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世界史・日本史・歴史好きコミュの日本古典文学紹介!!

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日本古典文学に関する紹介のトピックです!!感想なども可です!!

(以下ウィキより!)

新編日本古典文学全集
1994年から2002年にかけて刊行された。最新の研究成果に基づいた注釈と、現代語訳の併載という方針を踏襲した[要出典]。この新版の構成も、引き続き、上段に注釈、下段に現代語訳を記載し、中央に本文ならびに、存在すれば挿絵を挿入するというものであった。

通号 タイトル 当該巻の校注・訳者 出版 備考
1 古事記 山口佳紀
神野志隆光 1997年6月
2 日本書紀 1 小島憲之
直木孝次郎
西宮一民
蔵中進
毛利正守 1994年4月 巻第一(神代・上)〜巻第十(応神天皇)
3 日本書紀 2 小島憲之
直木孝次郎
西宮一民
蔵中進
毛利正守 1996年10月 巻第十一(仁徳天皇)〜巻第二十二(推古天皇)
4 日本書紀 3 小島憲之
直木孝次郎
西宮一民
蔵中進
毛利正守 1998年6月 巻第二十三(舒明天皇)〜巻第三十(持統天皇)
5 風土記 植垣節也 1997年10月
6 万葉集 1 小島憲之
木下正俊
東野治之 1994年5月 巻第一〜巻第四
7 万葉集 2 小島憲之
木下正俊
東野治之 1995年4月 巻第五〜巻第九
8 万葉集 3 小島憲之
木下正俊
東野治之 1995年12月 巻第十〜巻第十四
9 万葉集 4 小島憲之
木下正俊
東野治之 1996年8月 巻第十五〜巻第二十
10 日本霊異記 中田祝夫 1995年9月
11 古今和歌集 小沢正夫
松田成穂 1994年11月
12 竹取物語
伊勢物語
大和物語
平中物語 片桐洋一
福井貞助
高橋正治
清水好子 1994年12月
13 土佐日記
蜻蛉日記 菊地靖彦
木村正中
伊牟田経久 1995年10月
14 うつほ物語 1 中野幸一 1999年6月 俊蔭〜祭の使
15 うつほ物語 2 中野幸一 2001年5月 菊の宴〜蔵開(下)
16 うつほ物語 3 中野幸一 2002年8月 国譲(上)〜楼の上(下)
17 落窪物語
堤中納言物語 三谷栄一
三谷邦明
稲賀敬二 2000年9月
18 枕草子 松尾聰
永井和子 1997年11月
19 和漢朗詠集 菅野禮行 1999年10月
20 源氏物語 1 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1994年3月 桐壺〜花宴
21 源氏物語 2 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1995年1月 葵〜朝顔
22 源氏物語 3 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1996年1月 少女〜藤裏葉
23 源氏物語 4 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1996年11月 若菜〜幻
24 源氏物語 5 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1997年7月 匂兵部卿〜宿木
25 源氏物語 6 阿部秋生
秋山虔
今井源衛
鈴木日出男 1998年4月 東屋〜夢浮橋
26 和泉式部日記
紫式部日記
更級日記
讃岐典侍日記 藤岡忠美
中野幸一
犬養廉
石井文夫 1994年9月
27 浜松中納言物語 池田利夫 2001年4月
28 夜の寝覚 鈴木一雄 1996年9月
29 狭衣物語 1 小町谷照彦
