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意味不明小説(ショートショート)コミュの下水処理

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 日銭を稼ぐため、下水処理場に行ってきた。広大な敷地にある、無数の浄化槽を、洗浄する仕事だ。貸し出された制服の、サイズは小さく、下っ腹を思い切り吸い上げることで、どうにかズボンに尻をねじ込んだ。安全長靴には、爪先を猫のように丸めてから、足を突っ込むことで、ようやっと折り合いを付けてもらった。安全帯にヘルメット、簡易的な救命胴衣まで渡され、装備した。
 作業員は、私を含めて七名。責任者は谷村さんという、六十は過ぎていそうなベテランの方だった。作業車両に乗って移動した先は、処理場のほんの一角といったところだが、それでも十分すぎるほど広かった。バカでかい浄化槽には、長方形の青い蓋が、風呂に蓋でもするかのように並んでいる。ただ、風呂と呼ぶにはあまりに広く、青い蓋は人ひとりが横たわれそうな大きさで、青い棺が整然と並んだ、墓場のようだった。
 谷村さんを除いた作業員達は、道具を手に取り、のそのそと浄化槽へと向かっていった。私も後から付いていくと、谷村さんから「佐藤さんは、こっち」と言われた。そこにいたのは、塚原さんという方で、まだ若く、どうみても私より年下のようだったが、どうやら社員の人らしい。
「派遣の子だから、面倒見てやって」
 そう言い残して、谷村さんはその場を離れた。
「佐藤です。お願いします」と、挨拶をしたが、塚原さんはぶつぶつと何ごとかを唱えているだけだった。相当な小声で指示を言い渡されているのかとも思ったが、塚原さんは辺りを見回すばかりで、視線すら合わせてくれない。しばらく待ってみたが、埒があかないので、「すみません。なにをしたら良いですか?」と、訊ねたところ、「とりあえず、指示待ちで」と返ってきた。
 待てと言われたからには、待つしかないので、私は現場を見渡した。別働隊は、整然と並んだ浄化槽の、一番奥まで行って、高圧洗浄機のホースを手分けして伸ばしていた。谷村さんは、作業記録をとるのであろう、デジタルカメラを首に提げ、手持ち用の黒板になにやら書きつけていた。なかなか大変な現場になりそうだなと思いながらも、塚原さんに視線を戻すと、特に何もしていなかった。塚原さんは、待っていた。
 ちょっと待ってくれ。「とりあえず、指示待ちで」っていうのは、私に対しての言葉ではなく、自分に対しての言葉だったのか?私の指示待ちは、塚原さんの指示待ちの指示待ちなのか?ちょっと待ってくれ。素人目に見ても、けっこう大変な作業内容になりそうだ。そんなことで終わるのか?大丈夫か?
 私の不安が噴出しそうになっていたところ、谷村さんから、「なにやってんだ、蓋開けろ!」と、怒号が飛んだ。
「じゃ、蓋を開けましょう」塚原さんは、そそくさと歩き出した。私にできることは、呆気に取られながらも、付いていくことだけだった。

 「蓋を開ける」と聞いて、とうとう青い棺の蓋を開けるのかと思った。棺の中には、目を背けたくなるものが入っているのだろう。周囲には、ほんのりとだが確実に、決して好ましくない臭いが立ち込めている。これも日銭のためと、覚悟を決めた。だが意外にも、開けるのは棺の蓋ではなかった。
 浄化槽の両側は、通路になっており、コンクリートで出来た羽目板が敷き詰められている。羽目板には取っ手がついていて、一枚々々が蓋の役割をしている。「せーの」の掛け声で、コンクリートの蓋を開けた。通路の下から、深さ一・五メートル程の水路が現れた。水路といっても、そこは下水処理場。期待にもれず、ヘドロのような水が溜まっていた。蓋を開けた瞬間、むせ返るような臭気が込みあげてきた。さっきの覚悟が、無駄にならずに済んだ。
 この水路を高圧洗浄機に掛けるわけだが、そのためには水路の中に、汲み上げ用のポンプを沈め、ヘドロを吸い上げなければならない。ポンプはかなりの重量で、ロープが括り付けられいる。足場の悪い中、ロープだけを頼りに、ポンプを水路に降ろさなければならない。それも、三台。
 塚原さんは水路の中に入り、私はロープを手に取り、ポンプを降ろしていった。私がロープを選んだのは、腕っぷしに自信がないこともなかった以上に、水路に入る勇気がなかったからだ。塚原さんは、ヘドロに足を取られながら、ぶつぶつと何ごとかを唱えていた。
「大丈夫ですか?」と訊ねても、ぶつぶつは止まなかった。
 気が付くと、谷村さんが、すぐ隣に立っていた。谷村さんは、私にだけ聞こえる声で「こいつ、弱いからお願いね」と、こめかみを人差し指でつついた。

