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先生・講師やってますコミュの[高卒進路]生徒・親・高校教員の意見のずれと自分のズレ

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総合大学よって設立された映像系専門学校(専任)で
理工学部や高校(非常勤)で映像を教えています。

高校の先生にお伺い致しますが・・・
「進路」「進学」「就職」に関して、
何を情報の基準として、その生徒の特性に合わせて
進路指導をしているのでしょうか?
(なんだか・・・どうしようもないことを聴いているようですが)

一般論は統一性があまり無いと思いますので、
差し支えない範囲でご教授頂きたく思ます。

昨日、学校見学にお見えになった生徒さんは、
ものを見抜く力も高く、
ただ、若干頑固で衝動的な行動をしているように
見えているのかもしれないのですが。
進学校である高校の教員に問題児扱いされていて、
話をすれば「物作りの職人気質」なだけの素直な子でした。
その高校は進学校で、四大進学率を高めることに躍起になっているようで、担当の先生は、「専門学校」(色々なんですけどね)などとんでもないという感じです。
何を根拠にしているか、生徒も説明が受けられずに・・・
専門学校の問題点を並び立てて、怒るだけだそうです。
何も学校のことを知らないで
誹謗中傷に値する根拠のない批難をするようです。
それどころか、その高校の卒業生が本校学生として
しっかり充実した学びと生活を送っている学生もいて、
とても成長が見えるのに・・・それすらトレースもしない。
根拠のない感情的な説得に生徒さんが困ってしまい、
親心も大学へという気持ちと
実際に学校を観てしっかりしていると思う気持ちで
迷い始めていて、教員と意志がバラバラなので・・・
生徒さんの気持ち(進路よりも心)が心配になりました。
います。
本人曰く「座学ではどうにも効率よく学べない生徒」を
高校の四大進学率の体裁を整えるために
勧める頑固な先生がいるんです。

本当に、その子たちの幸せを考えているのか・・・
忙しいのと自分たちの実績のためだけに・・・
責任回避として進路を決める傾向が有るのでないかと
思ったりしています。

本当に、その子の「頑固なこだわり」という個性と
「我が儘」という身勝手を見分けずに
単純かして同一視していないでしょうか?
教員として大上段に構えていないでしょうか?

本当に、大学に無目的に無差別に進学させていいのでしょうか?
本当に、専門学校に無目的に無差別に進学させて良いのでしょうか?
本当に、行きたくもない大学に行かせて、
安易にフリーアルバイターにしていいのでしょうか?

と思いました・・・

なぜ座学が必要なのかわかるためにも「就職」か「専門学校」で
一般教養を後回しにして、体験から学ばせるのも道だと思うのですが、
そこから大学や改めて、他の道を探すぐらいのゆとりが無いといけないと思うのです。
うちの学生も大学をやめて入ってくる学生も多く・・・
なぜといえば、マスプロで密度の薄い教育に
見切りをつけてくるのです。
もちろん無意味な自分探しをさせるつもりもありません。

この時代、大学に遊びに来る学生も未だ多く・・・
そんなことに大学のあり方に嫌気をさして、

私の学校は、グループワーク中心の学校なので
大学よりも議論を深めますし、
他の専門学校よりもより社会人の新人向けの実践教育であり、
一般教養と常識や礼儀をその中から体験的に
身につけさせるものです。
相当スパルタで学校から飛び出させて、
社会相手に取材したり、身をもって体験させる
少人数の集団性の中で課題を手中実習で
プロジェクトにぶつかることから
個性を導き出すための環境として
あえて「専門学校」をつくたんです。
様々な学校での体験や自分の学習体験を元に、
知識でなく知恵を獲得できるための
行動的な学習プランを目刺しカリキュラムを作り、
講師を集め、特殊な授業形態を作ってきました。

ゆえに、放送番組の制作の現場や映画制作の現場の
インターンシップでも
高校新卒から2年でしたが・・・
環境適応力と仕事の段取りやキャパで
大卒の新人よりもほめられて帰ってくるレベルになっているし、
一年の終わりにはちいきのCATVへ番組も買い取られていきます。インターンシップ先の制作会社の社長から
新人を預けたい言われてしまっています。

いまだ日本は、「学歴」にこだわっており
真の「学習歴」というものの評価ができないから
アメリカのようなベンチャー起業がやりにくく
「失敗から学ぶ」ことを否定している気がするんです。

