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ほんとうのスピリチュアルコミュのカルマと自由

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「カルマ」というものは無い

最近そう言う考え方を見聞きするようになり、改めてどう捉えたら良いのか思いを巡らせています。

カルマとはインドの古いサンスクリット語で行為を意味する言葉と言われます。日本語では「業(ごう)」と訳されて仏教用語にあり、日常会話の中にも使われたりしてきました。

自分の行為はそれが原因となりのちに結果として自分に返ってくるという因果の法則に由来していると思われます。

カルマは無いと言う人も因果の法則は否定していないようです。どちらも同じことを指していると考える私にはここがハテナ?だったのですね。

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私たちはこの世に生まれてくる時には前世の記憶は忘れています。

けれども男として生まれたり女として生まれたり、日本に生まれたり外国に生まれたり、裕福な家に生まれたり貧乏な家に生まれたり、体を動かすことが好きだったり本を読み耽って想像の世界に遊ぶことが好きだったり、モデルのような容姿を持つ人もいればコンプレックスを持つ人がいたり…。

この世に様々な人がいて、その中に自分も今こうして身体を持ってこの時代この環境に生まれて生きている。

…生まれる前には自分で親を選んで生まれてくるとか言われますが、今の自分や環境に十分満足して人生を過ごしている人はあまりいないのではないでしょうか。
生まれ持った性を変えてしまう人もいます。この世を儚んで自ら人生を終わらせてしまう若者もいます。

そのような状況を見ていると、自分が望んだようには生まれて来られないのではないだろうか?という疑問が生じます。

自分が成長するために修行の場として生まれてくるからそういう環境を選んで生まれるのだと説明する人もいます。そうなのでしょうか。

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…神様を信じている人は、いつも私たちは生かされていると説きます。

神様から生まれて、同じように神様から生まれた他の人々とこの自然界と他の生き物たちと一緒にこの世界で生きています。

私たちは親がいなければ生まれてこられないし、食べ物や着る物などを手に入れて生きていくためには1人だけではどうしようもありません。この地球に水や空気が無くなればすぐに死んでしまうし、それに太陽がなくては冷えてしまうし他の天体とのバランスもとれていないと安定した環境は保てません。

この世界のものは石ころ一つまで全てつながっているのです。

これらを見ていくと思い当たるのは、この世の全てのものは他のものに対してその役割を持って生まれてくるということ。

そしてそれは人間で言えば、魂がお互いにつながっていてこれまで生まれ変わりを繰り返しながら関わり合い影響し合い、様々な体験をし感情を抱き執着を持ちながら行なってきた行為。

それがこの世界に対しての働きかけになり、それに対しての自分への反応が環境となっていく。来世での自分の個性だったり環境となっていく。

来世はイケメンに生まれたい、可愛い女性に生まれたい、裕福な家に生まれたい…そう願ってもこの世界のつながりにおいて自分がこれまで何回も生まれ変わって行なってきた行為によりある程度必然的に決まってしまうと言えます。

それはやはり自分のした事なので自分で望んで決めたと言えるのかも知れません。

「輪廻からの解脱」とか「カルマから自由になる」ということは、そういう必然を生んでしまう原因=自分の感情や執着を手放すこと。そしてこの世界に生まれてきた役割を果たすこと。

ということは、自分ができることでこの世界のみんながお互いに仲良く成り立っていくために働くこと。

…そうは言ってもなかなか思うようにはいかない。

会社には嫌な上司はいるし、好きな人は振り向いてくれないし、友達ともコロナ禍であまり会えないしストレスは溜まるし・・・邪魔ばかり。

でも今の状況はこの世界に対して過去の自分の行為やこだわりが反応として自分に返ってきた現象なので結果である。結果は出たらおしまいです。

その結果に対してまた感情を抱いたり反応して行動を起こしてしまうとまたまた次に結果を受けることになる。そこに気づかなくて同じことを繰り返しているのが私たちなのです。

ではどうしたら良いのか。

私の話は結局単純で、上記のような状況や感情は個人としての「主観」なのでそれはそれとして捉われずに神様の目線=客観から見るようにしてその時の最善の対応をしていくこと。

そうすることによって過去に自分がした行為は現象として現れて消えていくだけ。そこに捉われたり感情を持ち続けたり、それによる行動をすることがなければ新たなカルマは生まれない。

カルマを背負っている人生なんか重たくって嫌だと言っても結局は自らの行為の結果なので魂はずっと続いていて生まれ変わりでリセットできるものではないのですね。

アカシック・レコードという考え方がありますね。どこにそんな膨大な記録が保管されるのかわかりませんが、確かに魂の記憶というか霊体として存在するからにはその記憶は続いていくものだと思うのです。

起きるものは起きる。けれども客観から見て最善の対応をすることによって悪い事は小さくて済むこともあるし、気づきの機会になることもある。

今のこの身体の脳で考えるとどうしても自己保存の本能とか損得とかで判断してしまうことになりますが、そこから少しでも離れた視点から自分も他も客観的に見て判断することがカルマに翻弄されないで自由に生きられるようになる=霊的な進化の鍵になると私は感じています。

