半蔵門かきもの倶楽部コミュの第九回　肉作　「カクテルの味覚」

　八月の終わりに、田岡君から連絡があった。五年付き合った彼女と結婚するので披露宴の二次会に来て欲しいという。披露宴といっても二次会なのでカジュアルな雰囲気の上、ご祝儀の用意もいらない。挙式や披露宴は親族だけで行うそうで、二次会からは僕を含めた大学のサークル同期が大勢来る。田岡君の結婚相手は谷野さんといい、僕と田岡君が在籍していた音楽サークルの後輩だった。学生時代から付き合っているのは知っていたがこうして長い交際期間を経て結婚に至るというのは実に感慨深い。友人の一人としては是非、二人のために祝いたかった。僕は、田岡君との電話口で幸せ一杯の二人を想像してみた。まず、田岡君と谷野さんがばっちりとめかしこんだ格好で会場に現れる。僕自身はそれをテーブル席から拍手で迎えている。時折、お調子者の連中が両人を囃し立てる奇声をあげる。少し下品でも若者しかいない二次会のことだ。誰も咎めはしないし新郎新婦の二人も笑っている。
　ところが、田岡君の提案により僕のこの妄想は文字通り、妄想に終わることになった。
「二次会の仕事をいくつか頼まれて欲しいんだけど？」
「そうか、僕はテーブルで静かに拍手しているわけにはいかないか。でも、仕事にもよるな。受付とか？」
「受付は谷野さんの友達がやってくれるんだ。滝川には司会をして欲しいんだ」
　確かにそれではのほほんとテーブル席に着いているわけにもいかない。田岡君が自分にそのような派手な仕事を振ってくるとは思ってもみなかった。
「え、それは荷が重いな。他に誰かもっといい人材いないの？」
　サークルの同期にはそういうのが得意そうなのが何人かいた。先ほどの僕の妄想の中でお囃子担当だった奴らなんかが正に適当に思われた。恐らく電話の向こう側にいる田岡君も同じ人物を思い浮かべているのではないだろうか。
「それがさ、渡辺も進藤も欠席なんだ。だから、何でもそつなくこなせて、人望も厚い滝川に頼みたいんだ」
　おだてられると断れない性分だった。祝い事なので変にごねるのも可哀想だ。僕は決心するとなれば早い。
「そこまで言ってくれるなら、折角だから引き受けるよ」
　そこで話は終わらなかった。断れない僕の性格を利用して田岡君はなおも僕に仕事を頼んできたのだ。
「確か、お前パソコン得意だったし、仕事ってＩＴ系だろ？　ムービーも頼めないかな。プロフィールムービーってやつなんだけど」
　パソコンが発達したおかげで誰でも簡単に動画を作れるようになったのは事実だった。それを副業としているような人もたくさんいる。しかし、そのような人は動画制作への情熱がある。独学していてスキルも高い。僕はさほど興味をもったこともなく、実際に手を動かして作ったことなど無論ない。ＩＴエンジニアだからといって、パソコンのよろずに通じているわけではないのだ。
「パソコン得意で、ＩＴ会社勤務っていってもなあ。確かにそうなんだけど、やったことないしなあ」
「そこをなんとか頼む」
　準備をする時間はまだ十分にあった。ある程度、制作ツールに慣れてしまえばやり切る自信もある。それに身近に詳しい人物が一人いた。パソコンスキルの師匠とも言える人物だ。趣味でプログラミングからデザイン描画、動画作成ツールも使いこなす。そいつも田岡君と僕同様に同じサークルの同期だった。今回、田岡君が二次会に呼んでいるなら、そいつに頼むのも手なはずだ。そいつがパソコンに明るいのは周知のことであり田岡君も当然知っている。
「泉に頼むのはどう？　あいつ動画作れるよ」
「泉は実はＮＧなんだ」
「あーマジか。泉も欠席か。でも、会に欠席でも、作るだけ作ってもらうってのは？」
「いや欠席という意味ではなくて、うちのやつ、つまり谷野さんが嫌がってるんだ。泉を呼ぶのを。関わるのさえダメなんだ」
　谷野さんが泉を嫌がる理由がわからなかった。泉は見てくれはいい方ではない。ファッションには気を遣うこともなく、大体いつも洗濯物の生乾き臭がするようなやつだった。ただ、それだけを理由に出席や関わりを拒まれるとは思えない。何かのっぴきならない事情が二人の間にはあるのかもしれない。
「泉ってさ、谷野さんのこと好きだったらしいのよ」
「初耳だよ、それは」
　なるほど。僕は田岡君のひと言で合点がいった。ただ、何歳になってもこの手の話題には心惹かれるものがある。ついつい詳細を聞きたくなった。しかもそれがあの泉の浮いた話なのだ。過去の話であっても面白い。
「でね、泉に告白されて、振っといて呼ぶのも関わってもらうのも悪いじゃない。って谷野さんが言っていて」
「まあ、それなら仕方ないな」
「あくまで滝川が主体で作って、バックでは泉が手伝ってもいいよ。谷野さんには黙っておくから」
「司会のついでだし、いいよ。やってみます」
　こうして僕は二次会の司会という大役を仰せつかり、ムービー制作という仕事まで引き受けてしまった。ムービーに関しては、泉には酷だろうが、当然巻き込んでやろうと思っていた。自分一人でも勉強しながらなら、ノウハウの習得も可能ではあったが、泉がいてくれた方が安心できる。僕は決して、性格が悪いわけでも、泉に個人的な恨みを抱いているわけではない。ムービーのクオリティを考えてのことだ。泉にとっても学生時代の恋の話であり、すでに何の感情も持ちあわせていないのが普通であろう。

