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ネコでもわかる経済問題・掲示板コミュの将来におけるインフラについて

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ブルーオーシャンの掲示板で、将来のインフラに関する話題になったのですが、記事との関連性からいって、話がどんどん本筋からずれてしまうので、こちらに自分の感想などを書こうと思います。

将来のインフラに関する、一つのアイディアとして「生産手段のインフラ化」が出ました。

生産手段がインフラ化(無料化)して誰でも自由に利用できれば、自分の必要に応じて自分の思い通りの製品を自由につくれます。そうすれば既製品として作られる商品が売れ残って廃棄されることもなく、資源の活用が有効ではないか、また製品を作るために利用した資源の代金のみを支払うようになれば良いのではないか。

のような主旨でした。

コメント(123)

>>[83]

>技術の向上が悪いのではなく、無理やり需要を作り出し消費させないといけない部分は悪いと思います。資源が足りなくなり、環境破壊にもなります。

その通りです。本来、必要な物資が手に入れば、我々は十分生きていけるのですが、今の経済システムだと、その物資を得るために、まず、「おカネ」を手に入れなければならないことになっています。

本来は、必要な物資を得るための努力があれば、それだけで十分なはずなのですが、おカネを得るために、あらゆるくだらないことをやらなければいけないような、システムになっているわけですね。非常にムダなことをやっているわけです。

ですから、おカネではなく、必要な物資を自ら作り出すための「技術」を配ったらどうか、と僕は考えています。金魚様のお考えと一致していますでしょうか。
この問題は難しいと思いますから、そんな簡単に結論は出ないと思います。わたし、正直、疲れちゃいましたw。あまり考えすぎない方が良いです。私は心臓がなんか変なので、最近病院に行って検査したくらいです。たぶん、考え過ぎが原因です。ほどほどに、半分冗談で考えましょうよ。焦りは禁物ですよ。敵は手ごわいですから、長期戦でやりましょう。

お酒飲んでるので、無礼講で言いますと、正直言って、農家とかやってみたいっすよ。もちろん体が弱いので無理ですけどね。なんで俺、神経すり減らして、こんな経済のこと考えてるんだろ。アホだな。世の中のクダラナイことなんか、ぜ〜〜〜んぶ忘れて、植物に打ち込むなんて最高じゃないですか。なんて、たぶん「そんな甘いもんじゃねえ」と怒られますけどw。
>>[86]

そうですね(笑)。僕もちょっと、頭を使いすぎたような気がします。少し精神状態がおかしくなっているかもしれません。

当分、難しい話はお休みということにしませんか。お互いの健康のために(笑)。
>>[88]

ありがとうございます。それで、もし難しいこと考える場合は、具体的に自分のアイディアを、こんなこと考えてますけど、どうでしょう、的な話として出すわけです。それで、それをどうやったら実現できるのか、互いにアイディアを出し合えばストレスが少ないような気がします。

おそらくアイディアというのは未完成ですから、まず欠点だらけなのは間違いありません。それを指摘するのは簡単なんですが、だったらどうすればいいのか?についてはかなり難しいんです。だから、結果的に問題を指摘するだけで終わる可能性がありますが、少なくとも、どうやったら実現可能かをみんなで考えるのは意味があると思います。

自分も、どうしても人の意見の欠点に目が行くので、注意が必要です。たぶん、日本人は潔癖症なんですわw。でも、それだけだと、後味が悪い気がするんですね。相手の役に立たないとだめなんです。これは自分の反省ですね。

とはいえ、これはイメージ論なので、実際には、そんな簡単なもんじゃないですけど。いつも試行錯誤です。
>>[89]

そうですね。未来のシステムについて考えるわけですから、あまり細かいことを考え過ぎると、発狂してしまいます(笑)。

荒唐無稽でもいいから、どんな未来を思い描いているのか、というのを、お互いに確認しながらでないと、どんどん食い違っていくだけかもしれませんね。
>>[90]

ところで話が大きく戻りますが、砂漠の緑地化に関することで、教えていただきたいのです。

福岡先生の砂漠の緑地化に関して、完全な砂漠の土地が緑地化可能なのでしょうか。あるいはそれは無理だけど、、稚拙な農法によって砂漠化した土地、あるいは過度な放牧によって砂漠化した土地を回復することが可能なのでしょうか。

世界的に砂漠化が進行しており、世界の農地の荒廃も深刻だとTV番組で見たことがあるので、経済システムの問題と同時に、こっちの問題にも興味があります。人口爆発と食糧危機の問題は、本当は深刻なはずなのに、なぜかマスコミが騒がないのは不思議です。2000年頃の番組でしたが、おそらく今でも何も問題は解決していないのではないかと思うのです。

お時間のある時にでも、福岡先生の緑地化について、教えていただければ幸いです。

>>[91]

