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哲学 Φιλοσοφιαコミュのコギト・エルゴ・スム

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ここにいる方は哲学にかなり詳しい方達が多いので、質問するのも恐縮なんですが、、、

僕が二十歳の時に何故、自分が存在してると言えるだろうと、ぼんやり思って過ごしていた時に、たまたまデカルトのコギトエルゴスムを知り衝撃と納得感を得ました。

コギトエルゴスムが間違っている?と唱える哲学者もいると聞いた事があるので、皆さんはコギトエルゴスムについてはどう思いますか?

コメント(54)

>我がどういうわけか構成されている

主体の本質がスルーされているとことでしょうか。

私は哲学するというより、哲学を分析して論じるタイプで哲学するは苦手ですが。
>>[15]

つまり、哲学評論家です。
自分でするのは、絵を描く、音楽する、多少神学する程度です。(^^;。
>>[15]

>主体の本質がスルーされているとことでしょうか。

主体の本質たるものが果たして実在するのか? ということではないかと思います。所与のものをそのまま「私」としてしまってよいかということです。

ちなみに仏教では、それは「無」と表現することになっています。
>>[17]

今晩は失礼します。

>主体の本質たるものが果たして実在するのか?

レスをありがとうございます。

>仏教では、それは「無」と表現する

「無」というのもまた、深い思想ですね。
「わたし」を構成するものは、先ず名前、身体・職業・家族・住所・財産・友人・・・その他もろもろということになります。こういう「わたし」を「生態学的自己」と言います。つまり世界に広がった事物同士の関係における結節点だということです。

しかし、こういう「わたし」の定義は欺瞞だという考えもあるわけです。「見る」ことを例にとって考えると、見ることには対象と主体があるはずだと。見られるものは決して見るものではない。
そうすると、名前とか身体とかは対象物であるから、それらはどれも「わたし」ではないことになる。「見る」ことで言えることは「考える」にも応用できるので、「それはわたしではない」を極端に推し進めれば、「わたし」は一切の性質を持たず世界に属していない「世界外存在」で、眼の穴から世界を覗き見る得体の知れない何か、だということになる。純粋形而上学ですね。
では「性質なき自己」において「見る」や「思う」が成り立つかが問題ですけど、それは当然成り立たない道理です。見るも思うも、具体的な場において具体的なもの同士が出会うこと、つまり対象が頭の中の観念に結び付くことあるいは観念と観念が結びつくことだから。
>>[20]
自分の言葉で表すと自己は関係性の中に存在するということだと思います。
余り、入り込むと疑似科学になりますが、量子の存在と同じで他人、世界といった対象との関係からだけ自己を認識できる気もします。なぜなら、自己は世界の一部だからです。
他の存在との関係性に趣をおくのが哲学で、超越的な存在に趣をおくのが神学かもしれません。
>>[21]

関係規定。あるいは関係の第一次性というのがそれですね。
マルクス、ソシュール、ヒルベルト、カッシーラーなどをあるていど知ってる人にはそれは自明なんですが。もっと言えば大乗仏教から言えばそっちのほうがわかりやすい。しかしそれには注意が必要です。

われわれ東洋人というのは人間を自然に、自我を集団に溶解させるのが普通の在り方です。しかしそれは、集団を実体化して個人をその分肢と考える、もう一方の極端に引き寄せられやすいわけです。これは全体主義です。

個の魂の神聖、個人の尊厳はキリスト教の専有物ではもはやないでしょう。立憲主義でも民主主義でもそれなしにはありえないわけですから。

ですから、デカルトのような考えは素通りはできない。
>>[11]
こっちのトピはうっかり見落としてました
原作者は「記憶」というものに特別なこだわりがあったようで
同じテーマでの小説は他にもあります
心・魂・精神という諸概念と「記憶」との関係を考えると
仮に人造人間(アンドロイド)がいるとして
それと人類との間でいったいどれほどの差があるのか?
そんなことを考えずにはいられなくなりますね