どうも、社会が、これだけアルバイト雇用に依存して、
若い人たちを食い物にしているからこそ、生活指導や進路に対して、
アンテナをしっかり張ってほしいと思うのです。
当然ですが、映像の世界の就職のあり方など、
普通に専門学校や大学の教員ですら知らないのが
当たり前でしょうから、頭が固くて
生徒の夢を妄想だと思っているのでしょう。
その生徒さんの気持ちになると、
その数学の先生が無意味な論拠のない
弁証法も成立しない姿で感情的に
頑固に当たられるだけ数学も嫌いになると思うんです。
悲しいことです。

親も高校教諭も聴いた情報が
結果的に何年かたたないと伝わらないし・・・、
古かったり、就職への道筋に実体験が無いと思われるのですが
使っている情報源が、コンサルタントに依存していたり、
出版物情報に偏向していたり、噂を信じている感じもします。
その子がどのような社会で適正を持って生きるかのための
「学習歴」を考えずに、
昭和の右肩上がりの時代の画一化されたあり方を
前提に押しつけていて、
多くの高校の先生は、大学を卒業して教員として
生涯を送ってしまう。
ある意味、優等生の無難な生き方を好んだ人が
教員になりすぎて、
社会経験も大学時代のアルバイト程度ですから。
ビジネスや社会の流れを知らない非常識な世界にいることを
知らないのだとおもいます。
社会に合わせた教育をするなんて・・・
当然難しいと思われます。
忙しくてそんなゆとりもないとおっしゃられるでしょう。
(総合的な学習の時間なんて、実施出来るはずもない・・・)

正直大きくて昔から有るから良い大学や専門学校ばかりでないし、
小さくて新しい大学や専門学校にも良いところも有れば駄目なとろ
も有ると思うんです。
自分の行っていた大学も悪くは無かったですが・・・
満足できませんでした・・・
(だから自分で学ぶ力が身に付いたのですが・・・)

自分も専任教員になる以前は、複数の大学間のサークル活動と
自分で率先して専門分野を学ぶあまり、2回も留年して、大学卒業後、環境コンサルタント研究員→CG制作・プログラミング+非常勤教員→会社設立(教え子と設立:出版企画、マルチメディアコンテンツ制作、雑誌編集、広告企画)、NPO法人立ち上げ・・・
そして、この7年間は、カリキュラム開発、学校企画・立ち上げと行ってきたのですが・・・・正直非常勤として
大学で教えていても、専門学校で教えていても、満足行かず・・・
猪突猛進するがあまり・・・
自分のほしい学校を自から作る道を
選んでしまったんです(笑)

学校のあり方にとても危機感を持ちつつ・・・
学校を作るということに情熱を持っています。
もちろん社会とつながっているあり方もし続けています。
外部との連携も欠かさず行っているのですが・・・

ゆえに、高校の教員へ何を持ってして、
この思いを伝えるのか(伝えても無駄なのか・・・)
アイデアのヒント頂ければ・・・と思います。
かなり満足のいく唯一無二の学校を作ったのに
一部の社会に出たことのない高校教諭の保身的な
有りように振り回されたくないのです。
すみません愚痴が入っていますね。

コメント(14)

このトピックにどんな書き込みがされるんだろう?
現場の先生方はどんな書き込みをされるんだろう?
って楽しみにしてましたが、しばらくたっても書き込みありませんね…残念です。

私は、つい最近高校を卒業した(5年前ですが…)ばかりの教育大学生ですが、

本当に、大学に無目的に無差別に進学させていいのでしょうか?
本当に、専門学校に無目的に無差別に進学させて良いのでしょうか?
本当に、行きたくもない大学に行かせて、
安易にフリーアルバイターにしていいのでしょうか?

この部分にすごく同感しました。
現在私は就職活動中ですが、働き方とか、成功の定義とか、昔とは変わってきているんじゃないかなぁって思います。

大学へ行くことよりも、自分の夢をまっすぐ追える方がよっぽど幸せなんじゃないかと。
おすぎ@connectorさま>
>現在私は就職活動中ですが、働き方とか、成功の定義とか、
>昔とは変わってきているんじゃないかなぁって思います。
まさにそうだと思うんです・・・
そして、これからも変わっていきます・・・
果たして、実体験の伴わない教員が・・・
どこまで自信もって相手に伝えられるのか考えたら
進路指導をすること自体が厳しいでしょうね。
(自分に嘘つき兼ねない状況にも追い込まれますから・・・)

ということは、教育における教科指導と
生活指導カウンセラーを同位置に同数配置する必要が
有るのでないでしょうか?
教科指導以外に能力を認められて教員となっているといえる
方であれば良いのですが・・・