砂漠の緑地化について、僕も詳しいことは何も分かりません。僕が知っているのは、福岡先生が相談役としてあちこちの国から呼ばれていたこと、そして、どの国においても、粘土団子によるタネのばらまき、という方法を取られていたこと、そして、砂漠の緑地化には膨大な時間がかかるが、できるだけ多くの種類のタネをまぜてばらまくことにより、その期間をはるかに短縮することが可能である、と福岡先生が断言しておられたことぐらいですね。今の時点でどれぐらいの成果が上がっているのかとかも、全く分かりません。

ただ、僕が自然農をやってみた経験から考えると、自然が本来の豊かさを取り戻していくためには、本当に気が遠くなるほどの時間がかかる、というのは、確かです。

なぜかというと、自然は、時間が経過すればするほど、「豊かさ」というものを蓄積していけるようなシステムになっているからです。

たとえば、草一つ生えていなかった地面に、草が生えるようになると、「根酸」という、植物の根から出される排泄物によって、草の根の周りに微生物が生まれるようになります。やがて、草が枯れると、その養分は地中の微生物や、ミミズなど(ミミズがいればの話ですが)によって分解され、より多くの草が生えるための「土台」となります。しだいに多くの草が生えるようになってくると、その草の葉や、蜜や、実を求めて、多くの昆虫や、小動物が集まってくるようになります。そういった動物というのは、植物が生み出した有機物や、あるいは植物のタネを遠くに運ぶことにより、より広大な生物圏を生み出すための「土台」となります。草がたくさん地面に生えるようになり、雨がたくさん降るようになると、やがて木が生長してくるようになります。木は地中深くまで根を伸ばし、植物が必要とするミネラルを吸い上げ、それを枯れ葉として周りにふりまくことにより、さらに豊潤な土壌を作り出します。そういったミネラルもまた、動物などによって運ばれ、色々な場所に拡散されていきます。

そのようにして、豊かな生態系が作られるようになると、しだいにそういった生態系の営みが土壌に蓄積され、豊かな有機物の「層」が土壌に形成されるようになっていきます。俗に、「肥えた土」と呼ばれるものです。人はこの土を利用して、様々な自分の思い通りの植物を育て、生活の糧とすることができたわけです。

ですから、本来、我々が農業をすることができるのは、こういった、様々な生命の営みを「土台」としたものであり、化学農法というのは、実際のところ、この「土台」を最大限に利用して行われるものであり、「土台」自体を台無しにするやり方である、と言えると思うのです。

具体的にいうと、化学農法が長年行われた土壌と、有機農法が長年行われた土壌の、同じ体積に含まれる微生物の量というのは、何万倍(だったかな?)も違うそうです。また、有機農法が長年行われた土壌と、自然農法が長年行われた土壌の、同じ体積に含まれる微生物の量もまた、何万倍(具体的な数字は忘れてしまいましたが)も違うそうです。

「微生物の量」というのは、自然状態における、その土地の「生産能力」を表したものである、と見て、ほぼ間違いないと思います。植物は、微生物が分解した有機物の養分で成長することができますし、また、微生物というのは、非常に数が不安定(エサがなくなると、とたんに死滅してしまうため)なため、もともと貧困な土壌だと、あまり多く存在することができないからです。

ちなみに、微生物の量というのは、作物の味や栄養価にも、大きな影響を与えています。化学農法の場合、作物は人工的に与えられた養分だけをあっという間に吸ってしまい、早く肥大化するのですが、その後、ほとんど地中から養分を吸収することができないので、非常に淡泊な味になります。栄養価もかなり低くなるそうです。有機農業の場合、常に微生物が有機物を分解し、作物に養分を補給するので、比較的濃厚な味わいになるそうです。栄養価も高いです。自然農法の場合、微生物が有機物を分解するだけでなく、常に周りに生えている雑草が「根酸」という有機物を土に補給し、非常に多くの物質を、作物が吸収することができるので、一言ではいえないような、なんとも複雑な味わいになります。(たまに、僕は食べながらなぜか泣いているときがあります) また、自然農法を長く続けた畑には、細胞を長生きさせる微生物が存在していて、それが植物の中にまで吸収され、それを食べた人の体内にまで入っていく、というのを、テレビで見たことがあります。(これは、本当かどうか、よくわかりませんが)
[92]の続き

かなり脱線してしまいましたが、経験的に言って、科学農法にせよ、有機農法にせよ、とにかく作物の周りにたくさん「草」を生やしておくと、より作物の「甘み」が増す、というのは、僕が何度も体験していることです。

ですから、もし、のらねこま様が畑仕事をやってみられるときは、ぜひ、草をたくさん生やす、ということをオススメします。(かなり、管理が面倒になりますが…。僕は草が邪魔になってくると、小さいノコギリ鎌を使って、手首のスナップで草を刈り払うような感じで、草の背丈だけを小さくしています。)
>>[93]