　泉が昔好きで、田岡君が今回結婚することになった谷野さんは小柄で目の大きな可愛らしい女性だった。下の学年では一番の美人と言われ、色んな人から人気があった。サークル内での競争率はいわずもがなで田岡君は見事にそのレースを勝ち抜いた。逆を言えばそのレースに勝ち得なかった数多の青年達は屍になって消えていったのだ。そんな哀れな一人が泉だった。泉と田岡君は正反対のポジションに位置する人間のように僕には思えた。光と影。陰と陽。反駁しあうような陰険な仲ではないが、片やサークルのスターのような存在で、片や楽器もろくに上達しなかったお荷物的存在である。田岡君からはほんのりと洗剤のいい香りが漂っていたが、泉からは常に洗濯物の生乾き臭がした。偶然にも二人は同じ法学部の出身だったが、田岡君は成績も優秀だった。教授からの覚えもめでたく、主席で卒業を果たした。その後は法科大学院に進み、今は弁護士である。泉は留年を繰り返し、成績の席次もビリから数えた方が早かった。容姿も田岡君は非の打ち所がない。花のかんばせの持ち主であったが、決して不誠実さや小憎たらしさという印象を与えない、あっぱれな性格の持ち主でもあった。他方で、泉はにきび面で性格もひん曲がっていた。以上のような理由から、谷野さんがおおよそ普通の感性の持ち主ならば田岡君と付き合うだろうし、事実そうなった。かつて泉が告白し、フラれた事実は今回初めて知ったが泉には田岡君と谷野さんが結婚することを包み隠さず知らせることにしていた。その上で動画作成を手伝ってくれるように依頼する。その方が泉も仕事がしやすいと僕は思った。かつての恋の相手と恋敵に度量のでかいところを見せつけてやろうと叱咤激励するのだ。僕は久しぶりに泉に連絡を入れた。反応はなかったがそのうちメッセージを見てくれるだろう。