>大学へ行くことよりも、
>自分の夢をまっすぐ追える方が
>よっぽど幸せなんじゃないかと。

いろいろな道が有ると思うんですよね。
順番もいろいろでそこをどう判断させるかの
部分から先は、自己責任であり、教員の成績として
判断させること自体が問題だと思うんです。
無意味に大学を薦めてきます・・・
ずいぶん前に、この書き込みの話の高校(わりと巨大な私服の公立高校なんですが)の進路担当に
私は一度逢いに行ったのですが、他の教員が行っても頭が固く
「四大神話」なんです。

こちらは相手もしていないし、
マスプロ大学を自己批判した結果で発展させた
実験的な要素を取り入れたタイニーな学校ですから
ライバルともまったく思わない
名も知らない某大学と比較するし、
とても嫌な思いをしましたし、彼に指導される生徒は
不幸だなぁと思いました。
(思い当たる某高校の先生は、反論してください、
名誉棄損であるなら裁判してください!)

たぶん、高校生には、大学に進学される際に・・・
どう大学を活用して自分をのばすか、気がつけないと
活用できないと思います。
それから、それを高校で教えないで受験を指導していることも
残念ですね・・・

私は、附属高校から大学へ進学したのですが・・・
付属構成でも自分の進むだろう
大学の様子が見えませんでした・・・
入って、こんなに稚拙なものを教えているのかと
思い幻滅したり・・・
もっと、実験や研究をするための体験を積ませるべきだと
思いましたし、
むしろ課外活動であるサークル活動に入って、
良い議論を深めたり
コミュニケーションをする力を身につけたことで
前に進めた感じです・・・

本当の意味で大切な「大学の使い方}、{専門学校の使い方」を
高校生に知ってほしいですね。
いろいろな人の意見を掲載したそんな本出したら
その中から意見を吸い上げてくれるかなぁ(笑)>高校生(mixiは高校生みられませんね)

今高校で、映像制作の授業やっていますが、
学校の物理的な枠組みと
事なかれ的な管理で
外でのドキュメンタリーの撮影が不可能で・・・
社会性の確率のための授業が成立しません。
上司の行う小学校の映像制作の授業やプロジェクトでは、
あえて社会に出させてくれるのに・・・
高校は、どんな人材をどんな時期に育てているのか
見誤っています。残念です。
先日は、愛知県の高校のデザイン部の特別講義で
出張させて頂きましたが・・・
四大進学率が決して高そうでないのですが・・・
彼女たちの目の輝きは、何か今の教科教育の問題点を
押しやった結果からあきらめを超えて飢えているものがが
有るのでないかと思うようになりました。

チャンスが有れば高校にももっと関わっていきたいと
思います。

身内の身びいきで、大変恐縮ですが・・・
自分の学校の学生の社会でのサバイバリティは、
うちの2年次終了後の3年生の能力レベルで・・・
他学部の学生にひけをとりませんし、
大学院生でも大卒社会人の新人でも
勝っているとインターンシップ先で言われて帰ってきます。
昨日もUCLA教授や海外からのメディアアートの
国内外からアーティストを招いての230人が入るイベントを
裏方スタッフとして7〜8人で
当日まで段取りなしでも、自発的にきっちりこなせて、
不測の事態に反応できる環境適応力を身につけさせました。
ドキュメンタリーを集団で撮る訓練が彼らの環境適応力を
身につけさせます。
集団での個性の輝きが大切なんだと思うんですよね。

そんな時期を送らせるためにも高校がそのムードを作れないと
大学も専門学校も意味を理解しない学生が遊び場にしてしまいます。
都心にある立地の良い時流のはやりものを扱う
専門学校ほどそのひどさが目立つのでないでしょうか?
何となく学生のテーマパーク化して、ゲームとアニメの話題だけで
終始して、物作りの本質を語り合うどころか、授業と称して
ガンダムのパーフェクトモデルを一年掛けて作っている
カリキュラムなんてやらせてて良いのでしょうか?
まぁそこを進める高校教員もいないでしょうが・・・
立地が悪くてとても私たちの学生は
質が高くてうれしいぐらいです。
厳しい環境を求めてくる学生は結果的に
道を自ら開いていくのだと思います。
それを多角的に応援してやるのが自分の役目です。
寂しいですが、高校の教員の皆さんの
あり方を東京都のとある高校教員の勉強会で
招かれたときにお話しましたが・・・
寂しいほど理解力がありませんでした。残念です・・・
わたしは専門学校で講師・担任をしています。
なので卒業後の進路相談となると就職指導となります。ですので、これは現状の職務にもとづいての話というより、わたし個人の考え方となるのですが……。

