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パレスチナ問題を考える会コミュのUri Avnery:From Stalingrad to Winograd

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さて、前回に引き続き、Gush-shalomのUri Avnery氏の文章を訳した。
これは、先ごろ発表された、2006年夏の第2次レバノン戦争でのOlmert首相始めとする執行部の責任を問う調査委員会、the Winograd委員会の報告に関するもの。

興味深かったのは3点。
1つは、委員会がOlmertを辞任させるとことまで行かなかったのは、他にもっと悪い人間(もう一人のEhud、前首相Ehud Baraku氏を指すものと思う)が首相になってしまうことを心配したためではないかという推測。
もう1つは、戦争の理由は、地域に親米政権を作りたいアメリカの指示によるものだということ。この詳細は、報告書の中で“外交関係”を理由に秘密にされている。
最後に、イスラエル軍が圧倒的な軍事力をもってしてもヒズボーラを打ち負かすことが出来なかった理由は、“占領”にあるということ。石を投げる子供や、一般市民を痛めつけていることを日常行うような軍隊は、士気が下がり、まともな人材は残らず、近代的な戦争は出来ないのだという。
(この訳は、自分の日記にも載せています)

Uri Avnery:From Stalingrad to Winograd
http://zope.gush-shalom.org/home/en/channels/avnery/1201998041/
02/02/08

幾日かの間、国は1793年のPlace de la Concordeのようだった。世間が全て期待してギロチンを前に座って、待っていた。荷車が侯爵を運ぶのを、侯爵が横になっるのを、刃物が彼の首に落ちるのを、そして、兵士がその血まみれの切断された頭部を見物人たちのお楽しみの為にかざすのを。

全ての目がWinograd委員会の持ち上げられた刃物の上に釘付けになっていた。判事はカメラの前に座り、報告を読み上げた。しかし、刃物は落ちて来なかった。血塗られた切断された頭部を持ち上げる予備兵もいなかった。頭はその場所に残った。Ehud Olmertは侯爵ではない。そして、彼の頭はしっかりと彼の肩の上にある。

国の端からもう一方の端まで、失望の深いため息。リポーターやコメンテーター達は椅子から飛び上がった。侯爵が逃げ出してしまった時の、フランスの編み物婆さん達のように。

Winograd委員会はしくじった。コメンテーター達は、怒り訴えた。その戦争の多くの失敗に加えて、委員会の失敗が追加された。

経験を積んだ政治家ならこの公理を知っている:委員会のメンバーを選んだ者が、その結果を前もって決定できる。

それは、ほとんど自明のこと。結局、委員会のメンバーはただの人間にすぎない。人間は考え方と意見を持っている。これらのことは、前もって彼らを指名する者には分る。彼は、意のままにメンバーを指名できる。もし彼が大富豪達を指名すれば、彼らが金持ちに対する税金を上げる決定をしないことを期待するのは理にかなっている。もし彼が左翼達を替わりに指名したら、その推薦はまったく違ったものになるだろう。

それ故、提案された調査委員会法案が論議された時、我々は、“公式の”調査委員会のメンバーは、政府によって指名されるべきではなく、最高裁長官によるべきだと決定した。私はその時Knesset(国会)のメンバーで、その論議にあって実質的な役割を担っていた。私は、首席裁判官が委員会メンバーを指名するだけでなく、彼が−そして、政府でなく−そもそもの調査の設置を決定するべきであると提案した。(これは、拒否された)

それは、若いEhud Olmertが初めてKnessetに選ばれた時より7年も前の出来事だった。しかし、彼は法律を完璧に理解している。第2次レバノン戦争の後、“公式”調査委員会の指名が提案された時、彼は激しく反対した。彼は、政府指名の調査委員会に拘った。公式の委員会のメンバーが最高裁によって選ばれている時に、政府の委員会が政府自身によって指名される。

小さな違い、万歳
Winograd委員会の指名は、多くの疑惑によって迎えられた。しかし、これらは、昨年の4月の中間報告が発表された時に、完全に消え去った。それは、手厳しく妥協の無いものであった。それは、Olmertに対してとても否定的な指摘を含んでいた。

それで、世間は安堵した。2種類の委員会の違いは忘れられた。Winograd委員会はまさに“公的”委員会のように行動し、そのように決定を下し、そのように話した。それは、ギロチンの刃物を掲げた。そして、誰もがそれがOlmertの首の上に落ちるのを待った。

そして、その後、その“小さな違い”が、やはり根本的な違いであると言うことが明らかになった。Olmertによって指名された委員会がいまや、全ての線に乗って特に、Olmertがギリギリの段階で“地上作戦”を決定し、彼の個人的威信を守る為に兵士達を死に追いやる決定をしたことに対して、Olmertに有利な最終報告が公表された。