　もう一方の課題に関してもしかるべき人物に教えを請う必要があった。先日、とあるバーで受け取った名刺を見ながら、僕は連絡すべきか否かを逡巡していた。
　深夜、飲み会の帰りに寄ったバーで知り合った女性から酔った勢いで別れ際に名刺をもらった。そこには「アナウンス、司会のことならご相談」とあった。その人はもともと地方局のアナウンサーをしていたが、社内で不祥事があり、その責任をとって会社を去ったそうだ。その後、東京に来て結婚式などのイベント専門の司会業を営む会社に再就職を果たし、今に至ると言っていた。そんな話を彼女の地方アナ時代の自慢をふんだんに交えながら、何度も何度も聞かされた。当然、話半分に聞いていたが、妙に僕は気に入られ名刺を無理やり渡された。その後、女性は今からホームパーティがあるからと消えていった。もう外も白んできているというのにどこのどいつがホームパーティなんかに来るのだろう。変な女に会ったという話の種になると思って、その名刺は取っておいた。今、それを財布から再び取り出して机に置いた。電話番号やメールアドレス、ＬＩＮＥのＩＤなんかも記載があった。僕は単刀直入に用件を切り出せるように電話連絡を選んだ。数コールで彼女は出た。
「あの、お久しぶりです。覚えてらっしゃらないかもしれませんが、先日、バーで名刺をいただいたものです」
「ああ、覚えてるわよ。とてもシャイでお耳の大きな子ね」
　僕はシャイではなかったし、耳にこれといった特徴はない。この人は誰かと勘違いしているのか適当に話している。彼女の独特のペースは無視して僕は話を続けた。
「ご相談がありまして」
「いいわよ。じゃあ、今夜一九時にこの前と同じとこね」
　そう言うと彼女は一方的に電話を切った。電話で済むと思っていた僕が甘かった。酔っていなくても勝手気ままに話を進める人のようだ。そもそも彼女に相談する時点でどうかしているのかもしれない。ただ、あの時、あのバーで見た彼女はただならぬ雰囲気があったし、そういうプロに教えを請える機会はこうでもしないとないと思っていた。凝り性であることが僕の取り柄の一つでもあるので、プロに習うということに一切の戸惑いはない。きっと田岡君も僕のそういうところに期待しているのであろう。
　僕は言われた通り、会社帰りにそのバーに向かった。彼女はすでにカウンターにいて、酒をあおっていた。
「あら、いらっしゃい。適当にくつろいで。服を脱いでも、何をしてもいいわよ。私のお店じゃないけど」
　ウインクをすると、彼女は僕を横に座るように促した。彼女の甘ったるい香りにむせそうだった。名刺にあった名前は「金毘羅マチコ」だった。本名ではないのだろうがマチコさんと呼ぶのも失礼な気がしたので、とりあえず僕は苗字で呼びかける。それから隣に座って気付いたことなのだが、彼女はこの前と印象がかなり違った。顔が僕の記憶と若干違うのだ。酔っていたので定かではないが、それでも記憶との隔たりがこんなにもあるとは思えない。
「あれ、この前と印象が違いますね」
　僕は失礼を承知で切り出してみることした。普通なら憚られることだが、彼女の気さくな人柄に僕は話しやすくなっていた。それに確認しておかなくては、気になって司会の相談どころではなかった。
「目ざといわね。整形したのよ。ここよ、ここ」
　彼女は人差し指で口元を指す。よくよく彼女の顔を見てみると不自然な箇所があった。全体的に張りと照かりが人間固有のものとは思えなかった。綺麗なのだが、人工物らしさが抜けない、美術品のような印象を人に与える。ずっと見ていると彼女は斜めから怪しく僕に笑いかけたり、誘惑するそぶりや表情になった。見れば見るほど関心を通り越して僕は身の毛のよだつ思いがした。
「そうですか、整形されたんですね。ですから前回に比べて、より綺麗になったんですね。で、あのですね、ご相談があって今日は来ました」
「いいわよ、私のすべてをあなたにあげるわ」
　彼女の顔が近づいてくるので、思わず僕はのけぞり椅子から落ちそうになる。香水なのか体臭なのか、目眩がしそうなほどきつい。
