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先生・講師やってますコミュのこんな小学校教育は許せない!

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 今日は、ある教員の先生のこんな意見を聞きました。
 『小学校低学年は、しつけのためにも、厳しく指導したほうが良い。でないと、後任の担任が楽できない。』と。
 
 「小学校低学年は、しつけのためにも、厳しく指導したほうが良い。」
 これは、一理あります。確かにそうです。しかし

 「でないと、後任の担任が楽できない。」
 には、怒りをおぼえました。

 ならば、後任が楽できるような教育はどんな教育だろう?
 
 それは、教師の思いどおりになる子どもを量産する教育なのだろか?

 それは、子どもを叱りまくり、子どもの自律性を奪い、子供をロボットのようにする教育なのだろうか?

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。

 そんな教育は、子供のためにも、自分のためにもならない教育だと思いました。 

 この解釈は、私の独りよがりなのでしょうか?
 この解釈が正しいとして、このような教育風潮が小学校では、蔓延しているのでしょうか?

 教育現場、非常勤1年目の無知な自分に、厳しかろうと、現実を教えて頂けると、今後の参考に大いになり得ます。

 皆様のご意見をお待ちしております。

コメント(30)

> 後任の担任が楽できない。

言葉のアヤでしょう。
後任がより苦労する、が真意ではないかと。
ゼロがマイナスになるのと、プラスがゼロになるのは違いますから。

> 子どもを叱りまくり、子どもの自律性を奪い、子供をロボットのようにする教育なのだろうか?
(中略)
> このような教育風潮が小学校では、蔓延しているのでしょうか?

まったく逆です。
叱ることも叱られることも教育現場から排除してくれたありがたい組織のおかげで安っぽい個性だらけです。

一般論も大事ですが、ご自身の生い立ちを思い出してみてはいかがですか?
>マコ さん
『小学校低学年は、しつけのためにも、厳しく指導したほうが良い。でないと、後任の担任が楽できない。』

ある意味正しい意見だとおもいます。
#後者の解釈の仕方にもよるけど・・・。

後任が楽できない・・・
べつに小学校低学年からの昇級に限ったことでなく、小学校から中学校にあがるときにも同じようなことを言うと思います。

中学校にあがってきてるのに、生徒の質(社会性とか集団行動・授業中の様子とか)が小学校中学年ぐらいだと、「小学校でなに教えられてきたんだろう・・・」と素で思いますからねぇ・・・。
結局中学で小学校で教えるようなことを余計に教えないといけないので二度手間になります。

ようは、「後任が楽できない」とは、「その学年で教えることだけに専念できる状態にして上に上げろ」ということでしょう。

上級学年を教えるようになるとこの意味がよくわかってくると思います。
下で仕込が足らないと、上に全部しわ寄せがくるので。

-----
ちなみに自分は中学の非常勤してます。
こんばんは。

今高一の担任ですが、
以前に比べて、常識が欠けてる生徒が増えてきていると思います。
たとえば、
・バスの中で席を立っている。
・下品なことばを連呼する。
・廊下でプロレスごっこをする。
・ごみをその辺に捨てる。
・自分の体育着がロッカーから落ちててもなんとも思わない。
などです。

みんながみんなこういう行動をとるわけではありませんが、
正直、こういうことを高校で口うるさく言わなきゃならないのかなと思うことはありますね。

勉強にしろ、部活動にしろ、意欲を持っている生徒を伸ばしてやりたいなぁと思ってる部分があって、そういう意味では、自分の思う高校のあり方と、現状にギャップがあるかもしれません。
考えさせられるテーマですね。
私の考えを述べたいと思います。

その教師が言った「楽できない。」をどう捉えるかで違うと思うんです。

確かに私も「小学校低学年は、しつけのためにも、厳しく指導したほうが良い」と思います。
その教師はおそらく,マコさんの言うような「子どもを叱りまくり、子どもの自律性を奪い、子供をロボットのようにする教育」をしたい!と考えているのではないと思うんです。

