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世界史・日本史・歴史好きコミュの光る君へ

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少し早いですが、フライング気味に、2024年の大河のコミュを建てさせていただきました!情報交換の場として、どうぞ。

コメント(170)

>>[129]、
>>[130] ホホデミさん、

まあ、ちょっとやり過ぎかなー?なんて思ったけど、まあ、ドラマだからいっかー!!と言う、世の中の女性達にぐっとくる展開!!

てか、道長、橘諸兄状態もしくはスーパーマリオ状態!

てか、「汚れ仕事は俺の仕事だ!」道兼、『PSYCHO-PASS』シーズン2の東金状態!

てか、倫子さま、なに?これはなに?怖いの、怖くないの?よくわからない?今後の展開に期待状態!
>>[132]、

道隆あ〜あ!
道兼え〜え!ちょっと良かったね!
実資相変わらずだ!!普通こんだけぶつぶつ言ったら、すぐ左遷されそうだ!史実はどうか知らないが、もしかして日記のせいで誤解されていたとか?日記はすごいが本当はあまりぶつぶつは言ってなかったりとか?ネット弁慶的とか??

百舌彦と乙丸ほっこり同意!
まひろとさわさんも良かったね!
徐々に文筆に覚醒するまひろ!

>>[134]、

実資がどのくらい現実で頑張っていたか、少し調べていて、確かに現実でもいろいろ言っていたようです!あとはいくつか面白い事がわかった!今日は時間がないので、そのうち!
>>[136]、

まあ、主にウィキからの情報ですが、現実世界で、

(以下引用!)
長保元年(999年)道長(当時左大臣)の娘彰子が入内する際、調度品の一つとして、公卿名士たちから和歌を募り、筆を入れさせる四尺の屏風が用意された。これには公卿たちだけでなく、花山法皇までも歌を贈ったが、当時中納言であった実資だけは、道長から何度催促されても「大臣の命を受けて、その屏風に歌をつくるなぞ、未だに前聞なし」と言って、歌を献じるのを拒んだ。

寛仁3年(1019年)、刀伊の入寇を撃退した大宰権帥・藤原隆家が部下らに対する恩賞を懇請し、これに対して諸国申請雑事定が公卿らによって行われた。大納言公任と中納言行成は、「彼らは追討の勅符が到達する以前に戦った。故に私闘であるから賞するには及ばない」と主張した。これは貴族たちが隆家は道長の政敵であった伊周の弟でもあることから道長に追従したためでもあるが、同時に文官統治を維持する立場から当時各地の豪族や在庁官人が武装化して勢力を拡大しつつある現状に危機感を抱いていたことも背景にはあった。そのため、勅符なしでの軍事行動を許容することで彼らが朝廷の命令を無視して独自の判断で軍事行動を起こすことが危惧されたことから、公任・行成らの主張にも一理があった(普段、公任らに対して批判的な記事の多い『小右記』でも、この主張そのものに関する批判的な記述はしていない)。
これに対し実資は勅符が到達する以前に戦った点には問題があることを認めつつも、「勅符が到達したかどうかは問題ではない。たとえ勅がなかったとしても、勲功ある者を賞する例は何事にもある。寛平6年(894年)に新羅の凶賊が対馬国を襲撃したとき、島司文室善友は直ちにこれを撃退し、賞を賜った。これと同じことである。特に今回の事件は、外敵が警固所に肉薄し、各島人が一千人余りも誘拐され、数百人が殺された。壱岐守・藤原理忠も戦死した。しかし、大宰府は直ちに軍を動かしてこれを撃攘せしめた。何故に賞さないことがあろうか。もし賞さないならば、今後進んで事に当たる勇士はいなくなってしまうであろう」と弁じ立てる。
(引用終わり!)

のようにやはり周りの意見に流されず物を言っていたようですが、背景には道長との信頼関係が気づけていたと言う事も影響はあるようです!

それと、以下のサイトには20歳頃から日記を書いていたとあり、どうもドラマないにあったセリフ「日記はかかん!」はドラマの創作であるようです!
(天徳元年〈957年〉 - 永承元年〈1046年〉なので、977年頃にはすでに日記を書いていた!)