わたしの通っていた高校はまあ一応進学校でした。専門学校に行くという選択肢はなかったですね。わたし自身、大学に行って当たり前だと思っていました。学校としても、大学進学率を高めたいというのが一般的な考え方だったのでしょう。わたしは公立でしたが、私立となると、とにかく大学でしょうね。かねごんさんのおっしゃるとおり、いい大学に行かせることが学校の評価に直結しますので。
正直、世間の風潮的に「今の時代は大学ぐらいでていないと」という考えが依然として強いと思います。

また、わたしが専門学校で働くようになって思ったのですが、専門学校は「知識」を教える場所、大学は「理論」を教える場所という意味合いが強いように思います。それなので、専門学校は下手なところを選ぶと「今しか使えないこと」を覚えるだけで終わってしまいかねません。まあ、大学は学生の自主性がないと「とりあえず今使えること」すら覚えないで終わる危険性がありますが。

専門学校か大学かどちらかを選べと言われたら、やはりまだ大学の方がメリットは大きいように思います。学歴社会は根強いですし……それに、大学の教育がいいとはいいませんが、専門学校の教育は平均してそれより低そうな気がします……(イメージ先行です)。
わたしも高校で進路指導をしていたら、大学を薦めるでしょう……。

進路指導、特に高校などは、かなり難しいと思います。
学生の思うようにしてあげたいですが……現実、それが正しい結果を生むわけではないです。

学校の先生が社会に疎いところにいるというのは、強く実感しています。わたしは会社員を経験してから専門学校の先生になりましたが、ギャップを痛感する毎日です……。

ろくな答えにならなくて申し訳ありませんでした。
かねごんさま>
>あとはホントに情報不足。学校の教員は社会に一番疎い職業です。>教員採用も私立の場合学歴重視ですし、すべて学歴しか見えてない。
>生徒のことを考えると、生徒の希望する進路に本気で考えて欲しいですよね。

どうしたら、情報がちゃんと届くようになるんでしょうか?
教科書でしか勉強したことのない人たちに・・・
また、教科書だけを教える人たちに・・・
じっくり具体策を見つけたいと思います。

しのねさま>

>また、わたしが専門学校で働くようになって思ったのですが、
>専門学校は「知識」を教える場所、
>大学は「理論」を教える場所という
>意味合いが強いように思います。

知識と理論では、どちらにも実体験が希薄になってしまいませんか?
日本の教育は、教科書や指導要領に縛られていて切り分けが出来ていない感じです。
専門学校の多くが、立地や人集めに躍起になりすぎて
カリキュラム開発に掛けるコストがなさすぎて・・・
信頼を失いつつあります。

多くの大学でも新設学科ではそうなっています。

>わたしも高校で進路指導をしていたら、大学を薦めるでしょう……。

学ぶ分野によりますね・・・
そこの議論なしに大学を薦めるのは、問題の先送りの手法としては正しいと思いますが。それによる選択肢の幅は広がりますが・・・
私としては「どちらか」でないと思うんですよね・・・
働いてから学校へ入るっていうのも有ると思うんですが・・・
というのも、実際に、高卒後、何年かフリーアルバイターしていた学生はものすごく意識的な生き方が出来るようになってきています。

それから、専門学校にも美大のデザイン系に行くぐらいなら
桑沢デザイン行った方がいいと言われたり・・・
映画であれば日本映画学校などのように
大学では出来ないカリキュラムがあり・・・
そこでしか学べないものを持っている学校も有ります。

現在、私の場合は、総合大学の中で教えつつも、
そのアカデミックなメリットを活かして、現場実践主義を徹底した
ハイブリッドな専門学校を立ち上げて運営しているものとしては・・・あまり意味を感じていないんです・・・

たぶん、自分の投げかけた意味合いは、
学校の形式に対してとかよりも・・・
どう若者に意識をつけて進路を導くか・・・
社会性を身につけつつものびのびとした若者を
増やして行くための進路指導の方法なんだと思います。
曖昧な話になっていますがすみません。
風林火山様

指摘の内容、もっともかと思います。あまりにも広い範囲で一般論的な意見を投げかけてしまい、申し訳ありませんでした。

どう若者を進路に導くか……。それ、就職指導でわたしも非常によく悩むことです。結局のところ、自分の価値観の押し付けになってしまいそうで……。
自分の持っている知識を学生に与え、それで学生に選んでもらうという手法が進路指導のやり方だと思いますが、それでも与える知識、知識の与え方で大きく変わってしまい……。
個別対応しながら決めていく、よく言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったり的な方法しかとれていないのがわたし個人の現状です。
わたしは会社員をやっていたので実体験がないわけではないですが……。
わたしがとにかく心がけているのは学生の味方として、学生が後悔しないような道を決められること、という思いです。その思いが間違っているとまでは考えていませんが、精神論ばかりが先立ってしまっています。

