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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第13*回(2026年8月開催) 文芸部A 王都作 テーマ選択「遅刻への狭量さ」(「遅刻」)

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【まえおき。】
純正チャッピー作。
KIYONOで開かれる会によっては違いますが。

【ここから本文。】
「時間を守る」は、たしかに立派な美徳である。約束した時刻に間に合う。相手を待たせない。予定を乱さない。社会生活を営むうえで、それが大切なのは言うまでもない。

けれど、ときどき「遅刻しないこと」が、いつの間にか「人間として正しいこと」にまで膨らんでいる人がいる。

五分遅れた人を見て、事情を聞く前に眉をひそめる。
電車が遅れたと言われても、「もっと早く家を出ればいい」と返す。
道に迷った人にも、「普通は事前に調べるでしょう」と言う。

その人にとって、時間とは時計の針だけではない。

秩序そのものなのだ。

だから、時刻を守れない人間を見ると、単に予定が狂ったとは感じない。「だらしない」「信用できない」「社会人としてどうなのか」という評価にまで一気に飛躍する。

そこまで行くと、もう時間管理の問題ではなくなる。

世界の見え方の問題である。

もちろん、遅刻を繰り返すことは別の話だ。

毎回当然のように人を待たせる。連絡もしない。謝りもしない。相手の時間を自分の時間より軽く扱う。

これは困る。

しかし、世の中には「一度の遅刻」と「遅刻する人間」を同じものとして扱う人がいる。

五分遅れた。

だから、この人は信用できない。

その五分間に何があったのかではなく、その人の人格まで時計によって判定してしまう。

これは一見すると、非常に合理的である。

「約束は守るべき」
「時間は有限」
「他人に迷惑をかけてはいけない」

どれも正しい。

正しい言葉だけを積み重ねているので、本人も自分の狭さには気づきにくい。

むしろ「自分はきちんとしている」と思っているかもしれない。

だが、きちんとしていることと、狭いことは両立する。

むしろ、きちんとしている人ほど、自分の基準を他人にもそのまま当てはめてしまうと、妙に息苦しい存在になることがある。

たとえば、待ち合わせに十分早く到着することを習慣にしている人がいる。

それ自体は素晴らしい。

ところが、その人が「十分前に着くのが当然」と考え始め、さらに「五分前に着けない人は時間にルーズだ」と考え、最後には「時間にルーズな人は仕事もできない」とまで考え始める。

こうなると、十分という数字から、ずいぶん遠いところまで来ている。

時計の針から人間性を推測しているのである。

そして、この種の人は「例外」に弱い。

電車が止まった。
体調が悪くなった。
家族から急な連絡が入った。
知らない場所で道が分からなくなった。

そんな出来事を「事情」として受け止めるより、「でも、もっと早く出れば防げたでしょう」と処理する。

確かに、防げた可能性はある。

だが、人生には「もっと早く準備しておけば防げたこと」が無限にある。

事故も、病気も、災害も、人間関係の揉め事も、仕事の失敗も、ある程度までは「もっと準備しておけば」と言えてしまう。

だからこそ、人は予測不能なものを抱えながら生きている。

完璧に遅刻しない人生など、時計を何本持っていても実現できない。

そして、ここが少し面白いところなのだが、時間を絶対視する人ほど、自分が時間によって追い立てられていることには気づいていない場合がある。

「遅れないように」
「迷惑をかけないように」
「予定どおりに」
「普通はこうするものだから」

そうやって自分を律し続ける。

その結果、自分自身にも「融通が利かない」という鎖を巻きつけてしまう。

予定どおりに進まないと落ち着かない。

計画が崩れると苛立つ。

誰かの都合で五分、十分と時間がずれるだけで、その日の気分まで悪くなる。

果たして、それは「時間を大切にしている」と言えるのだろうか。

時間を大切にするとは、時計の数字を一秒単位で守ることだけではない。

誰かが遅れてきたとき、その人を待つ時間もまた人生の一部である。

待っている間に本を読むこともできる。
景色を見ることもできる。
考え事をすることもできる。

あるいは、何もせずぼんやりしていてもいい。

五分や十分の余白を「無駄」としか考えられない人生は、ひょっとすると時間を大切にしているのではなく、時間に支配されているのかもしれない。

もちろん、毎回遅れていいと言いたいわけではない。

むしろ、時間を守ることは相手への配慮として大切にしたい。

ただ、その配慮を「規則」に変えた瞬間、人間は急に窮屈になる。

「遅刻しない人」が偉いのではない。

「相手の時間を軽んじない人」が信頼されるのである。

そこには、時計だけでは測れないものがある。

謝ること。

事情を説明すること。

相手の都合を考えること。

そして、ときには相手の五分や十分を待つこと。

時間に正確であることと、人間に寛容であることは、両立できる。

むしろ、その二つが両立して初めて、本当の意味で「時間を大切にする人」なのではないだろうか。

時計は狭い。

十二個の数字と、二本か三本の針の中を、決められた方向へ回り続ける。

人間まで、その時計と同じように動く必要はない。

一分遅れた人間を見て、すぐに「だめな人」と決めつけない。

まず、「何かあったのかな」と思えるくらいの余白は持っていたい。

その余白こそが、人間の時間なのだから。

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