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アメツチの言霊現象学コミュの父韻学。ミツハノメ。イウマリ。

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弥都波能売(みつはのめ)
 実津葉の眼(みつはのめ)。実質内容(み)に渡す(つ)言葉(は)に成る意識(め)。
 ここでこれまでのことを父韻で記述できるか試みてみましょう。安万呂さん以降、島田正路氏が見せた父韻の展開を除いて世界初公開ではないのでしょうか。本当にそんなことが出来るのか心配です。手繰り、組素、五埋(いう)まりの三つの意識活動が出ています。活動のあるところに父韻ありです。

手繰り。。たぐりの始めはたぐりがあるかないかです。あればたぐりの実体内容がありそのあり方が現われています。この現われ方は以下のようです。
言霊チの力動韻の現有の働きによってたぐり。
 言霊イの力動韻の持続の働きによってたぐり。
 言霊キの力動韻の収集性の働きによってたぐり。
言霊ミの力動韻の執着性の働きによってたぐり。
 言霊シの力動韻の保存収縮性の働きによってたぐり。
 言霊リの力動韻の拡張性の働きによってたぐり。
言霊ヒの力動韻の表面結界性の働きによってたぐり。
 言霊ニの力動韻の中心への収束性の働きによってたぐり。
 これらの父韻の働きによってそれぞれの父韻がたぐりの母音世界に働きかけたぐりの現象が現われます。この論考の父韻とは何かについても同様です。もっぱら父韻とは何かの疑問の解明が目指すところなので、知識次元全体の意識の上に乗っています。使用される言霊の多くは言霊キミの収集性と執着性を軸として、その上下に他の次元世界がきます。
 興味関心を引いたお気に入りに則ってあるいは学問知識にとって重要と思い込むことに沿って、材料となる金山は積まれていきます。しかし元々が過去概念とそれへの思い入れの執着でできたものです。たぐることで出来る金山が上記の父韻の働きで八つの結び付き方の、そして表現の違いとなって現われます。通常考えたり書いたりしていると思考が自然に進行発展しているように感じます。しかしそれは上記のいずれかが無意識に無自覚に選ばれていて、それが展開しているのです。その展開の中で修正改良が行われていくので最初から全てが見通しされていません。八つの結び付きが全て考慮されたわけではないということです。(古事記の記述に沿っていけば理想の形が出来ていくと期待しているところです。)
 ということで、たぐりに成りませる金山神は八面相を持つことに成ります。普通に言われる意見の相違として自分の意見があるかのように主張される元となるものです。古事記によって種を明かせば八分の一だけでもって八分の七までも主張した積もりになっているというわけです。

言霊チの力動韻の現有の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は目前にあるものから得られた五感感覚そのものを表記した金山になります。
 言霊イの力動韻の持続の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は目前にあるものから得られた五感感覚の持続したものを表記した金山になります。
 言霊キの力動韻の収集性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は在ったものを現在に収集収納しようとする働きを表記した金山になります。
言霊ミの力動韻の執着性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は在ったものに自分を置き換えようと現在に執着しようとする働きを表記した金山になります。
 言霊シの力動韻の保存収縮性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は在るものをイマから静め落ち着かせ調和させようとする働きを表記した金山になります。
 言霊リの力動韻の拡張性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は在るものを未来に広め置き換えようとする働きを表記した金山になります。
言霊ヒの力動韻の表面結界性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は現に在るものが現在という表面を開花・開発しようとする働きを表記した金山になります。
 言霊ニの力動韻の中心への収束性の働きによって手繰り(たぐり)に成りませる金山は現に在るものが成熟において内部中核へ吸引されていく働きを表記した金山になります。

 こうして八つの言霊の力動韻が五つの次元世界に働きかけるので、金山神と言う総称の元に金山神自身が四十の金山神の変化を遂げることになります。(以下の各言霊神についても同様)神名としては一つで統一されていますが、各神はそれぞれ四十面相を隠し持っています。

 次の組素、五埋まり、以下各神とも同様ですので繰り返さず、適用するものを変えてみましょう。


 父韻とは何かの適用で。
 組素。。始めは組むか組まないかです。組まれていれば組まれているものの実体内容がありそのありかたが現われています。この現われ方は波邇夜須の神においては以下のようです。

言霊チの力動韻の現有の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は目前にあるものから得られた五感感覚そのものを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、今あるものが今あるとする五感感覚で得られた整理材料(仮名山)をそのまま父韻として疑問にしてしまい、安定した疑問とする。
 言霊イの力動韻の持続の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は目前にあるものから得られた五感感覚の持続したものを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、今あるものが現にあり続けると確認された五感感覚で得られた整理材料(仮名山)をそのまま父韻として疑問にしてしまい、安定した疑問とする。
 言霊キの力動韻の収集性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は在ったものを現在に収集収納しようとする働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、在ったものを今に収納しようとする過去の概念知識を引き寄せ、それを安定した疑問として提出しようとする。
言霊ミの力動韻の執着性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は在ったものに自分を置き換えようと現在に執着しようとする働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、在ったものに自分の今を置き換えようとし、あったものに今の自分が引き寄せられて得られた概念知識を安定した疑問として提起する。
 言霊シの力動韻の保存収縮性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は在るものをイマから静め落ち着かせ調和させようとする働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、現にあるもの有ったものから得られた材料意識を今まさに地に設置したという安心を持った疑問として出されます。
 言霊リの力動韻の拡張性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は在るものを未来に広め置き換えようとする働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、現にあるもの有ったものから得られた材料意識を以って、置き換え広めるのに安心を持った疑問として出されます。
言霊ヒの力動韻の表面結界性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は現に在るものが現在という表面を開花・開発しようとする働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、今得られているという表面全体を結び付けれるという安心感を得た疑問となります。
 言霊ニの力動韻の中心への収束性の働きによって屎(くそ)に成りませる波邇夜須は現に在るものが成熟において内部中核へ吸引されていく働きを表記した波邇夜須になります。父韻とは何かなら、今得られているというものの内部中核へ吸引されていき、全体が結実されるという安心感を得た疑問となります。