昨日は何も考えないことにしたので、頭の中がすっきりした気がします。何も考えない、というのは自分にとって大切のようです。なので、ときどき、何も考えなくなるので、よろしくお願いします(笑)。

>自然は、時間が経過すればするほど、「豊かさ」というものを蓄積していけるようなシステムになっているからです。
>人はこの土を利用して、様々な自分の思い通りの植物を育て、生活の糧とすることができたわけです。

なるほど、参考になります。現在の化学農法は、過去に膨大な時間を掛けて蓄積された豊かさ(例えば養分)を急激に消費しているに過ぎないわけですね。なので、枯れてしまう。科学農法で肥料として添加する養分は、自然界が作り出す養分に比べてはるかに種類が少なく、単純な化学物質だけですよね。

植物の生育には様々な微量元素が必要とされますが、仮にそれらをすべて添加できたとしても、化合物として必要な微量物質になると、その数は無数に近いほど多いと思われますし、しかも相互作用もあり、作物の種類によっても異なる。これを現時点で科学的に解明するのは不可能と思います。つまり化学肥料で添加できる養分だけじゃ、話にならないですね。

>また、自然農法を長く続けた畑には、細胞を長生きさせる微生物が存在していて、それが植物の中にまで吸収され、それを食べた人の体内にまで入っていく、というのを、テレビで見たことがあります。

それはあり得ると思います。そういう人間の経験則で知られていることを科学的によくよく調べると、物質が特定されるなんて話を聞いたことがありますから。

昨日も、ネットで「味噌汁を飲むと血圧が上がるのか」なんて記事があったんですが、普通に考えると塩分の取り過ぎじゃないかと思うんです。ところが動物実験によると、同じ塩分なのに、味噌汁で与える場合と、塩水で与える場合は、明らかに味噌汁の方が血圧が上がりにくいそうです。で、味噌には、発酵によって腎臓からの塩分の排泄を促す物質が含まれている可能性があるそうです。それはある種のポリペプチドではないかといいます。

そもそも医薬品に使われる抗生物質も土壌中の細菌が作り出している物質ですし、土壌中には無限の化学物質が含まれているので、何かが良い影響をもたらすとしても、何ら不思議ではないとおもいます。逆のケースもあるかも知れませんがw。

ということは、仮に農業の自動化が進むにしても、それは化学農法ではなく、土の管理に関わる労働部分を機械に置き換えることであって、土の「質」の管理手法については、自然農法的な考え方によらないと、仮に作物が生産されても、理想的な栄養価を持つ作物は取れないことになりますね。ただし、人間は相当に複雑な労働が可能なので、機械でこれを置き換えるのはかなり困難かも知れません。

植物工場について考えることもあるのですが、土の管理の部分に相当の工夫が必要ですね。水耕栽培でも収穫可能ではありますが、土壌中に含まれる微量なさまざまな栄養素はまったく含まれませんので、生まれてから死ぬまで果たしてこれだけを食料として生活した時に、人間に対して、どのような影響を及ぼすかわかりませんね。

自分が植物工場に興味があるのは、日本の農地面積が日本人の食料を生産するには足りないのではないか、という不安があるからなんです。食料自給率の向上を目的としています。植物工場だと多層化(3階建て)や栽培密度を上げること、年中無休で栽培することで、実質的に日本の耕地面積の拡大が可能だと思うからです。しかし、自然農法によって今の農地面積で十分に食料を生産できるなら、その方が良いことは間違いないと思います。

>>[93]

>もし、のらねこま様が畑仕事をやってみられるときは、

体力的にまったく無理ですw。近所の空き地で親のやってる家庭菜園の畑で、スコップで土を起こしましたが、死ぬほど疲れました。というか、腰が・・・・。下手すると動けなくなるので、毎日は畳3枚分くらいしかできませんでした。

ちなみに、親は雑草を目の敵にしています。そのままにしとけと言ったら、張り倒されると思いますw。
>>[94]

>昨日は何も考えないことにしたので、頭の中がすっきりした気がします。何も考えない、というのは自分にとって大切のようです。なので、ときどき、何も考えなくなるので、よろしくお願いします(笑)。

了解です。のんびりいきましょう。あせっても、良いことは何もないと思います。


>現在の化学農法は、過去に膨大な時間を掛けて蓄積された豊かさ(例えば養分)を急激に消費しているに過ぎないわけですね。なので、枯れてしまう。科学農法で肥料として添加する養分は、自然界が作り出す養分に比べてはるかに種類が少なく、単純な化学物質だけですよね。

まさにおっしゃる通りです。地中の微生物の量というのは、そのまま地中の有機物(炭素化合物)の量を表しているわけで、化学肥料を使う化学農法というのは、長い年月をかけて、地中にため込まれた有機物(腐植)を大量消費するための農法にすぎなかったわけです。当然、それがゼロになったとき、大地の生産能力は失われてしまい、ただコストだけを費やす赤字農法へと変貌を遂げるわけですね。