「源氏物語で最多引用」紫式部がリスペクトした男
度々登場し、後世に知られるようになった作品
2024/03/17 7:40
https://toyokeizai.net/articles/-/741006?page=2






第17回、やっと観れましたクローバー

◎ 公卿会議にて、実資の狼煙が上がる。「チョー毒」ダジャレ合戦が(私にとっての)第17回の華に…。
◎道隆の常軌を逸した執念、主上のおわす御簾まであげてしまった件…中国でやったら、処刑されたかなぁ?
……井浦新さんの崇徳院(大河「平清盛」)といい、道隆といい、上品な闇堕ちの香りがお似合いな俳優さん…( ^ω^ )。

◎今回のまひろは…"手紙が人の心を動かした"事を経験。小説を書くのに必要な色々な体験をしているようですね。

前回の"道長の看病回"…紫式部作
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな」(新古今和歌集)……的な場面を想像しました^_^。。。
>>[139]、

知識が少ないせいか、自分は理解が薄い傾向があります!「御簾を上げる」とか和歌との対比とか、いろいろ気づかない事が!いつも、ホホデミさんのご解説が役立っております!
>>[143]、

気になったので、ウィキより!
やっぱ道長って橘諸兄だったんだ!!しかし、道隆だけは酒の害あるいは糖尿病!!

(以下ウィキより!)
なお、この4月から5月にかけては道隆・道兼兄弟のほか、左大臣の源重信、大納言の藤原済時・藤原朝光・藤原道頼、中納言の源保光・源伊陟と8人の議政官が病死している[5]。正暦4年(993年)頃から太宰府では疱瘡が大流行しており、正暦5年頃からは全国的な大流行となっていた[6]。一条天皇も罹患しており、道隆を除く公卿らの死因も疱瘡が原因と見られている[7]。『栄花物語』では病気にはふれず、伊周の外祖父高階成忠による呪詛がほのめかされている[8]。
>>[143]、

実資良かったですねー!!

あとは、「あれ、看病のお礼は?」は笑った!結局本人は知らされた、あるいはわかったんだっけ?ど忘れしちゃった?父がただ事じゃないとか言ってたのは覚えているんだけど!
>>[143]、

あと、藤原宣孝がうはうはしてて、父為時が不穏になっているシーンはちょっと笑ったけど、このドラマではどうなるのだろうと、今後が気になりますね?(内緒!しー!!)
>>[148]、

最初気づかなかったんだよね!でも、人物が多いのでいろいろ毎回調べながら見ていくうちに、「あれ〜、これ誰?」ってなって、「えぇ〜!!」ってなりました!!
>>[140]
いえいえ、ただ興味ある時代という事で、勉強や復習をしながらの視聴なんです〜あせあせ(飛び散る汗)

最近は衣装の復習を…
伊周が主上の御前で普段着認定である常服の直衣を来ていたのに対し、弟の隆家はカブいた態度ながら、さりげにフォーマルな束帯衣装でしたね。

伊周とて直衣の最上級・布袴衣冠だったかな?という印象でしたが、それは私的なパーティで用いられたものだとか…?

演出もあるのかもしれませんが、中宮定子も本来は主上の御前では裳(後ろにつける白いエプロンみたいなもの?)や唐衣(ボレロみたいな形)といった十二単着用が慣わしながら、袿姿でした。

京都駅近くにある「風俗博物館」…また訪問したいのです^_^…。。。
第18話、土曜日に録画予定です(^_^*)。
(とはいえ、気になってネットニュースなどは読んでしまいます)

悪の権化的役割の大河@道兼さま、毒親パパが亡くなってシュッとした大人になりましたね。ドラマの中では悲田院に視察しに行くところで、バシッと印象を塗り替えた兄貴。反して為政者としての資質を問われた伊周。

◉因みに5月の100分de名著『魔の山』トーマス・マンの朗読は道兼兄貴です( ͡° ͜ʖ ͡°)!

『栄花物語』…道長シンパ、彼らをひたすら褒め称える物語…では、「伊周が関白なんてありえない!そこは道兼殿だろう?!」とは皆の総意!!という流れです…。
どんだけ嫌われているんじゃ伊周…いつの時代にもこういうタイプはいそうですかね( ̄∇ ̄)。

大河も物語。そして赤染衛門作説もある『栄花物語』もまた"物語"ですから丸呑みに…というより作者にはこう見えたんだね?って目線ですが、道兼と道長とはわりと仲は良かったのかな、とも思いました。

あとは伊周事件からの、花山院再登場を楽しみに??待っています(←ネタバレには当たらないと判断)あせあせ(飛び散る汗)。いやー、どんなアバンギャルドなご登場をされるのかと…^_^。 (独り言にて)
隆家面白かったですね。泣いたってしょうがないだろ兄上、情けないな〜
第19日 チラ見しました。