おそらく,小さい頃から「当たり前のことが当たり前に出来る」もしくは「当たり前のことを当たり前だと感じられる」ような人間に育てなければいけないんだ,と言いたかったのではないでしょうか。

例えば,「先生が前で話をしている時は,先生の目を見て話をキチンと聞ける」こと,や「時間をしっかり守ることができる」,「順番をキチンと守ることが出来る」というようなことが学年が上がっても出来ないのでは,後任の先生がそんなことにムダに時間を費やしてしまう,と言いたかったのではないでしょうか。
これは「個性」を奪っているのではなく,もちろん「ロボット」にしているわけでもありません。
社会の「常識」です。
しつけの範囲です。

私は,「学校は集団生活を通して社会性や人間性を学ぶ場」だと考えます。
学校は「社会の縮図」であるとも考えられます。
子どもたちが「自分の思うように,やりたいようにやれる教育」があるなら,それは本当に素晴らしいと思います。
私もそのような教育方法を身に付けたいとも思っています。

しかし,「個性」を活かすには,まず「社会の規則」を理解させることが必要だと思います。
「社会規範」の中で初めて「個性」が活かせるのだと思います。

「社会性」や「人間性」を育むということを,小学校低学年レベルで考えれば,先ほど挙げた項目や「悪いことをしたらキチンと謝る」,「人に何かしてもらったらキチンとお礼を言う」,「挨拶(おはようございます,さようならetc)をキチンとできる」などでも充分に達成できることだと思います。


私は現場に出たことは教育実習しかありませんし,小学校の免許を持っているわけでもありません。
高校の教員を目指して,勉強している身です。

私の考えも「現場」からすれば「個性を潰している!」,「子どもをロボットにする気か!」,「結局,従来通りの教育方針か!」と言われるかもしれません。
しかし,「当然のことが当然にできない」のは話にならないと思いませんか?!
勉強(学力)のことを言っているのではありません。
社会生活において必要なスキルのことを言っているのです。

「教育のスタンス」は人それぞれですから,誰が合っていて,誰が間違っている,ということはないと思います。

ただ一つ言えることは,「子ども」の将来を考えて,望ましいことを実践することが一番だと思います。
私の場合ですと,『集団生活を通して社会性や人間性を学ぶ』ということになるわけです。


マコさんのように考えている教師の方がいることは,教育界にとって非常にほほえましいことだと思います。
「子ども」を第一に考えているわけですから。
お互い,子どもたちにとって良い教育ができるよう頑張りましょう。

本当に考えさせられるテーマでした。
考える機会を与えてくださり,ありがとうございました。
「楽できない」という言い方に問題があるのかもしれないけれど、大きくなればなるほどしつけるのは大変になりますよね。

学校に限らず幼いうちにきちんとしつけておけば子どもが大きくなってからもきちんとするから大人は楽を出来るけれど、
小さいうちにしつけをしておかないと大きくなってから直そうとしてもちょっとやそっとでは直らない・・・

という意味と受け取りましたけれど・・・

あまりいい例が思いつかないのですが、
人に迷惑をかけるようなことはいけないことだときちんとしつけをして育てていれば、大きくなっても人に迷惑をかけないだろうけれど、
小さいうちは「まだ小さいから」と容認して育ててしまって、大きくなってから人に「迷惑をかけるな」といったところで身についてしまったものは並大抵の事では変えられない・・・
という感じかな。
生徒を叱ることは大事なことなんじゃないかと思います。
小学校で躾をきびしくしたからといって、それが個性を奪うことではないと思いますし、全く別物だと思ってます。
きっと、問題なのは怒り方、躾の仕方だったり、個性とワガママの区別ですよね。

最近は生徒に注意するときに以前よりも気を使って話すようにしてます。
生徒の中にもいろいろ言われることで、彼らなりに考えてくれてる子もいますよ。
そりゃぁ、低学年で、基本的なしつけをきちんとするべきでしょう。

