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意味不明小説(ショートショート)コミュの物知り太郎の雨宿り

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 山の緑を見たり、海の雄大さに触れたり、とにかく自然と向き合えば心も癒されるのではないかと、金原泰人はそう思っていた。
 緑は目に優しいというし、勇壮な自然は人生観を変えさせてくれるという話もよく聞く。しかし、自然はなかなか厳しかった。突然の大雨に濡れながら、泰人は途方にくれていた。運も悪かった。自転車は急にパンクするし、長いこと続いた山道のアップダウンに、太腿も悲鳴をあげている。
 周囲に見えるのは、雨に煙る山々。人っ子一人見あたらない田圃。晴れていればさぞかし美しいであろう谷間の田園風景も、雨粒のカーテンに覆われて見えない。目に映るのは、足を踏み出すたびにびちゃびちゃと音を立てるスニーカー。靴下の中までずぶ濡れだった。ひび割れの多いアスファルト道路には、ところどころにささやかな小川すら流れている。
 次の山まで真っすぐに進む道を、一人で俯いて歩くのは辛い。雨に濡れながら、せめて話し相手がほしいと思ったが、そもそも旅に出た理由が、人と離れたかったからなのだ。対人恐怖症とまではいかないが、泰人は人付き合いが苦手だった。子供の頃から、集団生活が嫌いだった。高校を卒業して昨年、蒲団のセールス会社に就職し、先月辞めたばかりだった。俺は社会生活が営めない、と泰人は思ったが、かといって、見知らぬ土地でたった一人、雨に打たれたかったわけでもない。春雨はまだ冷たい。身体の温度が奪われて、体力がますます削り取られてゆく。
 このままだと風邪をひく、と思ったら、前方に木造トタン屋根の小屋のようなものが見えた。少し足早に近づくと、どうやらそれはバス停のようだった。これ幸いと、康人はその掘っ立て小屋に駆け込んでいった。
 中には錆びたベンチがあった。四人ほどが坐れば精一杯の長椅子で、生地のボロボロになった座布団が四つ、無造作に並んでいた。地面は土間で、壁には、古い清涼飲料水のポスターが貼られている。十年ほど前に売れていたアイドルが笑っていたが、その笑顔は顎から下が破られていた。
 康人は雨合羽を脱ぎ、自転車を看板に立てかけて、ベンチに坐りこんだ。腕時計を見ると午後四時半だったが、雨のせいか、あたりはすでに薄暗い。トタン屋根にあたる雨音が、まるで盛大な拍手のようだった。それが逆に静寂を強めている気がする。独りでいるということを、雨音がますます強調する。人恋しかった。話し相手がほしかった。
 だが、中年男がいきなりそこへ駆け込んできた時、泰人は決して喜べなかった。
 その男は痩身で、スーツを着ていた。ネクタイこそしていなかったが、履いているのは革靴だったし、禿げた頭はバーコードで、こんな片田舎にいるよりも、都会で満員電車に揺られている方が似合っているような風体だった。そのサラリーマン風の男はびしょ濡れで、どうやら泰人と同様、雨宿りのために避難してきたらしい。この小屋がバス停としての機能を放棄していることは、錆びた時刻表の立て看板が道端に倒れていることから容易に知れる。
 男は先客がいることに少し驚いたようだったが、息を整えながら、曖昧な笑顔を浮かべた。
「地元の人ですか?」
「いいえ――旅行中で……」
「雨に打たれて雨宿りですか。おんなじですね」
 男はなかなか話し好きのようで、ハンカチで顔や頭を拭きながら、
「この近くまでタクシーで来たんですけど、目的地が運転手によく伝わらなくてね。うろちょろうろちょろと同じところをぐるぐると回ってるもんですから、面倒臭くなって降りたんですけどね。その途端にこの雨でしょう」
「はあ……」
 泰人は、相槌とも返事ともつかない中途半端な声をあげた。会話が苦手なのだ。どう切り返せば良いのか分からない。自分でも、どうしてこれで営業職に就こうと思えたのか不思議でならない。そんな康人の内心が伝わったのか、男も、「まったくねえ」と呟いてベンチに坐り、沈黙した。
 雨音の静寂は、一人より二人でいる方が、よけいに強まるように感じられた。泰人は居心地が悪くて、何度も同じ場所で坐り直す。男は、「バスは来るんですかねえ」と、ポツリと呟いたが、話し掛けているのか独り言なのかよくわからない。彼が黙ったままでいると、男は突然、泰人の顔を見た。
「あの、物知り太郎って知ってますか」
 康人は何を言われたのか分からなかった。呆気に取られていると、男は言い訳をするように言った。
「子供の頃に、親に聞かされた昔話でね。細かい話は忘れてしまったのだけど、この状況で思い出してしまって……いえね、そんなに大した話じゃないんです」
 そうして、男は語り出した。