後藤祥子 1999年11月 巻1〜巻2
30 狭衣物語 2 小町谷照彦
後藤祥子 2001年11月 巻3〜巻4
31 栄花物語 1 山中裕
秋山虔
池田尚隆
福長進 1995年8月 巻第一(月の宴)〜巻第十(ひかげのかづら)
32 栄花物語 2 山中裕
秋山虔
池田尚隆
福長進 1997年1月 巻第十一(つぼみ花)〜巻第二十六(楚王のゆめ)
33 栄花物語 3 山中裕
秋山虔
池田尚隆
福長進 1998年3月 巻第二十七(ころものたま)〜巻第四十(紫野)
34 大鏡 橘健二
加藤静子 1996年6月
35 今昔物語集 1 馬淵和夫
国東文麿
稲垣泰一 1999年4月 巻第11〜巻第14
36 今昔物語集 2 馬淵和夫
国東文麿
稲垣泰一 2000年5月 巻第15〜巻第17,19(本朝付仏法)
巻第18(諸本欠)
37 今昔物語集 3 馬淵和夫
国東文麿
稲垣泰一 2001年6月 巻第20(本朝付仏法)
巻第21(諸本欠)
巻第22〜23(本朝)
巻第24〜25(本朝付世俗)
巻第26(本朝付宿報)
38 今昔物語集 4 馬淵和夫
国東文麿
稲垣泰一 2002年6月 巻第27(本朝付霊鬼)
巻第28(本朝付世俗)
巻第29(本朝付悪行)
巻第30(本朝付雑事)
巻第31(本朝付雑事)
39 住吉物語
とりかへばや物語 三角洋一
石埜敬子 2002年4月
40 松浦宮物語
無名草子 樋口芳麻呂
久保木哲夫 1999年5月
41 将門記
陸奥話記
保元物語
平治物語 柳瀬喜代志
矢代和夫
松林靖明
信太周
犬井善壽 2002年2月
42 神楽歌
催馬楽
梁塵秘抄
閑吟集 臼田甚五郎
新間進一
外村南都子
徳江元正 2000年12月
43 新古今和歌集 峯村文人 1995年5月
44 方丈記
徒然草
正法眼蔵随聞記
歎異抄 神田秀夫
永積安明
安良岡康作 1995年3月
45 平家物語 1 市古貞次 1994年6月 巻第一〜巻第六
46 平家物語 2 市古貞次 1994年8月 巻第七〜巻第十二
47 建礼門院右京大夫集
とはずがたり 久保田淳 1999年12月
48 中世日記紀行集 長崎健
外村南都子
岩佐美代子
稲田利徳
伊藤敬 1994年7月
49 中世和歌集 井上宗雄 2000年11月 西行法師撰『御裳濯河歌合』
『宮河歌合』
源実朝『金槐和歌集』雑部
撰者未詳『正風体抄』
藤原為相撰『為相百首』
藤原為兼撰『玉葉和歌集』抄
光厳院撰『風雅和歌集』抄
宗良親王撰『新葉和歌集』抄
飛鳥井雅世撰『新続古今和歌集』抄
松月撰『正徹物語』抄
『文亀三年三十六番歌合』
細川幽斎『衆妙集』抄
撰者未詳『集外歌仙』
50 宇治拾遺物語 小林保治
増古和子 1996年7月
51 十訓抄 浅見和彦 1997年12月
52 沙石集 小島孝之 2001年8月
53 曾我物語 梶原正昭
大津雄一
野中哲照 2002年3月
54 太平記 1 長谷川端 1994年10月 巻第一〜巻第十一
55 太平記 2 長谷川端 1996年3月 巻第十二〜巻第二十
56 太平記 3 長谷川端 1997年4月 巻第二十一〜巻第三十
57 太平記 4 長谷川端 1998年7月 巻第三十一〜巻第四十
58 謡曲集 1 小山弘志
佐藤健一郎 1997年5月
59 謡曲集 2 小山弘志
佐藤健一郎 1998年2月
60 狂言集 北川忠彦
安田章 2001年1月
61 連歌集
俳諧集 金子金治郎
暉峻康隆
雲英末雄
加藤定彦 2001年7月
62 義経記 梶原正昭 2000年1月
63 室町物語草子集 大島建彦
渡浩一 2002年9月 文正草子
御曹子島渡
猿源氏草紙
ものくさ太郎
橋立の本地
和泉式部
一寸法師
浦島の太郎
酒伝童子絵
磯崎
熊野本地絵巻
中将姫本地
長宝寺よみがへりの草紙
64 仮名草子集 谷脇理史