「そういう話ではなくて、実は友人から結婚式の二次会での司会を頼まれまして、司会の心得やトレーニング法を教えていただけたらなと」
「なんだ、そういうことね。本当はレッスン料とっちゃうんけど、君は特別扱いしてあげる」
「ありがとうございます。この前、お会いしたときに素人相手にもレッスンをすると伺っていたので」
「個人レッスンでいかがかしら？　これからでもいいわよ？」
　彼女はそのセリフを僕の耳たぶすれすれに喋った。僕はまたもびっくりし、体をのけぞらせて、天井を仰ぎ見てしまった。耳元でささやかなくても、店内は僕達だけしかいない。普通に会話できるのに彼女は体を寄せてくる。そう言えばこの前もかなり酔っていたから、僕からも積極的にアプローチしていたのかもしれない。顔を目一杯近づけて、ひょっとすると体もべたべた触ったのだろうか。だから彼女が今夜その気になっているとも考えられる。ただ、これが彼女の本質で、それに酒の力が加わっただけという可能性もある。僕は彼女がじゃれ合ってくる雌猫だと思うことにし、話を先に進める彼女に視線を移した。
「私の口をよく見て。胸元を見てるんじゃないわよ」
「見てません」
「今から言う、早口言葉を真似して言ってみてちょうだい。手術中輸出自動車受注中」
　じゅという音が出るときの彼女の口がやけに肥大して見えるのは唇に何か仕込んでいるためだろうか。彼女の口から唱えられる呪文のような早口言葉よりも、整形の技が取り入れられたと思しき唇ばかりに目がいく。気にしないと誓ったはずなのに、早速彼女の顔形が気になって仕方ない。
「じゃあ、言ってみて」
「しゅじゅじゅ、難しいですね。噛んじゃいました。それより、この言葉の意味はなんなんですか？」
「副業で自動車輸出の仕事をしててね。整形の手術中にも連絡が絶えない時があって、その時の様子を俳句ならぬ、早口言葉で詠んだのよ。趣があるでしょ？　こんな滑舌レッスンをするのは、多分日本中私だけよ」
　その後、小一時間、彼女の滑舌レッスンは続いた。終始こんな調子だったが僕の滑舌はずいぶんと改善された。他の客がバーに入ってきたのを頃合いに、僕は彼女に暇を告げて、バーを後にした。もちろん、帰ると伝えた彼女は非難轟々でいなすのが面倒だったが、放って出てきた。
　次の日から毎朝会社に行く前と毎晩寝る前に滑舌をよくするための練習をし始めた。より効果的な訓練とするために彼女に教えられた方法も欠かさずにやっている。それは割り箸を口に加えて、発声するという方法だ。確かにその状態で早口言葉を言い終えたあとは、口周辺や喉の筋肉に疲れを実感できた。一週間ほどすると僕の滑舌は見違えるほどよくなった。会社でプレゼンする時も以前とは打って変わって噛まずに続けられるようになった。かといって、自分の意見が通りやすくなったかといえばそういうこともなく、ただ単純に歯切れのいい口調になっただけだ。同僚や上司からも何か具体的に褒められるということはないので、自己満足の域を出ることはなかった。
　仕事帰りにあのバーに寄った。金毘羅マチコから滑舌の調子はどうかと連絡が入ったのでレッスンの続きをバーでやることになったのだ。彼女は案の定、先に店に入り定位置でカクテルを飲んでいた。それはどきつい緑色をした液体で毒でも飲んでいるように見えた。
「どう調子は？　舌を絡めてキスをすると滑舌がよくなるって昔の私の同僚から聞いたんだけど試してみない？」
「いいえ、結構です。それより司会のことをもっと教えて欲しいです」
「そうね、人前で話す訓練が必要ね。そのためには恥を忘れることが重要よ。おどおどしている人間ほどみっともなく見えるものはないわ。堂々とハキハキと悦に入って、大きな声で話せば、それだけで素人のあなたなら上出来ね」
「具体的に何をすればいいでしょうか？」
「課外授業よ。ついて来て」
