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我流哲学者コミュの意味とは何か

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はじめまして、さっきこのコミュに加入したものです。

意味とは何でしょうか?

私自身としては
「ある動作がより上位と認識される動作の助けとなる状態」
(ここで動作とは、例えば概念に意味があるとはそれを知る事(動作)に意味があるという解釈です)
であると考えているのですが、どうも違いそうな予感がするのです。

コメはできれば抽象的かつ全体的(どこかの哲学者なりの部分的引用とかでなく)にお願いしたいです。要は特定の人物に詳しくない人にもわかる説明でお願いしたいです。

コメント(92)

51補足
ここで議論しているのはあくまで「表象されるもの」ではなく、「意義」です。
質問するに当たって目的を示していない事、つまり「意味の意味(意義の表象するもの)を知って何がしたいのか」を示さなかったために、議論が迷走しているように思われる。そこで示そう、私は思考するための武器を手に入れたい。故になにも把握できないまま人それぞれと片付けるのはそれこそ意味がない。それは哲学でも科学でもない。
「するため」=「する目的」ですよね。つまり文脈から目的が存在する事が示されているわけです。そこで実際にありえるかどうかと言う事は考えずに、純粋に論理的に目的について考えてみると、上に挙げた2通りの解釈が出来るわけです。

skygazerさんの支持する方は「人間の意識下に入る」という目的であり、他方は「物事がそれ自体として存在しようとする」目的を持っているという、突拍子もない、それこそずいぶんアクティブな話になるわけです。
しかし、突拍子もない話も時には内容の豊かなものであったりします。いわゆる逆説(パラドキシカルな話)というやつです。その可能性も捨てきれず質問してみたわけです。

>箱の外からもそれらを見つけることは出来ないだろう
つまり、認識できない以上、それがあったとしても気づく事が出来ない、気をとめられない、といったところでしょうか。そしてだからこそ「(認識の対象として)存在するために」物事には意味や意義がある。こんなところでしょうか?
59skygazerさんへ
まず目的論はそもそもskygazerさんが呈示したことではないので、あなたが要らないというなら私もこだわる必要は全くありません^_^;

57では少しskygazerさんの発言に「乗っかって」話したので、最初の自分の主張から少し離れている事に気づきました。最初の解釈では「意味とは存在するためにどのような性質を持つか」に対して、意味は人間が作ったものであるのは当然の大前提であることを考慮した上で、
>人間が言葉や表現では表わせないレベルで絶対的に存在するモノを把握するため
>に意味というものを作ったが、その意味はそのモノの本質的な存在の性質を説明
>できている。
ということでした。
つまり、「意味を説明する事」=「存在するためにどのような性質を持つかを説明する事」であり、イコールで結ばれる以上、モノが存在するために持つ性質の「全て」を意味は内包していることになる。つまり人間はモノの本質を全て理解していることになり、これは中々に無理があると思いました。言葉では説明できない事など無数にありますからね。

次に、流れで出してしまったアクティブなモノの話ですが、ちょっとすぐには良い説明のようなものが思いつきません。あくまで思いつきで語らせて頂くとします。哲学から離れる気も大いにしますが…
まずモノがそこに在ろうとして生まれたのであれば、存在より先に意思があったことになります。そうすると宇宙より先に意思があった、もしくは無であったときにはエネルギーの揺らぎ(宇宙論わかりますかね?)とともに意思があった。とすると実体より先に幽霊とか魂的なものがあってそれの意思があったか、それとも神がいたか…。そして今の世界のようなものを(部分的にか全体的にか解りませんが)創ろうとした…。なぜ創ろうと思ったのか…。ここに仏教思想まで持ち出すと、輪廻転生から解脱するため(悟りを啓いて仏様になる)には人にならなければならず、そのためには人が生まれる環境が必要だった…とか。ヽ( ´ー`)ノ
もうすでに下らないおしゃべり状態ですね笑。
>つまり、「意味を説明する事」=「存在するためにどのような性質を持つかを説
>明する事」であり、イコールで結ばれる以上、モノが存在するために持つ性質の
>「全て」を意味は内包していることになる。つまり人間はモノの本質を全て理解
>していることになり、これは中々に無理があると思いました。言葉では説明でき
>ない事など無数にありますからね。
というかこの解釈では「表象するもの(これまで通り言えば?)」になりますね。そもそも議論対象外だったのか、失敬。
実のところを言うと14の呟き尾形さんの発言で私の中で問題は解決していたんです(^_^;)ですがトピを途中で投げ出すのも気に食わないし、議論の中で新たな発見もあるかと思い続けてました。

>題に問題があるような気がしてきました
>ここを潰してあらたに・・・

確かにそれは感じていました。
しかし厳密にはちょっとちがうんですが、その説明の前にちょっと雑論をはさみます。
アカデミックな議論の場ではまず主題となるテーマについて、それを構成する語句の語彙(ごい)(まぁこの場で言えば「表象するもの」です)について定義する(複数の語彙から一つを選ぶか、その場だけで使う新たな定義を示すか)とともに、議論の目的を明確化します。
これは議論に参加するメンバーの認識がずれるのを防ぐ(最小限に抑える)とともに無駄な思考を排除し議論をスムーズにするために実質的に不可欠な事です(このトピの混乱振りを見れば明らか)。
さてそこで、私のやり方を見ると、語彙の定義も定めず(一応定めたつもりでしたがかなり不十分でした)、さらに目的は示していません。議長としては最悪な方法を採ったわけです。
まぁこれは雑多な意見を聞けたらという目的もあったので、良い悪いも一概に言えないのですけれども。それに14で尾形さんの意見を聞いて目的も達せられたわけだし…。まぁ最初から不誠実だったところに問題があるでしょうか。
いずれにしろ私の好奇心は既に満たされてしまったわけで、新しいトピ立てる体力はありません、申し訳ないですm(__)m

>60の話はまるで尻尾を食べる蛇のよう・・
>下らない話とは思いません
>あれで下らないならここで話されていることは
>すべて下らないです
ん〜、まぁそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
思いつきで言った私としては、スジが通るように思いつきのかぎりを繋げただけで、そのつなぎ方に必然性もなければ論拠もない、それで下らないと言ったのです。まぁ思いつきを語るのは心理テストと同じで無意識の影響を受けますから、案外私の中の真実をさらけ出している可能性もありますが。そこを見れば下らなくもないのかも。
でもやはり、思いつきで語ったことは、反論されても「まぁ思いつきだしね」と容易に開き直る事もできるので、真面目に聞いている人に対しては不誠実です。質問する価値もありません。そういったことからもやはり下らないです。
それに対して今までの議論は、反論すれば答えが返ってくるので、というよりその事のみによって、有意義(下らなくない)だと思いますよ。
No 51 ハヤトさんへ

>「意味」=「その時その文脈においてその言葉が具体的
>に指し示す何ものか」=「表象されるもの」、および
>「意味」=「そのものでなければ担うことの出来ないと
>いう意味での存在理由」=「意義」の二種類としたほう
>がよいですかね。
 ちょっと整理します。
 まず、意味は
 「表象」
 「意義」
 の2種類あるということで認識しました。もし、ちがっていたら、ご指摘ください。
 その上で、レスポンスしたいと思います。

>これは「今日の一年一組」という限定によって、
>彼らにとっての「今日の時間割」が共有される
>ということですが、それは例えば「国数社英体」
>という内容、表象されるものが一致していると
>いう事であって、彼らにとっての今日の授業の
>「意義」が共有されているわけではない。つま
>り例えは「表象されるもの」についての議論で
>はないかと思いました。
 そうですね。
 「意義」については、あくまで主観的なものであり、客観的なものは「表象」以外存在しないと判断しております。

 これについては、No23 にて、
>おそらくは、「意味」の普遍的な意味ということかと思います。
 ということで、普遍的な意味としての「意味」なので、「表象」について語る他ないと思っています。


>「日本人の文化」という価値観が個々人の「意義」を規定
>するとは思えません。
 はい。ですから厳密(ミクロ)には不可能だと思っています。
 しかし、曖昧(マクロ的)には可能です。
 実際、こうして、多少のすれ違いがあっても、概ねコミュニケーションが取れてしまっています。
 
>例えば学校で同じ授業を受けている生徒でもそれぞれにその意
>義は違うと思います。
 意義はことなっても、国語という時間割に社会の教科書を出す人はいませんし、国語に対する価値はちがっても、概ね授業から学習する内容は個人差はあっても、曖昧なレベルにおいては概ね同じです。
 たとえば「曖昧」という漢字を授業で習えば「曖昧」という言葉をどのように学習するかは別として、「曖昧」という漢字を習ったことには変化はありません。

>この視点では時間と集団の規模というよりも状況の特殊性で
>しか絞れないように思います。
 私は、時間と空間を問題にしているのであって、集団の規模は問題にしていません。
 集団の規模が大きくなれば、把握するべき情報が多くなり、実際に把握できないレベルの空間を対象にしても、不正確な分析になると判断しています。

 さらにいうと、普遍は、特殊と相反するものです。
 特殊な状況を普遍化することに妥当性を感じえません。

 まさに、
>しかしここまで限定するとそれは普遍性というより個別的事象
>に対する考察に過ぎないように思います。
 と、ハヤトさんが指摘されるとおりです。

>そのため「全ての価値を還元できる絶対的価値は存在するか?」
> というより「対象の価値は普遍的に(一般的に)共有される何も
>のかに還元できるか?」に対する答えであるように思えます。
 普遍的であるというのは、いかにものごとを抽象化するかということです。
 対象となる具象の集団の中の共通項をまとめるのが抽象化です。
 個別の特殊な物事は排除されてしまうのです。
 さらに、「全ての価値を還元できる絶対的価値は存在するか?」という問いかけの前提が、一人の個人なのか、より多くの人にとってなのかについては、特に明言されたところが見受けられなかったので、普遍的な視点で回答させていただいておりました。

 私の考え方としては、No11、およびNo14にあるとおりですが、普遍的な意味という視点ではないので、No23にて、立場を変えた上でお話させていただいておりました。

>そして絶対的価値は「ない」ということのように思います。
 普遍的な意味ではなく、「意義」としてなら、その通りだと思います。

 追記
>一度これ書いて入力確認押したらパソフリーズして消えて
>しまいました(T_T)
 私は、長文になりそうな場合は、メモ帳などの違うソフトで書いてからコピペするようにしております。
65skygazerさん

>思いつきで語ったことは、反論されても
>「まぁ思いつきだしね」と容易に開き直る事もできる・・
に関しては、あくまで私の発言(尻尾を噛む蛇みたいな話)に関していったものです。私としては「自分は適当に喋っているだけですのであまり真に受けないでくださいね。」程度のつもりで言っていました。
思い付きを語る人で責任も兼ね備えた人は多分、その語りが人を傷つけるか・嘘をつくことにならないか等について考えた上で話すのではないかと思っています。また得てしてそういう人は、間違いに気づいたときに謝罪などが出来るのだろうと思います。そういう行為については批判したつもりはありませんでした。

>混乱するのを予想できているのに
>それをあえてやるというのはなんとも・・
>被害者が多いと思いますよ
>(・_・;フリマワサレター
前提として、こんなに議論が進展するとは思っていなかった、つまり混乱は予想できていなかった、と言う事を理解いただければ幸いです(^_^;
振り回す事になって申し訳ないです。
64呟き尾形さんへ
「意義」「表象」はその通りです。
尾形さんのスタンスは「表象は普遍的(あくまで曖昧になら)」だが「意義は個別的」である、でよろしいですか?
NO 67 ハヤトさんへ
>尾形さんのスタンスは「表象は普遍的(あくまで曖昧になら)」だが
>「意義は個別的」である、でよろしいですか?
 はい。私見ではそのとおりです。
さて、解決されていない質問はなくなったと思います。そこで最後に私の「絶対的価値」に対する意見を再確認して、反論や批判がなければそれで終わりにしようと思います。

前にも書いたかもしれませんが、私の認識では全ての価値観は「自己が自己である認識」を得る(または維持する)ことから生じると思っています。

価値と自己の繋がりは、単純に説明できるのもあれば、私の説明ではうそ臭く感じられそうな複雑なものまであると思います。

私の認識では、価値の生じる「源泉」として「自己が自己である認識」があるのであって、人が生まれてから今まで生きてきた中で、「自己が自己である認識」を手に入れてきた中で、その方法・手段が人それぞれに違ってきていると思います。そのために、それは表面的には個別的に見えるのだと思います。

ですがひと言で「個別的」、と言ってしまうと何も追求できずにそこで止まってしまう。それはやはり諦めだと思います。まぁ哲学は全般に闇雲に求めても仕方ない事もあるので、一度離れて忘れてみたり、それこそ価値がないと思って考えない事にするのもありだと思うので、諦めかどうか断言は出来ませんが。
No69 ハヤトさんへ
>ですがひと言で「個別的」、と言ってしまうと何も追求できずにそこで止まってしまう。
 そんなことはありませんよ。
 個別的であるのなら、個別という時間と空間を限定して考察すればいいだけの話です。
>71呟き尾形さん
なるほど。恐らく我われには「構造主義」対「実存主義」に似た考え方の違いがあるのでしょう。(あくまで似ているだけで私が「構造主義」なわけでもなければ尾形さんが「実存主義」だと決め付けているわけではないです。)
ですからこの意見の対立に収拾を付けるのは、そもそも私がもっとも嫌いな事である上に、それを出来る能力が私にあるとも思えないので、そこに議論は持ち込まない事にしようかと思います。

>70skygazerさん
沈黙を宣言された方に話しかけるのは無粋でしょうかw
議論を交えて来た中で、私もなんとなく「好奇心」には強い力があるように思ってきました。つまり、「『自己が自己である認識』による価値」からはみ出る「好奇心」もありそうな気がしてきました。しかし、そのはみ出た「好奇心」も私の知識拡大によっていずれ「自己が…」に収められるような予感もします。(補足的に言っておくと、私は「好奇心」の源泉として「自己が・・・」があると思っています。)

ただそれはそれで結論が出ていないので置いておくとして、「好奇心」に全てが還元できるというのは、やはり何か違うような気がします。

例えば、ぜんぜん興味の沸かないこと:興味の無い科目の授業や、したくないのにやること:風邪で食欲がない時の食事、などは意義があると思いますが「好奇心」では説明できないように思います。

まぁ
>相変わらず「好奇心」であるように思えるのですが
>異論反論多事争論を挟むほどはっきりとは見えていません
>そのうち見えるかもしれませんが
とおっしゃっているので、議論を交わそうと言う目的でも、skygazerさんの意見を否定しようと言うつもりでもありません。(まぁ議論するというなら応えますが。)
抽象的に言えば私の目的は「skygazerさんの思考の泉に石を投げ入れて波を立ててみる」ことにあります。

p.s.
さて、そろそろトピの終焉が見えてきましたね。
残された議題は「全ての価値を還元できる絶対的な価値はあるか?」ですが、
私の意見が「予感がする」というレベルのものであって、
それを使って議論するとただの「揚げ足の取り合い」に終始する予感がするのです。
そういう意味でここで議論する事は出来ないし、結論も当然出ない。
ただ、どうでもよくなって終わるのはイヤなので、共感をもてたskygazerさんの思考を進められそうな意見を投げかけてみたのです。

それから呟き尾形さんに対しては、思考のスタイルというか、求めるものが違っているようですので、それこそ「どちらの主義が正しいか」という論争をしなければならなくなり、よっぽどトピ違いであるうえに、私にそれをする体力はもうありません笑。

ですのでこのトピはそろそろ終焉を迎えるだろう、と。
あ、ちなみに具体例が挙げられれば大体には応える事が出来るように思いますが、私が今の考えに至る理由を説明しようとすると多分300ページかそれ以上の本がかけるほどになると思います、まぁ実際に本を「書く」能力は無いですが。そしてskygazerさんも呟き尾形さんも他の方々も、同様に深い根っこをお持ちだと思います。それをキチンと議論するのはきっと相当難しいでしょう。
そういうわけで、相手の考えに「触れる」ことに重要性を感じてこの議論を進めてきたわけです。実際多くの事を学ぶ事ができました。感謝しています。
ちょっと考えて見たんですが、呟き尾形さんはやっぱり実存主義です。そして実はskygazerさんも多分実存主義です。そして僕は構造主義です。あくまで哲学するときに。

そして、呟き尾形さんは僕に実存主義の存在を教えてくださいました。skygazerさんは僕に構造主義と実存主義が共感を持てることを教えてくださいました。

たぶん構造主義の僕の言葉は理解されないと思うので、skygazerさんは「共感」だなんていうと不愉快かもしれないし、呟き尾形さんは「俺は実存とかそんなんじゃねぇ」とかおっしゃるでしょう。

それでも敢えて言わせてもらいますね。

大変在り難い多数の意見をご教示下さり、心から感謝しています。言葉では表わし様がありません。お二人の思考の世界の発展を心よりお祈り申し上げます。

さて、幕です。
難しいことはわからんけど、自分のしてきた行動を
意味っていう箱あるいは、型の中に押し込んで、それをいくつもいくつも、並べ上げて、上からみて、『あってるかな?いや、合ってる』
なんて思いながら、見つけんじゃねぇの?
そんでそんな組み立ててることなんて忘れて、次の時に着いたら、合ってるって言う確証が自分の中に再認識できるっしょ。
意味は組み立てる前からは、わかんないっしよ。
うわっと、アンコールですか。
ベビーモンキーさんへ
それが正に構造主義的な考え方と言う奴です、論理学的な、と言ってもいいですけれど。
それに反対する(正確に対称だと思うけど普通はそうでないと思われてるんだろう)ものが実存主義です。意味は個々に違う。他の事象との関連で、関係の中で意味が生まれる「のではなく」、意味は個々の事象に独立にある。構造主義的な普遍性では一個のことを追求しきれない所に疑問をもつ人たち。
そして大抵の人は何となく両方の価値観をもってしまっているのだと思いますよ。
●ハヤトさんへ
 あまり、●●主義というのはこだわっていませんが、実存主義なるものに共通する視点は自覚はしています。
 現象学を基盤にさまざまなものを考察しているのも事実ですから。

 とりあえず、ハヤトさんが終わりにされたいというのであれば、私も終わりにしたいと思います。
>ご両人
構造主義、実存主義、実際私も知ったのは最近で、我われの対立がまったくこれと同様であることに気づきました。そして両者の違いは価値観ではなく議論の組み立てにあるようです。それを越えて議論するにはメタ視点を導入するしかないように思われますが、実はいずれかを延長したメタ視点などありえず、可能性としてはどちらかが自分の主義について「はっきり」わかっている場合に、メタ的な交流が可能になるように思います。
まぁつまり我われがこれ以上議論しても「今のところ」はこれ以上発展しようが無いわけです。

あとちなみに、構造主義と実存主義は恐らく大抵の人は両方持っています。あまり学問的哲学をしない人はどちらにより傾倒しているかは言語化されえないので解りにくいですが、お二人は哲学的探求をなされて発言されているので(多分相当数の本をお読みでしょう)私にも解ったのだと思います。

私としてはきっと最終的には似たような所へ行き着くのだと思っていますが、それは遥か高みにあるとも思います。共に目指せればよいかと勝手に思っています。しかし、構造主義が科学技術などの面で一般に受け入れやすい概念になっているのに対し、実存主義はまさに哲学の中の哲学と言ったカンジがします。その道は私の道より険しい気がします。それでも、構造主義にある猥褻さや無粋さがなく、ある意味で美しいと思います。

余談ですがSkygzerさんはご自身お気づきの通りどっちつかずな感は否めませんね。ですが単に通過点かもしれません。今構造主義と実存主義について考えるのもいいと思いますし、一度ニヒリズムなんかを経由して(たぶん肌にあわないと思いますが)それから自分がどっちか考えてみてもいいのかも知れません。

なんて強い議論するとまた反論を呼びそうですが、そこはご愛嬌ということで。

先にも申し上げましたが、お二人には感謝しています。
私の拙い議論展開にお付き合い頂きありがとうございました。

様々な意見が交わされることで有意義なものになった

ということで、閉会といたしましょう。
お二人に幸在れ。そして良き再会があればまた嬉しいですね。
でわでわ。

(関係ないですが、幕の後にアンコールで登場人物が全員そろう、劇のようで面白い。ベビーさんは照明さんか音響さんかでしょうかwいや、私が勝手に幕しめただけなんですけどもねw)
意味とは何か

意味とは『認識や記憶になる物』っ。


意味を把握するのは 見当識機能なんです。
そして 健全である見当識機能で 全てのあらゆる認識や記憶がシステマティクに出来るのです。
人間の意識(心)は 見当識機能であると言えるようです。
 何かしら 感じた事や伝えたいことがる場合、人はいくつかの手段を使い伝えたり、感じたりしますが、感じる場合のその基となる現象や事柄、また伝えたい場合の 手段を経由する前の まだ意識の中だけにあるものは、どれだけ正確に、同一性を保ちながら、感じたり、伝えることができるのだろうか?

伝える、感じる、たりは一次的な状態であり、より正確な、同一性を補い補正する機能を持つ、

 「意味」
 意味は殆どの場合 一次的状態で、足りていない場合に用いられる
“意味”は、自我が己を正当化するためや自我自身を存続させるために使う道具(観念)のひとつ。
他に“常識(道徳)”“正しさ(正義)”“夢(希望)”“目的(目標)”など、すべての思考はその道具として使われるている。
“意味”の意味を問うイミなどないし、“意味”の意味を語るmeもないわーい(嬉しい顔)

さようなら、哲学手(パー)
ある価値観、準拠枠でもいいや
それに基づいた解釈だろ

熱心な宗教者はその信仰する宗教にもとづくけど、俺らみたいなやつは何個かの準拠枠を持っててそっから場合に応じて解釈してるんだろうな

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