岡雅彦
井上和人 1999年9月 かなめいし
浮世物語
一休ばなし
たきつけ草・もえくゐ・けしずみ
御伽物語
65 浮世草子集 長谷川強 2000年3月 好色敗毒散
野白内証鑑
浮世親仁形気
66 井原西鶴集 1 暉峻康隆
東明雅 1996年4月 好色一代男
好色五人女
好色一代女
67 井原西鶴集 2 宗政五十緒
松田修
暉峻康隆 1996年5月 西鶴諸国ばなし
本朝二十不孝
男色大鑑
68 井原西鶴集 3 谷脇理史
神保五彌
暉峻康隆 1996年12月 日本永代蔵
万の文反古
世間胸算用
西鶴置土産
69 井原西鶴集 4 冨士昭雄
広嶋進 2000年8月 武道伝来記
武家義理物語
新可笑記
70 松尾芭蕉集 1 井本農一
堀信夫 1995年7月 全発句
71 松尾芭蕉集 2 1997年9月 紀行・日記
俳文
連句
72 近世俳句俳文集 雲英末雄
山下一海
丸山一彦
松尾靖秋 2001年3月
73 近世和歌集 久保田啓一 2002年7月
74 近松門左衛門集 1 鳥越文蔵
山根為雄
長友千代治
阪口弘之
大橋正叔 1997年3月 五十年忌歌念仏 : おなつ清十郎
淀鯉出世滝徳
冥途の飛脚 : 忠兵衛梅川
博多小女郎波枕
女殺油地獄
薩摩歌 : 源五兵衛おまん
丹波与作待夜のこむろぶし
夕霧阿波鳴渡
長町女腹切
山崎与次兵衛寿の門松
75 近松門左衛門集 2 鳥越文蔵
山根為雄
長友千代治
阪口弘之
大橋正叔 1998年5月 曾根崎心中
心中二枚絵草紙
与兵衛おかめひぢりめん : 卯月紅葉
跡追心中 : 卯月の潤色
心中重井筒
心中万年草 : 高野山女人堂
心中刃は氷の朔日
二郎兵衛おきさ : 今宮の心中
嘉平次おさが : 生玉心中
紙屋治兵衛きいの国や小はる : 心中天の網島
心中宵庚申
堀川波鼓
大経師昔暦
鑓の権三重帷子
76 近松門左衛門集 3 鳥越文蔵
山根為雄
長友千代治
阪口弘之
大橋正叔 2000年10月 出世景清
用明天皇職人鑑
けいせい反魂香
国性爺合戦
曾我会稽山
平家女護島
77 浄瑠璃集 長友千代治
黒石陽子
林久美子
井上勝志
大橋正叔 2002年10月 竹田出雲ほか『仮名手本忠臣蔵』
竹田出雲ほか『双蝶々曲輪日記』
近松半二ほか『妹背山婦女庭訓』
紀上太郎ほか『碁太平記白石噺』
78 英草紙
西山物語
雨月物語
春雨物語 中村幸彦
高田衛
中村博保 1995年11月
79 黄表紙
川柳
狂歌 棚橋正博
鈴木勝忠
宇田敏彦 1999年8月
80 洒落本
滑稽本
人情本 中野三敏
神保五彌
前田愛 2000年4月 泥郎子作『跖婦人伝』
田舎老人多田爺作『遊子方言』
馬糞中咲菖蒲作・勝川春章画『甲駅新話』
山東京伝作・画『古契三娼』
山東京伝作・画『傾城買四十八手』
山東京伝作・画『繁千話』
梅暮里谷峨作・雪華画『傾城買二筋道』
式亭三馬作『酩酊気質』
式亭三馬作『浮世床』
為永春水作『春告鳥』
81 東海道中膝栗毛 中村幸彦 1995年6月
82 近世随想集 鈴木淳
小高道子 2000年6月 松永貞徳『貞徳翁の記』
戸田茂睡『紫の一本』
本居宣長『排蘆小船』
『しりうごと』
83 近世説美少年録 1 徳田武 1999年7月 第1回〜第20回
84 近世説美少年録 2 徳田武 2000年7月 第21回〜第40回
85 近世説美少年録 3 徳田武 2001年10月 第41回〜第60回
86 日本漢詩集 菅野禮行
徳田武 2002年11月
87 歌論集 橋本不美男
有吉保
藤平春男 2002年1月 源俊頼『俊頼髄脳』
藤原俊成『古来風躰抄』
藤原定家『近代秀歌』
藤原定家『詠歌大概』
藤原定家『毎月抄』
荷田在満『国歌八論』
賀茂真淵『歌意考』
香川景樹『新学異見』
88 連歌論集
能楽論集
俳論集 奥田勲校
表章
堀切実
復本一郎