◎約千年前に私と同じ言葉を放った人がいた…byキング牧師
「私には夢があります…」
◎おかえり花山院(´∀`*)〜
第18話 前々回
◎さわちゃん、押しの強い友情を突きつけていました…( ̄∀ ̄)。何だか一方的?
◎「皇子を産め」的。成長をみせずに伊周よ、そっち頼みに舵切ったか……(俳優・三浦翔平さんは応援)。→妹・中宮定子の冷静沈着な対応とのコントラスト
◎まひろ弟が"今回の癒し担当"^_^。
◎ききょう@清少納言とまひろのガールズトーク。推しの中宮から頂いた貴重なお菓子を、まひろへの手土産に…ってところにただの陽キャを超える心情を垣間見れて嬉しかったスマイル
◎道長、スピード出世おめ。極悪人から最期は良い人で退場した道兼兄貴…。。。
◎一条帝、"反則の呼吸"何番目かの型「嫌いにならないでくれ」を定子に放つ………に、久々に胸キュンした件(*'ω'*)。
>>[157]
Xで今、チラ見してきただけでも、たくさん投稿がありました(驚)。
最初は、コイツ〜!な「終わったヤツ」だったのに、志高く生まれ変わり罪悪感に苦しんでいた…臨終の時に道長が支えるシーンがあり救われました。

5月の100分de名著『魔の山』の朗読を担当されている道兼さま、あれ?こんな美声だっけ?と…(笑)。さすが俳優さんですね^ - ^。。。
>>[156]、

二人は会ってなかったかもと言う説が有力なのに、ドラマ中では強力なタッグを組み始めている二人!今後はコミックでも小説でも、この二人コンビが定番になるに違いない!!

https://www.meihaku.jp/hikarukimihe/murasakishikibu-seishonagon/#:~:text=%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7%E3%80%8D%EF%BC%88,%E3%82%92%E5%8B%99%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

>>[154]、

今回はオープニングからして、道長独走、カッコいい回でした!実資も何故かトップを切って会議から退場!かつては議場に残ってぶつぶつしてたような(ちょっと記憶定かじゃない?)!
しかも、道長軍団!
しかも、俊賢で伊周、隆家を誘い出す!
しかも、為時出世!
ここで、まひろが暗躍!

どう言う展開で都落ちするのかと思っていたら、実はまひろが宋の文化を自ら学びたいと言う落ちだった!!

そして、長徳の変!!まあ、今後も伊周、隆家が楽しみではあります!!
>>[155]、

「私とも同じだわ!」byラプンツェル!!
>>[159]
一説では、清少納言の宮中退出と入れ替わるように紫式部が彰子姫のカテキョー女房としてはいっているようですね。まぁ、御殿が近くても主人・彰子のライバルですから、良い印象もてるかなぁ?といったところでしょうか…(´・ω・)。

ドラマの中では、紫式部となったまひろが、宮中を退出したききょうに会いに行くシーンがあったらいいなぁ、と…(^ ^)。
>>[163]、

仲良し版も面白いけど、少年マンガばりに、まひろが清少納言を指差して、「お前を倒す!」みたいなライバル版も面白いかも?
>>[164]
あはは、式部日記さながら「こーんな小さな事で、いちいちステキぴかぴか(新しい)とか騒ぎ立てすぎんのよ!」をマンマいったらそれはそれで面白そうですね!
主人公・紫式部vs清少納言といった別モノドラマも"をかし"( ^ω^ )。

最近ね、"自己顕示欲だしています"的に受け取られがちな『枕草子』に疑問を抱いています。こんな得意げにしたためたら嫌われるってわかっているのにそこまで自分サゲする必要ある?って箇所もあるように感じて…。主人・定子アゲ作戦だったかも?と思う部分も…。「みんなに理解して欲しい中宮様の心映えの美しさよ」かなぁって(笑)。←あくまでワタシの感じ方デス。
>>[165]、

それもあるかも知れませんね!あるいは、もしかしたら、ネットと同じで、注目度を集める事が目的で、実は本人は別人格だったりして?過激な編集者がサポートしていたとか??
>>[165]、

それにしても、最後の史跡紹介みたいなので出てくるのが、この時代には日記や文筆が多い事多い事!やはり、いろいろあっても比較的安定した時代だったのかもしれませんね!大河ドラマは戦ものが多いですが、こう言う大河ドラマもまた新鮮ですね!
>>[167]
大河を担当している時代考証の先生によれば、仰る通り全土を巻き込む戦乱のない安定した時代だそうです。

そして、管弦の宴、歌合せほか、「女房文学」といった言葉もある通り文芸の花開いた時代でもありましたね…!この時代、歌や日記も公開式だったみたいですしね。個人的な相聞歌もちゃんと保管して…あとからまとめて…といった(汗)。
また後年、時代時代の文化人達もたしなみとしてこれらの読み物はある種のお手本としての役目もあったようです。

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