化学肥料による養分が、自然界のもたらす養分に比べてはるかに種類が少ないというのも、まったくおっしゃる通りでして、福岡先生の本にも、まったく同じような記述がありました。


>そもそも医薬品に使われる抗生物質も土壌中の細菌が作り出している物質ですし、土壌中には無限の化学物質が含まれているので、何かが良い影響をもたらすとしても、何ら不思議ではないとおもいます。

そうらしいですね。自然農法の畑というのは、有機農法や化学農法に比べて、非常に良い香りがするのですが、(化学農法の畑は、かなりくさいです。微生物が少ないので、有機物が異常発酵するんじゃないですかね)農家の友人にその話をしたら、それは放線菌が生み出す化学物質によるものじゃないか、と言っていました。世界初の抗生物質である「ペニシリン」は、放線菌によって作り出されたものらしいです。
>>[94]

>ということは、仮に農業の自動化が進むにしても、それは化学農法ではなく、土の管理に関わる労働部分を機械に置き換えることであって、土の「質」の管理手法については、自然農法的な考え方によらないと、仮に作物が生産されても、理想的な栄養価を持つ作物は取れないことになりますね。ただし、人間は相当に複雑な労働が可能なので、機械でこれを置き換えるのはかなり困難かも知れません。

そうですね、僕も全く同じように考えています。機械に畑を任せるのは、ある程度自然農法が軌道に乗り、作業内容が単純なルーチン作業に変わってからでないと難しいと思います。感覚器官一つとって見ても、機械と人間では雲泥の差があります。


>植物工場について考えることもあるのですが、土の管理の部分に相当の工夫が必要ですね。水耕栽培でも収穫可能ではありますが、土壌中に含まれる微量なさまざまな栄養素はまったく含まれませんので、生まれてから死ぬまで果たしてこれだけを食料として生活した時に、人間に対して、どのような影響を及ぼすかわかりませんね。

そうですね。僕は食べたことがないので何とも言えませんが、友人の話では、水耕栽培で作られた野菜の味というのは、「水っぽい」とのことです。常に水の中で栽培されているので、どうしても水分過多になってしまうんですね。植物工場というのは、実際のところ、コストがかかって難しいのではないかと思っています。常にLED照明を使うので、電気代がかかりますし、結局、植物の成長に必要な肥料は、常にどこかから運んでくる必要があるわけです。その上、栄養価も低い、ということになれば、ほとんどメリットは無いんじゃないかと思いますね。一つ、メリットがあるとすれば、大都市の真ん中で食料生産ができますから、流通コストがあまりかからない、ということでしょうね。あとは、非常時の食糧…にはならないでしょうね。電気を使いますから。


>自分が植物工場に興味があるのは、日本の農地面積が日本人の食料を生産するには足りないのではないか、という不安があるからなんです。食料自給率の向上を目的としています。

植物工場で自給率の向上をはかるのは、ほとんどナンセンスだと思います。結局、燃料と肥料を必要とするわけですから、外国の資源に依存するという点では、化学農法とそれほど違いがないからです。

もし、永遠に外国から、好きなだけ燃料と肥料を輸入できるのであれば、当分の間は、自給率の問題というのは、それほど心配する必要はないはずです。化学農法によって、自国内で、十分すぎるほどの食糧を生産することが可能だと思います。しかし、その方法だと農地がどんどんやせていきますから、いずれは限界がきて、食糧が生産できない事態になるかもしれません。

自給率の問題は、本当に深刻だと思います。耕地面積そのものは、福岡先生のいうように、うまく使えば、十分、日本国民全員を養うに足るだけの農地があると思うのですが、それが現在、どのように使われているか、というのが、非常に重要なんですね。いかに農業のプロであっても、やせた土地で良い作物を作ることはできませんから。
>しかし、植物にあまり愛情がない人が見たら、何も感じないかもしれないですが、生き物としての生命力が明らかにありませんでした。

>多分、ゆる猫様が見たら怒りを感じるかもしれません(笑)
健全ではないというか、植物が不健康そのものに見えました。

金魚様は、わりと行動的な人なんですね(笑)。僕も、栄養素うんぬんの話じゃなくて、閉め切ったうす暗い工場の中で、人間が食べるための野菜が生産されている、という状況そのものが不健全だと思いますね。

まあ、「もやし」なんかは、暗い部屋の中でも生産できるようですが…。でも、もやしばっかり食べてたら、やっぱり不健康ですよね。補助的に栄養を補うぐらいだったら、大丈夫なのかもしれませんが、それがメインの食べ物になっていく、と考えると、ちょっとぞっとします。

金魚様のおっしゃるように、やはり野生の中で自ら育ってきた植物と、人工的に守られて育てられた植物では、生命力が全然違うと思います。やはり、自然の食べ物というのは、食べた瞬間に、力がみなぎってくるような感じがあるんですね。よし、やってやろう、という感じになるわけです。