コメント(43)

>>[1]
初めまして。
百人一首、小学生の頃のカルタ大会を思い出します。リナさんは今現在、どの歌が好き!と思われましたか^_^。
>>[3] 今息子の方が私より多く覚えてますあせあせ。明日から百人一首練習小倉で頑張ります力こぶ
>>[3] 日本に離れて、あれこれ約30年、息子と一緒に覚えてから考えますあせあせ
>>[4] 恥ずかしいながら、頑張って覚えてから考えますあせあせ
>>[4]、
>>[5] リナさん

面白いの見つけましたよ!!
お菓子屋さんが百人一首の解説している!!

ちょっと差がつく『百人一首講座』
https://ogurasansou.jp.net/columns_category/hyakunin/
>>[4]、
>>[5] リナさん、

下の二つは確か昔学校で習った!!

2 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
4 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
>>[4]、
>>[5] リナさん、

下のは落語のネタでありますね!!龍田川がおすもうさんの四股名と言う設定!!

17 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは

>>[4]、
>>[5] リナさん、

あと知っているのはこれかな?

77 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
>>[9]
万葉集、前者は持統天皇、後者は山部赤人ですね。百人一首だとより雅な雰囲気モリモリですね^_^。

赤人の方は、編集する前の「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞふじの高嶺に雪は降りける」

…百人一首では雪が降る様を表現し、一方で万葉集では「雪が降り積もっている!わ〜、感動〜」の素朴な喜びが歌われていますね♪

百人一首の方は、白妙の枕詞を使って雅ですね!
>>[11]
>>[5] リナさん

ちはやふるも、瀬をはやみ…も落語ネタになっていますよね、思わず落語として明るく笑ってしまいます^^♪

ちはやふる…は、禁じられたかつての恋の駆け落ちを思い出しませとばかりに在原業平が女御・藤原高子に歌いかけた色彩鮮やかな歌…目の前に映像が映るようですグッド(上向き矢印)。在原業平も本来は皇族で「◯◯王」なんて呼ばれたかもしれないのに、おじいちゃんとパパが謀反に連座したばかりに臣籍降下…(涙)。この人の歌暗記すればセンス良くおもわれるかも!と邪な心で覚えた記憶があります(笑)。

瀬をはやみ…も、怨霊にフォーカスされる崇徳院のお人柄が偲ばれます。。。

リナさんも「あ、よさげ」という歌、どんなところに魅力を感じたか良かったら聞かせてくださいませ。私も選定中←センテイ…というほど実は暗記していませんがあせあせ(飛び散る汗)
>>[12]、

あ〜、そうだ、そうだ!その「ゆ」がなんだとか問題で聞かれていましたね!
>>[13]、

在原業平って臣籍降下だったんですね!しかし、文化的に優れた人だと、逆に不運で良かったみたいな発想をされる事もありますね?
>>[13] 素敵な一首を教えてくださいまして、ありがとうございます顔(笑)。臣籍降下は悲しいですね。文化に優れたお方に不運とは、李白を思い出す。また色々教えて下さい顔(願)‍♀。
>>[13]、

なんで、これ知っていると思います?

77 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
>>[17]
77番・あまりの激烈な詠み。
「望廬山瀑布」を思い出されたからでしょうか←リサさんの李白に引っ張られた感満載^^。。。

落語の方はほのぼのなのに大河「平清盛」は凄まじかったですー(汗)。
>>[18]、

ホホデミさんはあまり漫画読まないの?
>>[19]
『ちはやふる』は歯医者検診の時に待合室で1巻くらいしか読めませんでした〜。
>>[20]、

なるほど、了解しました!

他に百人一首で好きな歌はありますか?
>>[9] ありがとうございます。記憶が戻りずつ顔(笑)
前回、『蜻蛉日記』の作者、道綱の母(財前直美さん)がお出ましになりました。

大河はエンターテイメントとという部分もあるので(^_^)、財前直美さん@蜻蛉(この名前にします)は丸くなっています。既に兼家の夜離れしていた時期でしょうか。

『蜻蛉日記』の作者は本朝三美人&歌の名手と名高い中流貴族@受領階級の娘さんです。
一説によれば、夫の兼家の部下として彼女のお父さんと接点があったみたいですね。
そこで「お宅のお若い娘さん、美人で歌が巧くて染め物や針仕事も上手らしいですね」と…(笑)。
才気ある彼女はしぶりますが、両親の説得により世間を知らぬままに結婚をする、そんなスタートでした。

