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古代史 邪馬台国 神話 建国コミュの古代丹波王国

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若狭湾は琵琶湖へすぐ。
琵琶湖は尾張平野へ、河内へ、奈良へと続く地政学上の中心点。

そして琵琶湖へ向かうのに若狭湾は最適な海岸線です。

この湾には冠島という天孫降臨伝説を持つ島があり、また浦島伝説があります。

徐福が来たという説もあり、にぎやかないところです。

この丹後を核にかつて大丹波王国があったのではないかという話もあります。

越と近江と出雲の真ん中、丹波について語りましょう。


かつては但馬と丹後と丹波の3つのことを丹波と呼んでいました。

コメント(203)

>>[159]
ところが、ですね?常陸の印旛沼の鳥見神社の祭神が、何と「オモタル神」なんですね。記紀が言う処の第六世代の神様を奉っているのです。
勿論現在の奈良盆地にある等弥神社の祭神は大日霊貴、又はニギハヤヒなんですね。祭神の入れ替えがみられます。何故なんでしょうか?
先代旧事本紀も記事内容の多くは記紀のそれに従った物に為っています。しかし、良く読むと大きく異なる部分もあるのですね。それが、天神本紀の最初の部分です。
毎日新聞より  赤坂今井古墳について

山がちな丹後地域がこれほどの墳丘墓を築く大首長を輩出した勢力基盤は何なのか。

これを解く手がかりは丹後の弥生後期の遺跡から出土が急増しているガラスと鉄だ。
 赤坂今井墳丘墓で検出されたガラス製品の数は、勾玉約三〇点、管玉約九〇点にのぼるという。

弥生時代の一つの棺から出土したものとしては勾玉は最多、管玉も五指にはいるであろう。

計一万余点のガラス小玉が出土した大宮町左坂墳墓群、三坂神社墳墓群、美しいライトブルーのガラス釧が副葬された岩滝町大風呂南一号墓などの事例も記憶に新しい。

後期にこれだけ多量のガラス製品が見られる地域は北部九州と丹後くらいである。
 鉄とガラスには、素材を大陸から入手し、高温状態を管理しながら製品をつくるという共通点がある。

つまり、対外交渉の太いルートと先端技術に関するノウハウが

弥生後期における丹後勢力の台頭の原動力になった可能性が高いのである。

もちろん、日本海の荒波をこえる航海術が大きな役割を果たしたことも疑いない。
 その供給先を考える場合に、弥生後期の畿内地域、伊勢湾地域で製作されたと推定される巨大な銅鐸が、

ともにこの地域にもたらされていることは重要な意味を持つ。

近畿以東の集団からのこうした働きかけは、

丹後勢力の入手した大陸の鉄素材、ガラス素材が、本州島を南へ、東へと供給されたことを示唆しているからである。
>>[166]

一般論ですが、良く纏まった論文です。私も大名持やホアカリやニギハヤヒを登場させては、この辺りの事情を紀元前後の政治史を交えて一生懸命説明して来たのですがね?w
大名持はホアカリ(ニギハヤヒ)の持つこの様な才覚を見込んで彼を自分たち出雲の側に引き寄せたのです。此れがホアカリの婿入り因です。
>>[167]
ホアカリノミコトの天孫降臨地、冠島です。

別名を、大島、雄島、常世島(とこよじま)、竜宮島ともいう。

そのまま神話的な名称です。
籠神社の神職(社家)は、
古くより海部氏(あまべうじ)の一族が担っている。
海部氏とは海人族を統括した伴造氏族で[4]、全国に分布が見られ、籠神社社家はそれらのうち「海部直」姓を称して丹後に拠点を持った一族である。

一族には、現存では日本最古の系図「海部氏系図」(国宝、平安時代の書写)が残されており、

彦火明命を始祖(初代)として82代の現宮司までの名が伝えられている[5]。

また海部氏一族が丹波国造を担ったとも伝えているが[注 3]、
丹波国造について『先代旧事本紀』の「国造本紀」では
尾張国造と同祖で建稲種命四世孫の大倉岐命を祖と記し、

同書「天孫本紀」では饒速日尊(天火明命)六世孫の建田背命を祖と記すように[6]、

天火明命を祖とする尾張氏系と彦火明命を祖とする当一族との関連性が見られる
>>[169]

尾張氏系図と勘注系図とを見比べると、天火明から三世孫以降両家の繋がりは濃厚になり、終に尾張氏で一本化されている事が分かります。同じ遣り方でワニ氏や物部氏との繋がりも出来ています。
>>[121]
>『勘注系図』によれば、「大倭姫」という大和王権の女王のような名を持つ女性が登場します。
またの名を天豊姫命といい、「天」とは、天孫本流であるこの一族の姓のようなものですから、
名前は「豊(とよ)」いうことになります。
彼女の父親は、建諸隅命、私が連載している物語の主人公「タケモノロスミ」です<