ですから、健康を守ることはもちろん、食べ物が精神面に与える影響というのも、結構バカにできないものがあると思うんですよね。ちゃんとした食事がとれる環境を作ることは、経済全体においても、非常に重要だと思うんです。ですから、農業というのは、かなり重要な産業だと僕は思ってるんですね。まあ、もちろん農業だけでは、国際社会の中で生きていけない、というのも事実なんですが…。

また、難しい話になってしまいました(笑)。もう少しゆっくりお話していきませんか。
朝から晩まで考えていると、やっぱり精神衛生上は良くないですよね。なんか、自分が植物工場で栽培されているような気分になってきますw。一番健康なのは、朝から昼まで集中的に考えて、午後は肉体労働することかなと思ったりします。その点、農地があるといいですね。晴耕雨読です。

>金魚さま

植物工場を見学されたんですか。植物工場は、なんかマッド・サイエンティストの研究所ような、おぞましいところのようですね。まったくもって健康は食べ物からです。ということは、現在の植物工場は、まったくだめですね。おそらく、本当の植物工場を設計するのであれば、まったく違う視点から設計しなおす必要がありそうです。

おまけに、金儲けのために植物工場をやるなんて自分では考えられません。自分はあくまでも人類が食糧危機にならないような方法として、植物工場の可能性を考えたいわけです。カネになるなら、栄養がなくても売れれば良いなんて、賛同できませんね。やっぱモンサントですか、終わってますねw。

>ゆる猫さま

農業の機械化は、工業製品の機械化よりもはるかに難しいでしょうから、可能になるとしてもかなり先ではないでしょうか。それまでは、化学農法に変わる、新たな土地の管理に関する手法を研究することが急務というわけですね。本当の意味での効率的かつ理想的な農法はまだまだ確立されていないんですね。それって、ものすごく重要だと思います。

つまり、攻めの農業とかなんとか言ってる場合じゃなくて、まずは持続可能な農法をきっちり確立することが優先ですよね。それが確立される前に市場原理が優先されると、農法すら確立されないままに、農業の荒廃が進む恐れがあると考えられますね。
[96]に誤りがありました。

「ペニシリン」はアオカビ菌の一種から発見されたそうです。失礼しました。
>>[105]

>どのような目的かはわかりませんが食料自給率が低いと思わせて置かなければならない、おおっぴらに言えない別の目論見があるような気がします。

食糧自給率について、真偽のほどは、我々では確かめようもないと思いますが、農家がどんどん減っていっているのは紛れもない事実だと思いますので、やはり下がっているのではないか、と思いますね。

ちなみに、食糧自給率でちょっと調べたら、以下のページが非常にわかりやすかったです。(勝手にリンクしていいかどうか分りませんが…)

http://www.foodpanic.com/index2.html


>スーパーに置いてある、米は日本産・野菜も日本産、基本的な主食は日本製がほとんどです。

僕もスーパーでよく買い物をするのですが、基本的な野菜などは、ほとんどが日本産になってますよね。肉や魚などは、結構、外国産のものが置いてありますが、まあ、日本産と半々ぐらい、といった感じでしょうか。

豆や小麦、砂糖、油脂などは、ほとんどが輸入物のようですから、パン、うどん、ラーメン、パスタ、豆腐、味噌、醤油、納豆、砂糖、食用油、(あとはお菓子など)などは、ほとんど外国に依存しているということなんでしょうね。輸入をやめると、かなり食卓がさびしくなりますね。


>すでに、日本人に必要な量は自国のみで生産できるのではないでしょうか。

どうなんでしょうね。僕も友人のところに手伝いに行くようになって、気づいたのですが、同じ農家であっても、生産性にかなり大きな違いがあるんですよね。上手な人はわずかな土地から、信じられない量の農産物を生産してしまうのですが、下手な人というのは、膨大な農地を抱えていても、ほんのちょっとの量しか生産していなかったりするんですね。まあ、農産物の種類にもよるのですが…。

友人は、かなり生産性が高い方の部類に入ると思うのですが、あまり周りの人にはコツを教えたがらないようです。みんながみんな、自分と同じ量を生産するようになったら、農産物が余ってしまう、と考えているんですね。

ですから、日本の農地は、潜在的には、まだ相当の量を生産できるのだと思います。(もちろん、それは海外の農地も同じことなんですが)農法というのは、非常に重要なんですね。もし、今の化学農法より、農地を長く大事に使うような農法が日本に根付くようになれば、確かにほとんどの農産物は、自国内で生産できてしまうかもしれませんね。もちろん、そのためには、大規模農業をやめて、もっと農家の数を増やす必要があると思いますが。
>>[111]