当時の結婚は通い婚。三日夜餅の儀の婚礼を交わしその間は槍が振っても男性は女性の元に通います。大変…。でも、離婚の定義は曖昧で「夜離れ(よがれ)」の期間を己で見極めるのでしょうか、その後は新しい男性が通っても良いとか…。
それぞれの妻(大河では妾扱いでしたが)がそれぞれ夫の面倒を見ます。子どもの養育も実際は実家持ち。。。かなりザックリながら、そんな時代背景でした。道綱も蜻蛉の鬱屈の背中を見てある種の優しい子に育っていきます。
『蜻蛉日記』のスタートが印象的。
「ハッピーな物語なんてあんなのウソよ!」「高貴な身分の夫をもつ結婚は果たして幸せかしら?」…室生犀星なんかは"(蜻蛉は)自我の強い女でけしからん!女というものは教育のない者が優しく淑やか、慎ましくて良い"といったけなしぶり(←は?)。

つまり蜻蛉は、自我を持った現代的な一人の人間という印象があります。最初は宮仕えといった社会を体験する事のなかった経緯から、一夫一婦制的な夫婦にならない事にも苦しみ、初期は世間知らずの若さゆえの自己中心的な独白ブログが続きます。"恋愛一色内容"といってしまっては…「これだからオンナは」などと誤解を生まないことを願っています。一人の人間として現代人には会社員としても手応えのある人です。

それでも夫・兼家ただ一人を(重くあせあせ(飛び散る汗))愛し、愛しながらも素直になれず、自分の家より格上の夫に対しあくまで強気で向き合っていきます。こんな対応すると嫌われるかも?と忖度しないのです!勇気のある人だ〜!と思いました。…で、周囲の女房達が情理を尽くして夫婦を取りなす文化(頭良くなければ務まりません)。確かに夫・兼家は人を人として大切にする配慮のある人ではなかったかもしれませんが、それは性格の違い。日記を読む限り、夫・兼家は彼なりに彼女を(縫い物や和歌、世間体含めて?)必要としていた雰囲気が伝わってきます。兼家が病気でとても気弱になった時、彼はルール違反をしてまで蜻蛉に会います(彼女は失礼だからと断るのですが)。

中盤になって彼女が悩みすぎてノイローゼ気味(←あくまで私の見立てです)になり寺に籠ると、兼家は忙しく宮中で権力闘争を激化していた中、わざわざ冗談を言いながら無理やり彼女を迎えに来てしまいます。

そのうち、蜻蛉は精神的に成長し客観的に己の人生を見つめていくスタンスになっていきます。
貴族の受領階級の蜻蛉にとっても、参詣は外出できる楽しいピクニックのようなもので、その時に目にした風景に感激しています。

蜻蛉は自然描写をさせると、目の前に美しい景色が広がるような筆使いです。千年残った理由の一つに挙げられるのではないでしょうか?和歌と共にお楽しみ頂ければ…と^^。

余談かつ想像ですが、千年の間に沢山の人が(女性?)が読んで「私と同じ…(涙)」と共感して明日への活力にしていたかもしれません。

また、『源氏物語』のモチーフとなった読み物や噂話は沢山あったでしょう。その内の一つ『蜻蛉日記』の側面から『源氏物語』をチラ見するとすれば、報われなかった妻たちのカタルシスもほんのりと感じます。通い婚、一夫多妻制が当たり前だった時代、光る君はある種の"どんな女性も裏切らない心優しい救世主"であり、当時のリアル男性貴族の"あらまほしき姿"でもあった…想像してみるのも楽しいかもしれません。誤字脱字失礼します。
連投すみません。
蜻蛉とて当時が一夫多妻制の慣わしである事は、理解していたでしょう。夫に他にも妻がいたとしても、自分という妻とも「誠実に向き合って」定期的に通ってくれる夫像を期待していた、と私なりに浅く?読んで見立てています。コッソリと他の妻、または愛人の元へ行けば良いものを蜻蛉宅の路を兼家の牛車が来るものだから、召使は門を開けてお迎えするのに、こともなげに素通りしていく兼家の厚顔ぶり…"そぶりからのスルー"…それは性別関わらず、現代の会社、社会であっても傷つく人は相応数いると思われます。近所や同僚のいい笑い者に…(汗)。誠実さを求めた日記…。

…というのも、通い婚ですから実家住みの蜻蛉の姉妹にも夫が足繁く通ってきます。「家」という単位で社会が成り立つ時代、姉妹の夫の身分は兼家には程遠く、当時、身分と出世において兼家ほどモテ度は低かったかもしれませんし…(悲)。
姉妹の元に夫のおとないがある度に蜻蛉は思い悩みます。そして、いつしかその蜻蛉に申し訳がないと、仲の良い姉妹は夫と共に実家を出ています。