その場合は崇神を3世紀中頃に設定しないと無理ではないでしょうか。
そういう説もあるけれど(崇神258年没説)、
応神がほぼ390年元年で決まりそうなので、
平均在位からしてキツいと思います。

というわけでトヨは3世紀中頃の大和盆地の最高位の女性アマトヨツ姫、
婿はスキトモ(7世紀以降に懿徳天皇と呼ばれる)だと思います。
>>[171]
カンチュウケイズ
の信憑さはどんなもんなのでしょう。
また
オキナガタラシひめのみこと
は四世紀となるわけですね。
>>[172]

勘注系図の面白さは、海部氏本系図との比較にあるのですね。本系図は勘注系図とみくらべると、12世代分の系譜が削除されている事が分かるのですね。此れは約200年分ですね。
つまり、神武と対面したニギハヤヒの存在年代を大和朝廷は何時の時代に設定するかに従って、その年代差に幅が生じて来ると言う事に為りそうです。
朝廷が魏志の記事を十分に意識して、記紀の編纂をしていた事は十分にあり得る事です。おそらく、朝廷に伝わる伝承の年代を魏志辺りの年代に比較しながら、編纂をしていたと考えられます。
正確性をを維持する為ですね。又天皇の年齢等は伝承に忠実に記載していたのでしょう。その判断は後代の人物の判断力に任せたのでしょうね。故に馬鹿な人物なら、その判断は愚かな物になるのは当然です。
>>[174]
キキを作るときに
ワジンデンヲ参照したと云うのは
たぶん
そんなことはしないでしょう。
勝手にやるでしょう。
古事記なんか完全に。
日本書記は
一応参考に見たら
女王がいてちょうこうをしているとなって
神功皇后の神功皇后年間に
二ヶ所挿入しています。

その通りなら
日本書記によれば
はっきり
確定的に
卑弥呼は
神功皇后です。
西暦に直すと239年に
倭人女王が朝貢してるとかいてます。

日本書記のこの年代、神功皇后39年が
239年であると云うのが キキノ西暦基準ではないのかな?
>>[175]

確かに神功は半島に進出していますが、朝貢の為ではなく、新羅に攻め込む為に半島進出をしただけです。
少なくとも日本書紀の記事に従えばの事になりますが。多分後代の学者が盛んに神功皇后を後の斉明女帝に比定して来た事の影響等に依ると思われます。

八世紀の朝廷が苦虫を噛み締めながら、如何にも不自然な欠史八代の天皇を記載せざるを得なかったかを想うと、簡単にデタラメな記事を書いたとも思われないのですが。
>>[172]
なんか変な文章になったのでもう一度。

勘注系図に日女命と弟彦が出てきます。
これはもう、明らかな「かまし」でしょうねw
倭人伝を知ってた人たちが後付けで挿入したのでしょう。

だからと言って、他の部分は別に詐称したとは思えません。
これは、先代旧事本紀を本居宣長らが偽書としたからと言って、
全部偽物あつかいするのではなく、
付け加えた部分もあるが、
全体的には信頼できうる書であると言う風に捉えられないかと思うのと同じなわけです。

上田正昭さんが先代旧事本紀復権という本を書いておられたのもそういう事だと思います。
>>[178] 本居宣長は
邪馬台国は
八女の近くの
山門だといってるけど、
それはみんなスルーするのに
センダイクジキは
そうやって
権威にして否定なんですね
>>[176]
半島に行ったということではなく
日本書記の
神功皇后記に
ちゃんと
ワジンデンヲ
引用してるんですよ。
あんまり有名でないですが
はつきりと二ヶ所。

日本書記では
神功皇后が卑弥呼なんです。

日本書記を、分析する後の世の人は
時代が合わないと云うのですが
710ネンゴロニ
日本書記を、作った人たちは
卑弥呼とは神功皇后のコトだと
明確に
決めてたわけです
>>[175]

神功皇后については、奈良盆地に神功の地名が残っている事を知っています。地名として、現在に至る迄残っていると言う事は神功皇后その人がその地に実在した可能性は高いと思います。一種の記念碑的なものです。地名や神社付きの伝承は。文字の無い時代に記録として遺す良い方法は、親から子供への口伝ですからね。
>>[180]

記紀の編者達は匂わすのが得意ですからね。しかも匂わしながら、ボカシもしています。要は魏志の記事に通じる様な事は何一つ明確には記載していない筈です。倭の五王の半島進出については、記紀には一切触れていませんからね。都合の悪い事でもあるのでしょうか?
倭国大乱についても同じです。
>>[182]
だから
そのまま
ワジンデンヲ
引用してるんですよ
神功皇后のジセキとして。
ワノゴオウは見事に書いてませんが。