 こういう状況なんですよ。
 ええ、片田舎の山間でね、朽ちた旅籠屋みたいなところがあるんです。
 その山には村がありまして。その村の若者がね、麓の村まで、薪を売りに行ったのだったか、親戚に会いに行ったのだったか、忘れてしまいましたけど、とにかく出かけていったんですね。で、その帰り道に、我々のように、突然の雨に打たれまして。急いで山道を自分の村へと向かったんですけど、雨はますます強くなるばかりで。
 で、その朽ちた旅籠屋を見つけて、はてこんなところにこんなものが建っていただろうかと不審に思いながらも、状況が状況ですから、そこで雨宿りをすることにしたんです。
 そこはもう打ち捨てられたボロ小屋のようなところで、それでも雨が防げるのならと、火を焚いて暖を取っていたらですよ。ふいに、誰もいないと思っていた小屋の奥から、人が出てきたんですね。
 ただでさえ恐ろしげな雰囲気だったものだから、さては妖怪変化かと吃驚仰天したんですが、よく見るとその人も雨に濡れて、どうやら自分と同じ雨宿りの先客のようでして。やあやあひどい雨ですなと、一緒に火に当たり始めたんです。
 けれども、若者は、そんな男、麓の村でも山間の自分の村でも見たことがない。旅の人かと問うたら、そうですと言う。ずっと旅をしていますと。そうして、その旅で遭遇した色んな事件や、面白い人物のことを、喋り始めるわけです。その話が面白くてかなわない。若者は早く村に帰りたかったし、そもそも人付き合いに不慣れだったんですが、これまた男が聞き上手でもあったから、気づくとスラスラと自分の生い立ちから今に到るまでの半生なんかを語ってしまっているんです。
 そんなこんなで雨も止みまして、さあでは私はこれにて失礼と、若者はまた自分の村へと向かい始めます。
 すると、何かが妙におかしいのです。
 はて、自分はどこへ行くのだったか。何のために、こんな真っ暗な場所を走っているのか、そもそも自分は誰だったのかと、何もかも分からなくなってしまったんですな。
 それでも足は覚えていたようで、夜の山道をふらふらと歩いているうちに、いつしか自分の村へとたどり着いた。けれども、一向に自分が誰だか思い出せない。でも村の人間は、当然、みんな彼のことを知っているわけです。しかしどうにも様子が変だということで、皆して村の古老のところに、その若者を連れていくと、古老いわく――ああ、これは物知り太郎にやられたな、と――。
 古老は若者に聞くわけです。帰る道すがら、どこかで雨宿りをしなかったか、そこで誰かと合わなかったか、その誰かに自分のことを話さなかったかと。古老の話によると、それは、物知り太郎という妖怪なんだそうです。物知り太郎は記憶を奪う。物知り太郎に自分のことを話すと、その話した事柄を、話した本人はすっかり忘れてしまうのだと、そういうわけです。
 だから、突然の雨に打たれた時は、見知らぬ場所で雨宿りをしてはいけない。そこで出会ったものに、自分の話をしてはいけない。ただ相槌を打つだけで、決して自分の記憶を披露してはいけないという、そういう昔話でして――。

 男は東北の出身だそうで、向こうは昔話が多いものだから、これもその類かと思うのだが、こんな話、彼自身も両親以外からは聞いたことがないという。もしかしたら、その両親の創作かもしれないのけれど、もしや……
「……もしや、あなたが、その物知り太郎なんじゃないかと……」
 などと男に言われて、泰人が慌ててかぶりを振ると、「そりゃそうでしょう」と、男は笑った。
「ただの与太話ですよ。特に他意はないんで……というより、あなたが物知り太郎であったなら、それはそれで良かったなあと……」
 男の言いたいことが分からず、泰人は無言で先を促した。男はバッグから掌サイズのペットボトルを取り出すと、それを一口飲み、また弁解するような、申し訳なさそうな顔で笑った。
「実を言うと、私、女房に逃げられまして。逃げられた女房を追って、こんな片田舎まで来たんですけどね。その女房に逃げられた原因というのが、まあ、色々とあるんですけども……そういった話を全部話して、このバス停を出たら、すっかりそんなこと忘れていると――そうであったら、どんなに楽かと――」
 男は言葉につまり、それを恥じるように笑った。

 気づくとすっかり雨もあがり、夜空には無数の星々がまたたいていた。
 男とはその場で別れ、泰人は再び歩き始めた。
バス停からしばらく歩いてゆくと、山の中に入り込み、突き進むと、温泉街のような集落があった。泰人はそこで、なるべく安そうな民宿の戸口を叩いた。すでに夜の十一時を過ぎていたが、四十過ぎのパジャマ姿の女将が快く迎え入れてくれた。小さな民宿だったが、意外にも広い浴場があり、すっかり冷え切っていた泰人は、無理を言って湯船を満たしてもらった。
 二十人ほど入ってもまだ余裕のありそうな湯船を、泰人は一人で占領した。なかなか豪勢な造りで、天井はガラス張りになっており、ささやかな露天風呂気分を味わうことができる。
 泰人は、湿気に曇る天井のガラス窓を見上げながら、バス停で会った男のことを思い出していた。
 男は、逃げた女房の実家へ行って、頭を下げるつもりだと言う。きっと門前払いを食らうだろうが、今までの自分の不甲斐なさを悔い改めたいと、自分の靴をじっと見下ろしたまま、語っていた。
 泰人は、その男に、自分自身のことを何一つ語らなかったことに気づいた。大きな溜息を一つつく。吐息は白く気化して消えた。口下手な自分に愛想を尽かしながら、しかしふと、語らなくて正解だったのではないかと、泰人は思った。
雑念を洗い流すように、湯船の湯で思い切り顔を洗う。
夜空では、関係ないよとそ知らぬ顔で、ただ星々がまたたいていた。



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