我ある、故に我思う、が科学的に証明されるかもしれません。まだ、量子論の仮説ですが。
http://www.epochtimes.jp/2017/02/26796.html

誰にも小さいときから何か存在しているという意識はあったと思います。私が聞いた限り、皆同じです。
しかし、色々な経験、記憶によって自己が出来ていく訳です。

ランザ博士の説は量子論の二重のスリットの実験の先にあるとされますが、二重のスリットは以下にあります。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/二重スリット実験

このスレヘの説明は以下ですが。
まだ、難があるようなないような?
http://tocana.jp/i/2017/01/post_12042_entry.html
>>[35]アリアさん
少し補足します。
>我ある、故に我思う、が科学的に証明されるかもしれません。まだ、量子論の仮説ですが。
我があるというのは、勿論、脳や身体、肉体が先にあるという唯物論でありません。
科学哲学で少し触れたように、先に意識があり、事実が、事物がある、少なくても認識されるという唯心論です。
wikiに「哲学の原理」のなかなかのまとめがあります。
「哲学原理」
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b270788.html
https://archive.org/details/uvresdedescartes08desc
※※
機械論的世界観
デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。

更にデカルトは、見出した物理法則を『世界論』(宇宙論)において宇宙全体にも適用し、粒子の渦状の運動として宇宙の創生を説く渦動説を唱えた。その宇宙論は、

宇宙が誕生から粒子の運動を経て今ある姿に達したという発生的説明を与えた
地上と、無限に広がる宇宙空間において同じ物理法則を適用した
という点で過去の宇宙論とは一線を画すものであった。
※※
岩波文庫の「哲学原理」のなかなかの要約がありました。
http://sendatakayuki.web.fc2.com/etc5/syohyou208.html
本来は原典と完全版のちくま学芸文庫を読んで論議すべきかもしれませんが、皆さんも社会人と思われるし、岩波文庫のそのまた、要約位が精一杯と思います。
若きデカルトが、疑えるものは疑って疑って、片っ端から疑って、その存在が疑えないようなものなど何も無いかのような所まで来た時に、
「こうして疑っている自分、物を考えている自分はいるじゃないか!」
と思い至った。

しかしこれは肉体付きの自分を言っているわけではなく、あくまでも考える自分、精神としての自分はいるのは間違いないという気づきですね。

>若きデカルトが、疑えるものは疑って疑って、片っ端から疑って

「哲学原理」桂訳、岩波文庫。
人間認識の諸原理について

一(真理を探求するには、生涯に一度はすべてのことについて、できる限り疑うべきである。)
我々は幼年のとき、自分の理性を全面的に使用することなく、むしろまず感覚的な(?に)事物について、さまざな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識から妨げられている。これらの先入見から解放されるには、そのうちにほんのわずかでも不確かさので疑いのあるような、すべてのことについて、生涯に一度は疑う決意をする以外ないと思われる。43ページ
**
訳文を見てもスコラ哲学の文体に似ていますね。

哲学原理はラテン語原典でフランス語は自ら監修で多少違う?
>>[41]

文体のことはわかんないですけど。彼は自分がスコラ哲学から離れているなんてことは全く思っていなかったと思いますよ。
自分の中に、「当たり前だ」という形で抱え込まれてしまっているさまざまな信念や観念、イメージ、考えなどを、一度すべて棚卸しして、果たしてそれを信じ込む時に私は本当にしっかりとした検討を加えた上で初めて受け入れただろうかと、さかのぼって徹底的に問うことは、真理というものを把握したいと思う者にとって、ぜひとも必要な作業ですね。
自分が当然のように信じてきたことのうち、あれも疑える、これも疑えると考察を重ねるなら、考察をこのように主導している自分はある、いや、もっと正確に言えば考察を展開したり構築したりする考察の統御者としての自分、すなわちそのような意識の中の一つの統御者たる自分というものは疑えない・・・ということでしょうか。
デカルトは『省察』において、精神とは「思惟するもの(res cogitans)」であるとし、「われは存在する。それは確実だ。ではどれだけの期間か。われが考える期間である。なぜならば、われが考えるのをまったくやめてしまうなら、われはただちに存在するのをまったくやめてしまうということがおそらくあるからだ」と言う。
とても回りくどい言い回しをしているが、ならば、睡眠中、自分は何も考えていなかったという人は、その間、存在しなかったのか。