なんだか回答ではなく悩みになってしまい、すいません。

教職というものに正解がないというのはわかっているつもりですが、それでも正解がないで済ませるわけにもいかないんですよね……。
私立高校では学校経営が最優先事項というところも多いと思います。
「卒業生に専門学校進学者がいる」というだけで、
学校経営に与える影響は少なくないのも事実だと思います。

生徒のことを第一に考える、それは確かに正論でありますし、
教員ならばそうであって当然だと思いながら、
そうしたくてもできないジレンマに悩む教員が多いのでは。

一番いいのは、高校に子どもを入学させる立場の保護者世代に、
「専門学校」に対する偏見を取り除いてもらうことでしょう。
学校はお客様(保護者)あっての学校ですから、
保護者世代の大多数が「専門学校」を理解すれば、
状況は変わるのではないでしょうか。
追伸

世の中の高校が大学を勧めるのには自校の広報を考えてという理由が大きいかと思いますが、以下のような前提(決め付け)があるような気がします。
「現代の十八歳がしっかりと将来を見据えるのは無理」
そういう考えがあるので、確率的に無難な大学進学を勧めているのではないかと。

本トピック、高校の先生を対象に意見を求めていることは承知していますが、かなりわたし自身興味深い内容であるため、勝手ながら参加させていただいております。
迷惑な部分がございましたら遠慮なくご指摘ください。
私立高校の教員です。
進学校であればやはり進学実績をあげなければいけません。なぜなら、それが学校の存在意義であって、それを目的に生徒が入学してくるはずです。

私の考えは、生徒の希望通りの進路に行かせたいと思います。
しかし、まだ高校生ですから、考えが甘いことが往々にしてあります。
例えば、専門学校に行きたいという生徒がいたとしたら、その大半は「とりあえず行きたい」と言うか、やりたいことがあってもその動機が弱いことが多いです(例えばパティシエになりたいと言っても、卒業してからどうしたいか聞くと何も言えない)。
そのような生徒には4大への進学も考えるようにいいます。
なぜなら、今の日本は4大卒でないと受験できない会社が多く存在しますし、学歴があるほど就職に有利だからです。
「学歴は関係ない」なんていうのは学歴がない人間が言うことであって、実際は学歴がないと大企業は受験対象にならない(門前払いになる)ですし、所謂高学歴といわれる大学にいればそれだけ企業からの誘いがあります。
昔から変わったのは、学歴だけで就職できなくなったというだけです。
後から後悔しても遅いのです。
本当に専門学校でやりたいことがあって行きたいと思うなら私は応援したいと思います。
但し、本当にその道を極めようという意志がないとその道で大成できず、どうしようもなくなることが考えられるので、何度も何度も意志を確認します。

正直、進路は生徒自身が見つけていくものです。相談に乗ることはできても、進路を決めることはできません。教師のできることは、進路を考えるきっかけを与えることだけです。質問に来られればいろいろ教えられますし、進路の探し方も教えることはできますが、進路を探すのは本人の役割です。
そして高校生の段階でしっかり進路を見定められるのはほんのわずかです。だから私は(大学であっても専門学校でも)生徒に何度も何度も意思確認と意志を探ることをします。適当に考えているなら否定しますし、しっかりとした意志を感じられればその進路に進めるように応援します。
コースの趣旨は別にして、一番は生徒の行きたい進路に進ませることです。私の勤務している学校は進路実績もありますが、生徒が希望の進路に進むことができていい高校だという評価を作って行きたいということが根底にあります(実際に生徒にはOBの子供が多いし、OB同士のつながりはかなり強い)。

今の悩みは、進路や自分の人生に対して真剣に考えようとしない生徒にどう進路指導するかです。
教科指導してHR指導して部活動指導してでは生徒1人1人にかける時間はどうしても少なくなります。ただでさえ休日を返上してるのに。
正直、人が足りないんです。
だけど人を増やす予算が国も都道府県も市町村もないんです。
私立なんてもっと深刻です。学費を上げれば生徒は来ないし、今の学費(月3万〜4万)ですら払うことが困難な生徒がクラスに1人2人といるんです。国や都道府県からの補助金は毎年減らされています。
いくら理想があってもその実現は不可能です。

>本当に、大学に無目的に無差別に進学させていいのでしょうか?
>本当に、専門学校に無目的に無差別に進学させて良いのでしょうか?