 こうして八父韻のお蔭で主体側の意識内容が現れます。
 次の記述は次に尿(ゆまり)に成りませる神の名でゆまりを五埋(いう)まりとしました。心の五つの次元世界が余すところなく埋め尽くされるということで、意(五)志、意埋まり、イとウがつまってユまりということになります。弥都波能売(みつはのめ)が成り出てきます。
 実津葉の眼(みつはのめ)と読み替えると、実質内容(み)に渡す(つ)言葉(は)に成る意識(め)となって前二(主客で四)神の内容が現われたものとなります。意の満たされた形が出来てきました。仮名山を集め、組み合わせて、意が満たされ、次いで大枠の内(和久産巣日の神)で持ち来たらせられる新たな材料(豊宇気毘売の神)にも対処できるようになります。


 五埋(いう)まり。。
 始めは組んだものが実体内容を現すか現さないかです。現されていれば現されたものの次元も他の物事の次元もその成り方が現われています。この現われ方は以下のように意が満たされるでしょう。意を満たし埋めることで実津葉の眼(弥都波能売)が成り出てきます。ミツハのミは意識の実質内容の実・身のことで父韻の働きによって出てきますが、この段階では父韻は自覚的に自由に使用できる段階にありません。先天の力動によって無自覚に出てくるものに従っています。到底自分の意見だといって主張できるようなものではありません。しかしそのこともまた無自覚ですから出てきたものが自然と自分のものに成っていき、そのまま自分の主張となってしまいます。
 意識して頭を回転させてみると確かに言葉の連続や思惟の流れを創造していると感じられることもあります。しかしそれは現象の現われを見ているので現象が出てくる現場を見ている訳ではありません。わたし自身にしても文章が続いて出てきますが、自分で考えているかといえば、書き現したものは直ちに自分に回帰し反射され了解されたものとして、最初から自分が考えたように文章が出てくる積もりでいます。しかし心象、物象としての頭を過ぎる言葉を使用しているだけです。それらが何故どこからどこへいくものとして出てきたのか知りません。出てきた時には自分のものとなっているだけです。
 つまり八父韻のどれがどのように働いて、今という時に出てくるかは知りません。人は自分の出所も知らないのに自分の意見だ考えだと騒いで闘争までします。

言霊チの力動韻の現有の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。父韻という意識や言葉と結び付く五感感覚で確認できるものを得ようとして、父韻とは何かという疑問が出てきました。
 言霊イの力動韻の持続の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。父韻という意識や言葉と結び付く五感感覚で確認できているものの持続を得ようとして、父韻とは何かという疑問が出てきた。
 言霊キの力動韻の収集性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。過去に概念化されていた父韻という意識や言葉の記憶に結び付くように、父韻とは何かの疑問の矛先を向けて疑問の結び付きを得ようとする。
言霊ミの力動韻の執着性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。過去に概念化されていた父韻という意識や言葉の記憶として在ったものに自分のイマを置き換えようとして、自分の意を結実化したものとして埋め満たそうとしていく。
 言霊シの力動韻の保存収縮性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。父韻という知識が有っても無くても自分の提起している疑問が疑問として正当であるという意を満たしそれが静まるように適合するものを選択していこうとする。
 言霊リの力動韻の拡張性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされる埋までしょう。疑問としてあるものそのものを今後の未来に広めると同時に、父韻とは何かをイマから他者の未来に広め置き換えようとする選択していく。
言霊ヒの力動韻の表面結界性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。父韻とは何かという疑問がそれ自身の疑問の表面を覆い尽くす解決を探そうとするでしょう。
 言霊ニの力動韻の中心への収束性の働きによって父韻とは何かなら、次のように意が満たされ埋まるでしょう。父韻とは何かという疑問がそれ自身の疑問の内部中核を形成するような解決を探そうとするでしょう。

 こうして各自の安定した意識の元で満たされたものが自分の意識となってきますが、次にはあったものによって出来上がるものとして意識規範が働き始めます。そのまま規範となっていきますからそれを保持していれば他からどんなものが進入してきても、対応でき適応可能なものとしての自分の意見が出来上がります。
 その関係を神名で示したものが、次に和久産巣日(わくむすび)の神。この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふになります。食事を受けて身体ができていくということになります。
 しかしここではあったものによって出来上がったものが主です。肝心な重要な足りないものがあり、それが創造において父韻を働かすことです。黄泉国から帰ってきた後の本丸となります。
 とりあえずは順序通りにいきましょう。

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