意味不明小説(ショートショート)コミュの雀の涙

多摩川の河川敷、冬枯れの草むらのなかに、先日から屋台が出ていて、雀の涙を売っているというので、妻とふたりで買いに行った。
風邪が流行っているということで、途中、コンビニでマスクを買った。
「風よけにもなって、ちょうどよかったね」
と、マスクで覆われた口からくぐもった声を出しながら、妻は笑った。

風が強い日だった。
雀の涙は、小さな青い瓶に入れられていて、ひとつ３９８円、ということだった。
ずいぶん安いな、と思ったが、そもそも相場を知らない。
ひとつ買って、もと来た道を、自宅のマンションへと引き返した。
分厚い雲が、あっというまに私たちの頭上を追い越し、吹き流されていった。

あの雲は、アジアに向かうのだ。
そしてどこかの大きな山脈にぶつかって、水に形をかえて地上に降り、しみこんでいくのだろう。
その頃にはもう、台所のテーブルに置いた雀の涙を、私は妻とふたりで、何度も眺めているだろう、と思った。
実際そのとおりになった。

翌日から、私たちは、朝ごはんのお茶漬けをすすりながら、あるいは夕食のホッケの皮をばりばりとかじりながら、卓上の雀の涙を何度となく眺めた。
ときおりは、瓶を手にとって、青いガラスに隔てられた液体を、ぐりぐりと揺らしたりもした。
いい買い物をしたね、と、私たちは真顔でうなずきあった。
そして数日が経った。

台所には味噌汁の湯気がふたすじ、うっすらと立ちのぼっている。
マスクを買ったのにも関わらず、昨夜から、どうも風邪気味だった。
つけっぱなしのテレビが、朝のニュースを伝えていた。
昨日まで黒縁眼鏡だったニュースキャスターは、その日は、黄色いフレームの眼鏡をかけていた。
彼は、いつものように淀みなく原稿を読んだ。

「多摩川で、雀のよだれを雀の涙だと偽って売りさばいていた悪徳業者は、いまだに逮捕されていません。
なお、雀のよだれは、数日で非常に強い刺激臭を発するようになりますので、お持ち方はすみやかに処分してください」

私と妻は、顔を見合わせ、そののち、どちらともなく、卓上の小瓶に目をやった。
瓶は、昨日までと、何も変わらない深い青をたたえていた。
私たちは、瓶を自宅の前の道路に持ち出した。

ふたりしてしゃがみこんで、栓を抜き、ゆっくりと瓶をかたむける。
きらきらと光りながら、コンクリートのうえに透きとおった液体が流れ落ちた。
「あ、もうちょっと臭くなってるね」
と、妻が言った。

私も匂いをかごうとしたが、鼻がつまっていて、雀のよだれがどんな匂いなのか、分からなかった。
微熱があるのかも、と、そのとき感じた。
ずっと見ていたら、地面に落ちた雀のよだれが気化しはじめた。
私の体の微熱が、周囲の空気をあたためているから。
そのぶん、雀のよだれは幾らか早く、アジアへと運ばれることになるだろう、と思った。

コメント(11)

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[2] mixiユーザー 01月22日 10:15

チヤツクさん
ありがとうございます。
富士額で太宰の富嶽百景を超える作品を望みます

[4] mixiユーザー 01月22日 14:54

この話のミソは「雀の涙」が実は「雀のよだれ」であった点にあるでしょう。
それがどうしたって？別に大きなちがいはないと思うのがこの世界。
だから、これは現実とはちがう別の世界の物語として読める。
一気に「よだれ」のために世界がシュールに相貌を変えてしまいます。
実は、書き割りで構成されたステージにすぎないのではないか、
ということは、この現実（と思える）世界もまた？
そんな生の基盤というか、床がいきなり消えるような不安感が、
雰囲気を作っているようなプチ不条理物語って好きです。

[5] mixiユーザー 01月22日 21:01

みなさまコメントありがとうございます。

Ｐ７☆さん
よだれだと、くさいすからね～