委員会は、如何なる政治家や司令官に対して、如何なる個人的批判を指し示さなかった。ここでは、最高裁の決定に基礎を置いた。それは、委員会が誰をも個人的に非難することを明確に禁止してきた。

どうしてか?Knessetが調査委員会法を適用した時、我々は、第15章にとても注意を払った。それは、誰に対しても、公正な弁護の機会を与えずして非難することを禁止している。そのような人は前もって警告されるべきで、弁護士を雇い、証人を反対尋問し、彼ら自身の証人を招集することを勧められるべきである。

これには、長い時間がかかる。そして、調査委員会は、一般的に、その調査対象が忘れられてしまう前に、急いで報告を仕上る。例えば、Yom Kippur戦争の後に設置された調査委員会は、その章をまったく無視し、幕僚長(Chief of Staff)、南部前線司令官、そして、その他将軍達を、彼らに前もって警告することなく、解任した。

Winograd委員会は、もう1つの道を進んだ:すなわち、軍上層部が最高裁に請願し、委員会が第15章を尊重することを命令した際、委員会はただ誰も個人的に非難をしないことを約束した。

委員会は、もちろん、その戦争におけるOlmertの役割について、彼を辞任させるほどに厳しい言葉で述べ立てることが出来た。委員会は、そうしなかった。反対に、彼の決定は理にかなっていたと結論付けている。

刃物は落下しなかった。Olmertにアザは残ったが、いまだに立っている。

1982年のSabraとShatilaの大虐殺の後、Kahan判事が委員長を務める“公式な”調査委員会が、全ての事実を公開する模範的な報告書を公表した。しかし、これらは、もっと厳しい結論に結び付けることが出来たはずが、実際はそうではなかった。Ariel Sharonと彼の子分達は、それら大虐殺に対し“直接的でない責任”に対して有罪であったとされた代わりに、彼らに直接的責任があったと結論付けることが出来たはずだ。それら事実は、そのような結論を支持していた。なぜ、彼らはそうはせずに、Sharonと幾人かの将校を解任しただけであったのか?私は、彼らが、イスラエル国家に深刻なダメージを与えることを恐れ、萎縮してしまったものだと推測する。

そこで、私は、Winograd委員会に関してもほぼ同様なことを書ける。それにより公開された事実はより極刑を正当化出来た。何が彼らを引き戻したのか?こう予想が出来る:5人の委員会メンバーは、全員が体制側の中心人物−2人の将軍、2人の高名な学者、1人の判事−で、Olmert、つまり体制側のNo1の人物を倒すことを欲しなかった、と。たぶん彼らは、その地位に誰かもっと悪い人物が取って代わることを恐れたのだろう。その心配は、国内の他の多くが共有している。

体制側の重要な人物として、彼らは他に、第2次レバノン戦争に関する基本的な2つの疑問に対しても、触れることから身を引いた:すなわち、(a)そもそもなぜ始まったのか そして、(b)軍の衝撃的損害の原因は何だったのか。

委員会は、その2つの報告書の中で、開戦の決断は、性急で無責任なやり方でなされたと、断言している。公表された戦争目的は、とても達成できるものではなかった。しかし、委員会は、何がもとでOlmert&その一行−イスラエル政府−が、そのような決定を下したかを言わなかった。

我々は、今では、戦争の計画は随分前から用意されていたものだったことを確かに知っている。それは、戦争のほんの1月前に予行演習が行われ、結果に応じて変更が加えられた。最終的に、これらの計画は、実行に移されなかった。しかし、政府と軍は、長い間ヒズボーラを攻撃することを考えていたのは明らかだ。

6年の間、北部国境は完全に静かだった。ヒズボーラは、(今もそうしているように)ロケットを配備していたが、そこで(現在のとろも)イスラエルを攻撃する兆候は何も示さなかった。

2人のイスラエル兵が捕まった越境侵攻は、例外であった。この行動は、イスラエルによって収監されているヒズボーラの囚人の解放のための交渉手段を得る意図があった(そして、たぶん、同じような侵攻で1人の兵士を捕らえたハマスに対する連帯を表明するものだった)。Hassan Nasrallahは後に、これは重大な失敗で、もし戦争の原因になると想像できていたらそうはしなかったと認めている。(Olmertは、その一方で、如何なる失敗も認めていない)

私が、この始まりで述べたように、この出来事はこの戦争の為の口実であり、その理由ではなかった。そうならば、本当の理由は何だったのか?文民Olmertの軍事的栄光への欲望?幕僚長、Dan Halutzの、一般市民に対する大規模な空爆をすれば空軍だけで戦争に勝てることを証明出来るという夢?ヒズボーラは一発の大きな打撃で消し去ることが出来るという幻想?