その通りだと思います。
でも、真剣に進路に対して、自分の生き方に対して考えない生徒に対してどう接したらいいと思いますか?
今の現状ではそのような生徒にびっしりついてあげる時間はありませんし、ついてあげられる人を雇うことも不可能です。
私も悩んでいるところです。

>なぜ座学が必要なのかわかるためにも「就職」か「専門学校」で
>一般教養を後回しにして、体験から学ばせるのも道だと思うのですが、

その道で人を育てることもあると思います。ただ今の日本でその道から来た人を柔軟に受け入れる素地はあるのでしょうか。
そういう道も確立されればそういう進路指導も考えられます。
ただ、技術職以外はその道はないと思います。

>親も高校教諭も聴いた情報が
>結果的に何年かたたないと伝わらないし・・・、
>古かったり、就職への道筋に実体験が無いと思われるのですが
>使っている情報源が、コンサルタントに依存していたり、
>出版物情報に偏向していたり、噂を信じている感じもします。

なかなか勉強する時間がない中でベネッセや予備校などの会社から情報を提供してもらって勉強しています。もちろん実体験できればそれがいいのでしょうが、そのような時間はありません。

>「学習歴」を考えずに、
>昭和の右肩上がりの時代の画一化されたあり方を
>前提に押しつけていて、
>多くの高校の先生は、大学を卒業して教員として
>生涯を送ってしまう。
>ある意味、優等生の無難な生き方を好んだ人が
>教員になりすぎて、
>社会経験も大学時代のアルバイト程度ですから。
>ビジネスや社会の流れを知らない非常識な世界にいること
>を
>知らないのだとおもいます。
>社会に合わせた教育をするなんて・・・
>当然難しいと思われます。
>忙しくてそんなゆとりもないとおっしゃられるでしょう。

いかにも自分が社会を知り尽くしたような言い方ですね。あたかも自分が正論で絶対だという感じを受けます。
教師を自分より経験のない者として見下しているでしょう。
そんな言い方したら無用の反発を受けますよ。
あなたは教師がどれだけ激務か知らないから、「忙しくてそんなゆとりもないとおっしゃられるでしょう。」を言うのでしょう。
あなたは教師の仕事の何を知っているのですか?
どれだけ専任の経験しているのですか?
非常勤は決められた授業だけしてればいいからそんなことが言えるのです。
専任は授業だけでなくHR担任の仕事もしなければならないし、会議で学校の方針決めにも参加しないといけないし、部活動もしないといけません。私立であればさらに講習もしないといけません。
朝早く家を出て、帰ってこれるのは夜、遅い先生は深夜です。土日も部活があります。ほとんど休むことができない先生もたくさんいます。それをあなたは忙しくないと仰るんでしょうか。
私たちには勉強したくても社会を経験する機会も時間も与えられていないのです。そしてそれは今後も不可能でしょう(学費を上げるか税金を高くするしかない)。

理想を掲げることは大変いいことだと思います。
あとはそれを現実になるようにしていけるといいと思います。
現実にするためには国や地方の財源、文科省の方針、教師の仕事状況などから今の教育の現状をもっと把握されたほうがいいと思います。今のままでは教師から見れば「教師の世界を知らない世間知らず」と思われても仕方ありませんよ。
まず、いろいろなご意見が頂けたことに
お礼を申し上げておきます。
謙虚さ足りない点お詫び申し上げますが・・・
私のような規格外の生き方をしている人間には
皆様からの教育が必要です。
ご指摘ありがたいと思います。
それぞれの立場で見方が変わること自体が大切であり、
視点の違いを伴うコミュニケーションが大切だと思います。
様々なタイプの教育に携わる人たちがつながっている
コミュニティのすばらしさを感じます。

>私たちには勉強したくても社会を経験する機会も時間も与えられていないのです。

それに関しては、まさにそうだと思っています。
何か制度的に問題が有るのでしょうか。
社会の経験をどうした得られるようになるのでしょうか?
その点どうしたら改善できるのでしょうか?
この問題に関しては、いにしえから特定の範囲や時代では、
語られ尽くされているのかもしれませんが・・・
解決しない問題なのだとすると・・・
学校という存在に教育を依存してしまう
現代社会の問題でないでしょうか?
教育の機会が平等が語られる現代の
得意の問題なのでしょうか?
ある種、グーテンベルグの印刷機の発明から始まった文盲の減少と宗教革命、さらには、市民革命、そして、産業革命と歴史を追うごとに・・・社会の効率化の名目で、
市民の教育の比重が学校へと集約されて、
今では、社会全体が学校依存になっているとおもうんです。
学校を社会とつなぎ直さないと・・・
学校依存から学校が重すぎて自己崩壊する危機になりつつあるのでないかということも言えないかと思うんです。
学校が無かった頃は、どうだったんでしょうか?
長老が語り部となり話をしているとか、
寺子屋が機能していたとか、形式の問題でもなく・・・
家庭・地域・学校のバランスを
どこかにバランスがあるのかないのか・・・
とおもったりするのです。
(漠然と話がひろがっていますが)