 やっとのことでポンプ降ろし終えた頃には、私の両手は泥まみれになっていた。鼻はすっかりバカになっていたが、ヘドロを思うと、ずいぶん気が滅入った。だが塚原さんの方は、見事なまでに全身泥だらけになっていたので、気に病むのは止めにした。
 ポンプを作動させると、轟音とともにヘドロは吸い上げられた。ポンプに取り付けられている、直径五センチ程の排水ホースが、干からびていた蛇が生気を取り戻したかのように、丸々と膨らんだ。あとは、吸い上げが終わるのを待てば良いだけだが、ただ待っていれば良いというものでもなかった。水路に溜まっている木の葉やゴミ屑が、ポンプの吸い込み口に詰まってしまうのを、取り除かなかければならないからだ。そのためには、水路からポンプを、引き上げなければならない。それからまた、再びヘドロの中へ沈めるのだ。
 吸い込みの弱くなったホースは、元の干からびた蛇に戻ってしまう。まだ沈めたばかりというのに、蛇の生気が失われてきた。
「あれ、吸ってないな」
 異変に気付いた塚原さんが、ロープを手繰って、ポンプを揺すった。すると、干からび始めていた蛇が、銛にでも突かれたように、暴れ狂った。ホースの先は、浄化槽から少し離れたところにある、汚水桝へと繋がっているのだが、その先端が汚水桝から飛び出し、辺り一面にヘドロを撒き散らした。
「なにやってんだ!」
 遠くで見ていた谷村さんの、怒号が飛んだ。
「ああ、ポンプ!ロープ!ホース!」
 叫びながら、塚原さんは水路へと飛び込んだ。
「わかりました」
 私はロープを掴み、ホースを踏みつけた。
 どうにかポンプを引き上げたものの、汚水桝の周りには、ヘドロの水溜りができていた。ポンプは虚しく空気を取り込み、ホースが僅かに上下した。平静を取り戻した蛇が、水溜りの中で、さも気持ちよさそうに昼寝でもしているようだった。
「塚原、やってくれたな」
 谷村さんが言った。
「佐藤さん、掃除しといて」
 塚原さんから、モップを渡された。
 モップを片手に、汚水桝へと向かった。汚水桝といっても、一般家庭にあるようなものとは、大きさも、汚さも、規格が違っていた。汚水桝はプラスチック製の天板で覆われており、一定の間隔で鍵付きの小窓が設けられていた。ホースを差し込むために、鍵が開けられた小窓に向かって、モップでヘドロを流しいれた。
 粗方掃除を終えたので、ホースを手に取った。ホースを元に戻すため、しゃがみ込んで、小窓を覗いた。中には、黒ずんだ川が流れていた。あなたが今まで見てきた中で、一番汚れた川を思い浮かべて欲しい。間違いなく、その五十倍は汚い。
「落ちたら戻ってこれないよ」見上げると、谷村さんがいた。「水深三十メートルだから。この水、酸素ないし」
 なんのために付けているか、ずっと疑問だった救命胴衣の意味が、やっと分かった。黒ずんだ川の、勢いが増したように感じた。

 慣れてしまえば、作業は単純そのものだった。ホースを気にしながら、ロープを手繰って、ポンプを引き上げる。塚原さんがゴミを取り除き、私がザルで受け取った。もう指示をされなくても、次になにをすれば良いかが、わかっていた。谷村さんから、分厚いラバー軍手を借りたので、手の汚れも気にしなくて済んだ。
 天気が良かった。下水処理場は、ただ広いだけではなく、緑が多かくて、空も負けないくらい広かった。最初は墓場に思えた浄化槽も、泥まみれになった今では、農場にも思えてきた。もちろん、肥しの良く利いた。
「塚原、今日は良くやってるね」
 進捗状況を見に来た、谷村さんが言った。
「え、なんですか?」
 ポンプの轟音のためか、作業に集中していたためか、塚原さんは聞き取れなかったようだ。顔はもう、ヘドロで真っ黒だった。
「だから、良くやってるって」
 谷村さんが、きまり悪そうに、仕方なさそうに言った。
「ああ、そうですか」
 塚原さんは、じっとヘドロを見ながら言った。

(終)

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