ご気分を害されてしまったら、非常に申し訳ありませんでした。金魚様の行動を非難するつもりはなく、情報提供自体は、非常にありがたいことと思っています。

「食糧自給率」の問題は、たしかに難しいですね。我々では真偽のほどを確認できない部分がありますから、金魚様が言われるように、よけいに不安をあおられている、という部分はたしかにあるかもしれませんね。

しかし、それに真っ向から対抗していく必要はないんじゃないか、と思うんですね。

「様々な不正を暴く」「既得権益の構造を崩す」というような視点から議論を進めていくと、お互いに非常に大きなエネルギーを要求されるように思います。どうしても、「大きな組織」と真っ向から戦うことを、余儀なくされるからです。

反対に、「今、どのようなシステムになっているのか」「実際のところ、どのように行われているのか」ということを話し合っていくことは、より少ないストレスで、事実関係を確認していくことが可能なように思います。そこに疑問があったら、「それは違うんじゃないか」というのを、少しずつ確認していけばいいんじゃないかと思うんですね。

ですから、たとえば、「食糧自給率」の問題にお互いに踏み込んでいくのであれば、「それは嘘だ!」とか言わずに、実際にどのような方法で「食糧自給率」が計算されているのか、そこにどのような問題があるのか、ということを、お互いに少しずつ確認していけば、よりストレスの少ない議論になるのではないか、と思うのですが、どうでしょうか。
>>[112]

こちらこそ大変申し訳ありませんでした。

自分で言っといてなんですが、真偽をはっきりと証明できる方法が思いつかないので、私からはここで食糧自給率について書くのはやめときます。

すみませんでした。
>>[114]

いえ、こちらこそ、ずけずけと言ってしまい、申し訳ありませんでした。

昨夜の金魚様の投稿(すでに削除されてしまったようですが)ではっきりしたのですが、どうやらお互いの認識にズレがあったようです。

食糧自給率については、一度、[36]〜[39]までの流れで触れていまして、金魚様の疑問は、その流れを踏まえたものと僕は考えていたのですが、昨夜の金魚様の投稿の内容から考えますと、必ずしもそういうことではなかったようです。

そこで、もう一度、食糧自給率について、自分なりに分析してみたいと思います。

データについては、農林水産省のHPにあったものが分り易いと思います。PDFファイルなので、ソフトがないと見られないかもしれませんが…。

(農林水産省「平成26年度食料自給率について」(PDF:296KB) http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/pdf/26ritu.pdf)

データで見ると、カロリーベースでは、全体の食糧自給率が39%になっているのに対し、生産額ベースにおいては、64%と、かなり大きく離れた数字になっていますね。

実際の内訳を見ていくと、カロリーベースにおいては、米98%、小麦13%、大豆28%、野菜76%、果実37%、魚介類67%、畜産物17%プラス輸入飼料分47%、油脂類3%、砂糖類31%、その他25%になっています。

それに対し、生産額ベースで見ると、米99%、小麦12%、大豆49%、野菜74%、果実65%、魚介類50%、畜産物58%プラス輸入飼料分14%、油脂類34%、砂糖類49%、その他76%になっていて、国産の割合が高いことがわかりますね。
[115]の続き

では、国内自給率を考える上で、カロリーベースで見ていくのと、生産額ベースで見ていくのとでは、どちらが適切であるか、という問題があると思うのですが、正直、僕はどちらも適切ではないのではないかと思っています。

なぜならば、本当に国内自給ということを考えるならば、「その生産された食糧で、全ての国民が健康に生活できるかどうか」ということを、第一に考えなければならないと思うからです。

そういう意味では、油脂類、砂糖類、魚介類、畜産物を、国民の中心の食物として据えることは、明らかに不適当だと思います。

これらは、その味覚を楽しむ、という上で、たしかに必要な食物、といえるかもしれませんが、健康な生活をする、という点で、3食すべてそれを食べて大丈夫か、という点で、明らかに問題があるからです。

具体的に言いますと、油をとりすぎると肥満になってしまいますし、砂糖をとりすぎると肥満になり、また虫歯にもなりやすくなります。魚介類、畜産物などは、動物性のたんぱく質が多く、腸内で悪性のガスがわきやすいため、食べ過ぎると病気になりやすくなると思います。

ですから、基本的にいくら食べても健康に害がないもの、という点からいくと、ざっくりと言って、カロリーをとるための、米・麦などの穀類、ビタミン類をとるための生産野菜、果物など、ミネラル類をとるための根菜類、海藻類、たんぱく質をとるための豆類、ということになるのではないかと思います。あとは、お好みで、色々なものを追加していけばよいと思います。(こういったものしか食べてはいけない、ということではなく、健康な生活をするためには、こういったものが欠かせないのではないか、ということです。)

ですから、すべての食糧を自給することに、それほどこだわる必要はないのではないかと思います。基本的に、国民がちゃんと生活していけるだけの食糧が生産できるのであれば、食糧自給率について、それほど不安に思う必要はないはずです。
[117]の続き