Winograd判事が報告書の一部が秘密のままになっている理由を説明した時、彼が使った言葉は何も注意を引かなかった:すなわち、“国家の安全と、その外交関係”。外交関係?どの外交関係?誰との関係?理にかなった回答はたった1つしかない:すなわち、合衆国との関係。

それは、問題の核心かもしれない:すなわち、Olmertは、アメリカの望みを実現した。Bush大統領は彼の子分、Fouad Sinioraを、ベイルートの統治者に据え付けたかった。その目的の他に、ヒズボーラ−レバノンの主要な対立勢力−は、抹消されなければならない。また、Bushは、シリア−この地域におけるアメリカの野望の主要な対立者−における、政権交代に影響を及ぼすことを望んでいた。

私は、これがWinogradの鎖の中の、失われたリンクであると信じる。Olmertは、こう言い張ることも出来た:“私は、ただ命令に従っただけだ”と。しかしそれは、もちろん、言ってはならぬこと。

報告書のその他のブラックホールは、イスラエル軍に関係すること。報告書は残酷にそれを批判している。軍の指導層がこの様に表現されたことはかつて決してなかった−個性も、才能も、能力もない一塊の集団だと。彼らが失敗を非難されると信じている作戦に、ただ単に、上司にあえて抵抗したくないという理由だけで、いつでも自分の兵士達を送りこむことが出来る将軍達。戦闘に行く前に目標の明確な定義を要請しない将軍達。彼らの軍隊の決定的な責任を認めない将軍達。そして、彼ら自身に責任がある−彼らと彼らの前任者にまさにこれらの責任がある。

このことは全て、いま、言われている。言われてきていることは:どの様にしてその様な指導部を持つようになったのか?これらの失敗の原因は何か?

答えは、2つの言葉に集約できる:占領だ。

最近の2・3年の間、私は占領の軍に及ぼす破滅的影響について幾つかの文章を書いてきた。1つの軍全体を植民地警察力として、被占領民の抵抗を打ち砕く為に、その性質を変えずに何十年も使うことは出来ない。Qasbahの路地で石を投げる子供達を追いかける兵士達、一般市民の家のドアを夜打ち破り、人々の家をブルドーザーで破壊する兵士達、そして、これを何年も何年も−そのような兵士達には、近代的戦争を戦う能力がない。

もっと悪い:つまり、そのような植民地軍は、最も優秀で才能のあるものを惹き付けない。これらは、いま、ハイテクと科学に向かっている。一般市民やゲリラに対する残酷な軍のやり方は、意識と感性を持った人々を、ウンザリさせる。彼らは、まさに良い司令官たちの部隊の屋台骨となる人々。それは、残った人々の感覚を鈍くする。あるいは、彼らは占領地から心的外傷を受けて家に送り返される。

40年の占領において、イスラエル軍は、1948年と1967年の戦争を率いた時のような将校達を失った。一部例をあげれば、Yotzhak Sadeh、Yigal Allon、Yitzhak Rabin、Ezer Weitzman、Matti Peled、Haim Bar-LevそしてDavid Elazar。彼らの場所は、凡庸で顔の見えない集団、陰気でしかも傲慢な技術屋達、浅はかな考えの人々、植民地主義で、極端な右翼傾向を持ち、編んだキッパ帽を被る者の割合が増加し続けている。

それが、この報告書が−しかしそうとは言わずに−語っている集団だ。それは、占領軍であり、そこでは、否定的な自然淘汰過程が進行する−この環境に馴染めないものは皆ただ去っていく。どの軍隊でも同じように、上層部を取り囲む雰囲気は−良くも悪くも−階級をジワジワと下って行き、最下層の兵士に伝わる。

これは、Stalingradの戦士達が彼らの国の為に戦っている軍隊ではない。これは、Winogradの戦士の軍隊だ。委員会によって断定されたように、どんな天才も“修復”出来ない軍隊。なぜならば、その全ての過ちは、その原罪に端を発するから:占領である。

コメント(1)

はじめまして。

私もオルメルト首相に早く辞めてもらいたいと思っている一人ですが、このアブネリー氏の意見も左すぎて賛成できませんねェ。典型的な self-hate Jew...

今回のレバノン戦ですが、イスラエルの首相以下閣僚の中でプロの軍人がいませんでしたね。私は昔のような優れた将校たちを失ったのではなく、彼らを使いこなせるような百戦錬磨の元将軍が政府にいなかったこと、かつてのイスラエル軍のような電撃徹底攻撃をしないまま、ヒズボラも叩けず誘拐された兵士も取り戻せなかったことが原因で大きな非難を受けたのだと思います。

アブネリー氏のような人がイスラエルで活躍できること自体、民主主義が機能している証拠だと思います。

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