1989年9月3日、World Cup南米地区一次予選チリvs.ブラジル戦が試合中の17時35分、ブラジル北部Maraba発Belem行きのVG254便B737-200機が真っ赤な夕陽に向かって離陸。en-routeは順調だったが、1時間弱のフライトで20数分経っても同機はBelem-VORが受信出来なかった。その時点でBelem管制塔とは交信できたが、直ぐ音信も不通となり、機長はサッカー戦を生中継するAM局をADFで探索しながら現在地を特定しようと試みた。大きな川が見えたので、それをAmazon川と信じて南下したが、結局Belemの街の灯火は見付けきれず、20時45分に燃料切れとなり、原生林へ不時着。その頃遭難機捜索は始まっていたが、飛行ルート上に注視していたため機体は発見出来ず、また現場地域にELT信号が20-30も点灯していたため、どれが遭難機からの信号なのかも特定できない有様だった。不時着時点で乗員54名中48名が生存していたが、3日ほど経っても捜索隊が救出に現れないため、数名の乗客が不時着地から出発を決意。幸い近くの農家へたどり着き、事故発生地点がMarabaから南西に700NMも離れたAmanon川支流のSao Jose do Xingu付近と判明した。生存者が救出収容されるまでに、更に6名が命を落とした。Flight Data Recorderの解析で、事故原因は機長が主張していた航法機器の故障ではなく、飛行計画書に4桁で記載されていた飛行ルートの磁方位0270が027.0degreeではなく、270.0と誤解されて自動操縦装置に入力されていたためと判明した。この4桁表示への変更は、機長が休暇中に実施され始めた事であった。