　彼女は荷物も置きっ放しで店を出て行ってしまった。すかさずその後を追う。彼女は人通りのある道に出て、交差点を目指していた。やっと追いつくと彼女は道のど真ん中でしゃがみ込み、額ずく格好になった。周囲の人間は急に土下座をし始めた女性に訝しがるも何かのパフォーマンスと思ったのか携帯で写真をとる輩もいる。僕は少し離れてその異常な光景を目にしていたが、彼女が一切動かず土下座の状態でいるので、心配になって近づいて声を掛けた。
「あなたも同じことをやりなさい。こうやって衆目の中での恥辱に耐えうる体を作るのよ」
「え、これが訓練なんですか？」
　人前で、しかもこんな人通りのあるところで、土下座をするなんて正気の沙汰ではなかった。僕が中々、彼女の要請に応じようとしないので彼女は立ち上がり、僕の両肩に手を置きすごい力で僕をしゃがませた。彼女の形相があまりにも怖かったため僕は彼女のいいなりになって、その場で土下座をする格好になった。周囲では騒ぎ立てる声や携帯で写真を撮る音がかまびすしく聞こえる。僕はその中心にいるわけだが、顔を上げることができなかった。彼らと目が合うことはどうしても避けたい。目が合った途端、僕の中の恥ずかしさのメーターは一気に値がマックスになるに違いない。そしてその場で発狂してしまいそうだ。そのうち彼らが飽きてこの場を去るときまで静かに顔を下げた状態でいたかった。しかし、隣で同じように土下座をしている彼女が僕にだけ聞こえる声で新たな指示を出してきた。
「じゃあこのままゆっくり顔を上げて、誰かと目が合ったら早口言葉の練習をしなさい。私はバーで待ってるから」
　ちょっと待って下さいと言うのも待たずに彼女は人だかりをかき分けて消えてしまった。残された僕には選択肢が二つある。彼女の言うことを無視してバーに戻るか、彼女の言うことを聞いて早口言葉の練習をしてからバーに戻るかの二つだ。考えている間にも時は過ぎていった。そんな中、僕に小さな変化が起こった。実は先ほどから自分の中で恥ずかしさよりも、目立つことによって得られる満足感や高揚感の方が大きくなりつつあったのだ。自分に酔っているという表現がぴったりかもしれない。この快感をもっと得るためにはもっと恥ずかしいことをしなければならない。そのためには今から顔をあげて早口言葉を言うのは実に効果的だった。
「信州過疎村出身ジャズシャンソン歌手新春シャンソンショー」
　いきなり早口言葉を言い出した僕と目が合った人は最初は笑みを浮かべていたが、僕に気圧され、その内いなくなった。僕は次の相手を探し、目を合わす。そしてすかさず大声で早口言葉を繰り出した。次第に気味悪くなってきたのか人々はどんどん消えていった。僕は早口言葉を連呼していた。とても清々しい気分になっていく。そして、人がいなくなってから僕は立ち上がり彼女の待つバーに戻った。
「見違えたわ。完全に前に立つ側の人間の顔になったわ。プロの私が言うんだから間違いないわ。途中から気持ちよくなってきたんでしょ？」
「そうなんです。高揚感に包まれて、もっと続けたいっていう感じでした」
「ちゃんとした脚光を浴びればもっと気持ちいいわよ。皆からの視線もあんな痛々しいものや好奇なものを見るものじゃなければ、一層やみつきになるわ。それより、もっと気持ちいいことしないかしら？」
「いえ、大丈夫です。度胸はついたので、滑舌の練習をしっかりしたいと思います」
「そうね。あとは原稿を用意して暗記するくらい練習すれば、問題ないんじゃないかしら。問題があるとすれば、私を飢えたままにしているあなたの態度かしらね」
「喉が乾いてるんですか？　お礼に一杯おごりますよ」
「そういうことじゃないんだけどね。まあいいわ」
　僕は彼女に感謝の意を示すためドリンクをおごった。彼女は先ほどから飲み続けている気味の悪い緑色をしたよくわからないカクテルをバーテンダーに注文していた。
「それ美味しいんですか？」
　僕はビールを飲みながら横でそれを飲む彼女に聞いた。
「ええ、美味しいわよ。飲んでみる？」
　僕は一口それをもらった。口いっぱいに甘みが広がったあと、得体の知れない苦味が押し寄せてくる。好んで頼みたい一杯ではなかった。