後任の担任が楽できないってのも、ごく自然な台詞だと思います。

高学年になって少し高度な学習内容を指導しなきゃいけない時に、九九の言えない子供がクラスに半分くらいいたりしたら大変でしょう。。

今、家庭教師してますが、中学生になっても、言えない子がいますからね。
三桁の足し算ができないとかね。
正負の計算に入ると、混乱して5+2まで分からなくなる子。いますよ。小学校の先生は一体、何をしてるのか?!と、怒りに打ち震えます。(大袈裟

私は高校で3年間教えましたが、明らかに楽なクラスと楽じゃないクラスってのが、あるんですよ。

楽な学年、楽な学校、、大抵、ありますよね。
自分の思うことを1つ。

今、自分の家の隣には保育園があります。

毎朝9時になると、でっかい声で「せんせー、おはよーございまーす」と声を上げて言います。
そして、授業?が始まるとみんな一斉に「よろしくおねがいしま〜す」といい、終わると「せんせ〜、ありがとうございました。」といいます。
帰り際になると、それぞれ「今日もありがとうございました。さようなら」といいます。

本当にでっかい声で、閑散としている住宅街に子供たちの声が鳴り響きます。

聞いている分にはすごい素直な声です。

こんなに生き生きした声をだすのは、多分どこの保育園でも同じではないだろうかと思います。
なのに、小学校中学校とあがるにつれて、その面影がなくなる人が多いような気がします。

これって、ある時点から急に元気がなくなるんですかね??

自分の事を思い出すと、いつの間にか周囲に合わせる自分がいることに気づきました。
「みんな手を上げていないからあげない!!」
というような、失敗すると恥ずかしいっていうか・・・

トピずれかもしれませんが、いつも不思議に思っています。
お晩です。
イキナリで申し訳ねえスけど、低学年というところが味噌でねえスか?アノ種族は基本的にまねっこさんな訳でして、大人のやることは何でも良いことと信じ切ってまねしますだ。まだ、善し悪しの区別がきっちりしていねーので、面白れーと思ったことは何でもやりますだ。
 だから、善悪を本気でハッキリと伝える先生が、この時期の連中にとってはいい先生ということですけんど・・・。
 んだからと言って、厳しけりゃいいってモンでもねえス。
基本的にまねっこさんなので、こちらが毎日ガミガミ言うてりゃお互いにガミガミやったり弟妹や人形相手にガミガミやらかしたり、まんず、めんこいでナイの!という羽目になりかねませんナ。
 3年生を境に、まねっこさんから卒業して、ひとの言うことを聞くように見えますが、それだって怪しいもんだ。どうやら好きな先生が言っているから正しいとか、お父さんお母さんが言うから正しいということのようだス。
 相手は異民族と言ったらエエのかな?お説教は意味無ぇーので、お話でもするとイイす。
 「ヒトのハナシを聞けー」と怒鳴るかわりに、登場人物がはなしを聞いていなかったので、悲劇的な展開が一部みられるお話をするとか、「約束を守れ」なんて命令するかわりに、「走れメロス」みたいな展開になるお話とか、あなたの人生経験を一部脚色して、お話に仕立て直してもエエだ。大概の親や爺様婆様は、お話は苦手でも、これなら出来るでぇナ。
 でないと、子供のためによかれと思いながら、怒鳴って命令することを教えることになりかねませんデ。
 なるべく説教くさくなくて、さりげなくて、素朴で、わかりやすくて、楽しめるお話がいいデスな。
後手に回ってワメクんでなくて、先手を打ってお話を用意しておくならば、それこそ奴らはワクワクしながら大人しくなるし、それこそ、こっちは楽できるでネーか。こっちが言いたいこと以上の分まで、奴ら、いつの間にか学習しとるしナ。
 も一つ言うと、こういう先生の後釜に、フツーの先生が行ったりすると、やつらはガッカリして余計に騒いだりするけどナ。
 先生が楽して悪ィという法律はねぇだ。むしろもうちっと楽して下せえ。子供の前ぇでカリカリされたらたまらねぇでよう。
 もっと上手いやり方もあると思うデ。知っている方はどうかお話して下さいナ。
 
一般論として,最近「のびのび育てる」ことと「躾をしない」ことを混同している人が多いと思います.「ルールを守ること」や「他の人を思いやる気持ちをもつ」ということができていない子が多いと感じます.