とある昨今平安時代に造詣の深い作家さんが「(蜻蛉は)嫌いです!」と述べていました。確かに蜻蛉の性格は…と思うところもあるけれどあせあせ(飛び散る汗)、(その作家さんは違う意味で嫌いなのだと思いますが)男性ウケを狙うかのような「私は男性を困らせるようなオンナじゃないわ」とさかしらに批判するのだとすれば、残念な事かもしれません。かといって20〜30代前半の経験値これからよ♪という女性にも蜻蛉の気持ちは分かりづらいかも知れません(笑)。
>>[25]、

蜻蛉日記よく知らなかったので、面白いです!
『枕草子』といえば、清少納言。今回の投稿は"本題に入る前に…"。

「香炉峰の雪は如何に…」。中宮定子の謎かけに、"よっしゃ、白居易ね!"と機転を効かせて御簾をあげた逸話は有名ですね。

古典の授業、「春はあけぼの」以外のエピソードになるととかく"生意気"と誤解されがちな人かもしれません(^^:)。
でも、最初は大々的に発表する書き物では無かったので、千年間我々が覗き見??した感じでしょうか^^。
 和歌や書き物を残した人々は、その人柄が聖人君主だったから残ったのではなく、文学性の豊かさを理由に読み継がれてきたのですものね^_^。

彼女は三十六歌仙である和歌の名手、清原元輔をパパに持ち、そのため和歌の出来を比較され、ために「私はあんまり歌は得意じゃなくて…定子様どうしたら良いでしょう」なんて相談していたみたいですね。

『枕草子』は元々人様に読んでもらうために書き起こしたエッセイではありませんでした。
たまたまそれを見つけたボーイフレンドが書き溜めたものを読んでしまい「あ、何コレ、面白いじゃん?」とそこから評判になったという説もあります。

ものの始めは…ライバル勢力である道長との政権争いの中、「清少納言って道長側ともよしみを通じているみたいよ〜、何なるコト〜!」といった噂が流れ、そのため里に控えていた時でした。受領階級(中流貴族)の一女房とはいえ噂は主人に影響を与えてしまいます。

里に隠棲中のそんな時、定子が当時高価だった紙の束を彼女に送って寄越します。清少納言は、元々書くのが大好き女子。いずれの時か中宮定子に「私はどんなに凹んでしまっても、紙と筆があれば気分があがるんですグッド(上向き矢印)」と陽キャぶりを発揮して話しています。 そんな会話を覚えていた定子のさりげない心遣いでした。
「会っていないけれど、あなたの事を思っていますよ」という心優しい定子の贈り物に、"あの方は私を信じてくださっている…!"といった喜びを感じたのもあったのでしょう、彼女は静かに心を起こして筆をおこします…それも"敬愛してやまない定子のためだけに"。

清少納言は定子より10歳程年上ですが、彼女は主人を敬愛し続けました(清少納言が宮中を退いたあたりで、紫式部が道長の娘・彰子姫の家庭教師としてサロンで活躍します。中宮彰子もまた心ばえの素晴らしいお姫様ですね)

『枕草子』
一番光り輝いていた定子とそのサロンのめでたさを。ときめいていた思い出はエッセイという形式の中に凝縮され千年の長きにわたり人々によって読み継がれました。 
(続き) 清少納言、定子ネタバレ有りあせあせ(飛び散る汗)
『枕草子』って?と聞かれたら…こういう見方もできるのではないでしょうか?

◉自分の持ち味を認めとても大切にしてくださった、たった一人の姫君に対する自分のできる恩返し(ウチのお姫様、世界一宣言。だから笑顔でいてください的)。

定子から下賜された高価な紙。その美しさと才気と優しさで一条帝の寵愛を独占した世にも稀なる我が主人が如何に素晴らしかったか…かつてときめいていたサロンの華々しさ、楽しかった思い出、面白いエピソードの数々のみを心を込めてしたため清少納言は定子に奉りました。

それを読んだ、当時既に後ろ盾を失っていた定子は「いはんとぞおもふ」(帰ってきてとは口に出さないけれど、少納言よ、あなたの事を思っています)と山吹の小さな花びら(多分)を包んで返信しました。