具体的に人員を増やせば良いのでしょうか?
カリキュラムの構成を変えるべきなのか?
学校制度を変えるべきなのか?
複雑にリンクする問題ですね・・・
必要な部分から変えていくしかなければ・・・
選ぶ側から選ばないとつかめない
ソリューションなのかもしれませんが・・・

>そしてそれは今後も不可能でしょう(学費を上げるか税金を高くするしかない。)

増税で解決できるのならの増税大賛成です。
ちょっとふざけた極論ですが、
若者から広く浅く学費の代わりに、
携帯電話の通話料金(パケット代金)に
特別課税(目的税)して、
長期展望の教育特別会計を作ればいいのでしょうか?
解決するのであればそれでも良いと思います。

話がずれますが、
財政難に陥った会津藩が行った
教育改革による地域社会の立て直しなどように
藩校「日新館」の教育が、
20年30年先に答えが出てくるものだと思いますし
効果が望めるのであれば、
そのための増税は仕方ないのだと思います。
(その代わり、先に無駄な道路や土木系の歳出をカットして
もらいたいですね!)

家庭教育の見直しや地域社会のあり方にも・・・
根本的に社会の元となる人材の育成に対する手厚い対策を
するべきです。

その前に、学ぶモチベーションをどう導くかのための
風通しよく問題意識をどう社会で
シェアするかだと思うのですが・・・

>今のままでは教師から見れば「教師の世界を知らない世間知らず」と思われても仕方ありませんよ。

否定足しません。
高校の現状を現場を一部をかいま見て
問題意識を感じているだけのあり方を
あえて申し上げています。
専任の高校教員の実体験を持ちませんし、
それに対してどういう風に意識を
知るべきかの段階でしか有りません。

それは、社会の大多数の方がそうだと思うのです。
大学も専門学校も高校も・・・
相互に目を向けることが大切ですし・・・
教育の積み上げで成り立っているものだとおもいます。

その「教師」という仕事における問題点を
もっと教えて頂きたい思います。
それをどう是正するのか・・・
そこが問題だと思います。
それをどうしたら是正できるのか?
家庭と地域と学校と民族としての教育のバランスなのか
それぞれの役割なのか・・・

進路指導で教師がどうストレスを感じているのか・・・
そこから、それぞれの立場で歩み寄ったり、建設的に
物事の有り様を調整するのが「公共の福祉」であり・・・
常識という曖昧な存在に依存する日本の文化がもたらす
いい部分と悪い部分を感じるのです。

これから、どう「変えたいのか」が有るはず!?と
思う気持ちだけが先に立ってしまいます。
もちろん変えなくても良いことも有ると思うのですが・・・
教育というあり方が、広く学校にとどまらないとしても、
学校で変えなくて良いこと、
変えなければならないことが有るとしたら
何なのでしょうか?答えは無いからそれぞれがそれぞれの
あり方を実践していくしかないのだとしても・・・
という点でも何が教育を仕事する切っ掛けになるのでしょうか?
私の場合は、きわめて個人的なものなのかもしれませんが、
個人個人の教育の適不適と社会と個々人の創造性でした。

そして、有意義な意見交換だと思うのです。
本音を言うべきことが許されない顔色を
見合っている社会だからこそ大切なこと教えて頂いていると思うんです。

体験こそ勉強だと思います。
礼儀知らずでバカをさらけ出して生きるものとして
あえて、いろいろな意見をお聞きしたいと思います。
教科書に書いていないことだからこそ
ここで意見を頂ける喜びだと思います。
また、お読み頂けているだけでも大変お時間使わせてありがたく思います。
改めてお礼申し上げます。
日々悩みながらも日々前に進むために
自分を追い込んで行くことに終始しています。
自分の理想を求めて、
自分でリスクを負って、社会を試していくということは、
それはそれで大変ですし、新しいものを見つけ出すためには、
大局的にでなく、直面する局所の積み上げとして・・・
失敗と摩擦を抜きでできることでもありません。
前に向かって転んでいる「たわけ」とお許しください!
もともと正直にぶつかってしまうタイプなので
申し訳ありません。よろしくお願い致します!
知らないことを知るために、知ったことを伝えて、
また、自分が学びつづけるために・・・
これからも教育を考え続けてみたいと思っています。
よろしくお願い申し上げます。
単純な時間の問題だけで言うのであれば、平均すれば、教師は恵まれている方だとわたしは考えています。一般企業では土日がないとか、帰りが深夜とか、当たり前です。一年間休みがない仕事というのも、けっこう当たり前のように身近に存在します。
ですが、教師が激務だというのも納得します。激務というより、正解が導きづらく、精神的な磨耗が多い職業かなと。教育者の鬱病患者が増えているということもニュースになるぐらいですから。

