の風景を借景とした。敷地54万平米。修学院の中腹に立てば今も人々が畑を耕していて(国が畑を買い上げて民間人に耕作地として貸しています)、各戸から煙がたなびく上代世界があります。
田園を挟み、3つの建物、上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)が配置されています。
ワシは1966年以来、春夏秋冬の全季節、延べ4回参観致しました。
国有財産故、参観料なし、3ヶ月前に宮内庁に往復ハガキで参観依頼を提出すれば参観日が通知されます

日本国民は拝観必須ですね

なお、修学院離宮・京都御所・桂離宮は一直線上に存在しています、この数学的美学は3箇所を参観してから、ワシは気がついたのです。

コメント(15)

2012/11/12(月)11:00〜 修学院離宮参観記(2/5)

<参観の経緯>
(1)1966/11/中旬、大学入学の年、紅葉の見事な日に初めて参観しました、 母が京都のワシの下宿に泊まりました、裏千家の茶道研修があったんです。
そして、母がこう聞きました
「さとし、修学院離宮はもう観たんね?」
「うんにゃあ」
「そりゃあいけんよ、最高のもんははよう観にゃあ」
母は何でも一流主義でして、ワシは茶道教師も最高クラスの鈴木宗康さんに巡りあえました。
彼女は下宿の大家さんにすぐ電話を借りに行きました。
暫くして、部屋に戻るとこう言いました、
母「さとし、明日修学院離宮に行くけんね。栗山君、あんたも行こうやあ」と、下宿同室のもう1人のKuriyamaさんにも声を掛けました。
Kuriyamaさん「おばさん、ワシも行ってええんですかのー?」
母「さとしがお世話になっちょるけーね」
Kuriyamaさんは経済学部の学生で、同じ呉宮原高校卒の一級先輩。
母は裏千家の要人に頼んだらしい、後に裏千家から宮内庁京都事務所に依頼したと言っていました。普通は日本国民は3ヶ月前に申し込んで抽選に当るのを待っていますが、裏千家には文字通り裏ルート(笑)があるようです。なお、観光外国人にはすぐ参観できる特権があります。

こうして、秋の晴天の日に3人で修学院離宮を参観したのです、
楓橋の紅葉が水面に映る様がこの世のものと思えぬ美しさ、
ワシもKuriyamaさんも興奮しました、Kuriyamaさんが撮影した楓橋の水面紅葉カラー写真は実家にあります。

(2)その後、寮に住む同級生と夏に一緒に参観、これは寮の行事に紛れ込んだのでした、暑さは格別でしたが、高台にあがって浴龍池の風に救われました。

(3)1978〜1986年、社会人で京都在住時、嫁さんと2回参観しました、春と冬。これで四季を制覇。 2月の修学院離宮は痺れるほど寒いが雪の積もった浴龍池は忘れられません。

(4)2002/11/中旬、東京の同僚2人と予定しましたが、ワシは寝坊して1時間遅刻、2人は修学院離宮入り口でイライラしながらワシを待っていました、幸いに2人共に参観許可証のコピーを持参していて、ワシが新幹線から宮内庁に連絡し2人は参観できました。ワシは出口で2人を迎え、2人からいつまでも「さとしpapaのねぼすけー」と言われましたよ。この頃までは参観グループは10名内外でしたね。

<今回のワシの段取り>
だから今回は5回目、
(1)鈴木家訪問も含めて2012/01末に全体計画立案、
(2)同行者確定は4月、
  (a)Sさん、富山県高岡市在住、裏千家茶道家兼主婦
  (b)Aさん、岡山市在住、主婦、ワシの高校同級生
  (c)Lさん、名古屋市在住、裏千家茶道家、和菓子作家
3人ともミクシー友達です。
(3)8月1日に往復はがきで申し込み、8月下旬に参観許可証到着、参観日時確定
(4)9月初めには鈴木家への持参手土産確定
(5)京大芝蘭会館別館に前泊
(6)当日
朝4時起床、コンビニでおにぎりと茶を買って朝食。
足慣らしを兼ねて、08:00-09:30京大本部構内とiPS京大研究所見学、TAXIで10時過ぎには修学院離宮受付に到着。
10:20、3人(Sさん・Aさん・Lさん)と合流。
<今回の結果>
11:00〜12:15、参観36名、その内外国人が3名、天気は頗る快晴、足元問題なし、紅葉はちょっと早かった、コインロッカーがあり、荷物は預けて楽チン、100円は返って来ました。
説明員の方はマイクなしの良く通る声でした。