また、食糧自給率の計算方法が果たして適切なのかどうか、という問題もあると思います。

農林水産省のHPでは、国内自給率の計算方法として、「国内生産÷国内消費仕向」(国内消費仕向=国内生産+輸入ー輸出±在庫の増減)という式を公表しています。(つまり、その年に国内向けに供給された食物に対し、国内生産の割合がどれくらいか、ということですね)

「その年に供給された食糧」が、すべて分母として計算されているわけですが、この中には、実際には必要とされずに廃棄された分も含まれているわけですよね。(「食品廃棄率」で検索してみると、日本では毎年5800万tもの食料を輸入し、1900万tの食糧を廃棄している、という情報がありました。(食品ロス統計調査2006 農林水産省によるデータだそうです))

ですから、実際に日本人が必要とする食料の量というのは、データよりも、もっと少ないわけであり、本来の自給率の数字というのは、もっと高いかもしれないわけですよね。


また、分子の「国内生産」というデータにおいても、おそらく市場で実際に取引された量を元に計算されているのではないでしょうか。

家庭菜園や、小規模農家の人たちが自分で食べるために、あるいは周りの親戚の人たちに配るために生産された量というのは、おそらく「国内生産」の中に含まれていないんじゃないか、と思うんですね。実際には、こういう数字として計算されない農産物の量というのは、相当なものがあるはずです。

そうすると、「国内生産」もまた、実際の生産量よりも、かなり低く見積もられている可能性があり、実際の自給率の数字というのは、本来、さらに高い可能性があるわけですね。

ですから、「国内自給率は全くのウソ」というのも、あながち間違いではないかもしれませんね。
>>[118]

ウツ状態が良くないので、しばらくネットから遠ざかっておりました。同じことをずっと何度も考える性格なので、いちど連鎖を切らないとダメなんです。で、そうすると、また新たな気持ちで考え直すことができます。

食料自給率に関するゆる猫さまの指摘は、なかなか鋭いと思いました。農水省のデータ参考になります。

それらを眺めて思ったのですが、食料自給率の考え方の概念として、カロリーベースでも金額ベースでも適切ではないような気がしてきました。ゆる猫さまのいう「健康に生活できるかどうか」という部分が自分も重要だと思うわけです。

つまり、食生活のバランスという点から自給率を考える必要があると思われます。カロリーベースだとカロリーだけなのでだめですし、金額ベースだと市場価格で決まってしまうので、食生活のバランスとは何の関係もありません。

栄養管理的な観点から考えれば、食品群と必要摂取量が決まるので、こうした食品群の「量」、重さをもとに(加食部分を加味した重さ)、健康を維持するために必要な食料の自給率がどうなのか、という新しい自給率の定義と集計方法が必要な気がしました。「量(おもさ)」です。

ただしこれは単純ではなくて複雑です。なぜなら各食品群にはそれぞれに含まれる栄養が複数の食品群にまたがっていたりしますし、魚と肉は代替えがききますから、そうした視点をうまく処理する必要がありそうです。加えて言えば、この指標を使うと、日本人が欲望のままに不健康な食生活をすると自給率が崩れます(笑)。

ひとつのアイディアです。

たとえば、日本全体の食生活から言って、必要な油脂の量がわかれば、それを満たすだけの国内生産があれば自給率100%と言えるわけです。つまり輸入率は関係ないのです。場合によると現在は過剰摂取かも知れません。そうであれば、仮に輸入品が途絶しても国内生産だけで健康は維持できるわけです。ただし、油の大好きな日本人は怒りだすでしょうね(笑)。しかし油が少ない方が健康にいいですよ。肉や魚も過剰摂取かも知れません。

>>[119]

>ウツ状態が良くないので、しばらくネットから遠ざかっておりました。同じことをずっと何度も考える性格なので、いちど連鎖を切らないとダメなんです。で、そうすると、また新たな気持ちで考え直すことができます。

なんとなく、僕とのらねこま様とでは、考え方というか、思考方法が似ているような気がしていています。僕もよく、うつ状態になりますし、同じことをかなり長期間にわたって考え続けるタイプです。興味の対象というのが、割とハッキリしているんですよね。


>栄養管理的な観点から考えれば、食品群と必要摂取量が決まるので、こうした食品群の「量」、重さをもとに(加食部分を加味した重さ)、健康を維持するために必要な食料の自給率がどうなのか、という新しい自給率の定義と集計方法が必要な気がしました。「量(おもさ)」です。

この考え方は非常に面白いと思いました。栄養学的な問題も確かにあると思いますが、それは少し難しい話になってしまいますので、もう少し単純なところから、「量」というものを考えていきたいと思います。

ブルーオーシャンの方でも、少し農業の話題が取り上げられたのですが、その関係もあって、少しネットで資料などを調べたりしています。僕は、農産物の「流通コスト」というものに、大きな関心を持っているんですね。

