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芸術の日本 美術・評論を中心にコミュの密教と天皇

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最澄と空海が唐から持ち帰った(805・806 年)最新の仏教である『密教』は、朝廷の庇護を受け平安時代から鎌倉時代に繁栄しました。宇多天皇(867〜931 )は自ら阿闍梨(密教の師)となり仁和寺住職に就き、後宇多天皇も阿闍梨(1267〜1324)となり大覚寺に住持しました。11世紀から江戸時代まで、天皇の即位式に『即位灌頂』という密教儀式が組み込まれ、朝廷と密教の関係は親密でした。 

平安時代末期の後白河天皇(1127〜1192)は、平清盛、源頼朝の武家政権と渡り合い、出家したのち34年に渡り院政を敷きました。後白河院の特徴は熱狂的な『今様』好きと、仏道修行にあります。今様(当時の民衆歌)は『梁塵秘抄』、仏道修行は寺院、仏像の造成にあらわれています。
院の離宮である法住寺殿に平清盛の寄進によって1165年に完成した蓮華王院(三十三間堂)は、千手観音坐像を本尊に、1001体の仏像が祀られています。ちなみに、蓮華王は千手観音の別称です。法住寺殿には蓮華王院宝蔵がありました。宝蔵には、院が関わった多数の『絵巻物』が奉納されています。
過去・現在・未来、三世の世界を物語るような蓮華王院宝蔵絵巻は日本美術史上空前絶後の『絵巻物』コレクションです。
主な絵巻物は、「年中行事絵巻」院が常盤光長に描かせたものですが、原本は失われています。国宝「伴大納言絵巻」応天門の変における大納言伴善男の陰謀を描く。国宝「信貴山縁起絵巻」信貴山中興の祖、命蓮の霊験譚。「吉備大臣入唐絵巻」ボストン美術館蔵、吉備真備が入唐し鬼となった阿部中麻呂に助けられて難局を打開する。六道絵(輪廻転生する地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)の一部とされる、国宝の「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」「辟邪絵」があります。

側近の信西に「和漢の間、比類少きの暗主」と書き記された後白河院。保元の乱では兄と戦い、平治の乱では息子と戦い、多数の死傷者を生んだ。私生活では女御から遊女まで、筵を張り今様を歌い、邪淫を極めたようです。仏教の五戒を悉く破る院にとって、来世は恐怖の対象だったでしょう。
『法華経』を奉じ、「法華一乗の教え」(誰もがみな菩薩で、将来仏となれる)という天台宗の教え、「煩悩即菩提」という密教の教えにすがり、多数作善(仏縁を結ぶため善事を行う)のため寺院を建立し、仏像を造成することに邁進しました。
「地獄草紙」など一連の六道絵は、死の恐怖が制作の動機であり、恐怖を視覚化する事で安心を得る作用があったかもしれません。
「比類少きの暗主」と言われた、後白河院ですが、三十三間堂、神護寺、東大寺大仏再建などの多数作善と『今様』『絵巻物』は後代に残る文化遺産です。
院が関与した「小柴垣草紙」は、日本三大性愛絵巻の一つですが、これは次回に…

写真は、左から後白河院・年中行事絵巻、伴大納言絵巻・信貴山縁起絵巻、地獄草紙・辟邪絵


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