半蔵門かきもの倶楽部コミュの第６６回まめや作「さもしい町で」

　七年。もう七年。まだ七年。小学校に入学するまでの年月、オリンピックは一度だけ、干支を半回りと少し。ひどく中途半端な気がする。ラッキーの欠片もない。半端だ。たかが、七年。あの人なら、そう答えるかもしれない。
　そろそろ店を閉めようかと思っていた頃合いだった。
「外に、占いって、でていたので」
男だった。首を少しばかり右に傾け、窮屈そうに、声だけが後付けされたようにはきはきと活気があった。三十代にも五十代にも見える。年齢不詳の男だ。男に椅子に座るようにすすめる。
「右手を出してもらえますか」
七年。あの人に会って、結婚して、離婚をして、占いを初めて、七年。たかが、七年。あの人は、私の最初で最後の男の人だった。私は四十二の歳だった。
　ターミナル駅構内、飲食店の並びを抜けた、わずかな隙間であの人は占い師をしていた。夏だった。油や醤油や埃や汗、密集した匂いの中、ひとり足早に歩いていたはずなのに、目が合ったと感じた。気がつくと、赤黒い布のかかる小さなテーブルで、あの人と向かい合っていた。
　君は、さもしい人だね。さもしい。ああ、違うよ。寂しいじゃなくて、さもしい。さ、も、し、い。半端に空っぽってこと。
　男にしては白すぎる肌に、長く下を向いたまつげ。口を緩めるとむき出しになる八重歯。すっきりと鋭角の喉仏。内側に丸まった形の両耳。きれいな男の人だった。それなのに、どうして顔を思い出せないのだろう。たかが七年のことなのに。わずか、二ヶ月半の結婚生活だった。いや、あれは、生活と言えるような月日だったのだろうか。何もかもが、半端すぎる二ヶ月半だったような気がする。
「そして、あなたは悪い男のレッテルを貼られる。しかも、あなたの高すぎる自尊心が言い訳をすることを許さない。その結果あなたはレッテルを甘受し、悪い男になる」
顔を上げた男の前髪が揺れた。思うことがないのか、感情を悟られまいとしているのか、わたしに考える隙を与える前に男は目を伏せた。長い、きれいなまつげが見えた。
「そろそろ、七時十分になりますが、続けますか」
「いや。もう止めておきます」
さもしい。あの人にさもしい人と言われた時、ここにあったと思った。ずっと考えていたこの感情の答えを見つけたと思った。いつも、わたしはなにかを感じていた。いや、なにも感じていなかったのかもしれない。幼い頃から、なにかがおかしい、どこかがおかしいと思い続けてきた。誰といても、どこにいても。四六時中。ひとりでさえも、頭の片隅でいつも思っていた。
　ブブッブブッと振動音がなり、テーブルが揺れた。スマートフォンが緑色の通知ランプを光らせている。男が忘れていったようだ。手に取ると、わずかに熱を持っていた。まだ、近くにいるだろうか。もう店は閉める時間だ。急げば、男に追いつけるかもしれない。まだ、間に合うかもしれない。
　店を出ると、すぐに男の姿を見つけた。長いまつげの男だった。緩慢に歩いて行く背中を追いかける。頭の中で、長いまつげの顔が揺れ動く。ぐるぐると揺れて溶けて、混じり合い、伸びて繋がり、輪郭を作っていく。あの人の顔が、あった。七年越しの輪郭だ。
　あなたは、さもしい人じゃないの？　さもしいのは、君だよ。あなたは？　俺？　俺はさもしくないよ。れっきとした空っぽだから。れっきとした、空っぽ？　そう、悪い男ってこと。
　二人そろって、市役所の夜間窓口に離婚届を提出した。向かい合い、握手をした。手の甲に食い込んだあの人の指先は、ずっとごつごつとしていた。私の知らない手だった。
　あの人も、私と同じだったのかもしれない。さもしい。半端な空っぽさで埋め尽くされた人。半端と半端は掛け合わさることなく、交差することなく、すれ違っただけ。すれ違った時間が一瞬ではなかった。それだけのことだ。
　この男は、れっきとした空っぽなのだろうか。肩にかかる男の左手。めちゃくちゃ優しい人だと言ったのは、私だ。男がチェーンの居酒屋店の入り口に向かう。赤い暖簾の奥で自動ドアが開く。席に座り、店員から熱すぎるおしぼりを受け取る。テーブルの上、所在なさげに置かれた男の左手。
「私の占い当たるでしょ。あなたって、やはり、悪い男よね」