その子のためにも,社会のあり方としても,最低限の躾はした方がいいと思います.学校でも家庭でも.それができなかったら,社会が破綻するのではないかと心配です.
僕は今6年生の担任をしてますけどすごく楽ですよ。そして「今までの先生たちの努力あってだろうな」と思います。
当然そこで「今年は楽できる」なんて思いませんけど・・・。

さて、この一件は
「どうしても職員室での用事や連絡があって、授業に遅れることがあっても、子どもたちは自主的に勉強します。」
この文章を読んだときに、「教師の怠惰」と捉えるか、「自主性が育っている」と捉えるかだと思うのです。(つまり前者は「教師が楽をしている」)

やはり受け取る側で、その辺の解釈が異なるように、教師が「楽」な状態と言うのは、勘違いされやすいことだと思います。

学習習慣や、学習態度、生活態度について、十分な定着を求められる低学年こそ、後々「充実した小学校生活」(ひいては社会生活)を送るために、厳しく指導するのは当然だと思います。

もちろんガミガミ言うことが厳しい指導と言うわけではないですけど。(ここは書くと長くなるので割愛)

子どもが自主的に行動し、自ら学習する姿勢を持ち、社会的に常識ある小学生なることは、きっと小学校教諭全員の願いだと思います。そのために、ね。
しつけ、大事ですね、社会の中でしっかりと生きていける、そういう
術を身に付けさせてあげることもしつけの一つだと思っています。
私は大学で”この学生は社会で生きていけるのだろうか??”と思える
学生に出会います。もっと早い時期に・・と思うこともしばしば。
そういう経験から、個人指導をしている子供たちにはしっかりと社会
で生きていけるような常識を教えています。
自分もいろいろ苦労してるし・・・
ちょっと話題が違うかもしれませんが保護者と話していた時に
「うちの○○ちゃんがお世話になってます」という親がいて
びっくりしました。

別に家で呼ぶときはどう呼んでもかまわないと思いますが
人前(それも教師)では
「うちの○○がお世話になっています」と言うのが正しいと
思うのですが…。

親がわかってないから躾が出来ないのかなぁとも思います。
 昨晩はたいへん失礼いたしました。真面目に申します。
 今日、昼、もと児童相談所の先生と、似たような話をしておりましたので、報告いたします。
「叱らない教育というのがあって、実際にできる人もいる」とのこと。
「おれはできなかった。ひとによるみたいです」と言っておられました。ある種の名人芸ということのようです。
 「それとは別で、声を荒げて子供を叱る。子供はひるむかもしれないが、そのこと自体、あきらかな暴力です。」(よしあしはべつにして、ということでした)
 躾や教育ということの中には、必要悪という部分があると思います。
 たとえば、挨拶ひとつにしても、尊敬できない大人に対しても挨拶しなさい、というのは大人の社会のルールですが、子供から見れば偽善です。同時にそこで「うそをつくな」と教えても、子供はすなおに聞いてくれますが、矛盾は解消されないまま残ります。
 尊敬できる大人であれば、黙っていても挨拶が出てくるけど、尊敬できない大人に対しては挨拶なんかしない、のが子供の自然なありかたではないでしょうか?
 こちちらがウンザリさせない限り、興味津々、思わずこちらがたじろいでしまうほどまっすぐに見つめてくるのが低学年の子供ではないでしょうか?
 眼を見てこないようなら、こちらでは「ははあ、ナニカあるな」と心にとめておく程度で調度良いのではないでしょうか。
 
 小学校の先生でもない者が、こんなことを言うこと自体、卑怯かもしれませんけれど・・・。

 常識のうそ、もあるし、しつけと人間性の間には、一部、並び立たないような部分も確かにあるのです。しつける、とは、ある面では大人の社会の矛盾を伝えるということでもあります。よくない暴力に発展する素因もはじめから内在しております。
 おそらくはマコさん、しつけの矛盾を漠然と感じておられたところに「楽できない」発言があったのではないでしょうか。
 
 「楽できない」という言葉については、もっと適切な言い回しがあったと思いますが、本当に気になっているのは、実際はどちらですか?

