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アメツチの言霊現象学コミュの父韻学。石柝(いはさく)の神の初めの時

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 イハサクのイは五(イ)層の意識のことですが、イザナギのイのことでもあります。イザナギとは各人自分のことで、自分の意識が五つの次元層になっていることでもあります。机の上にりんごがあると分かったという場合、その分かったことが五層のどれかの層に属していると同時に、りんご自体に五層の分かり方があるのを了解することです。
 こういった言い方は現実に進行する了解の仕方と違うように見えます。それは現象結果としてあるりんごを食べたい欲求等が現に今あってそれに捕われているからです。古事記は常に現象の元々の経過を探しています。出所が分かれば思い付きやお気に入りなどによる判断は必要でなくなります。
 ですのでりんごと分かった分かり方に五つあることと、りんご自体に五つの違いをもたらすものがあるということになります。
 (しかし現実にはあるということに関する解釈と所有欲とそこから起きる闘争・競争がこの世を動かしています。古事記はこいった地獄・黄泉国を次元上昇とか神に近づくなどというものによってでなく、当たり前のありかたによって進歩する社会を創造しようとするものです。)
 この判断をもたらすのが湯津石村と呼ばれる判断基準ですが、日常生活では直ちに出てくる判断に対するその判断のお互いの現象と現象の進行ですので、百神の経過など待ってはいられません。どうすればいいのかは、なんということでしょう、やはり、百神の終了まで待たねばならないようです。更にこの段落は自覚された主体意識の運用中ではなく、湯津石村に対比してみるとイハサクが出てくるというものです。

 主体的に活動することの最初に自分に気づくことは何でしょうか。色んなことに気づき気づかされ気づいたことが最初に気づいたものとなるようで、何がと言うような決まりは無いとも取れます。しかしそれは現象の多様な現われのことで、現象を対象とすれば十人十色各人それぞれの混乱の中から抜け出せません。当たり前のことを当たり前に見ていくと当たり前のことが原理法則となります。

 しかしそれには注意が必要で、十人十色の混乱した話からすっきりした原理の話になるときに、個別現象をそのまま原理に押し込まないということです。その反対に、自分をあらわすのに自分で自分をあらわすことはできませんので、現象を原理だけで解することも無味乾燥したものとなります。

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