多くの人は、生産コストにばかり関心を持ちますが、確かに、農産物の生産コストというのは、それなりに大きいのですが、農家の方もかなり精一杯やっていますので、生産性を高める、ということにも、それなりに限界があるように思うんです。農産物に関して言えば、生産コストの他に、流通コストというものもまた、大きな問題になっているように思います。つまり、流通コストの問題を解決することによって、国内自給率を高められる可能性があるんじゃないか、ということです。

というのは、農産物というのは、工業製品に比べ、単価が安い割にかさばりますので、流通コストの割合が非常に高くなってしまうんですね。また、農産物の輸送量は、工業製品に比べても、かなり多いんじゃないか、と思っています。(具体的な資料が見つけられませんでしたが)
[120の続き]

結論から言ってしまいますと、たとえば、「農産物の輸送に関しては、高速道路の利用料金を無料にする」などの制度を作れば、輸送コストをそれなりに低く抑えられるような気がします。以前、民主党時代に、「土日に限り、高速道路どこまで走っても1000円」とかいうのをやっていたように思いますが、あれは、結局、一般車だけだったように思います。僕は正直、(そんなことをしたら、高速道路が一般車であふれかえって、重要な荷物が届きにくくなるだけなんじゃないか、逆だろ、逆!)とか思っていましたが。

農産物の輸送コストに関して、ネットで資料を探してみたのですが、以下の資料が非常に分りやすかったです。(http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/nosoken/nogyosogokenkyu/pdf/nriae1966-20-4-4.pdf)

…と思ったら、この資料は昭和42年に書かれたものらしいです。(道理で、なんか数字がおかしいと思いました)


あまり分り易くはないですが、農林水産省の資料もありました。(農林水産省「食料供給コスト縮減に向けた取組」 http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h18_h/trend/1/t1_2_3.html)

この資料ですと、たとえば、「キャベツ」の場合、販売額の47%が生産コストであり、53%は流通コスト、ということになっています。また、生産コストがすべて農家の手取りになるかというとそうでもなく、生産コストのうち、労働費は51%で、残りの49%が機械や農薬、肥料などの、諸経費ということになるようです。

つまり、実質、農家の給料は、最終的な販売額の4分の一以下、ということですね。(実際には、多くの農家では、収穫時に人を雇っているところも多いと思いますから、それよりもずっと少なくなるかもしれません)

最近では、大震災の復興事業などでトラックが足りなくなり、農産物の流通コストがさらに上昇しているらしいです。そこで、鉄道貨物を利用した農産物の輸送というものが、見直されてきているようです。

…自給率から、大分離れた話になってしまいましたが、結局、農家というのは、作ろうと思えば工夫して何でも作れますし、肥料さえ手に入れば、いくらでも作物を作ることは可能なんですね。しかし、それ以外の部分がうまくいっていないために、農家の収入が激減し、自給率が下がっていく、という部分が大きいように思います。ですから、農業の話というのは、実は非常に難しいのです。
>>[122]

ゆる猫さまもときどきうつ状態になるんですね。お互いに考え過ぎには気を付けましょう。自分は家系的にうつで入院したりする人もいるので、自分も本格的に発病するんじゃないかと、心配になることがあります。なので本当はお気楽に生活しないとダメなんですが、新聞やニュースを見ると無性に腹が立つので、困ったもんですw。

流通コストについては、これは農業そのものの課題ではないはずですが、実際には輸入食品と市場で販売競争しますので、流通コストを含めた最終販売価格として考える必要があるわけですね。そのような視点から考えた場合には、流通コスト削減は大きな意味を持つのだと理解できます。

単に補助金を出すのではなく、流通コスト部分を補助するのも方法かも知れません。

流通といっても、運搬コストだけじゃなくて、販売店舗や小分け包装、そして流通小売りの人件費の部分も大きいでしょうから、一部の工業製品のようにメーカー直売だと、極端に言えば運搬コストだけになります。ただしすべての生産者(農業工業)がそれをやると、イオンのような巨大ショッピングモールが潰れますけどw。直売のシステムはインターネットによって普及すると思うので、そうなれば「農産物の高速運賃は無料」にすると、すごい効果的だと思います。

また、野菜などそもそも国内生産でも対抗できる製品は、流通コストを削減する効果が高い気がします。内外価格差の大きな穀物、マメなどは、やはりコスト削減にも限度がある気がします。そこはアメリカのような補助金制度が必要なのかも知れません。

とはいえ、アメリカなどの農業補助金制度についてもう少し調べないと、あまり偉そうなことは言えないかも知れません。本来ならアメリカでやっているなら日本でやって悪いはずがない。しかし、なぜか日本版の補助金制度の話は出てこない。なぜなんだろう。いまは、「韓国人の反日心理」に関する本を書いているのであまり他の事に気が回りませんが、農業補助金は調べてみたいと思います。

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