その後、作品としてまとめたのが『枕草子』。
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将来の見込みの無くなった定子の元から(己の生活もあった)女房達が次々に去るしか無い時に、清少納言は隠棲生活にピリオドをうち、人生捧げます!の勢いで宮中に戻り最期まで主人を支え続けました。現代なら"大親友"にあたるのかな?
あちこちの寺社仏閣にも足腰をヨイヨイにしながら参詣し、定子のために祈り倒す日々。
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清少納言が宮中を退出した後、『枕草子』という作品として当時の平安貴族に広く読まれた一方で、紫式部のように「漢文の知識もあっさ〜いし、自慢話も多くてヤナ感じ〜」と思う人々もいたようです。  でも、それは仕方ありません。清少納言にも"推しの定子宣伝"の他に自己顕示欲もあったかもしれませんし……プロトタイプからして不特定多数に向けて書かれたものでは無い作品だからでしょう。そして、紫式部とどちらが優れているか?といった話もよく聞きますが「エッセイと小説、ジャンルの違う2人を比べる事に無理がある」のではないでしょうか…?

その評価が覆るには200年後。
鎌倉時代まで待たねばなりませんでした。
「主人の不遇を書かず、煌めいていた時のみを取り上げた姿勢は主人への良き心遣いである」と。
>>[28]、

紫式部も清少納言も当時高級であった紙と言うものを提供してくれる人達がいなければ、デビューしなかった可能性がある!そう考えると芸術にも財力が重要ですね!
>>[29]、

うーん、なんとなく今回の大河でバロック?ロココ?の音楽使ったのは当たりかも!平安時代って、18世紀ヨーロッパとかに似ているかも?
>>[30]
紫式部については、スカウトされるまでの習作、草稿含めて有力なパトロンがいないと…って紙の量ですよね!( ̄▽ ̄)多…

周囲の評判の良さから、紫式部の作品で彰子姫サロンに華を添えよう!主上に来て頂こう!世継ぎをもうけて頂こう!という作戦もあってか、連載ものでしたからね。
紫式部は家庭教師にも適任だったし、連載もして貰おうと…(笑)。道長は他にも彰子姫サロンを盛り立てるために工夫して女房を集めたみたいですね…!
>>[31]
バロック的なBGM、さりげに合っていますね…( ´∀`)。
ウィットとユーモア、機知のある会話、教養、優雅さ、宮廷作法…どことなくサロン文化の方向性は同じな印象があります。

ただ、ヨーロッパサロン@ロココなんかは、「子どもは世継ぎのため」。教育は丸投げ。奥さんも愛人作るのは常識!…平安時代はとりあえずフェードアウト離婚からの恋愛はOKだった淡い記憶が…(笑)。
>>[33]、

社会習慣などは今の基準で考えると歴史を誤解する可能性もあるかとは思います!フランスはカトリックなので離婚は禁止であり、愛が醒めた結婚からの救済として愛人の習慣があったと言うお話も聞いた事があります!今の基準で過去の時代同士を比較するのも面白いところもありますが、注意深くみていく事も大切なのではないでしょうか?
>>[34]
そうですね。今の感覚から各国、各時代をみても見えないものの方が多いでしょう。その背景に寄り添っていかないと…。

イングランド国教会がまさにその代表選手ですね。かといってイングランド国教会が容易に離婚が出来たのはヘンリー8世くらいという説もあります。カトリックも政治と濃く絡んでいたので、必ずしも離婚絶対不可能ではなかったし教皇が政のために王家の結婚に阻止した事例もありました。そして「不倫」も本当は禁止事項です。法的に婚姻しても教会で結婚式を挙げないと「不倫関係」と今でも見なされるのです。

近代におけるフランス宮廷とスペイン宮廷の明らかな違いも興味深いところです。
>>[35]、

補足ありがとうございます!歴史好きがお互いに協力し合って、いろいろより深めていけたら良いと思っております!ホホデミさんの文学に対するいろいろなコメントもいつも楽しみにしております!これからもいろいろ教えて下さい!よろしくお願いします!
>>[36]
こちらこそお世話になっています。
「この方はこのような角度から見ていらっしゃるのねー」という視野の広がる瞬間が嬉しいです。
>>[37]、

キリスト教と離婚の事に関してはもちろん有名なのでイギリス国教会の創設の事や、場合により教皇に訴えて離婚ができたケースがある事は知っていますが、各国各時代を比較して論じられる程詳しくはありません!自分でもまたいろいろ調べてみようと思いますが、面白いネタがあったらホホデミさんからも教えていただけますと幸いです!
>>[37]、

