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西国観音霊場巡礼コミュの西国第二十四番 紫雲山 中山寺 【面白&お役立ち情報】

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お寺の基本情報(創建とか開祖とか)はネットやブログにたくさんアップされてるので、
ここでは、お寺の伝説とか面白い話、クチコミ、お得な事とか、ここ見といたら良いよとか
参拝される方が少しでも楽しくお参り出来たり、お役に立てそうな情報を頂ければ嬉しいです(^.^)

(写真:西国札所会様のHPよりお借りしました)
http://www.saikoku33.gr.jp/

コメント(3)

安産で有名なお寺。そんな事もあり、毎日参拝の方が多いです。
ですので、私のように読経が長いと他の方の迷惑になるので、本堂裏の大師堂でお勤めしています。
ここを参拝する方も少なく静かで、畳敷きで中に入ってお経をあげれるので、本堂では納め札だけ入れて
すぐここに来てお勤めします^^
今日は、中山寺に古くより伝わる「鐘の緒」のお話です。




昔むかし、中山寺が源氏の祈願所であった時代のこと。


多田源氏満中より数えて八代目の城主を源行綱(みなもとのゆきつな)が務めていた時のお話です。


源行綱は武勇に優れ天下に名の知れた人物でした。そのうえ観音様を深く信仰していましたが・・・・行綱の妻は嫉妬深く、思いやりのない女でした。行綱は、何とかして妻の心を改めさせようと、しきりに中山観音の参拝を勧めるのですが、妻は応じようとはしません。



やがて春が訪れました。心地よく吹く風が行綱の心をも穏やかにしたのでしょうか。


行綱が「吉野の桜にも劣らぬ美しい中山寺の桜の花見に」と誘ったところ、どうしたことでしょう、珍しく誘いに応じたではありませんか。


行綱とその妻は、たくさんの御供を従え、中山寺桜見に出かけました。聞きしに勝る桜の美しさ、建ち並ぶお堂の壮麗さに、夫人も心を奪われて、いつとはなく観音様にの前で手を合わせ拝もうとしたとき・・・・・・・・。


突然、夫人の長い黒髪が逆立ち、吹く風にあおられて、鉦に下がっている麻の緒ともつれ合ってしまいました。身体は宙に釣り上げられんばかりです。夫人は悲鳴をあげますが、御供の者もウロウロするばかりでどうしようもできません。行綱も急いで駆けつけて来ましたが、このありさまを見て


「これは、不信心な妻に対する観音様の戒めに違いない。」 と思い、阿闍梨を呼びに行きました。


するとどうでしょう・・・阿闍梨が祈祷を行いますと、もつれいてた黒髪と麻の緒は、次第に元へ戻って行ったのです。


この事があってから、夫人は今までの罪深い行いを悔い改め、信仰心の篤い生涯を送ったと言うことです。



中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る霊跡として、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました。そして今でも、この「鐘の緒」は、中山寺に保存され、安産祈願のお守りとされているそうです.




また、中山寺は子授けの観音様としても霊験あらたかです。


豊臣秀吉は中山寺に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍だそうです。  


ことに幕末には中山一位局が中山寺の鐘の緒を受けて明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳をたかめ、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を頂きに参られます。



かくいう私も中山寺の腹帯を授かり無事に出産祝したのです。


「戌の日」は、本当に信じられない位の参拝客がこられます。


駐車場など、いっぱいになってしまい待たないといけないくらいです。


ので、お詣りの目的が安産祈願ではないのであれば、「戌の日」は、避けた方が懸命かと思います。
妊婦さんの為にエスカレーターが完備されています。中山寺の優しさを感じましたね。

三十三所巡礼の起源については、中山寺の縁起である『中山寺来由記』に書き記されているらしいですね。徳道上人が62歳のときに閻魔大王から巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻され宝印を摂津国の中山寺の石櫃に納めたとのこと。
写真は、その石櫃でしょうかねえ?約270年後にやっとこの世に・・・。

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