　残る問題はムービーだったが用件だけ伝えてあった泉ともやっと連絡がついた。
　僕は泉のうちに行くと言い、約束を取りつけた。彼の住まいは学生の頃から変わっていない。家の近くまで来て、あの頃のままである周囲の光景に安堵するものの、一種の気味悪さを感じていた。ここだけ時代に取り残されているようなのだ。一人暮らし用ワンルームマンションはくたびれ、遠目にも汚い。僕はドアの前に立った。インターホンを鳴らすと鍵を開ける音がすぐにして、彼が顔を出した。昔のように、生い茂る密林のような髪型で、本当に会社勤めをしているのかと疑いたくなる。無精髭姿という出で立ちも何ら変わっていなかった。室内は男の部屋特有の汗と垢のすえた臭いがした。座布団は一枚しかなく、彼はそれを僕に譲ってくれた。そして、おもてなしの心を発揮し、麦茶を注いで持ってきてくれた。
「お前に言われて、動画はもうできてるんだ」
「早いね」
　僕は事前に送ったメールにスライドショーにも使えるよう田岡君と谷野さんの写真を添付して送っていた。泉はそれらを使い、すでに仕事を終えているという。
「どれどれ、見せてよ」
　白を背景にした中に浮き上がる二人の肖像、そしてそれを彩るピンクを基調としたアニメーション付きの文字装飾。泉からは想像も出来ないような華やかな世界がそこにはあった。何度か結婚式に出て、業者が作った祝賀ムービーを見てきたがそれと比べても遜色ない内容だった。
「天才だね。もう僕は何もしなくてもいいじゃん」
「これはおあつらえ向きでもっと力を入れて作ったのがあるんだ」
　泉は画面上に置かれたもう一つのファイルをクリックした。すると違う画面が開き、再生が始まった。そこには見たことのない谷野さんの姿があった。仕事に向かう途中だろうか、駅の中で撮影されたものもあった。僕が事前に送った画像ファイルではない。画像だけではなく盗撮したかのような映像まで入っている。音楽や背景はさきほどと同様に華やかな演出であるのに、何やら違和感が残る出来だった。
「どう？　すごいだろ？」
「お前、この写真とか映像とかはどうやって手に入れた？　田岡君がくれたの？」
「いや、たまに谷野さんを撮影してる」
「たまに？　どういう意味？　それは無許可だよね？」
「そりゃ許可取ってたら断られるだろ」
「お前、それ犯罪だろ。盗撮じゃないの？」
「エロい目的じゃないし。風呂とかトイレとか着替えとか撮るやつは俺もどうかと思う」
「お前がどうかと思うよ。世の中は認めないよ？　そんないいわけ」
　泉を結婚式に呼ばないのは田岡君達にとっては正解のようだった。泉は僕が思った以上に変態でその根底にある歪んだ感情は根深いものがありそうだ。ストーカー犯罪が多い昨今、泉のような人間は珍しくないのかもしれない。自己を正当化しストーカーであることに何の疑念も持たない。いや、ストーカーであるという自覚すらないのかもしれない。
「滝川、お願いだ。俺もこっそり二次会に呼んでくれ」
「最初はそうしようと思ってたけど、考えが変わった。お前、やばいって」
「谷野さんのことを心から祝福したいんだ。本当だ。二次会において変なことはしない。誓う」
「もう十分変なことしてるから信用できない」
「じゃあ俺もこの動画ファイルは渡せない」
「ああ、別にいい。自分でやる」
　泉の作ったムービーは演出も秀逸で素晴らしいもので、一朝一夕に僕が真似できる代物ではなかったがこのまま泉に任せるのはいかがなものかと思えてきた。こいつ、口では何もしないと言っていてもいざ本番呼んでみると豹変しかねない危険性をはらんでいる。と同時に友を捨て置けない自分もいた。このまま放置するのは田岡君達にとっても災厄だったが、泉自身にとっても良くないことだ。本当にいずれ捕まってしまう。立ち直るきっかけは今僕が与えるしかない。
「泉、よく考えろ。犯罪だぞ。気持ち悪がられて、より嫌われるよ。それはお前にとっても最悪だろ？」
　僕は泉の説得を試みる間、口の中に苦い味が広がっていくような気分に囚われていた。その味は確か、金毘羅マチコが飲む緑色をしたカクテルに似ていた。そして、その味が口中に行き渡ったとき閃いた。毒をもって毒を制す。蛇の道は蛇というか、同じような個性の強い人物に関して彼女をおいて他に知らない。
「泉、お前今夜暇か？　飲みに行こう。俺の家の近くのバーなんだ。会わせたい人がいる」
　彼女にこいつを説得してもらおう。
　外に出て空を仰いだ。スモッグがかった空に太陽は薄ぼんやりと見えた。僕の家の方までいけば、空は少しは晴れているかもしれない。そう願いながら僕は泉を連れ出して地下鉄の駅の方へと歩き出した。