 たとえば、不登校(だった)子供たちを見ると、どちらかと言えばしつけ無しと言うよりは、しつけ過ぎのお子さんが多いように感じております。

 もちろん、厳しいしつけを受けた人間の全員が、間違った方向に進むわけではありませんけれど。

 それでも、しつけに関する大人の都合と矛盾、は自覚しておいた方がうまくいくように思う次第です。
 
 矛盾があるから、愛情を伴わないと納得し難いのです。

 小学校のとき、ちょっと悲しいような口調で、静かに話される、子供を納得させることの上手な先生がおりました。(お話を聞かせるというのは、この先生のやり方でした。) 
 皆様の多くのご意見をありがとうございました。

 わたしはトピック上で
>それは、子どもを叱りまくり、子どもの自律性を奪い、子供をロボットのようにする教育なのだろうか?

と書きましたが、正確には怒りまくりと言う表現の方が適切でした。

 ちなみに、皆様のご意見をお聞きして2つの事に気がつきました。

 ?その先生が言った『楽』言う言葉を自分は、少し違う意味で解釈をしてしまった事。
 ??の結果、少し感情的な思考に偏ってしまった事。

これらを素直に、反省できました。

 このような、理性的な反省ができたのも、皆様の多くの貴重なご意見のおかげです。

 ありがとうございました。
怒らないで学校教育を行っていくのは、かなり高度なテクニックだと思いますねぇ。

素晴らしいけど、今の僕には難しいとw。

とりあえず、「gon先生は怖い」「でも普段はすごく優しい」と、みんなお家の人に言っているので、怒る(叱る)バランスは今のところ良いかと。
 『叱る』と『怒る』は別かと。
『怒る』は、感情的批判で『叱る』は理性的批判。

 怒った後はいらいらしてるので、その後すぐに誰かを褒めたりはできない。

 叱った後は、理性的批判のため、いらいらしていないから、誰かをすぐに褒められる。

 他に言い方があるとしたら、『厳しく叱る』=『怒るふりをする』
 あくまで、「叱る」は演技であって、「怒る」ではないでしょう。

 トピックの趣旨からそれて、失礼しました。
んー。その話は前にしましたね。

単に「激しく叱る」と書くのが面倒で「怒る」と書いただけですし。みなさんも、もうその辺は分かっている前提で書いてしまいましたね。厳密に言えば、大声を上げて叱るというのは、ある程度感情的でないと出来ない。(経験した人は分かると思うのですが)

とりあえず「怒る」を「叱る」と読み替えてください。


>怒った後はいらいらしてるので、その後すぐに誰かを褒めたりはできない。

怒った後も褒められるでしょ。そこは機転の問題かと。
アメリカから失礼します。
自分が思うに最近の日本は子供にこびを売りすぎ。
子供にやさしい環境を作りすぎ。
その為、学力は低下するは、どんどん甘やかされた考えになるはで最悪です。 
学校、家庭でのしつけとかが甘いんじゃないですかね?
今の日本の文部省とかは何を考えてるのか??
厳しい教育は昔から続いてるんだから、子供の犯罪が増えた理由を学校の教育での競争とかのせいにしないで、もっと根本的なところを見つめるべきでは。。。
トピックからずれましたね・・・。
ずれついでに言っておきます。

犯罪が増えた理由からゆとり教育を敢行しているわけではありません。
また、学力の軽視でもありません。
学力は低下していません。求められる学力が変化しているだけです。
ただ、根本を見た『ゆとり教育』を有効活用できていないのは事実です。
これは教育者の問題であり、文部省のアナウンス不足です。

さて、今までのまとめですが、
・子供のロボット化としつけ
・教師の表現による過ち
・環境を整えるということの弊害

最後の問題についてはgonさんが別トピックを立ち上げてくださったので、そちらを。
↑の
・子供のロボット化としつけ
・教師の表現による過ち
がこのトピックのテーマになると思います。

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