コメント(4)

私が教わっていることになりますが、
カルマは無いけど原因−結果という法則はあるとのことで、

私も人間なので、充分に理解できて居ないということもあると思いますが、
やはり、生きるという意味が、今の段階ではまだ一部でしかないのかもしれないというか、

カルマと言うのは、受けるもので、与えるものではないという特徴ですよね。
つまり、何らかの影響下にあるという特徴。
何を言いたいのかと言うと、弱いということです。
生命力を使う、その使い方が弱い。
もっと何故使えないのか。
だから、まだ全開ではない生き方なのだということ。

地球人は、まだ、全開ではない生き方の段階だから、
それは何故かと言うと、どうすれば相手にプラスを与えられるのかという、そういう真剣さに未だ至っていない。自分のことしか出来ないから。
魂が子供なのだと思います。

霊的に成熟するということは、相手を抱える力量というのは必要なことで、
相手を抱えるというのは、相手を解らなければ、相手にも迷惑。
そして、そんな成熟を果たす為には、努力が要るのですよね。

誰もが未熟で、様々な困難を経て成熟する。
だから、今を真剣に生きよう。
全ては見守られ、真心ならばそれは神様に届くから。

だから、カルマというのは、ある段階までは、その者に取ってはリアルな、現実的なことだけど、
この大生命の世界には、本来は、無いものなのだということ。
そういうことなのだろうなと感じています。
これは知人の話になりますが、
この方は、ご一緒に学んで下さっている方で、
理学修の内に、かなりの前世をリアルに思い出されているそうで、

父親との関係が悪く、口もきけなかったこと。
しかし、ご主人と娘の関係が良好で、父娘の関係が良いことを目の当たりにして驚いていたこと。
父親が亡くなっても、関係は悪いままだったのに、
ある一線を超えればそういう関係性を引き摺ることはなくなり、死んだ後だから再び誕生するまで直せないなどということは無くなると教わっていたけれど、
最近、その父親に対するわだかまりが消えて来て、父の誕生日に、おめでとうなどと思えた自分が居て驚いたこと。

思い起こせば、この父というのが前世囚われていた時の牢番で、
自分は若くして囚われた王子だったこと。
そもそもその捕らえたのが父親であったその時の王であり、
その王が、もう誰だったかは判明しているのですが、
そうやって関係を悪くさせた者が居て、
…と、ずずずっと思い出しながら、
しかしそういう、牢番に対しても父王に対しても、そういう観念を持った自分が一番の元凶で、と、
観念の修正も進めながら、
しかし自己成長も共に進めながら、

遂に、あれだけわだかまっていた今生の父親に、お誕生日おめでとうと思えた自分が居たこと。
教わっていた、その一線を超えられたのかもしれないと話して下さいました。

私もその一線のことは教わっていて失念していたのを、友人からフォローして貰っていたのですが、
人と神の世界の境目だと御言葉があったそうです。
この一線には、遙かな差異があり、両者は全く別物で、存在が異なるとのことでした。

後になり、この境目とは、子と親であり、
欲しいものを掻き寄せて成長する子供の段階と、
そうして成長を成し遂げ、自分に固執せず周りを抱えて与え続ける親の活動の段階が、全く違うのだという意味だと解らせて頂いて行きました。

この人は、魂が子供の段階だから、必要なものを掻き寄せて、
父親についても、そうじゃない、それは違う、いや許せないと不平を並べていたのでしょう。
そして、与えられた生涯や、運命環境に対しても、それは希望に沿ってないのだと文句を言っていたろうから、そういう段階では、カルマと言う言葉がとてもリアルニ響くでしょう。
最終行の、リアルニと打ってしまったのを、一字直そうとしたら送信してしまった(^^;)
ま、いいや。短くなった方が見やすい(vv)

続きです。

でも、魂が、子供の命霊観念活動から、親の命霊観念活動に切り替わると、
同じ運命環境が、全く違う意味となり、また違う気持ちで受け止めることになります。

そこにはもはや、カルマという言葉は意味を持たなくなってしまう。

私も、父親とは冷え切った関係でした。
しかし、このちちを抱える度量を持たなければ、来世もまた絶対にご縁となり、卒業するまで関わりは続くことでしょう。
素晴らしい特質を持った魂の人でしたから、
関係は良くしてしまうに限りますが、大きな宿題です。

私もこの人の様になれるかな。
ちょっと希望を貰った語り合いとなりました。
>>[3]

いつも丁寧なコメント投稿ありがとうございます(^^)。

今回のコメントを拝見していると、めりるさんも私も結局見ているところは一緒で表現が違うだけのように思います。

本来カルマはない=カルマから自由になる

そこが目指すところですが、私たちは未だカルマの輪廻の中にいます。
因果の法則の「原因」を知り理解することによって「結果」の受け止め方が変わってくるのです。そうするとカルマから自由になる方向へ進める。

みんながカルマから自由になっていくと、この現実界が変わってくるはずなのです。

私はそのように考えています。

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