了

コメント(11)

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[1] mixiユーザー 09月30日 13:21

コメディをメインに書きました。
主人公は、結婚を控えた新郎から二次会の司会とムービー作成を依頼され、その解決に奔走する話です。
司会、ムービーそれぞれに師匠的キャラを用意し、主人公を巻き込みます。
最後は、そのキャラ同士が会うという段取りがついたところで終わります。

最近友人の結婚式に関わる機会が多いので、そこからネタを用意しました。
ダメ男も登場します。

[2] mixiユーザー 10月02日 22:35

読ませていただきました。
バーでマチコと司会の練習をするところとかは非常に面白かったです、こんな人実際いたら面白そうと感じました。
泉が勝手に谷野さんを撮影するところも、泉という奴の気持ち悪さが出てると思いました！
ただちょっと「ここで笑わせよう」という魂胆が見えたと言いますか、自然体な感じでクスリと笑える風に仕上がってたら、もっと面白かったと思いました(私個人の感想です)。
あとは、すみません、最後のオチがちょっと「？」という感じでした。

[3] mixiユーザー 10月02日 23:24

>>[2]
感想ありがとうございます。笑いは加減が難しいですね。

[4] mixiユーザー 10月04日 11:56

新郎・新婦と恋愛のもつれが合って結婚式に呼びたいけど呼べない人がいて、何とかムービー何かで参加させてあげたい、という流れが、身近にある話だったので、頷きながら読んでしまいました。何より「洗濯物の生乾き臭がいつもする」という設定が、自分の周りにもいたので面白かったです。どれだけ陽当たりが悪いとこに住んでんでしょうね（笑）しかも、結局、それを台無しにするような行動をソイツが見せるというのも、納得です。裸とかをとらなければいい、というような、よく分からない、その人だけの基準の存在というのもリアルで笑ってしまいました。
衆目に曝される場所で、土下座や早口言葉を練習するというのも、僕自身、渋谷のセンター街で、それに近いことを経験したことがあるので、色々重なって面白かったです。

[6] mixiユーザー 10月04日 23:50

冒頭からすみません。
”披露宴の二次会”が気になったので、
通常は、
披露宴 = 一次会
だと思いますので。
それが正確なのかは分かりませんが、
一般的にはそのような認識だと思うので、避けた方がよい表現かと。
冒頭なので、気になる読者が多いともったいないと思ったので。
セカンドオピニオン聞かれるのも良いかと思います。

”ところが、田岡君の提案により僕のこの妄想は文字通り、妄想に終わることになった。 ”
話の転換点としてよい文章がよい位置にあるように思いました。
論文のthesisぐらいにはっきりと物語のその後を示しているので読みやすくなっているように感じました。

そのあとに続く会話と地の文のバランスが、前回までと比べて変わりましたか。
個人的には会話のセリフが効果的になった気がします。

泉、田岡君、谷野さんの人物像の紹介が巧みに行われていると思います。

”もう一方の……”
からの段落は、僕への焦点がきれいにできている気がします。それによって話の展開がしやすくなりますね。

視覚的に有効な名刺という小道具で名前から強いサブキャラの「金毘羅マチコ」に焦点を移させる辺りは少し巧妙すぎやしませんかとまで思わされました。

金毘羅マチコの強すぎるくらいのキャラからどのように回収に入るのかなと気になっていたところで、泉とムービーの話、マチコと泉がグンと離れた存在だということを強調したり、それでも本当は近いとか、会わせるか何かの展開があるとさらに面白くなったかもと感じました。

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全体的にはとても読みやすく、話のポイントがつかみやすかったのですが、どこかで意外性のある驚きが含まれているのもよいかと思いました。そのくらいの受け皿がこの話の流れにはあると感じたので。

”残る問題は……”
と始まる段落で仕切り直されたところでこの話はうまくまとめるといるよりも章立てされるような構想を目指していたのかなというところを聞いてみたいです。

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以上はすべて個人的な意見なので、同意されるところだけご参考にしていただけると幸いです。

[8] mixiユーザー 10月05日 11:42

>>[4]さん
感想ありがとうございます。
私も六本木でやったことあります。

[9] mixiユーザー 10月05日 11:44

>>[5]
感想ありがとうございます。
マチコと泉は噛み合わない会話を続けます・・・！

[10] mixiユーザー 10月05日 11:44

>>[6]
感想ありがとうございます。
推敲がたりませんでした！いろいろ勉強になります！

[11] mixiユーザー 10月05日 11:46

>>[7]
感想ありがとうございます。
早口言葉は有名なのを、面白くするために言葉を足したりしています！

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