デカルトは言う。精神はその本性上、睡眠中も実は思惟していたのだ。ただ、深く眠っている人の脳は思惟の痕跡を残しておくことができない。思い出すとはこの痕跡に立ち戻ることを言うのだが、その痕跡が残されていないために、目覚めた後、睡眠中の思惟を思い出せないだけなのだ、と。
デカルトがいろいろな物事を疑えそうなものはすべていったん疑ってみて、どうしても疑いえない地点から再出発しようと考えてたどり着いた「われ思う」は実は疑いえない根本的事態なんかじゃなく、
本当は「思いがあるなあ」という把握こそが先行する根本的事態であって、「これは私が思っているんだなあ」と主語を引き入れることは反省的な二次的言明でしかない。
大変な亀レスで申し訳なく思います。

昨日初めて読んだのですが、デカルトが監修訳した仏版「哲学原理」には仏版序文があり、ラテン語版桂訳にもありました。
仏では仏版はリセで用いられるようです。
他でもレスしましたが、哲学の定義があります。
「私はその(この)中で、まず、最も普通のことから始めて、哲学とは何であるかを説きたかったのです。すなわち、この哲学なる言葉は知恵の探求を意味し、知恵とは単に処世の才能ではなくして、生活の思慮についても、健康の維持やあらゆる技術の発展についも、人が知り得るすべての事物の、完全な知識を意味すること、そして、この知識がかようなるものであるためにはそれが第一の原因から導き出されることが必要であ」る。(「哲学原理」桂訳、14ページ、底本はラテン語版だが冒頭に仏翻訳者への手紙あり。
フリーの仏版にない?
フランス版
http://www.unicaen.fr/puc/sources/prodescartes/consult/descartes/Oeuvres/Traductions/principes.xml/principes_dedicace_2
今は便利ですね。私が学んだ頃はコピー配布で、段々見にくくなり(^^;
>>[48]

空白のあとの第二段落から始まります。
小文字で始まり、大文字のPrinccipeまで。
;以下は本来は以上の補足、すなわち〜
I’aurois voulu premierement y expliquer ce que c’est que la Philosophie, en commençant par les choses les plus vulgaires, comme sont, que ce mot Philosophie signifie l’estude de la Sagesse ; et que par la Sagesse on n’entend pas seulement la prudence dans les affaires, mais vne parfaite connoissance de toutes les choses que l’homme peut scavoir, tant pour la conduite de sa vie, que pour la conseruation de sa santé, et l’inuention de tous les arts ; et qu’afin que cette connoissance soit telle il est necessaire qu’elle soit déduite des premieres causes, en sorte que pour estudier à l’acquerir, ce qui se nomme proprement philosopher, il faut commencer par la recherche de ces premieres causes, c’est à dire des Principes.
私は文系は好き嫌いからくる得意不得意があり、経済系は資格だけで簿記、金勘定がだめで、人文も正直、新約、旧約文書、古典は得意だけど解釈は苦手、つまり純粋の哲学は苦手ということです。まあ、自分の信条、思想が丸出しになり、視線が冷たくなるという心情が大きい(^^;
古典の中でも、ドイツ系は、森の奥に住むゲルマンの叫び声が感じられ、本来はあまり好きでなかったのですが、忍びがたきを忍び、翻訳はできるようになりました。
話がそれた。49番台のレスをします。
>>[44]
「 本来の意味での哲学をする、と呼ばれることの獲得勤める為には、これら最初の原因すなわち原理の探求から始めねばならねこと、また、これらの原理には二つの条件がなければならない。つまり、一つは、それらが明確に自明であることであり・・、もう一つはこれらの原理に他の事柄の認識が依存することである。・・ 」

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