38の補足として、そう言う意味では大河で描かれた蜻蛉日記の論争はとても面白かったです!まあ、大河もどこまでが真実なのか気をつけないといけないとですが!
>>[39]
今回の大河は、個人的に佐田氏をはじめとするセットや衣装、行事といった環境に入って、45分間だけ平安時代の人になってみたいものです。
物語としては「トンイ」や「チャングムの誓い」みたいなフィクションドラマとして史実の点と点をどう繋ぐかを楽しみにしています(笑)。
(『蜻蛉日記』、拙くも自分の理解の範疇で書かせて頂きありがとうございました)

皆さんにも其々「自分はこの面からアプローチする」ものがあると思われます^^。
<清少納言の晩年プチ・エピソード>

 出仕時期のズレから清少納言は和泉式部と宮中では会っていませんが、晩年、2人は文通したりプレゼントのやり取りをしていたみたいですね(『和泉式部集』より)。

エッセイストと詩人。
感性の相性が合ったのかもしれませんね^^。

清少納言の娘、小馬命婦(こまのみょうぶ)と和泉式部の娘、小式部内侍 (こしきぶのないし)』ともに、中宮彰子の女房として出仕していますから、お互い娘からの便りでお友達になったのかも?と想像するのも心躍るものです^^。

詩人・和泉式部については『和泉式部日記』より、いずれまたこちらでお話しさせてください。
「光る君へ」第15話で、定子妃と清少納言が対面しました。
清少納言の女房とは、定子妃サロンの盛り立て役兼家庭教師的立場ながら、『枕草子』にもあるように、程なく中宮になった才色兼備の年若い妃に心酔していきます。

 草子によれば、最初は宮中の何もかもに圧倒され、失敗ばかりで凹んじゃう、とめげてしまいます。それゆえ夜に妃の元に侍るという控えめな生活を送っていたみたいですね?そんな当時では遅咲きの新米女房に対して、妃はさりげなく近くに侍らせ絵物語を一緒に観ましょうと優しい心配りをします。御年20前にして聡明なめでたさ。流行のファッション(重ね)を見事に着こなした魅力的な妃を表現する時の溌剌とした草子での文使い。
そんな妃もウィットとユーモア、打てば響く人を好ましく思う方でした。

 定子妃は主上のただ一人の妃(父存命中、父が周囲を牽制して他家の姫君を入内させなかった背景もあります)であり、当時女人の最高の名誉とされた中宮。『更科日記』の作者の少女時代、「『源氏物語』の方がもっと価値があるのよ〜!」…そんな高位の妃。高貴なご身分ゆえお住まいも主上のほど近くにありました。

 そこで対比して思い出されるのが『源氏物語』光る君の"母君・桐壺の更衣"。
大納言家の姫君でいらっしゃいましたが、後ろ盾がないため女御として入内できず、その下の身分… 四位・五位の位の更衣に甘んじました。しかも桐壺は後宮の中でも主上のお住まいからは遠く離れた御殿です。桐壺更衣が主上から召し出される度に、数々の嫌がらせを受けたのも「距離」にあるのでしょう…。゚(゚´ω`゚)゚。
「光る君へ」第16回目の道長くん、王子様?!回だったので、王子様がでてくるお話を紹介します。
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『落窪物語』

平安時代(900年代末頃)に書かれたシンデレラ・ストーリー。

父・中納言の先妻である今は亡き北の方の姫君は美しく聡明で優しい上に、お裁縫の腕前も一流です。お母様は宮家の方というやんごとない御身分。姫君はお母様から習った琴も大変上手でした。

しかし、後妻となった北の方がこの姫を嫌い、数々の高級な調度品を横取りした挙句、姫君を離れの一段低いところへ追いやってしまいました。  
実父・中納言も北の方の尻に敷かれてしまって無関心を決め込む有様。家族の中で唯一慕ってくれたのは、琴を教えていた異母弟・三郎君くらいです。

 北の方の娘たちは年頃になり婿を迎えて華やかに暮らしている一方で、離れの姫君は「落窪の君」と呼ばれ、結婚の話はおろか日々の食事も衣類もままならず、それでも耐え忍び、心素直に継母の北の方に言いつけられるまま、異母姉妹の婿のために衣装を裁縫し続けます。

その衣装は正確で丁寧で心配りの行き届いた着心地だったので、婿たちからとても評判が良く、北の方は得意でした。……だって、自分の娘たちが拵えたことにしていたのですから。その後、バレてしまいますがw。

 そんな落窪の君には、心強い女房「あこぎ」がいました。(続く)

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