ここでの議論においては、まあ互いに相手の気持ちを思いやる謙虚さが必要なのは当然として、感情によらないもっと実際問題的な話ができればと願います。

わたしもそれほど教育の現場を知らないですが、わたし個人の意見としては、やはり教育の現場と社会の間には大きなずれがあるように思います。教師の評価制度を取り入れるということがニュースになっていますが、今までがあまりにも自由すぎたのではないかと。もちろん、教育現場に自由すぎる故のつらさがあったことも察します。

教育の現場は良い意味でも悪い意味でも特殊です。その特殊さが今後良い意味だけになればと願っています。

教師というのは楽しようとすればいくらでも楽できるし、苦労しようと思えばいくらでも苦労してしまう仕事です。
そこが問題だと思うのです。
そこをもっとシステマチックにする必要があるのではないでしょうか。

そのためにはもっと一般企業など外の声を取り入れる必要があるでしょう。
大学を出てすぐ教師になるという一般的な流れを排除する必要もあるかもしれません。
社会の責任も、教育現場の責任も大きいです。
追伸

風林火山さんの意見

>「学習歴」を考えずに、
>昭和の右肩上がりの時代の画一化されたあり方を
>前提に押しつけていて、
>多くの高校の先生は、大学を卒業して教員として
>生涯を送ってしまう。
>ある意味、優等生の無難な生き方を好んだ人が
>教員になりすぎて、
>社会経験も大学時代のアルバイト程度ですから。
>ビジネスや社会の流れを知らない非常識な世界にいること
>を
>知らないのだとおもいます。
>社会に合わせた教育をするなんて・・・
>当然難しいと思われます。
>忙しくてそんなゆとりもないとおっしゃられるでしょう。

あながちはずれではないのでは?
少なくとも、わたしが出会ってきた教師の多くはこうでした。
わたしの周りの大半の人の教師に対する意見も同じです。実際に教育の現場に入って、わたしはさらにそう感じています。もちろん、日本のすべての教師を知っているわけではないです。それでもはずれではない、むしろ当たりだと思っています。他の方はどう思っているのでしょうか?
あれこれ考えが広がってしまっているようですが、ご自身の推論と目前の事実を混同して、全てが問題点だと思ってらっしゃるようにお見受けします。

・大学のカリキュラムの実践性の乏しさ
・大学進学を一番とする現行の高校進路指導
・依然として根強い日本の学歴社会制度
・教員の社会経験および高校の進路情報の貧弱さ

事実としてはこのくらいでしょうか?
(私が見落としている項目があれば付け加えてください)

・高校生の進路や就職に関する意識の幼稚さ
・学校経営と進路指導の密接な関係

なんかも挙げたほうがいいですか?

とにかくこれらの事実を整理して、動かすためにはどう策を練るべきか、自分には何ができるのかを、冷静にひとつひとつ問い直していくべきだと考えます。
見たところ、風林火山さんの意思はすでに固まっていて、誰かに意見を乞うというよりは、誰かに「その通りだ」と後押しされたいようです。敵を「保身的な高校教諭」に決め付けて愚痴をこぼしてらっしゃいますが(笑)、風林火山さんの理想を成し遂げるには、もっと大きな敵を次々と倒さねばなりません。それには戦略も、研究も、知名度や人脈も、他者を不快にさせない物言いも、必要になるでしょう。

私は、専門学校設立から始まって日本を代表する教育者になったという偉人の話や、小さな町工場が日本経済を変えたというような伝説がとても好きで、今でも誰にでも起こりうることだと信じています。でもそういう方々も、目の前の小さな問題をコツコツ解決していくうちに、大きな問題に対峙出来るようになったはずです。

とりあえず、トピ立てに書いてらした生徒さんとその親御さんは心配ですね。とことん話し合わせていただいて、なんならその頑固な先生ともお会いになって、説得してみせるというのはどうでしょうか?
牛母さんさんへ

客観的な意見の整理、どうもありがとうございます。
こうやってみると、議論の範囲が広すぎるかなと思ってしまいました(自分も広げた要因の一人ですが)。
敵も強大ですね。
一人一人の教師ができることとしては、なにがあるのか、ちょっと考えてみます。

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