神功皇后年間 39年。
魏にチョウコした。

明確にではなく
そのまま引用してるんですよ。
>>[182]    
わかります?
日本書記神功皇后記の
39年から。
倭人伝の引用があるんですよ


卅九年、是年也太歲己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守��夏、遣吏將送詣京都也。」

卌年。魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」

卌三年。魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」

後世の研究者が
卑弥呼やトヨが、女で
神功皇后が、女であるから
間違って同じだとしたとか
適当に同じにしたとかやってるんですね。
日本書記では卑弥呼は神功皇后。、、あるいは
神功皇后の時代にいた倭の女王であるとされています
>>[180]

神功皇后(オキナガタラシヒメ)
第五代孝昭の皇后(ヨソタラシヒメ)

おそらく、両者は尾張氏の出自を持つ同族の女性だったのかも。この辺りの関連から、ヨソタラシヒメの代わりとして、神功紀に卑弥呼の記事を記載したのかもしれない。

>>[188]
あの日本書記の箇所は
二通りの考え方ができますね

神功皇后が卑弥呼だという認識が700年頃にはあった

女王と言えば神功皇后しか大和高田王権にはいないから
そこに挿入した

つまり卑弥呼は大和と無縁の倭王の可能性があります

710年には
大和以外に例え昔のコトでも
シンギワオウがいたなど認められない

これがその通りなら神武は最初、この湖畔の湿地で戦いぼろ負けしたということですね。これは背後からつくしか勝ち目はないということで熊野までいって迂回した。
確かにこの湖畔沿いで地元の勢力と戦うと負けるでしょう。
だからやはり、ナガスネ彦は、この長洲だらけの湖の勢力ということで
長洲根彦だったのでしょう。
古代は丹波が鍵を握る
出雲と近江とナラと尾張を結ぶ丹波。
ワ=かさ
来たり行ったりの古代百済語だという。
>>[189]
この様にかんがえれば?
朝廷は卑弥呼が如何なる人物かは十分に理解していたが、しかし何等かの理由でそれを記紀に記載する事は出来なかった。それでやむ無く神功皇后に比定した。そしてその理由は卑弥呼が欠史八代の天皇の時代の人物であることを理解していたからです。であるならば、八代の天皇の事蹟を書けなかった理由と同じ理由で、代わりとして後代の神功に比定せざるを得なかったと言う事ですね。
朝廷は魏志の記事内容を年代も含めて、卑弥呼について十分に理解していたと思います。私が記紀編纂に当たって魏志を下地に利用した、と言う意味はこの様な事を指しています。

>>[189]
以前安本先生の邪馬台国東遷説について触れた事がありますが、先生は古代の天皇の任期は約十年位と申していました。大した洞察力です。感服しました。そして倭国帥升が大陸に朝貢したのが紀元107年ですね。そして一代十年として、その間に倭国大乱が約40年として計算すれば、90年、倭国大乱が146年から189年に終わっていますからその間は43年です。43年を加えると133年です。此れに107年を加えると西暦240年代になります。略卑弥呼の時代に合致しますね。朝廷の系譜では孝霊の時代となります。そうです。卑弥呼とは孝霊の娘福姫です。そしてこの事は孝霊伝承に暗示的に記載されています。
>>[178]
勘注系図の核心部は何と言っても、日女命の存在です。卑弥呼を日巫女として解釈すれば、魏志の記事が蘇り、それを記紀の記事に記載されている孝の頭文字を持つ天皇の記事中に対応すれば、見事に記紀と魏志の関連性が浮かび上がってきます。勘注系図の作者はその目的の為にこの系図を作ったのです。
八世紀の朝廷は記紀編纂に当たって海部氏につたわる系図の一部訂正を求めたのかもしれません。その事実が海部家に伝承されてきたのでしょう。そして江戸期に国史の問題が浮上したときに、敢えてこの系図を作成して、あらためて世に問うたのですね。
国史派の本居は旧事本紀を偽書としたのは現天皇家の名誉を傷浸けかねない内容が旧事本紀に有るとみなしたからでしょうね。


>>[178]
カマシをいうならば、カマスその動機なり、理由を述べる必要が生まれます。例えば津田左右吉が欠史八代を架空の天皇と決めつけた動機は、事蹟の無い人間等は存在しない筈だと考えたからですね。
>>[114]
残念です。w
赤坂今井古墳は三世紀前半につくられたものです。又豊姫は三世紀半ばの人物ですから、時代的に不整合となりますね。
海部族は丹後にもいますが
実は大分県の宇佐北岸、県の南岸などにもいます。
エーベルさんが行かれた大分県の古墳はあまべ氏のものですね。

すると
海部氏というのは丹後に特有なものではなく
西日本の各地の沿岸にいたのではないですかね。
海人族として列島の海岸で交易してた一連の部族の総称だったのかも
しれないです。
>>[201] これです。とてもいい古墳ですが。わたしの家系も大分県の海部氏ですのでね。
古代丹波地方、とりわけ若狭湾は古代史の鍵のひとつだと思います

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