紅葉は真っ赤になったのより、ワシはほんのりが好きです、
盛りを過ぎると紅葉の葉の形が急に醜くなるからねー
2012/11/12(月)11:00〜 修学院離宮参観記(3/5)

受付前で他のメンバーと待ち合わせです。

この写真は他のメンバーが撮影しました

(-3)入り口から中を覗きました

(-2)壁から覗いた紅葉です

(-1)同行のLさんとワシの会話模様
写真

(1)下茶屋御幸門、御幸門とは天皇や上皇の出入りされる専用門

(2)下茶屋御幸門、こんなに参観者が・・・

(3)下茶屋寿月観
写真

(4)下茶屋寿月観で、左Aさんと、右Sさん

(5)下茶屋寿月観の扁額(上皇宸筆)

(6)下茶屋寿月観、一の間の書院

写真

(7)下茶屋寿月観、一の間の庭にある白糸の滝

(8)左上に比叡山を望む、

(9)下茶屋を出て松並木を通ります

写真

(11)田んぼ

(12)中茶屋へ向かう松並木途中の3人(手前左がLさん・右がSさん・うしろにAさん)

(16)松並木を歩くLさん、左の男性は宮内庁の人で最後尾のモニターですね
写真  中茶屋客殿、

(17)杉戸の鯉の図 逃げないように網で囲ってあるとか

(18)霞棚  
桂棚・醍醐棚と共に三大棚と呼ばれている、
三大が好きやね日本人は、そしてやはり日本は奇数でしょうが

(19)杉戸の祇園祭絵 大分古うなって煤けちょったねー

写真

(20)庭のせせらぎ

(21)庭のせせらぎ

(22)中茶屋客殿での説明員さん、
ワシもやりたいわ、声を出すから健康に良いし、四季折々の修学院離宮を間近に見る事が出来ますからねー
最後の上茶屋です、帰り道もありますから、沢山写真撮りました

写真

(22)御成門

(23)御成門前で、AさんとSさん

(24)隣雲亭庭の紅葉

(25)隣雲亭から浴龍池を望む

(28)隣雲亭のひふみ石(一ニ三石)、
たたきには赤と黒の鴨川石が埋め込んであるのです、粋やなあ

(29)隣雲亭のたたきの上で、Lさん・Sさん・Aさん
(32)隣雲亭を下る道中の落葉した紅葉

(33)窮邃亭、窓は木の板でして上代の家の雰囲気が良く出ています。

(34)窮邃亭扁額 これも後水尾上皇の宸筆
(35)窮邃亭外観

(36)浴龍池、龍とは天子様、つまり後水尾上皇を意味します。上皇の専用池です、贅を尽くしています

(37)浴龍池にある千歳橋
今はこの千歳橋を修学院離宮の紅葉の名所としているらしいが、ワシは不満ですね、「宮内庁よ、大衆におもれるな」と言いたいのです、
ワシにはやはり楓橋です。
(38)この日の楓橋
説明員がなんも言わんけー、だれも関心を払わんわい、手入れも不満

(39)紅葉の日の楓橋
水面の紅葉を見たら感動しますよ、ワシは1966年以来4回ここで足が止まりました

今回売店で買った宮内庁作ガイドブック「修学院離宮」の表紙写真は紅葉の千歳橋で、本文にも楓橋はちょこっとしか出ていません(プンプン)
12:15、参観が終了し、タクシーを待つ間に入り口で全員撮影、宮内庁職員の人が撮影してくれました(完)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

修学院離宮 更新情報

修学院離宮のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング