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ヒグマ☆羆☆ひぐまコミュの参考にならない熊の飼い方〜7〜legacy

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や。ども。
先程所用で北海道から帰って来たばかりでして。
兄姉と色々な話が出来て、思い出深い旅になりました。
中でも興味深かったのはご先祖様が北海道へ入植した経緯の話。

大政奉還により徳川幕府の統治が終焉を迎え多くの藩士が職を失い新天地北海道へと渡ったそうで、父方の曾祖父もそんな藩士の一人だったそうです。
北関東で勤め人だった人々が未開の北海道で厳しい冬を越すのは容易な事ではなかったであろう事は想像に難くありません。
事実粗末な家屋での寒さに耐えきれず、また冬場の野菜不足によるビタミン・ミネラル欠乏等によっても多くの入植者が命を落としたと言われています。

兄がかつて祖母から聞いた思い出話では、祖母が幼かった頃近所のアイヌのお爺さんが何かと親切にしてたそうでヒグマの生き血を祖母へ飲ませてくれた事もあったとか。
精がつきそうですが・・大変美味しくなかったそうです。そうだろうなあ。

明治維新ってそんなに大昔の事でも無かったんだなあという事と、子供の頃日本史で漫然と教わった事柄が自分自身のルーツに深く関わっていた事実に改めて感慨深いものを感じるエピソードでした。


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「'みの'さん家って熊飼ってたわよねえ…」

内科6人部屋で突然患者の個人情報を明かす看護師嬢。
「熊飼ってた」では個人情報にもならないか。
ただの思い出話の範疇でしょう。

元気にお返事しましたよ。

「うん!まだ元気よ熊」
「僕も見た見た!すごいよねー熊」と彼。

破顔一笑。
ただにっこりと笑うのみ。
病室の皆さんもつられて笑ってる。

ばつが悪かったのか、さすがにプロとして配慮を欠いていたと思ったのか、それ以降私が見舞いに来ているとき彼女が病室を訪れる事はありませんでした。
もっともその後彼女のお世話になる時間もそう長くはなかったんですけれど。
もちろん彼女は知っていたのでしょう。
この家族に今何が起こっているのか、もうすぐ何が起こるのか。


父が亡くなったのは2月末のまだ寒い頃。

お恥ずかしい話ですが、祖母名義になっていた土地等を巡って叔父や叔母が相続争いを始めましてね。
残された母や兄にとっては非常に心労の溜まる日々が続きました。
娘達が良かれと思って真っ先に相続放棄した事で一層母と兄へ矛先が向いたのかと思うと今でも後悔が残ります。

とにかくそんな状態の時、真っ先に相続先を決めなければならないものがありました。
熊のぺーさんです。

以前もお話しましたがヒグマは特定動物に指定されており、飼養には各都道府県に届け出を出さなければいけません。
そして届け出た責任者が死亡した場合速やかに新たな責任者を届けなければいけないのです。
この時ばかりは何もかも取り上げてやろうと鼻息荒かった叔父や叔母がサーッと引いて行き、モーゼの如く波が割れて兄の前に一本道が出来ました。
長男なんだからあんたが相続しなさい、と。
当時兄は20代後半独身。
涙目モノです。

「長男が最初に相続したのは熊」

一番の被害者は兄でした。
動物園に寄贈してはどうかという話も無かった訳ではありませんが、方法も分かりませんしヒグマなんて北海道の動物園では集客を期待できる珍しい動物でもありませんし、長年ひっそりと暮らしていたぺーさんが知らない動物たちやたくさんの人目に晒される環境におかれるのは不憫という思いもありまして。

その後家長を失い身内の騒動の矢面に立たされ心労が積もったのでしょう、長年大病をした事が無かった母が体調を崩し半年間原因が分からないまま病院を転々として病名が判明したのは悪性リンパ腫。母もまた癌でした。

暫くは兄一人で農場を支えていましたが時代の流れもあったのでしょう、町の市街化計画上農場は移転・廃業して欲しいとの働きかけもあり離農。
ぺーさんも20年生きて、ある寒い日の朝動かなくなっていたそうです。
特定動物の届け出をした窓口に連絡を入れ、担当者が死亡を確認した後亡骸は家の前の空き地に埋められました。

兄が一人で農業を続けることを最後まで懸念していた母が離農の話を聞いて、良かったと安堵したのかそれまで比較的安定していた母の体調が急変。
知らせを聞いた私が駆けつけた時には高熱と深い昏睡状態に陥っており、翌日の夜に意識が戻らぬまま他界。
祖母も母が亡くなる前年に96歳で大往生しており、7人家族の暮らした家はいつの間にか兄一人が住む家になっていました。


そして先日、姉妹が家族を連れて久しぶりに実家へ戻り兄姉揃って家を片付け、お供物の煮物にほんだし入れたら精進的に良くないかしら、仕出し料理頼みすぎないでね余るから、仏壇に供える餅と団子は餅屋さんに注文してあるの?、仏前にあげるお膳の料理の配置ってどうだったけ!?と毎回同じようなやりとりをして、何が正解なのかよく分からないまま仏壇周りを整えてお坊さんが来たら兄姉並んで仏壇に手を合わせ、墓参りをした後料理を囲みながら

「年々父ちゃんの年に近づいていくけれど、未だに父ちゃんが分からない」

あの時代は一体何だったのか、と兄姉それぞれの視点から語り合うのでした。
父のワガママに振り回されるばかりの子供時代ではありましたが、だからといって昨今の殺伐とした子供が不幸な目に遭う事件とはまた次元の違う話で、大人なった今改めて思い返しても一向に良い思い出に醸造される事も無く

「やっぱり変な人だったなあ父ちゃん」

としか思い出せないのですが。

そんな父に寄り添ったばかりに苦労ばかりの母でしたが
「まあ大変だったけど、子供が一人も道を逸れずに育ったから良かったわ」
と晩年満足げにつぶやいていたのを覚えています。


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という訳で先日父の17回忌で北海道へ帰省しておりました。
早いものでもう16年。
改めてアルバムなどを見直してみましたが今のように気軽に写真を撮る時代でもなく、カメラに興味を持っている人も周りに少なかったのでぺーさんの写真はかなり少ないのですが数枚ありました。

まだ小さかった頃のぺーさんが草むらで無邪気に枯れ枝と遊んでいる写真で、ぺーさんは手足の太さと長い爪を気にしなければ普通のムク犬のようでした。
今日もぺーさんは家の前の空き地で静かに眠っています。

という訳で最後はLegacy(遺産)のお話でした。
熊の思い出話のつもりが、自身のルーツひいては北海道史・日本史にまで関わってくる話になるとは自分でも予想外でしたが、少しの間楽しんで頂けたのでしたら幸いです。

後ほど実家で見つけたぺーさん写真を若干ぼかしてアップしますね。

最後までお付き合い頂きまして、有り難うございました。

コメント(17)

毎回読むのがとっても楽しみでした。

本当に。

小説を読んでいるようで…

ありがとうございました。
毎回楽しみでした。

今回の話、何かしんみりしました泣き顔
何だか悲しいような、あったかいような…。
楽しんで読ませて頂きましたウッシッシぴかぴか(新しい) どうもありがとうございましたクローバー
みのさん家の歴史を傍らで見ていた"ペーさん"の物語
これもまた、ドキュメントですね。

今年、久しぶりに行った22年前ドライブインのアルバイト先は廃業・・・
お世話になった農家は離農で廃屋・・・
そんなことも多々あったばかりなので、
ちょっと悲しさが込み上げる感があります。

でも、元気だった頃のペーさんの写真UPお願いしますねわーい(嬉しい顔)
毎度楽しく読ませていただきました。
ぺーさんの最期とそれにまつわる人間模様…
ほのぼの、しんみり、そしてドロドロ…
これはドラマ化すべきです!
> あやさん

有難うございました。
元々、父の法事を秋にやるからと兄から連絡を貰ったのをきっかけにふと熊好きのコミュニティってあるのかしらと思い付き、こちらにたどり着いた事がきっかけで思いがけず長い思い出話をしてしまいました。

「北の国から」あたりと風景を重ねてイメージして頂きますと立体的に情景が浮かぶかもしれません。
> HDJさん

有難うございました。
yさんとは変わらず仲睦まじくされてますか?

ぺーさんの事を除けば誰の身の上にも必ずやって来る出来事ですが、時間薬と言いますか今だからこそ、こうやって話せるのかなと思ってみたりしています。
> くまさん

有難うございます。
日々の生活に追われるばかりで、今までじっくり父やぺーさんについて考える機会がありませんでしたが、改めて振り返ってみる事で
「そんなに不幸な半生でもなかったな」
と思い至りました。
意外と普通な人生だったのかもしれませんね。
ぺーさんが熊だった以外では。
>Tnaka_rd3N4さん

先日久し振りにレンタカーを借りてあちこち運転して来ましたが、10年程の間でも随分とお店や道路が変わっていました。
実家の周りの農家でも子供が娘ばかりだったりサラリーマンになったりして後継者がおらず、荒れ地になったり農地を売却して建物が建っていたりしています。

夜実家の前で独り、星を見たら空がドーム状に見えるほど広く視界が開けていてふとここに立っている自分が小さな子供なのか既に老人なのか判らなくなり、ああぺーさんも自分が年を取った事に気付かず赤ちゃん熊のまま旅立ったんだろうなあと感じました。
独りぼっちならば年も姿格好の老いも気付く機会がありませんもの。

もしかしたら跡地になった檻の前で今でも、誰か遊びに来ないかなと訪問者を待ちわびているのかもしれません。
>yさん

有難うございました。
yさん他数人の皆様方の問いかけにお答えする形で何となく始めて何となくシリーズ化してしまいました熊バナも一応の完結を迎える事が出来ました。

ドラマ化ですか・・熊以外はどこにでもある普通の家族のお話ですので、昔懐かしい「寺内貫太郎一家」等のホームドラマに羆を随所で乱暴にカットインさせると近いものが出来るかもしれません。

あ、HDJさんと末永く仲良しで〜〜〜!
もしかしたら跡地になった檻の前で今でも、誰か遊びに来ないかなと訪問者を待ちわびているのかもしれません。>

人間に近い生き物以外は、老いを見せないって事らしいです。
老いた姿をさらしたら、待っているのは・・・

家族・風景と、色々変化があっても、
何も変わらなかったのは"星空"と"ペーさん"だけなのかも 知れませんね。
純真無垢なまま・・・
素敵なお話でしたぴかぴか(新しい)
ありがとうございました <(_ _*)>
みのさんの楽しい文章にすごく惹かれました揺れるハート

また最初から読もうっと!V(○⌒∇⌒○) 
> Tnaka_rd3N4さん

純真無垢なまま生涯を終えさせてしまったのも何だか可哀想でね。

ぺーさんも山の中走り回ってコクワ食べたりニンジン畑掘り返して食べたり(駆除されかねないですね(^^;))、熊人生謳歌して頂きたかったなあと思ったりもします。
> ミミさん

有難うございます。
楽しんで頂けて何よりです。

以前飼っていたシャム猫がミミという名前で、こんなに美人にゃんこだったんですよと画像見せようと思ったんですが、画像だと顔が真っ黒になって可愛さが伝わりにくくて、逆にがっかりさせたら申し訳無いなあと画像断念しました。
人も動物も、はかなく尊いですね。
それだけに大切に生きて行きたいなと
このお話を読んであらためて思いました。
本当にすてきなお話ありがとうございました。

それにしてもみのさん文章がお上手です!!
ある寒い日の朝にぺーさんが冷たくなっていた下りは
涙でましたよ〜〜
> 久みunさん

ヘンテコな父ちゃんと熊の思い出話からそんなエエ話のエッセンスを抽出して頂けたとは!
有難うございます。

振り返ってみれば家族が家族でいられる時間なんてあっと言う間で、タイムマシンがあったなら

「孝行を したくないのに 親がいる」

なんて生意気な口を叩いていた中学生の頃の自分の後頭部をスリッパでスパーンとフルスイングで打ち抜いてやりたいと思う今日この頃です。

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